2005年12月31日
年の瀬も押し迫ってきた。
今年はいろいろあって実家には帰らずにひとりで過ごす。毎年実家に帰り、親戚と年越し蕎麦を啜り新年を迎えていただけに少しだけ違和感がある。でも静かな新年というのも悪くない。
新年が近くなると、「良いお年を」とか、「新たな気持ちで」とか、「リセットして新年に」なんて言葉を良く聞くけど、あんまり僕は好きじゃない。年が変わりこそすれ1月1日だって昨日の続きだし、毎日の中の一部分であることに違いはない。「良いお年を」なんて言われると「じゃあ今年は良い年じゃなかったのかよ」なんて邪推してしまう。悪い癖ですねこれ。
札幌に関して言えば、少なくとも「良い年」ではなかったと思う。悪いことのほうが多かった、のかもしれない。でもそういったアクシデントを乗り越えたことは、間違いなく「良いこと」だ。だから「新たな気持ち」になっちゃいけないし、「リセットして」はいけないのだ。このチームを支える僕らは、この一年を刻み込んで次のシーズンに繋げなければならないし、次の世代に伝えていく役目を担っている。そして繋げた向こうにはJ1があり、アジアがあり、世界がある。そのために毎日を送る。フットボールだけでなく、自分の感じた何かを、考えた何かを伝え合うために、毎日を送る。幾つの歳月が移り過ぎても、そのために日々を送るものなんだと思う。少なくとも僕は、そう信じている。
生きるとは自分の何かをこの世に伝え続けることだと、信じている。有形無形、アナログデジタル、そんなのは関係なく、僕らは何かを伝えるためにここにいる。そのひとつが札幌という記憶だということだ。
来年は僕らが育んできた、大事にしてきたものをJ1昇格に結実させる年になる。リセットなんて使わない。これまでのすべてを選手に力として送り、共に戦い喜ぶための一年だ。だから今年の最後に「来年はいい年でありますように」なんて他力本願なことは言わない。
来年は、いい年にしてみせる。
2005年12月21日
選手に渡したかった、札幌を去ってしまう選手達に渡したかった、と後悔していることがある。
黄色をしたシリコンゴムのブレスレットだ。
このラバーブレスというのは「ほっとけない世界のまずしさキャンペーン」で多くの人が知ることになったものだが、渡したかったラバーブレス(「イエローブレス」とよく言われる)はそれよりも前に始まっていた。
活動を始めたのは自転車競技界の英雄、ランス・アームストロングである。
ランスは将来の自転車競技を背負って立つと期待の大きかった25歳の当時、主治医からガンを宣告されてしまう。しかも初期治療が遅れていたがために彼のガン細胞はランスの腹部や肺、脳にまで進行してしまっていたのだ。
しかし彼の強力な意思と周囲のサポートによりガンを克服し、1999年にツール・ド・フランスを制覇する。それから前人未踏の7連覇を成し遂げ、2005年に自転車界を去った。そして、今度はランスと同じようにガンに冒されている、ガンと共に生きるためにガン撲滅のための運動に身を投じたのだ。(ここまで要約した「ガンを克服した」話は、自身の著書である「ただ、マイヨ・ジョーヌのためでなく」に詳しい)
そのガン患者支援のために彼は財団を立ち上げ、前述の「イエローブレス」の売り上げをガン撲滅のための活動資金としている。そしてそのブレスには、こう文字が刻まれている。
「LIVE STRONG 」
このブレスは自転車レースやガンと戦う人たちだけでなく、彼の活動に共感する市民や他のスポーツ選手にも広まっている。それは、このブレスにこめられた思いはガンに対してだけのものでない。人々がそれぞれの人生を、困難を乗り越え、強く生きるメッセージがこの小さなブレスの中にこめられていることを感じて、共感しているからだ。
「強く生きろ」ーーみんながどこで苦しんでいても、ともに強く生きようとする思いはこのブレスを通じて共有される。そして、何よりも強い絆となる。
僕は最後の何試合かを、このブレスを身につけてゴール裏で応援した。強く生きよう、強さを手にして、勝利を掴もうーーそんな思いを持って。
フットボールの場所だけではない。どこかに出るときには、いつもこのブレスを左腕に着けている。このブレスはもはや僕にとって、お守り以上の価値がある。勝手な思いだと笑われるかもしれないが、僕は選手達にこのブレスを渡したかった。強い気持ちで戦う絆として、これを渡したかった。
「LIVE STRONG」
この気持ちで、フットボールの世界で、日常社会で、僕は生きていこうと思う。
※リストバンドの通販先はこちら。(英語サイト)
また、リストバンドの発送は10個単位で行われるのでご注意を。
2005年12月17日
どこかで「Jリーグバトン」なるものを拾ってきたので、答えてみる。
○Jリーグのどこのクラブのサポーターですか?
