2006年02月19日
首都圏に住んでいたときはサッカーばかり見に行っていたけれど、何度か国立や秩父宮へラグビーを見に行ったこともある。自分が足を運んだ当時は関東学院大学が無類の強さを発揮していたときで、そのなかでもお気に入りの選手はスピード溢れる突破と正確無比なキックを誇った仙波優。しかし1999年、彼は自動車事故で不慮の死を遂げた。好きな選手が引退する、という経験は何度かあったけど、好きな選手が亡くなるというのはあまりにも突然で、当時の自分はそのニュースを聞いて呆然自失だったことを覚えている。
そして今日の全日本ラグビー選手権準決勝は、当時から「最強」の名を誇っていた東芝府中と、先週の準々決勝でその仙波が所属していたトヨタ自動車を下した早稲田大学の一戦だった。
先週からこの試合が話題になっていたのはトップリーグ最強の東芝府中が出場するからというのもあっただろうけど、それよりも早稲田大学がトヨタ自動車を破り、18年ぶりに学生が社会人チームを破るという快挙を成し遂げたことの影響が大きい。そして18年前に早稲田が破った社会人チームは、今回の対戦相手と同じ東芝府中で、そのとき出場していたメンバーには今季限りでの勇退を表明している早稲田の清宮克幸監督がいた。そんな因縁めいたエピソードもあってだろうか、秩父宮ラグビー場は満員のファンで埋め尽くされた。その声援は圧倒的に早稲田を応援するもので、マイクが拾う音声は「早稲田がんばれ!」「押せ、押せ!」というものばかりだった。スペースに出したパスをしっかりと受け、ライン際を疾走する早稲田フィフティーンの姿にスタンドが一瞬どよめいて、沸き立つ。学生王者が、社会人王者からトライを奪う姿をみんなが待っていたように思えた。しかし早稲田はノートライで東芝府中の前に敗れ、「快挙を再び」というファンの思いも冬の空に消えてしまった。
テレビでは「完敗」と言っていたけれど、実際自分の見る限りではそうではないように思えた。前半早々に東芝府中に先制のトライを許したものの、それからの早稲田の粘りは東芝府中を焦らせるのに十分すぎた。集中力を切らさず、粘りのあるタックルでしがみつき、連続攻撃をさせまいと東芝府中の攻撃を食い止める。自軍のボールになったらすかさずゲインして押し戻す。しかしそこからラインアウトになったボールを拾えず、相手ボールにしてしまう。わずかなパスの失敗、攻撃に移った重要な場面でのノックオンといった小さなミスを早稲田が連発してしまい、東芝府中は逆にその精度が高かった。そういった「小さなミスをしない精度」が勝敗を分けた、というように見えた。それ以外、運動量や集中力といった部分ではほぼ互角の戦いだったのではないだろうか。なかでも存在感のあったのはSO(スタンドオフ)曽我部の正確なキック、主将のNo.8佐々木の統率力。試合後半に激しく体力を消耗している中でも一矢を報いようと時にはキックでスペースを狙い、時にはモールで押し、全員の意識を高いレベルで保つことができていた、と思う。この試合を仙波が見ていたらどう思っただろうか----ふと、そんな思いが心をよぎった。
そして、早稲田のジャージは伝統の「赤と黒(正確には「臙脂と黒」だけど)」。その姿に、今年のコンサドーレの「赤と黒」をつい重ね合わせて見てしまう。早稲田のように厳しく、激しい、スタンドが沸き立つような、そんな瞬間まであとわずかだと思うと、高まってくる気持ちを抑えられない午後の一時だった。
2006年02月13日
常々ネットをやってて年に一度くらいどっかで大論争になってるのが
「ネットはリアルかバーチャルか」
というネタ。
このところネットの片隅で再燃している「リアルとバーチャル論」だけど、そのネタ元は「ウェブ進化論 ほんとうの大進化はこれから始まる」の発売に刺激を受けた(自分もその一人)からなんだろうと思うけど。
ネットにおけるコミュニケーションは不毛だとか、現場で顔をあわせるコミュニケーションこそが至上でネットにおける意味などないとか、そういうことが延々と語られたり反論されたり罵倒されたりしてきた。そうしてネットの立場は毎回「リアル」の前に沈没させられてきたけど、このごろちょっと風向きが変わってきたのかな、ということを感じている。Blogの普及がそのひとつ。誰も彼もがネットでの言論空間(という言葉がカッコよすぎるのなら、「人に見られるチラシの裏」とでも言おうか)を持つ事によって認知され、大衆化されてきた。つまりは、「バーチャル」という言葉の持つ旧時代的なイメージがやっと変化して「大衆メディア」としてのカオになってきたのだろうか、と思う。これはこれで、善悪ふくめて、言葉と時代に沿ったいいカンジのものになってきたんじゃない?
