2011年07月03日
クラシックデザインのコールマン社製クーラーボックスと サッポロクラシック24缶入り1ケースがわが家に届きました。 サッポロビール様、 ありがとうございました!
2010年10月26日
コンサドーレ缶の6缶パックに付いている応募券を紛失! たった1枚だけどこんなに悔しいことはない。 サッポロビール様、がんばってコンサ缶のクラッシック毎日飲んでマス。 職場でも宣伝しております。 ですから抽選の際には、わたくしにどうか御慈悲を!
2010年10月03日
新幹線ブームが一向に去る気配のないわが娘(2歳)。 You Tubeで新幹線の動画を見せていたら、 クリスマスエクスプレスのCMなんかもあって 当時を懐かしみながら思わず何度も何度も繰り返し観てしまった。 しばらくすると、 娘がなにやら言っている。 注意深く聞いてみると 「じぇいあーる、とうかい」。 コンサドーレ札幌オフィシャルパートナーJR北海道様、 大変申し訳ございません! この場を借りてお詫び申し上げます。
2010年07月06日
サッカー教室のときに、 「スポンサーからです」 といわれて手渡されたもの…それは「森永マミー」。 あまりにも懐かしくて 思わず一人笑ってしまった。 幼い日に駄菓子屋の冷蔵庫に入っていた ちっちゃなビンの森永マミー。 しずくの形の中に 一文字ずつマミーと書いてあるデザインは いまも変わらない。 母からもらえるわずかなおこづかいでは 毎回マミーを買って飲むことはできなかった。 だから「今日はマミーを飲もう」 そう決意して駄菓子屋に向かったことを覚えている。 あのころ飲んだ ビン入りのマミーが一番美味しかったといまでも思う。 中学生のとき、 先輩が500ミリリットルの紙パック入りのマミーを氷らせて 練習試合に持ってきていた。 早く2年生になりたい、 そして俺も練習試合でマミーを飲みたいと思っていた。 ついに夢が叶った日、 まだ半分以上氷っているマミーの口を開け ストローをさした。 おもむろに吸い上げた口の中に広がった味は 幼い日に飲んだあの味と同じだった。 仕事で北海道に住むことになったとき、 はじめて雪印カツゲンなる飲料の存在を知った。 一度だけ飲んだ。 マミーとは似て非なるものだった。 北海道で生まれ育った方々の大半が カツゲン派ではないかと思う。 申し訳ないが私はマミー派だ。 たとえ誰が何と言おうとも。
2010年04月16日
ゴンが出ている石屋製菓のCMが札幌ドームの大型ビジョンで流れるたびに、 「やっぱりコンサドーレに来たんだ」 とジーンとしてしまう。 あのコマーシャルを見たアウエーサポーターは どんな感想を持つだろうか? うらやましいと思うのか、 それとも札幌ドームまで来てよかったと思うのか。 いずれにしてもわがチームの誇りであることに変わりはないと思う。
2010年04月03日
コンサドーレ札幌オフィシャルパートナー ニトリ様に注文していた、 「くみあわせですくスーパー」が家にやってきました。 約束の時間どおりにやってきて、 素早く組み立てて設置してくださいました。 「はやくべんきょうしたいなー。」 と、ウチの小僧も大喜びしています。 夜、野球中継を見ていると 札幌ドームのフェンスに見慣れたエメラルドグリーンの広告が。 それを見つけた娘がすかさず「こんそーれ」。 最近「ニトリホール」という名前もよく聞きますし、 広告に力を入れていることがよくわかります。 ぜひともコンサドーレ札幌とのお付き合いも 末永いものとなりますよう、心よりお願い申し上げます。
2010年03月26日
数年前、近所のスーパーではじめて見た謎の菓子パン。 80年代を彷彿とさせるネーミング、そしてイラスト。 思わず手にとって買ってしまった。 その名も「チョコブリッコ」。 正直、さぶいと思って職場でバカにしていた。 すると、若い連中が口々に 「チョコブリッコ、知らないんすか?」 と責めてきた。 彼らの話によると、 チョコブリッコは青春の味なのだそうだ。 高校時代、先輩から部室に呼び出され 「チョコブリッコ買ってこい!あと、コーヒー牛乳な。」 と何度も何度も命令された。 そしていつの日か、 自分も後輩を呼び出してチョコブリッコを買わせようと、 耐え難きを耐え、忍び難きを忍んだ。 ようやく2年生になって、 はじめて後輩に買いに行かせて食べたチョコブリッコの味は、 生涯忘れられないという。 道外出身者の私は、 チョコブリッコにそのようなドラマがあったとは知らなかったよ。 そんな私もときどき買ってしまうチョコブリッコ。 コンサドーレ札幌チームスポンサー 日糧製パン様の商品です。
