鳥栖戦のこと

2006年05月20日

そんな応援のしかたが良いとはおもわないのだが、何かを吹っ切るためのようにがむしゃらに声を出し(こういうときはダミ声なんだが。周りにいた人、ゴメンねw)、厚別で筋肉痛になった脚に追い討ちをかけてみた乳酸体質のarrozです。

お疲れ様でした>おーる

試合前練習時、まばらな拍手で選手を迎えたスタンドに選手は何かを感じてくれたのだろうか。いや、感じてくれたと信じよう、感じてくれなきゃゴル裏サポが存在する意味までもが否定されてしまいそうな気がするので。

試合開始前、一気にヴォルテージを上げるゴール裏。いつもより座席には空席が目立っていたが、声
の密度は濃かったと感じた。そんな雰囲気に、少しばかりグッときちゃったりして。

結果は私たちが本当に望むものではなかったけれど、それでも次につなげるのに必要最低限のものではあったと思う。

あー、上手く書けねぇな。
とにかく次も、自分たちの目標に近づくために、できることをやろう。


厚別のゴール裏ってこんなだったっけ?

2006年05月14日

今日、頑張った人たちお疲れ様でした。

『行け札幌 勝利信じ 最後まで戦え』
『そうここは我らの厚別 見せろお前の情熱』

あなたは最後まで戦いましたか?
選手に情熱をぶつけられましたか?

頑張れなかった人と頑張らなかった人は、もう一度、何の為にゴール裏に集まっているのかよく考えてみましょう。


降らなければゴミ拾ってから参戦

2006年05月13日

珍しく代表戦のことなんか書いてみたりして。

攻める日本、ガッチリと守りを固めるスコットランド。あれ?どこかで聞いたような気がするな、とw
CK、ゴール前に放り込むのではなく、しつこいようにミドルを狙わせるのは面白かった。カギは開かなかったけど。
まず、1次リーグはスコットランドみたいな戦い方してくる国はあるだろうな。1次リーグの模擬試験という意図はあったのか?>この試合に。

とまで書いておいて、
『ねえ、1次リーグって日本・ブラジル・オーストラリアと、、、えーと、、、(沈黙30秒→ぐぐってみる)そうそう、ごめんね、クロアチア人の皆さん』
と、まあこんな始末。

私にとってW杯なんかその程度のものさw
目の前で見られた前回大会とは比較にならないほどテンション低いっす。今年は≪昨年・一昨年以上にコンサにとって大事な年≫であるという理由もあるのですが。。。
ああ、コンサがヒントにできる何かがあったのかなぁ、この試合。
ジーコが監督になってからというものの、代表に対する熱は急激に冷めてしまったため(もっともコンサが生まれてからは、コンサドーレ札幌>>>>>越えられない壁>>>>>日本代表なのだが)、真面目に見てないし、もちろんVTRもとってない。見てた皆さんは何かお気づきになられたんだろうか?

代表話はこのくらいにしましょう。書いてたって面白くねえしw

こないだもそうでしたが、試合後に深く考えもせずに書きなぐると、その後自分のブログを開く気が失せるんですよねぇ(したらやめれって>自分)。で、前向きな方のブログなどを読んだりしてじっくり1週間かけて切り替えるのですけど(問:下線部に当てはまるブログ名を答えよ)。そりゃもう、さすがに1週間かければビシッと切り替わりますよ、ビシッ!と。気合入れていきますよぉ、明日も。
あ、↑答えなくていいですからw


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22:55

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んー、つまんない

2006年05月06日

独り言だから気にするな>おーる

つまんない内容で負けるのがやっぱりいちばんつまんないな。
ケンゴはもっとシュート練習汁!前のエントリで褒めるんじゃなかったorz
3失点目ははがちゃんの頭だと思うのだが、なにもここで枠に飛ばさなくても・・・。


post by arroz

18:35

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仙台戦メモと3年前の記憶

2006年05月06日

先日、笹田さん村野さんのところで厚別の風をテーマにエントリーされているのを読んで思ったのですが、厚別の風って室蘭のそれとはちょっと違うのかな、と。私個人の印象なのでちょっとアレなんですが、厚別のほうが強くてあったかいような気がするんです。厚別の強い風は決して嫌いじゃないです(但し晴れていればw)。
さて、水戸戦当日なので、3日のことはサラッといきましょう。

