2007年11月29日
先週末はコンサドーレ札幌がお休みだったので、24日(土)は味スタでFC東京-大宮アルディージャを、25日(日)は西京極で京都サンガF.C.-ベガルタ仙台を見てきました。 味スタではバックスタンド1階中央のややアウェー寄り、西京極ではメインスタンド上段のかなりアウェー寄りで見ていましたが、いや、もう、見事に、空気が違っていました。 味スタのバクスタは、思いきり東京のホームでありまして、選手入場前の「ゆるねば」は、バックスタンドの人たちもかなりの割合で大きな声で歌っている。レプユニ着用率は札幌ドームほどではないけれど、選手紹介のときにはゴール裏に合わせて「おぃ!」とやっている人がまったく珍しくない。 そういう中に入ってみると、どうにも落ち着かないといいますか、こんなところにいる自分は場違いなんじゃないかと思えてきて、あー、もうオレは札幌以外は愛せないんだなあと、よくわかる。 しかし!翌日の西京極には、そういう空気が、まったくない!! 観客の入りでいえば、単純な人数なら土曜日の味スタのほうが日曜日の西京極よりも多かったものの、定員比(収容率)では、西京極のほうがはるかに高かった。見た目はぎっしりで、最上段には立ち見も出ていたほど(といっても、これは席詰めをやらないからなんですが…札幌ドームにおけるCVSのみなさんがいかに貴重な存在であるか、よくわかりました)。 それなのに、心の中で仙台を応援しながら試合を見ている自分が、浮き上がらない。一人だし、アウェー(?)だし、基本は黙って見ているものの、仙台のピンチになると何度か「あーっ」だの「おぃー」だの声を上げてしまったのに、そういう行動をとってもまったく違和感がない。 どういうこと? あまりに妙なので、試合を見ながら、同じように満員のスタンドで大事なゲームを戦っていた11月18日の札幌ドームと比べてみたら、いくつかの違いがわかってきました。 まずは、屋根がない。屋根がないから、音が反響しない。札幌ドームは特別にしても、仙台スタジアム(ユアスタ)の音の激しさは、屋根あってこそ、でしょう(そう考えると、ゴール裏には屋根のない埼スタのあの歓声は、やっぱりすごい)。 じゃあ屋根があればもっと盛り上がりが出てくるのか?といえば、おそらく、そんなことはない。しばらく見ているうちに気づいたのですが、この試合、ほぼ満員の観客がいるというのに、ホームチーム(京都)がボールを奪って守から攻に転じても、スタンドが沸かないのですよ。この試合、京都はどちらかといえば引き気味でカウンターねらいだったから、自陣深くで相手ボールを奪って一気に前線へ、という、「いけー」「うおー」系の盛り上がりには事欠かなかったはずなのに、ほとんど歓声が起きない。 セットプレーにしても然りで、京都のコーナーキックになっても、拍手も歓声も、ほとんどない。ボールが蹴られてゴールキーパーの近くまで到達して初めて「おおーっ!」と声が上がってくる。 2002年ワールドカップのとき、欽ちゃんが「点が入りそうになるとみんな立ち上がるけど、自分は何もわからないからいつも座っていて、点が入るところは一度も見られなかった」といったようなことをテレビで言っていたのを思い出しました。この西京極は、その逆で、腰を浮かせてもいいような場面でも、誰も立たないんだわ。 12月1日の札幌ドームを、こんなふうにしてはいけません。 僕は、ふだんは、バックスタンドで見ています。バックスタンドで見ているのは、試合をじっくり見たいからで、だから、バックスタンドにまで「立ち上がれ」「歌え」などと強要されるのは、正直、鬱陶しいです。歌いたいならゴール裏に行けばいいでしょ、と思います(逆に、ゴール裏の中心近くにいて、いわゆる「地蔵」になるのはどうかと思うのですが…それなら中心からは離れるべきだと思うわけで)。 ↑ この部分、突っ込もうと思えば突っ込みどころ満載なのは理解していますが、 ここだけ抜き出して批判するのは勘弁してください(^^;) でも、ホームチームのサポーターである限りは、ホームチームに勝利をもたらすサポーターではありたい。 