川の流れのように

2007年04月13日

昨日の西が丘での試合は、スポーツバーでクラシック飲みながら観戦。
いつもは家か現地で見ているけれど、行けない(もしくは見られない)ときにはこういう風に見るのも楽しい。現地じゃない、わいわいと一喜一憂する雰囲気がいい。

試合は日曜日の仙台戦より内容が濃い分選手の足が止まるのも早くて、でもそれは試合環境のせいでもあるんだろうけど「ハードワーク」な試合だったなと思う。言い換えれば「タフ」ってことでもあるんだろうけど。
三浦監督になってから、そういう「きちんと仕事をする」ことが昨年よりも結果に繋がっているよなあと思う。だからって去年までの札幌を全否定しているわけじゃない。去年まで積み上げてきたものに、たとえば「頭で考えるプレー」や「ムラを目立たせないシステム」といったのがプラスされているんじゃないかなあ、と考えている。

全くスタイルを変えているわけでもない。
けど、去年とは明らかに違うものがある。
その「違い」というのはやはり監督の違いによるものだろうなあ、と思う。
柳下と三浦、両極端だよなあ。いろんなように考えられる。


柳下と三浦がどれくらい違っているのか、という話が先日のmixiで盛り上がっていて、コメントを寄せる人それぞれがそれぞれな例を挙げているのが面白かった。かくいう自分自身も「週刊チャンピオン」「花とゆめ」がヤンツー、「ヤングジャンプ」「コーラス」が三浦とかおバカなことを言ってた(ええ、これ自分ですw)。でも例えて言うならそのくらい違う。せっかくだからもっと考えてみよう。

「月の法善寺横町」が柳下。
「セロニアス・モンクのピアノソロ」が三浦。

「野球部の同級生」が柳下。
「文芸部のセンパイ」が三浦。

「アタックヤング」が柳下。
「ベストテンほっかいどう」が三浦。

「白バイ野郎ジョン&パンチ」が柳下。
「刑事コロンボ」が三浦。

……妄想しすぎ。

でも、こんな妄想ができるくらいに違うんだけど、どこか共通点があるのも事実。例えて言うなら、川に似ている。川は源流が同じでも、そこから幾筋かに分かれていろいろな土地を辿っていく。大河もあれば渓流もある。だけど、流れ着く先は同じく海だ。札幌という一つの流れの総称があって、それが太くなったり細くなったり、まっすぐ流れたりわかりにくく曲がりくねったりしている。だけどどんなときでも流れる方向は一つの海。そんなふうに、「源流」とも呼べるべき「基本的なフットボールの志」というものは同じものだと思う。それが今、三浦監督がよく言っている「ハードワーク」なんじゃないか。柳下時代もハードワークではあった。でもその流れはちょっとあちこちに曲がっていたりして進みにくかったのを、三浦がまっすぐに整えつつあるという感じ。

川は海に向かって流れを貫く。
どっちであっても、目指すところはいっしょ。
そんな思いがするんだよなあ。


post by ishimori

03:57

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