・ 懐かしいコールが出てきましたね。ホームゴール裏バックスタンド寄りには「フーーッキーー。フーーッキーー」に合わせて両手を上げ下げしていた元・関(浩二)教信者と思われる一団も見られた。教祖様が変わっても崇拝の仕方は一緒w
・ うちの次男が着ていたののTシャツ。周囲の方からは「あ、ののだ!」との声が4~5回聞こえたようですが、なに?ののTシャツって珍しいの?それともただのネタTシャツなんでしょうかw
・ あの伊達ナチオw(てか、ドン引き)が、時間は掛かったけど最後に崩せたことに選手たちは自信を持っていいと思う。ケンゴGJ!繰り返し繰り返し攻め続ければいつかは相手守備もほころびます。みんながんがれ。
・ がんがってるはがちゃんにゴールのプレゼントを(ただし自分で決めることw)。
・ しまふくごはん3回目。声を出したりサルトする前に食べるので胃もたれしないのが非常にうれしい。ごちそうさま、美味しかったです。
・ 「ファミリーjoinデイズ」。イベントが、教室の時間が列の並べ替えの時間にかかってしまうのはどうでしょうか。でも、時間早くすればそれだけ準備を早くしなきゃいけないわけで、スタッフさんに負担が掛かることだし。

以下、3年前の悪夢を思い出してみる。

  草の生えた斜面を降りる途中、滑りまして、
  下に人がいたので、右前腕部(手のひら~肘)でおもいっきり踏ん張ったら、
  右肩が「ぐきっっ!」と大きな音を立てました。
  「あー、やっちった・・・。」初めてなのに、脱臼だってすぐにわかるんですね。

  痛いです。骨折したときより痛かったです。
  レントゲン待ち。「痛いよぉ。。。気持ち悪りぃよぉ。。。」痛みで吐きそう。

  右のセンセは腋窩に足を入れて、右腕をちぎれんばかりに、
  左のセンセは、タオルで胴体を左に引っ張る。
  「せえのっ!」
  「?」
  「せえのっ!」
  あら?引っ張ってるときはそんなに痛くないのね。

  「???」
  「入ってんのかなぁ?」
  「CT撮ってみるか?」
  「入ってますね。」

  「三角巾で腕吊って、バンドで体に固定して3週間。」
  「自然治癒力に期待して、再発可能性は5割。」
  「筋肉をつけて方を守る方法もあるけどね、千代の富士みたいに。」

3年経ったいま、再発はしてませんが、全力でボールを投げることもできません(これはただの老化のせいもあるのでは。。。)。
肩、動かさなければ字を書いたり箸も持てます。実際、翌日は車を運転し(これはイカンだろ>オレ)、仕事現場に行きました。
肩をテーピングして上腕部を体に固定すれば、サッカーも不可能ではないと思います。ただ、体のバランスがとりにくいです。早く走れません。高く飛べません。
責任感の強い(たぶん)大塚くんのことだから出たいって言ったんだろうけど、ムリはしないでほしいですね。先は長いんだから。

さて、基本的に私、観戦は現場優先なので、今日はとりあえずプリンス行こうかな。。。笠松に水戸を応援しに行く友人の背中にコソーリ魂乗せてこよう、っと。


ただいま

2006年05月02日

皆さんのエントリーでは明日の厚別開幕戦が数多く取り上げられていますが、私とて例外ではありません。これまで多くのスタジアムで色々なことがありましたが、私にとって厚別はやっぱり特別な場所です。
なぜでしょう?昇格とか降格とか、そんなことが数多く起こってきたスタジアムではないような気もしますし、ちょっと振り返ってみましょかね。

