2007年07月13日
Jリーグ担当記者が書く朝日新聞のサイトに、大分トリニータの担当記者が書いたコラムが掲載されている。 http://www.asahi.com/sports/column/TKY200707110469.html 正直に言う。こんな悲しい思いのする記事を久しぶりに読んだ。 感情的になりたい気持ちを抑えながらもひとつひとつ反論していきたい。 先日のJ1、九州石油ドームで開催された大分対Fマリノスの試合。試合後にゴール裏のサポーターが座り込みを行い、不振にあえぐ現状に抗議した。その後大分フロントはサポーターズカンファレンスを行ったが、その一連の事件におけるサポーターの存在について批判をしている……というのがこのコラムの大まかなところ。 自分は大分のサポーターではない。しかし、同じフットボールを応援するものとして思うこと、言いたいことがあるし、自分の応援する札幌というクラブと土地にも繋がる部分があると信じて書く。
このコラムの冒頭では、フットボールの試合を映画に例えて書いている。 >映画をサッカーに置き換えてみる。お金を払って観にいく、という興行と割り切れば、 >私はサッカーも同じだと思う。 まずここから違和感を憶えてしまう。そもそも映画とフットボールなど本質的に置き換えることなんてできない。それはなぜかというと映画はスクリーンを通して見届けるという受動的な行動であるのに対して、フットボールは観客がリアルタイムに、主体的にかかわっていくものであるからだ。すでにできあがっている映画に歓声を送ってもシナリオは変わらないが、リアルタイムに進行するフットボールの試合は歓声や応援でシナリオはどのようにも変わる。そして、フィナーレを「応援するクラブの勝利」に繋げるのがサポーターの役目だと思う。それをどう「割り切って」見に行けというのだろうか?と逆に教えを乞いたいくらいだし、そんな割り切った人間ばかりが集まったゴール裏があるとしたらそれはもはやゴール裏の意味を成さない。ただの「集団」でしかない。 >チームが負け込むと、平気でスタンドに1時間でも2時間でも居座る。 >「社長出てこい」「強化部長、責任取れ」などと怒鳴り散らす。 >選手バスを取り囲み、出て行くのを妨害したサポーターも、これまで担当してきた >複数のチームで見てきた。 (略) >フロントの「つるし上げ」を生き甲斐にしているような、はき違えたサポーターも >実際にはいる。頭を下げさせ、「どうだ、オレが言ってやった」とばかり、 >いい気になっている。 確かに、こういう人間がスタジアムにいることは同意する。札幌にも、もちろんいる。 ひょっとしたらこれを書いている自分自身もその一人なのかもしれない。だって、ここでこうやって新聞記者を「つるし上げ」て「いい気になって」いると思われることもあるだろうから。でもこの人は自分のこのブログを批判できないはずだ。なぜなら、フットボールを映画に例えている冒頭の部分で >酷評をブログにつづる手もある。 って書いているのだから。まあ、そもそもこんな泡沫ブログなんてのは気にしませんよね? そして、もうひとつ大きく疑問に思うのは以下のところ。 >それは、チームへの「愛の裏返し」とは、とうてい思えず、模範的な応援を繰り広げた >サポーター全体の質も下げる。 >試合中にゴール裏で応援するも、ヤジるのも勝手だ。 >しかし、試合終了のホイッスルがなった時点で、 >払った入場チケットの対価は本来、完結し、精算されるべきだ。 だとすると、フットボールはどこまでも「興行」でしかありえないのだろうか?模範的な応援というのは何だろうか?そもそも応援に「模範」なんてないはずなのに。 まあ、おそらく記者氏の考えるサポーターの理想像、「模範的な応援」というのはこんなものだろう。 ―勝っても負けても拍手と前向きな声援に溢れ、どんなにフロントが迷走しても一切の異論を唱えず応援し続ける。礼儀正しく、試合が終わればさっさと帰る。好き好んできたのだから文句も言わず、粛々と― こんなゴール裏、こんなサポーターは機械人形の群れと同じだ。 批判を言うことも許されず、ピッチの外で行われた公式の会合でも責任を問うこともできなければ、サポーターはどこで意見を表明すればいいのだろうか?それとも、そんなことはしてはいけないのだろうか。そんなサポーターに支えられたクラブがどれほどまでに凋落し、いずれは消滅するだろうという想像力すら、この人は働かせることもできないのだろうか? この新聞社は確か「ジャーナリスト宣言」というものを高らかに宣言しているはずだ。 しかしどこまでも上に立った目線でしか物事を書かず、最後に「心を入れ替えろ」だなんて捨て台詞を吐く、この記事がもっとも「ジャーナリズム」とかけ離れているように感じる。 地に足のついた記事が読みたいと思っているだけなのに、札幌でも、日本でも、なんでこんなに読み手の心とかけ離れた記事ばかりが紙面やネットを埋め尽くしているのだろう。本当に読みたいと思うこと、読んで良かったと思う記事はいつになるのだろう、どこにあるのだろう、と不安と同時に悲しく思う。 そしてこの記事を書いた記者氏が、最後で >そんな「12番目の選手」ならいらない。 と書いているのなら、自分もこう言うことにしよう。 そんなくだらないジャーナリズムなら、いらない。
FT
Re:そんな「ジャーナリズム」なら
2007-07-14 00:52
これは大分サポは結集して抗議を発するべきだ。 もし同様のことを札幌サポに向かって言われたら オイラだって抗議する。 記名記事である以上、この記者は大分サポを侮辱した この記事の責任をひきうけ、サポの抗議や憎悪を 一身に受けるべきだ。その覚悟がある文章には見えない。 この文章に感じられるのは、うわべだけの皮相な 善悪の二分としか思えない。
Kazzsan
Re:そんな「ジャーナリズム」なら
2007-07-14 02:29
記事を読みました。 記者の表現が下手なのかもしれないことを差し引いても、少なくても”大分担当記者”がスポーツ欄に書く内容としては、どうしても共感が得られないと思います。 大分サポではありませんが、一サッカーファンとして、asahi.comにも意見を出してみました。
プロフィール
生まれ:1978年旭川市生まれ。 育ち:道内あちこち。その後横浜、川崎を経て再び札幌。 観戦暦:1996年・対日本電装戦が初応援。翌年より道外への進学に伴いアウェー中心に応援、1998年よりアウェイコールリーダーとなる。2003年春に札幌へUターンし、現在ホームゴール裏で応援中。 サッカー以外の趣味:音楽と活字。
最新のエントリー
コメント
検索