コンサドーレ札幌。
○ライバルだと思っているJリーグのクラブはどこですか?
札幌と対戦する全てのクラブ。
その中で特に・・・って言ったら、川崎かなあ。
昔から対戦してるし、個人的に等々力競技場に思い入れもあるし。
○自分がサポーターしているクラブ以外で、好きなJリーグのクラブはどこですか?
その昔ガンビーノでした・・・。(赤面)
※「ガンビーノ」とはガンバ大阪のサポーターのことです。
戦い方のスタイルで好みで言うなら三浦俊也監督の大宮ですかね。
昔「フラット4-4」(4バックと同じように中盤も横並び)というスタイルを
見たときは吃驚した。
○このクラブのサポーターの応援は凄いと思うクラブは?
FC東京。
あんだけネタの多いサポーターはどこにも見られない。
それでもガス時代に比べると随分おとなしくなったけどね・・・。
でもやるときはやってる。メリハリ効いた応援だと思う。
○1番大好きなJリーガーは?
引退した選手でもよければ、磯貝洋光(元G大阪-浦和)。
この人のプレーを見てJリーグ見るようになったといっても過言ではない。
代表でラモスの10番を受け継ぐのは彼だと思っていたんだけど・・・。
現役選手なら鳥居塚伸人(草津)。
札幌在籍時代に、彼の背番号入りレプリカを作るほど。
背番号がはがれかけたレプリカはいまでも大事にしまってあります。
○思い出深いJリーグの試合は?
2000年J2第30節、大宮VS札幌(大宮サッカー場)
自分たちの応援してる側で札幌のCKの時、黄川田に取らせたくて歌ったら
本当に山瀬のキックをドンピシャで叩き込んだ!
ゴール裏に向けて吼える黄川田、雪崩の様に最前列へ走るサポ(笑)。
あの光景は今でも美しかったと思うのです。
次点は2002年J1第4節、名古屋VS札幌(瑞穂)。
3連敗どん底気分まっしぐらのときになぜか勝っちゃったこの試合。
意図的にゴール裏の前を空けておいて、ゴールが決まると最前列に雪崩れ込み
(通称:パラグアイ)。それが3回も出来たんだから気持ちよかった。
○Jリーグの良いところは?
外国の先進したリーグ運営方法や観戦マナーを取り入れているところ。
○Jリーグの悪い所と改善してほしいところは?
審判のレベル向上。
各チームの運営・フロントの質の向上。
三菱・古河といった協会の派閥体制の排除。
○自分が応援しているJリーグのクラブに熱い一言を!!
甘えた試合はするな。俺も甘えた応援はしない。
○次にバトンを回す人を5人以内指名してください。
ご自由にどうぞ。
2005年12月15日
しまふく寮通信を読んだからというわけではないのだけど、最近の夕食はもっぱら「湯豆腐」。出かける前、水を張った一人用の土鍋にさっと洗った昆布を放り込み、帰って来た頃には丁度良くダシが出てる。昆布を取り出し、適当に切った木綿豆腐を入れて温める。あとはポン酢で食べるだけ。簡単で温まる冬のマイ定番料理。(料理っていうのか?)