‘97年 Jリーグ昇格決定   (厚別)
‘98年 J1参入戦参加決定 (厚別)
     J2降格決定      (室蘭)
‘00年 J1昇格決定      (平塚)
     J1優勝決定      (厚別)
‘02年 J2降格決定      (カシマ)

ああ、それなりにあるな。それじゃしょうがないか、ってヲイ!
それだけじゃないよなぁ。
’97年5月の川崎との試合。厚別不敗神話(懐かしい言葉だ)。札幌の聖地。いつしか、厚別には神のような何か(ソダンじゃないよ)が棲んでいるかのように。風が強いことから追い風だの向かい風だのと、札幌の成績と絡めて書かれたりして。フリューゲルスの件もあったよな。。。

私は、その年初めての厚別に行くと『帰ってきたな』って気がします。ふるさとみたいに。やっぱりここが原点なんだろうなぁ、私にとってのコンサは。


部長拝命

2006年05月01日

「私この度、部長という大役を拝命いたしましたarrozで御座います。微力ながら、皆様のご期待に応えられるよう頑張っていきたいと思いますので、皆様には倍旧のご指導、ご鞭撻をお願い申し上げます。」
なんて上っ面だけの挨拶などをこんなところでしてみました。
部長と言っても会社ではありません。うちは自営業なのでそんな組織はありません。では、部活動(コンサ応援部)?いえいえ、そうではありません。
じつはね、町内会なんです。私の住む地域には札幌でも結構大きい規模の町内会が存在するのですが、そこの「環境衛生部長をやれ」と。
「知りませんよ、どうなっても。ほんっっとに知りませんからね。」とあがいてみたものの、無駄でした。

事の始まりはシーズン開幕の前にさかのぼります。
うちの近所に町内会の副会長さんが居られまして、以前からコンサがお好きだという話は聞いていました。時々、ドームに向かうバス停で見かけたりもしていましたが、副会長さんは私が誰か判っていないようでした。まあ、私もそんなこと割とどうでもいい性質なので、スタジアムでお会いすればよく話はするけれど、名前も知らない方が結構いたりするものですから、特に気にもせず。
あれは2月の下旬頃だったでしょうか、町内の排雪作業の状況を見るために副会長さんは我が家の前を歩いていました。副会長さんの帽子はいつものコンサドーレのキャップです。
「お疲れさまです。もうすぐ(シーズンが)始まりますね。」
「え?ああ、そう(あなたもコンササポ)なんだ。」
みたいにして、私たちは顔を合わせるとコンサの話をするようになりました。

そんなある日、副会長さんは私の家を訪ねてきました。私は仕事で不在だったため、妻が応対しました。いくら顔を見れば話をするとはいえ、何もないのに家に来るなんて有り得ない。と、もうここで妻も私も確信しました。『役員だろ?』って。
数日後、副会長さんは来ました。思ったとおりでした。
「大したやることないから。お願いします。」
各部会の役員は5つの班ごとに各1名です。「どっちかっつーと断るの上手なほうじゃないしー」、「コンササポの副会長さんからの頼みじゃ断りにくいしー」という思いもあって役員を(部長ぢゃね―よ)引き受けることにしました。

で、●●日の↑の悪あがきに繋がるわけです。部長をやれと言ったのは↑の副会長さんとは別の副会長さんなんですけどね。暴言とも言える悪あがきにも眉一つ動かさずに「やって」と言われてはこちらもなす術なしヽ('ー`)ノ
だいたい初めて役員やらされて、その上部長だなんてねぇ。そもそも新役員出席率悪いし(←往生際が悪い)。

でね、最大の問題は町内会の活動と試合日程が重なること、なわけですよ。今判っている限りでは時間はまるっきり重なるわけじゃないけど、並びどうしようかな・・・(-_-)ゞ゛
と、コンサが見れないというのを主な理由の一つとして九州転勤を断ったあげく会社を辞める道を選んだおバカは迷いつづけているわけですよ。


post by arroz

15:16

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