2006年07月09日
「札幌のほぼ裏側からコンサをみる~愛媛戦で、また道新批判」で、愛媛戦を批判的に論じたブログの代表にしていただき、なぜかおろおろしてます(^^;)。 せっかくなので、ちょっと考えてみました(と、敬体表現を続けると疲れるので、ここから先は普通に)。※ちょっとといいながら、書いているうちにどんどん長くなってしまった…(読みづらくてごめんなさい) ラグビージャーナリストの村上晃一さんという方がいらっしゃいまして(といっても別に面識があるわけでもなんでもないが)、この人、1998年まで、ラグビーマガジン誌の編集長をやってました。 確かラグビーマガジン(というかベースボール・マガジン社)を辞めるときの、最後の号だったと思うのだが、村上氏は、編集長の挨拶のようなコラムに、こんなことを書いていた。いわく、「インターネットで選手が自分の意見を発信するようになってきた、これからは、マスコミは、これまでのように選手の談話を集めただけでは読者に価値を提供できなくなってくる、云々」。 それで会社を辞めてフリーの取材者になります、と、そこのロジックがどんなものだったかは忘れてしまったのだが、この村上氏の決意表明、当時はものすごく新鮮だった。まだnakata.netは始まったかどうか、ぐらいで、コンサドーレの情報は二上さんのサイトが最大の情報源だった頃(二上さん、お元気ですか?)。ネット上に、いわゆる個人ホームページは続々と立ち上がりつつあったけれど、まだまだ、書き手も読み手も、限られていた(まだブロードバンド、常時接続の時代ではなかったからね)。 考えてみれば、当時だったかもうちょっと後だったか忘れたけど(調べればいいんだけど)、二上さんが運営していたサイトでは「野球の好きな人が草野球を楽しむ場はあるけれど、書くのが好きな人が楽しめる草ライターの場はない、だから当サイトを使って観戦記を書いてください」ということで、コンサドーレの試合の観戦記を募集してたんですよね。 あの頃、二上さんが考えていたことは、とっても素晴らしかったし、間違いなく、先駆的な試みだった。 それから何年か経って、ブログという仕組みができたおかげで、こうして、誰もが自分の感想や意見を、簡単に表明できるようになった。コンテンツ提供で商売してきた側からすれば「そんな落書きの集まりなんて」と思うこともあるだろうけれど、好きな人にとっては、とにかくたくさんの見方があることがわかるのが楽しい。 たくさんの人のさまざまな見方が、ある程度まとまった文章として出てくるようになると、新聞や雑誌に書いてあることが「あれ?」と思えてくる、のかもしれない。いや、ブログなんてのがなくたって、新聞や雑誌の記事に対して「あれ?」と思うことはあるんだろうけど、それが自分だけの感覚なのか、ほかにも同じようなことを感じている人がたくさんいるのかは、ブログ(ネット)がなければわからなかった。だって、リアルな世界での交友範囲は限られるし、リアルな世界だとどうしても自分と似た感覚を持った人たちばかりが周囲に集まりがちになりますからね。 いやいやいや、だからこのオフィシャルブログを作った僕はえらいんだぞ、とか言ってるわけじゃないのですよ(<自意識過剰)。確かにこれ作ったのは僕(の会社)ですけど、こんな盛り上がり方(規模というより内容)は、考えてもみなかったことなんだから。 おかしなたとえだけど、ポケベルが女子高生の連絡手段になるとは思わなかった、みたいな世界でありますよ(<ある程度の年齢以下の方にはまったくわからないたとえだな^^;)。 あー、どんどん話が逸れていく。。。 僕はインターネットが出てくるよりも前からずっと疑問だった。新聞のスポーツ記事は、選手や関係者のコメントがまず最初にあって、それに肉付けする形で試合評がある場合が多いのだが、それならば、選手のコメントさえ取れれば記者は誰もいいってことになっちゃうじゃない?問われるのは、記者の試合を評価する(論じる)ではなくて、いかに選手や関係者に近づけるか、ってこと? そうだとしたら、それを読む側は、当事者の意見を聞いてるだけになっちゃう。映画や芝居には、第三者による批評があるのに(もちろん提灯記事もあるけど)、スポーツにはなんでそれがないんだ?ってのは、国内外のトップレベルのラグビーを(とある理由で)真剣に見るようになってからは、とくに疑問だったのですね。 こういうふうに、素人とはいえ、実際に試合を見ていることには変わりがない多くの人の意見が、誰でも読めるような形で出てくるようになると、自分の見方や考え方のポジションがよくわかってきて、もう、新聞や雑誌の記事をありがたがることはないのだろうなと思えてくる。むしろ、選手や関係者の意見に影響されていない分、健全な論評であるような気さえしてくる。 いや、まあ、いま思わず使ってしまった「素人」というのも、確かに文章を書くことに関してはトレーニングを受けていないから素人だろうけど、試合を見ることに関しては、組織に属する記者よりもはるかにキャリアの長い人が大勢いる。 対象が野球(というか巨人)であれば、読者の観戦暦が記者よりもはるかに長いといったことは、そうは起きなかったと思うのだが、コンサドーレのようなものになると、そうはいかない。長く見ていれば気づく「この道はいつか来た道」のような危惧(<別に昨日の試合のことを言ってるわけではないです)に、最近になってコンサドーレを見るようになった記者は、気がつきようがない。 僕は、最近、新聞に関しては、そういう意識で接してます(<「そういう」とは何か、五十字以内で示せ、みたいな悪文ですね^^;)。愛媛戦に関していえば、道新(日数が経つとページがなくなるのでリンクはしません)の記事は、「後半戦へ手応え」の見出しをはじめ「?×10」で、J's GOALの斉藤宏則氏の記事(本文から~「試合の内容だけを考えれば愛媛に分があった」「札幌にとっては薄氷の勝利」)のほうが、僕の感覚には合ってる。 以上、今日のところは、言いっぱなしで終了(疲れた^^;)。そのうちまた何か思いつけば、続きを書きます。
noboru
Re:談話をまとめる手法の限界?
2006-07-10 09:02
はじめまして拝田(はいだ)と申します。 突然のトラックバック失礼いたしました。 恥ずかしながら最近こちらのブログに気づきました。 大熊様のサッカー観は自分に近いこともあり、いちいち納得させられることが多く、楽しく読ませていただ来ております。 昨日、一昨日で11月、12月分を読ませて頂きました。 残りの7ヶ月分も楽しみに読ませて頂きます。 突然失礼いたしました。
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