ただ、具が豆腐だけでは味気ないので時々鱈、鶏団子、水餃子なんかを入れている。それでも足りなければ葛きり。湯豆腐に飽きたときには水菜と豚バラとか、骨付き鶏モモ肉と白菜で水炊き風にしたりとか。
一人で鍋をつつくのも好きに食べられて(鍋奉行に邪魔されない)いいもんです。
それでふと思ったのだけど、オフシーズンのこの時期に「しまふく寮の料理教室」など開催しては面白いのではないかと。スポーツ選手の子供を持つお母さんをメインに、栄養バランスの良いレシピを実際に調理しながら学ぶというもの。会場は公共施設の調理室を借りればいいし、実習と一緒にスポーツ栄養学の講義も併せればもっと有意義だ。そして何よりおいしそう・・・。
HFCさん、こんな企画いかがでしょうか。
あと、豆腐といえば一度食べてみたいと思っているのが男前豆腐店の製品。ネーミングだけでなく味もいい、という評判だし。
2005年12月13日
三崎亜記「バスジャック」を読んでいて、こないだ考えていた「信頼」の話で心に響く言葉があったのでメモしておく。というかしつこいな自分。
「信じるっていうのは、お父さんの一方的な気持ちの押し付けだ。こうあってほしいっていう身勝手なものだね。信頼するっていうのはそれとは違う。互いの存在や、考えていること、やろうとしていることを認め合える関係のことなんだよ。お父さんは、お母さんとそんな関係でいたいと思う」(「バスジャック」より『送りの夏』)
ちなみにこの本はデビュー作となった「となり町戦争」に続く短編集なのだが、ディテールが丹念に作りこまれた良作ばかり。ショートショートあり、「となり町戦争」のような半透明な淡くて深い独特の世界観あり、切ない恋愛模様あり、とどれかひとつはとても気に入る作品があると思う。3月までは読書ばかりになるんだろうな(そしてまた金が貯まらない)。
さて、そろそろ布団に入って読書に耽りますか(寝ろよ)。
2005年12月11日
「SUPER SOCCER」でJ2入れ替え戦のニュースと、天皇杯のニュースを見た。
日立台で行われた入れ替え戦第二戦、何かが一気に爆発したようにJ公式戦一試合最多得点までも更新してしまったバレーは、試合が終わった後も爆発したように泣いていた。本当に、顔が、真っ赤になって、ぐしゃぐしゃで。破顔一笑の大木監督の姿を見つけると、彼は真っ先に「なんだよー、そんなに泣いて」とにこやかに笑う監督に抱きついた。感情が一気に爆発してとまらないのだろう。バレーが流したあの涙の量が、今年の、そして今までの甲府の苦しさを象徴しているような気がしてならなかった。「ぼくらはJ1に行く」--その、強い思いが、あの日立台の強く張り詰めた空気を打ち破ったのだ。
その、二時間と少しくらい前。
磐田スタジアムで行われた天皇杯5回戦、試合終了後のプレスカンファレンスで、反町康治がメガネをはずして、机に突っ伏して、嗚咽をあげていた。
「だから、今日は勝たせてあげたかった。みんなよく頑張った。ジュビロの1.5倍走った。だから、勝たせてあげたかった」と、いつものクールで皮肉屋な反町監督の顔ではなく、新潟を愛し育ててきた一人の男の顔で、泣いた。昇格した最初の年に0-4でなすすべなく敗れたチームを、よもやPK戦まで行くかというところまで引き上げた。
頬に流れた涙は、その分だけ、ドラマがある。
打ち勝った者の涙。去る者の涙。
今日はそのふたつがいっぺんに僕に飛び込んできて、どうしたんだと困惑しつつ、泣いた。
どうか、僕が今日流した涙が、歓喜の涙になりますように。
札幌の夜、窓の向こうは雪が降り続いてて、おそらく根雪になるだろうというような降り方だ。
世界には雪も雨も太陽も、みんなに平等にやってくる。
天気だけじゃない。心の雪も雨も太陽も、平等だ。
雪が解けたときには、新しい芽吹きがある。