2010年03月03日
中学生のころ、F1が大好きでした。 一番好きだったのはマールボロカラーのマクラーレン。ドライバーはアラン=プロストが好きでした。 しかし、常にマクラーレンの前に立ちはだかるのが、青と黄色と白いボディーのウイリアムズ。 当時、1500ccながら1000馬力以上を出していたホンダのターボエンジンを積んで、 1987年イギリスGPではキャメルカラーのロータスとともに 1-2-3-4フィニッシュを決めたのでした。 ウイリアムズホンダの車体には、赤い文字で「Canon」と書かれていました。 確か、両側のサイドポンツーンとリアウイングに広告が入っていたと思います。 よく聞いたことのある社名だとは思っていました。 しかし、F1のスポンサーになって こんな目立つところに広告を出せるような企業が日本企業のはずがないと 勝手に思いこんでいました。 実は日本の企業だということを知ったとき、 すごいな、と率直に思いました。 私の脳には「カメラ=キヤノン」が刷り込まれました。 当時、ミノルタのα-7000というオートフォーカス一眼レフが大ヒットしていました。 それでも私は「カメラは絶対にキヤノン」だとずっと思い続けてきました。 仕事を始め、ようやくお金にゆとりが出てきたころ、 私は念願の一眼レフカメラを買うことを決意しました。 店員に「やっぱりニコンが一番いいですよ」と勧められても、 「キヤノン以外は買わん!」と北詰監督なみに己の信念を曲げず、 EOS-3をドライブブースター付きで買ったのでした。 その後の消費行動を振り返っても、 シェルでガソリンを入れてみたり ロンジンの時計を妻にプレゼントしてみたり キヤノンのプリンターを買ってみたり グッドイヤーのタイヤに換えてみたり アジップのオイルを入れてみたり ホンダの車を買ってみたり と、 あのころのF1スポンサー企業を いまでもよく使っていることがわかりました。 自分の体験を通して、スポーツのスポンサーになることには、 このようなメリットがあるのだと感じました。 長くに渡って、その企業やお店や商品を支えてくれる人を育むことができるのです。 広告の即効性も大切だとは思いますが、 幼いころに何度も見た看板、聞いた企業名は大人になってもよく覚えているものです。 試合前、札幌ドームで何度もチームスポンサー様のコマーシャルが流れます。 ウチの小僧は試合のたびに、それを真剣な目でずっと見ています。 ついにはコマーシャルが流れる順番まで覚えてしまいました。 あるとき、テレビでニトリのCMが流れていたのをうれしそうに見ていました。 里帰りの際のおみやげは、絶対に白い恋人か美冬にしようと言いますし、 サッポロビールをコンサドーレのビールといいます。 この前のリンカーンで松っちゃんが 「俺、煮卵!」 と券売機の前でボケていましたが、 その券売機に「さぽーとさっぽろ」と書いてあったと 大よろこびしている6歳がウチにいます。 スポンサーであり続け、お金を出し続けることは、本当に大変なことだ思います。 私たちサポーターは決して感謝の気持ちを忘れません。 買い物などで少しずつしか恩返しができませんが、 スポンサーの皆様を支える「次の世代も育っています」ということを伝えたくて 今日のブログにしたためました。
2010年02月16日
いま、飲み会から帰ってきました。 私の住む海沿いの街は快晴で、 今夜はとても冷え込んでいます。 (その分とても星空がキレイです。) お店から自宅まで約1㎞。 お迎えになんか来てくれませんから 一人さみしく徒歩で帰ります。 そんなときに私を助けてくれているが、 Kappaのネックウォーマーです。 いつもは首に巻いているのですが 今日のようにあまりにも寒くて耳が痛いときには 帽子のようにかぶると耳を守ってくれます。 おかげで寒い思いをせずに帰ってくることができました。 結構いいお値段なんですけど、 コンサの選手と同じものを使っている、 というところがポイントです。 とてもいい気持ちで さむ~い冬も楽しく乗り越えられますよ。
プロフィール
NAME:PA AGE:AROUND40 BORN IN SHIZUOKA LIVE IN HOKKAIDO
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