2008年04月24日
いつの間にか、鉄壁のコンサドーレのDFの中心と言われるようになった曽田。今年はケガで出遅れ、コンデションが悪い状態が続いている内に、いつの間にかベンチにいることが多くなりました。残念です。 我が家では曽田は絶対的な人気者です。 ドームで行われた4月2日の川崎戦、残念ながら私は行けなかったのですが、その時行った息子曰く、「試合は負けて残念だったけど、曽田選手のキーパー姿が見られただけで、値打ちがあった」と。それほど存在感のある選手なのです。息子は、曽田選手を「頭のいいスポーツ選手」の代表としてあがめ、尊敬しています。おそらく、何かの質問で「尊敬する人」と聞かれたら、間違いなく「曽田選手」と答えるに違いありません。(まだ幸いにもその機会はないようですが) そんな曽田が新潟ではダヴィとの2トップの相棒としてFWで出場するという噂があります。 私のプロフィールにも書いてありますが、2002年のJ1最終戦。広島との5対4で勝利を上げた壮絶な戦いで、輝いていたのはFW曽田選手。コンサドーレで2人目の(たぶん)日本人ハットトリックを決めたのでした。Jリーグ最後のVゴールを決めたのもこのときのゴール。記録にも、記憶にも残るコンサドーレの素晴らしいFWだと言うことを私は忘れません。あれが、曽田のFWとしての最後の雄姿でした。私の中にはまた、いつかFWとして、ピッチに立つことを信じていました。 はたして、この噂は本当なのか、この目で確かめてこなくっちゃ。できれば、FW登録で二試合連続札幌ドーム、ハットトリックという奇跡を目の当たりにしたい。
プロフィール
北海道西海岸に居を構える。札幌に別荘有り。コンサドーレ設立前は野球に傾倒していたが、軸足を少しずつサッカーへ。いまでは両足ともどっぷりサッカー。初観戦は1998年J1の厚別での京都戦。初観戦を勝利で飾って以来、厚別、そしてドームへと何度も足を運んだ。岳也のVゴールも見た。曽田のハットトリックも見た。勝利に歓喜することもあり、敗戦に肩を落とすこともあった。昇格の喜びも、降格の悔しさも味わった。いつも生活の中にコンサドーレ札幌があった。これからも、ずっとそうだろうと思う。
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