雨が降った後には、虹がかかる。
太陽が照らした光は、僕たちを暖める。
今はたとえ雪でも雨でも嘆くことはない。太陽を、待とう。
だけど今は、雪の下で、ひそかに力を蓄えよう。
太郎の上に雪降りつむ、次郎の上に雪降りつむ--。
2005年12月09日
昨日のエントリで赤黒式。さんにTBをさせて頂いたのだけど、昨夜の自分の書いたものを読んでげんなりする。俺頭悪すぎ。感情論でしか書いてない。駄文でご迷惑をおかけしました。
それで、せっかくなので昨日の話の続き(というか飛躍かも)。
確かに大熊さんの仰るとおり、「信頼関係」がある(もしくは築かれつつある)からこうして議論できる。で、どうしてこの「信頼関係」が生まれたかというと、やっぱりコンサドーレがあったから、だと思う。コンサドーレというチーム(会社)を信頼しているからこそ繋がりのある会社やサービスも信頼できるわけで(全てがイコールで結ばれるわけではない、のも事実)「良い信頼関係は新たな信頼を生む」ということでもある。
その信頼関係の先がこのブログのようなコミュニケーションメディアだと、信頼は「会社-個人」の関係も伴いつつ「個人-個人」の信頼関係も生む。縦糸と横糸で結ばれていくようなイメージ、といえばいいだろうか。で、今度は「コミュニケーションメディア上での信頼」から「リアルコミュニケーションでの信頼」に関係が変容するものだと勝手に考えている。そういう効果を生み出してこそのコミュニケーションメディアじゃないだろうか。逆に、それがあるからこそウェブでのコミュニケーションは面白いんだと思う。
信頼関係について書くつもりだったのが、今読んでいる本がちょうどコミュニケーションメディア関連のもの(「ウェブログの心理学」)なのでやっぱり引っ張られてこんな話になってしまった。でもこのことを考え出すとホントに書ききれないし言い切れないので、この項永遠に続く。
追記。
さっきの「ウェブログの心理学」の本ですが、サポートブログ内にある「ウェブログの歩き方」というPDFファイル(本からの転載)が非常に面白くためになります。おそらくこれ以上わかりやすいウェブログ案内もないのではないかと。
ウェブログの本をウェブログでサポートする、というのもメタな感じで面白い。
2005年12月09日
一時期のスポーツ界における華やかな時期というのは、もう存在しない。
ファンの世界にもスポーツ選手の世界にも社会構造として存在しているのは「弱者と強者」の構造であり、どちらの世界が絶対的に社会から守られている、などということはない。
僕らだって終身雇用を約束されて会社にいるわけじゃない。ここにいれば安泰と思っているわけじゃない。いつかどこかの会社に買い取られたり、不渡り出したり、リストラのため解雇されたりすることなんで百も承知でやっている。だから「もっと能力がある」と思うやつはもっとレベルの高い会社で働こうとするし、もしくは自分の会社内での今の地位を上げようとしゃかりきになって働いたりする。いられなくなったら自分の力を生かせる別の会社を探す。この社会状況がコンサドーレ、いわんやスポーツ界にも波及していることは言うまでもない。
そのようなことを考えたときに、「ファンより選手が大事なのか、そうでないのか」と問われれば答えはひとつ、「どっちも大事」である。ファンだってそれぞれの働く場所で「銭闘」してるのだ。
ファンは選手がいなくても働いて生きてゆける。けれども、選手もファンがいなくてもプレーしてゆけるのだ。だって「チーム(会社)に必要とされている」のだから。そんな風に考えたときに、どっちが大事、なんて話は出てこない。出てくるべき答えは「どっちも大事」だと思う。ファンと選手を結ぶものって、「消費者と生産者」の関係じゃなくて、「信頼関係(リスペクト)」なんじゃないのか?