メインスタンドやバックスタンドも含めて、スタジアム全体が一体となるために、メインやバックのサポーターがすべきことは何か? 西京極での経験で、それが、あらためて見えてきました。それほど熱心なサポーターというわけでもない、サッカーに詳しいわけでもない(ふだんはFのほうしか見てないかもしれない)観客をも巻き込むためには、西京極に欠けていたものを持ち込めばいいんです。 すなわち、コンサドーレがチャンスを迎えたら-かならずしも相手ゴール前まで攻め込むということではなく、相手ボールを奪ったら-声を上げる。それは、別に、ゴール裏の歌に合わせなくてもいいんです。とにかく、感情に任せて、叫んだり騒いだりすればいいのです。 感情に任せてといっても、「何やってんだこのやろう」的なヤジは厳禁!ホームスタジアムの雰囲気を悪くして、スタジアムの一体感をあえて削いだところで、相手チームを利するだけです。文句が言いたかったら、試合が終わってから言えばいいんです。 逆に、ピンチを迎えたとき-相手のセットプレー時-は、ゴール裏に合わせて手を叩くのがいちばんいいのかな。ピンチになると、ついつい、黙って手を合わせてしまったりするんだけど、頑張って手を叩きましょう。トランス状態でパンパンパンとやれるところまで行けば、もう、負けることはないさ。 4月の東京ヴェルディ1969戦は、メインもバックも、みんなそんなふうになっていたから、ああいう結果をつかめたのでしょう。11月18日の京都戦は、あのヴェルディ戦をはるかに上回る数のお客さんが集まりながら、めったに来ない人率が上がったからなのか、あれほどの熱気(大きさではなく密度の高さ)は、生まれてこなかったように思います。それが、勝ちきれなかった一因なのではないか…というのは、サポーターの妄想に過ぎないのかもしれませんが、そんなことを考えたくなるのがサポーターでもあります。 12.1、最終決戦。ゴール裏はゴール裏で、いつものようにやればいい。メインやバックの観客は、つねにゴール裏のチャントを意識する必要はなく、そんな「形式」を気にするぐらいなら、自分の中にある熱い気持ちを、抑えることなく、自分の好きな形で-手拍子かもしれないし、声援かもしれないし、絶叫かもしれない-で、どんどん出していけばいい。 2003年8月、ビッグスワンでアルビレックス新潟に大敗した翌朝、新潟空港で弁当を食べていた石水さんは、僕がサポーターだとわかると、ひとりごとのように「あの雰囲気はすごいよな…うちが昇格したときみたいだったよなあ…あれならJ1に行っちゃうだろ」と、愚痴とも感想ともつかぬ話を聞かせてくれました。あのときの寂しさ、悔しさを晴らすときが、いま、ようやく、やってきました。ドーム見たさ、あるいは岡ちゃん人気で観客が集まった2001年よりも、こんどの土曜日のほうが、潜在的な熱は高いはずです。それを顕在化させて、相手チームを黙らせるほどのホームスタジアムを作り出すのは、いつも会場に足を運んでいるサポーターの役目であるはずです。 ※最後はなんだか暑苦しい文章になってしまった<ちょっと反省(^^;)
oates
Re:西京極で考えたこと→12.1札幌ドームへの応用
2007-11-29 01:28
強く思ってることを書くときって、どんどん文章が熱く長くなっちゃうんですよね(笑 僕もそこそこいろんな試合を観にいくのですが、各チームごとにいろんな色があって、でもそれがその地元のチームとサポが作ってきた色なんだって、結構感動したりもします。各都道府県、市町村にそんな状況が増えていったら素敵だろうなって。 札幌は札幌で、札幌だけの色ができていったらな、って思います。 ちょっとずつ、色づいていけばいいですよ。きっと。時間をかけて。
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