なぜ札幌を愛してしまったのか――魂の故郷、という話

2007年05月27日

笹さんのところで始まったこの話。
理由を話そうとすればするほど、やっぱり自分語りになっちゃうなあ。
再びの自分語りになりますが、どうかご容赦を――。

なぜ札幌を愛するようになったのか、ということにもっとも深く関わっているのは「自分の生い立ち」じゃないだろうかと思う。
このブログのプロフィールにも書いているけど、僕は北海道の各地を転々と引っ越してきた。営業マンだった父は地方営業所のてこ入れを任されるようなポジションにいたため、最初は小さな街から僕と僕の家族の生活が始まった。2歳までは浜頓別、5歳の途中までは旭川、11歳の秋までは中標津、中学は室蘭、高校は札幌……というように、道南と十勝以外のところを時計回りに回ってきた。ちなみに今の実家(つまり帰省先)というのは旭川の隣にある東神楽町で、僕は高校の後に横浜、川崎、再び札幌と流浪している。この「流浪」が、むしろ僕が札幌を愛することになるきっかけになっている。


こんな風に自分の生まれ育ちの話を他人にすると、「じゃあ、札幌っていうより北海道全部が好きなんじゃないの?」とよく言われる。だけど本当はその逆。あちこち引っ越しすぎたがためにいろんな土地にいろんな思いがあってまとめきれないし、北海道がホームだという考えを持つには思いが散らばりすぎていた。
それに中学生くらいまでの時期なんて、自分の行動や意識が及ぶ範囲というのは自分の住む街と隣町、そして一番大きな都市のことくらいだろう。生活している範囲のことと学校のこと、塾のこと、部活のこと、友人や(ちょっとだけ)女の子のことなどなど、あまりにも濃密な時間が流れる思春期にはそれくらいしか自分の意識は及ばないし、その範囲をぐるぐる回る、あるいは振り回されることだけで精一杯だ。
だからそのころの僕にとって、「ホーム」という意識を持つには北海道はあまりにも大きすぎて、そして僕はあまりにも幼すぎた。
ちなみに盆と正月の帰省は父母の実家がある旭川だったんだけど、定期的とはいえ遠いところから片道4時間も5時間もかけて年に2回帰るだけの場所は見慣れた風景であれ、そこは「ホーム」ではなかった。だから僕は生い立ちをこう話す。「浜頓別生まれ、旭川と中標津と室蘭育ち、札幌在住」と。

札幌に引っ越してきてコンサドーレに出会っても、サポーターになりたての頃は「ホーム」という意識を持つことができなかった。大好きな「チーム」ではあったけど、そのときは目の前の試合を応援することに夢中でそんなこと考えもしなかったし、考える余裕もなかった。そういうことを意識するようになったのはむしろ北海道を出てからのことだ。北海道を出て、見知らぬ街で暮らし、不安だった頃に僕はけっこう大がかりな決意をして笠松へ開幕戦を見に行った。分厚い時刻表を買い、サッカー雑誌の隅にある競技場までのアクセスを調べ、最寄り駅から歩くことにして競技場まで約3キロの道のりを歩いた。競技場に着いても初めてのアウェイに単身乗り込んできたわけなんだから、知った顔の人なんていない。けれどもその知らない人たち同士で固まり、「サッポロ!サッポロ!サッポロ!」とコールを発した瞬間に「俺は地元のチームを応援している、故郷のチームを応援している」という実感がわいてきた。遠く離れて北海道の土地の名を呼ぶ、そのことに感動して体を電流が駆けめぐった。そして、僕はアウェイゲームをメインの活動場所にするサポーターになった。

それから試合を応援するたびに、声を出すたびに、僕は「ホーム」への意識を募らせていった。場所が遠ければ遠いだけ、チームを愛する気持ちは強くなっていった。そうして夏休みになって帰省がてら厚別のゴール裏に行ったとき、僕は今立っているこここそが「札幌」という土地であることを深く意識した。そうして札幌というチームを応援できる喜びを改めて心の中でかみしめた。まさに「遠くにありて」初めてわかったというわけだ。
その後もアウェイに遠征していても年に一度か二度、厚別に帰ってくるたびにこのチームとともに戦うことができることを誇りに思った。と同時に、このチームは北海道を象徴しているチームなんだ、という自覚も目覚めてきた。チームの名前こそ「札幌」だけど、毎週北海道の遠くにいても応援しに厚別へ通ってくる人がいる。北海道にある唯一のプロフットボールチームだということを。そのことを知り、このチームは「北海道」の誇りを持って戦っているんだ、という思いや意識が強くなっていった。