だからこそ僕が思うのは「No Life,No Football」なんである。
ファンは「生活しなければ、試合に行って応援することもままならない」のであり、
選手は「選手生活が続かなければ、試合に出て選手生活を伸ばすこともままならない」のである。
とうわけで、「選手契約の情報開示には反対」という大熊氏の意見には部分的に反対である。大学進学などのように「これからの人生を前向きに考えた結果」契約更新せず、ということなら開示していいと思う。ただ技術的なものとか練習態度とかっていうのは次のチームに移籍したり練習参加したりすれば自ずとわかる話であり、わざわざ言う必要などないと思うのだ。それはファンの働く世界だって同じことが言えるのだから。
そんなこんなで、大熊氏のエントリにいまいち納得できない夜であった。
2005年12月01日
コンサドーレ以外で再近気にしているニュースがある。といっても世間をにぎわしている耐震強度偽造うんぬんという話ではなく(このニュースにはそろそろ聞き飽きたなあ)、日本の打ち上げた小惑星探査機「はやぶさ」が小惑星「イトカワ」への着陸、そして試料採取に成功したというニュースである。この探査機は2003年5月に打ち上げられ、2005年9月に「イトカワ」へ到着。今回の科学的観測と試料採取ののちに「イトカワ」を離れ、2007年夏に試料を詰めた再突入カプセルを分離させ、地球へ帰還するというスケジュールである。ミッションのシナリオは実に4年以上にもなる。
未知の深宇宙へとイオンエンジンを噴射して「イトカワ」へと向かう「はやぶさ」の航行にトラブルがなかったわけではない。むしろ、その逆だ。姿勢制御装置の故障、「イトカワ」への最初の着陸の失敗、そして離陸後にはもう一つのエンジンの燃料漏れと推力の低下、という非常に大きなトラブルに襲われた。「イトカワ」を離れた「はやぶさ」が地球まで還りつけるのかはまだわからない、ということだそうだ。
大小様々なトラブルを乗り越え、目的地に到達し、「はやぶさ」はひとり(人工衛星だけどあえて擬人化して呼びたい)静かに地球から16分かかって送られてくる指令と自らに搭載された自律航行プログラムを頼りに、地球から片道約10億キロ離れた宇宙を進んでいる。この「はやぶさ」の姿に僕はなぜか涙が出るほど感動する。その涙の中には、町工場から世界的企業に至るまでの日本のテクノロジーの結晶が宇宙にあるという喜びと誇りと、満身創痍になりながらも地球へ還そうとする関係者の奮闘に次ぐ奮闘、「はやぶさ」がひとり宇宙を進むことを思ったときに感じるロマンチシズム、そんなのが、いろいろ、ぎゅうっと、詰まっている。空を見上げて「はやぶさ」を思う僕のような一般人も含めて、関わっているすべての人が力を合わせてミッションを果たすべく動いている。そして「イトカワ」に着陸するために目標として投下された金属製のターゲットマーカーには世界149ヶ国、88万人の署名が刻まれている。彼らは文字通り全長500mしかない星の上に降り立ち文字通り「星の王子様に会いに行った」わけだ。こんなふうにみんなが力を合わせ、遙か彼方に自らの足跡を残し、人々の声援を受け最高のチームワークでプロジェクトを成し遂げようとしている。どうして心震わさずにいられようか。
コンサドーレだって、サポーターも、スタッフも、フロントも、みんなが力を合わせて日々一日を乗り越えている。トラブルがあろうと、失敗があろうと、前に進み続ける。その目指す先はJ1昇格であり、そのもっと向こうにはJ1優勝も、アジア制覇も、きっとある。チームの力を一つにして未来を乗り越えなければ、自分の力で切り開かなければ、新しい未来はやってこない。来るべき未来のために僕らは戦っている。足元を見るのも大事だけど、今はそれだけになってしまっていないか?もう少し視線を上げて、未来を見ながら歩いていこうよ、と思うのだ。
余談になるが、「コンサドーレ」という名の星があるのを知っている人はもうあまりいなくなってしまっただろうか。J1昇格が決まった2000年、釧路市で発見された火星と木星の間にある小惑星の一つ・7777番に「Consadole」という名前が正式に命名された(詳細はこちらをご覧ください)。日本のプロフットボールチームの中でも「星の名前」になったのは今でもコンサドーレだけで(Tokyo giantsやHanshin tigers、Carpなど野球チーム名は複数存在する)、小惑星「Consadole」は約3年半の周期で地球を周回しており、次に地球にもっとも接近するのはおそらく2007年6月頃になる(自分の計算が正しければ)。
そしてこの星がもっとも明るく輝く頃には、札幌の夜空の下ではきっと僕らはJ1で戦うコンサドーレの姿を応援していると、そう信じている。
エンブレムに光る星の遙か上には、同じ「Consadole」という名の星が見守っている。そう思って夜空を見れば、ちょっと誇らしい気持ちになりませんか?
プロフィール
生まれ:1978年旭川市生まれ。 育ち:道内あちこち。その後横浜、川崎を経て再び札幌。 観戦暦:1996年・対日本電装戦が初応援。翌年より道外への進学に伴いアウェー中心に応援、1998年よりアウェイコールリーダーとなる。2003年春に札幌へUターンし、現在ホームゴール裏で応援中。 サッカー以外の趣味:音楽と活字。
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