つまり、前時代的な「リアル」「バーチャル」の持つ一面的なイメージは駆逐されつつある。
一言で「バーチャル」と言ってしまうと有史以来人間が生み出したコミュニケーションツールやメディアぜんぶがバーチャルになってしまうのであって、それは昔で言うところの電報だったり電話だったりテレビだったりするのだ。これらが新たな「リアル」の時代を作り出した。そうして、今まで僕らがやってきたコミュニケーションや、見聞きしたもののなかに、「お前はリアルじゃない」と前時代的「リアル」どもに蔑み罵られてきた「バーチャル」がこの時代の層に加わった。テレビやラジオに代わる、新たなメディアというチカラ(←こうやって朝日新聞風にカタカナで「チカラ」って書くとこっ恥ずかしいというのを今身をもって経験した(笑))がバーチャルとリアルの境目にいる状況が現代だ。確かにネットはまだ完全ではないが、ネットの進化はある程度予測できても(Web2.0とかね)完全性などどこにも見えないものであり、見えてくるものでもない。けれども確かにネットでこうやってブロガーたちが発信するものは紛れもない「リアル」である。
それに対する「現場主義」という考え方も否定しないではない。だって自分も現場(リアル)の真っ只中にいたんだから、その良さと面白さだってわかってる。でも最近思うのは「現場の多様化」ということだ。リアルは一面だけじゃない。限りなく球体に近い多面形で、人それぞれの思いも行動もある。それを現場の限られた一場面だけでひとくくりにしてしまうのは、とても危うい感じがする。あまりにも前進主義でありすぎて、次を求めることしかしなさすぎて、その急進的な感じが怖い。オプティミズムが時代を動かすとは限らないんじゃないのか、と思う。今だからこそ、ちょっと足を止めて自分たちの立ち位置を考えてみるのも悪くないんじゃないか。
ところで昔流行った「バーチャルリアリティ」という言葉がある。極論すればバーチャルを用いてリアルをそのなかに取り込む、という意味だ(本当に極論だな)。ただ、この言葉が語られた(あるいは一人歩きした)イメージはカクカクしたポリゴンでどう見てもかわいくなんかない「美少女」が画面の中を動いてプレイヤーに告白する、みたいなイメージが先行して植えつけられてしまって、結局この言葉は「オタクっぽい」の一言でゴミ箱に投げ捨てられた。でもこの言葉をもう一度拾いなおしてみてみると、今の時代になぜかしっくりくる部分だってある。時代が「バーチャルリアリティ」という言葉が概念的に目指していた方向へと向かっている、気がする。
ネットはリアルの一部に食い込んでいるし、もうネットがリアルかどうかなんて議論こそ不毛そのものに他ならない。コミュニケーションの一手段として、メディアのひとつとしてもうちょっと考えてみてもいいんじゃないだろうか。「お前が逝け」「いやお前が逝けよ」と掲示板で罵りあったり、現場では「逃げんじゃねえ」とすごんだ奴のブログのエントリに説明を求める他のブロガーのコメントやTBを「うざい」とか「名前出せ」だので振り払った挙句に炎上するなんてのは「リアルの忌避」に他ならないし、世界が広がっていることを知らないという事こそが新しいインターフェースに対応できないが故の「逃げ」であり「罪」なんじゃないかと思う。
だからこそ今、世界という無限大の多面体の一側面を、ネットはもう果たしていることに、その一面に、目を向けるべき時代なんじゃないだろうか。
これを書いていて思った言葉。
「ネット足軽」
ブロガーと呼ばれるひとはこんな風に例えられる気もしないではない。
で、ブロガーにコメントやTBを貼って食いついてるのは
「ブログ乞食」
まあ、俺は自分の事を
「IT土方」
だと思っているのだけど。
でも足軽も土方も河原者もいないと、世の中変わる事なんてないんだぜ、
と強がってみる。
(おまけ)
今回の参考文献(参考ブログ)。
「世間2.0」
「404 Blog Not Found」
「好奇心と怠惰の間」
「H-Yamaguchi.net」
2006年02月08日
なんで今、なのだろう。
フットボールに魅せられた彼の命が、
ワールドカップのこの年に散ってしまったというのが、
もしフットボールの神様の仕業なのだとしたら、
それはあまりにも、あまりにも、残酷すぎやしないだろうか。
フリージャーナリスト・石川保昌氏のブログにもこのエントリがある。
>後輩諸君に言っておく。
>サッカーの暦は4年ごと、2年ごとに進んでいく。
>いまの君の仕事に甘んじるな。君がもし30だとしたら、
>あと何回、W杯に立ち会えるかい。
>そんなに多くはないぜ。
>98年のときより2002年、2002年のときより2006年、2006年の
>ときより2010年と、明確に自分がやりたいこと、やらないと
>いけないことを見据えてほしい。
>自分に足りないものはなにか。どうすればそれは補いがつくのか。
>自分はそのために自己啓発してきたか。
>時間はあるようでそんなにない。
富樫氏や石川氏のようなライターの人だけにこの言葉は当てはまらない。
ひとりの人生に残された時間は思ってみればあまりにも短いし、
歳を取るごとに時間の過ぎる速度は加速度をつけて速まっていくばかりだ。
だから、自分はもうちょっと行き急いでもいいと思う。
富樫氏のご冥福を、心よりお祈り致します。
プロフィール
生まれ:1978年旭川市生まれ。 育ち:道内あちこち。その後横浜、川崎を経て再び札幌。 観戦暦:1996年・対日本電装戦が初応援。翌年より道外への進学に伴いアウェー中心に応援、1998年よりアウェイコールリーダーとなる。2003年春に札幌へUターンし、現在ホームゴール裏で応援中。 サッカー以外の趣味:音楽と活字。
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