一方、別の思いは僕の中で未だ解決されずにいた。
引っ越しを繰り返してきたせいで、ほんとうの「故郷」と呼べるような土地は存在しなかった。帰省する旭川であっても、そこは「祖父母の住む街」という存在でしかなかったし、近い将来札幌に住んでいる家族は父の定年退職に伴って東神楽へ移住することも決まっていた。つまり、故郷がまた別の街になることが決まっていた。
肉体的な故郷は東神楽になったとしても、僕に取ってはその土地は「新しい引っ越し先」でしかなかった。精神的な「故郷」はどこにあるんだろう、と思った。僕にとって不変の、本当の故郷はどこなんだろう、と思っていた。
だから、故郷に強い思い入れと誇りを持つ人たちを見て、うらやましかった。

そんな中で帰省してきた夏休みの日、僕は厚別で気づいた。
厚別(や福住や室蘭入江や宮の沢)は、変わることのない札幌のホーム。
遠いところから帰ってきても、ゴール裏があることは変わらない。札幌を応援する場所は変わらない。そのことを理解したとき。

ここが故郷なんだ。ゴール裏が、僕の故郷だ。

出生地や、住んだ土地のことを考えると故郷は「北海道」という意識をもてるものの、いつでも帰りを待っていてくれて、いつでも温かく迎えてくれる場所はどこだろうとずっと考えてきた。地縁や血縁ではない、僕が最も誇りを持っていられる場所。そんな「魂の故郷」を探していた。そしてそれは、ゴール裏にあった。

「僕の魂の故郷は、厚別のゴール裏だ」
「僕の魂の故郷は、アウェイでも札幌を応援するサポーターとともに戦う場所だ」
僕の頭の中でふわふわと浮いていた「故郷」という最後の1ピースが、北海道の形をしたジグソーパズルにぴったりとはまる。
僕は故郷を見つけた。絶対に揺るがない、熱く温かい故郷。
自分にとって北海道のすべてを代表する場所。誇りを持てる場所。それが故郷。それがゴール裏。

そう思った瞬間、堰を切ったようにあふれ出てきた熱い思いがあった。
こんなに俺は札幌のことを愛している、この故郷をこんなにも愛している。
誰にも言えなかった「愛している」っていう言葉を、故郷には真顔で言えた。
もしも僕が死んだときには、遺骨を粉にして厚別と宮の沢に撒いて欲しい。それができなければ宮の沢の土の片隅にでも、僕の骨片を入れた小さなカプセルを埋めておいて欲しい。墓なんかいらない。そんなことを本気で思った。

やっと、やっと見つけた――。
その後、夏休みの帰省が終わって横浜へ帰っても、アウェイの応援でどんな土地のゴール裏に行っても、そこが僕の「故郷」になった。

あのときに厚別で、僕の魂の故郷が見つかったから、それを教えてくれたから、僕は札幌を愛している。札幌というチームを、心の底から愛している。

これが、僕が札幌を愛している理由。


post by ishimori

23:36

consadole コメント(2)

この記事に対するコメント一覧

おど

Re:なぜ札幌を愛してしまったのか――魂の故郷、という話

2007-05-28 06:51

初めまして。 なんだか読んでて泣けてきました。 僕は「死んだら赤黒レプリカユニで棺桶に入りたい」願望があるのですが、 「遺骨を粉にして厚別と宮の沢に撒いて欲しい」には脱帽です。 でも遺骨だらけになって、しまいにはサポ専用墓地になり、「厚別霊園競技場」になってしまいそう(笑)

笹姐

Re:なぜ札幌を愛してしまったのか――魂の故郷、という話

2007-05-28 22:25

さすが いい文章じゃーん! チームってホント故郷になりえるよね。 自分がいたい場所で、自分がいていい場所。 それがぴったり合うことは幸せに生きられることだ。 世間で起きている様々な悲しいニュースは それが一致しなくて起きることが実に多い気がする。 私は死んだら厚別の風になるのだ~

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