2010年03月03日
中学生のころ、F1が大好きでした。 一番好きだったのはマールボロカラーのマクラーレン。ドライバーはアラン=プロストが好きでした。 しかし、常にマクラーレンの前に立ちはだかるのが、青と黄色と白いボディーのウイリアムズ。 当時、1500ccながら1000馬力以上を出していたホンダのターボエンジンを積んで、 1987年イギリスGPではキャメルカラーのロータスとともに 1-2-3-4フィニッシュを決めたのでした。 ウイリアムズホンダの車体には、赤い文字で「Canon」と書かれていました。 確か、両側のサイドポンツーンとリアウイングに広告が入っていたと思います。 よく聞いたことのある社名だとは思っていました。 しかし、F1のスポンサーになって こんな目立つところに広告を出せるような企業が日本企業のはずがないと 勝手に思いこんでいました。 実は日本の企業だということを知ったとき、 すごいな、と率直に思いました。 私の脳には「カメラ=キヤノン」が刷り込まれました。 当時、ミノルタのα-7000というオートフォーカス一眼レフが大ヒットしていました。 それでも私は「カメラは絶対にキヤノン」だとずっと思い続けてきました。 仕事を始め、ようやくお金にゆとりが出てきたころ、 私は念願の一眼レフカメラを買うことを決意しました。 店員に「やっぱりニコンが一番いいですよ」と勧められても、 「キヤノン以外は買わん!」と北詰監督なみに己の信念を曲げず、 EOS-3をドライブブースター付きで買ったのでした。 その後の消費行動を振り返っても、 シェルでガソリンを入れてみたり ロンジンの時計を妻にプレゼントしてみたり キヤノンのプリンターを買ってみたり グッドイヤーのタイヤに換えてみたり アジップのオイルを入れてみたり ホンダの車を買ってみたり と、 あのころのF1スポンサー企業を いまでもよく使っていることがわかりました。 自分の体験を通して、スポーツのスポンサーになることには、 このようなメリットがあるのだと感じました。 長くに渡って、その企業やお店や商品を支えてくれる人を育むことができるのです。 広告の即効性も大切だとは思いますが、 幼いころに何度も見た看板、聞いた企業名は大人になってもよく覚えているものです。 試合前、札幌ドームで何度もチームスポンサー様のコマーシャルが流れます。 ウチの小僧は試合のたびに、それを真剣な目でずっと見ています。 ついにはコマーシャルが流れる順番まで覚えてしまいました。 あるとき、テレビでニトリのCMが流れていたのをうれしそうに見ていました。 里帰りの際のおみやげは、絶対に白い恋人か美冬にしようと言いますし、 サッポロビールをコンサドーレのビールといいます。 この前のリンカーンで松っちゃんが 「俺、煮卵!」 と券売機の前でボケていましたが、 その券売機に「さぽーとさっぽろ」と書いてあったと 大よろこびしている6歳がウチにいます。 スポンサーであり続け、お金を出し続けることは、本当に大変なことだ思います。 私たちサポーターは決して感謝の気持ちを忘れません。 買い物などで少しずつしか恩返しができませんが、 スポンサーの皆様を支える「次の世代も育っています」ということを伝えたくて 今日のブログにしたためました。
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NAME:PA AGE:AROUND40 BORN IN SHIZUOKA LIVE IN HOKKAIDO
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