2006年08月03日
遅ればせながら、もんじゃ、こと阿部選手が退団することについて。
阿部選手の病気がなんなのかについては、僕も、ネット上での噂程度のレベルでしか知りません。
けれど、退団するほどっていうことは、結構重いんだろうな…。
自分も、つい半年ほど前まで、うつ病で休学していた身ですし、病気と聞くと、しかも公表されていないとなると、メンタルなものかな?と勘ぐってしまって、ちょっと他人事とは思えないんです。
しかも、阿部選手の誕生日、僕の誕生日の1日前で、前々から親近感は感じていたんですよね…。
だから、まあ多分ないとは思うけれど、もし万が一阿部選手がここのブログを読むことがあった時のために、メッセージ。
頑張るな、阿部ちゃん。
「頑張れ」という言葉が嫌いだ、というのは、だいぶ前に水澤さんに反発?して書いた覚えがありますが、今もやっぱり嫌いです。
頑張っている人、今までずっと頑張ってきた人に対して、さらに「頑張れ」なんて言えないじゃないですか。
特に、精神面で疲れてしまった人って、今まで十分、いや、十二分に頑張ってきて、頑張りすぎて疲れてしまった、というのがあると思うんです。
他の病気だとしても、阿部ちゃんが今まで頑張っていなかったなんてことはないはず。
だから、今はひとまずゆっくり休んで、無理をしないで、マイペースで回復していってほしいと思います。
西澤選手や上里選手だって、靱帯断裂の大けがをして、およそ1年を棒に振ったわけだし、病気で1年くらい休んだって、人生においてそれくらいはありだと思います。
人生は長いですからね。ずっと順調な人生なんて、多分ほとんどあり得ないですよ。どこかで怪我や病気など、アクシデントに遭ったり、挫折したりしながら進むんだと思います。同じアクシデントに遭うなら、むしろ若いうちの方が、取り返しはつくんじゃないかな。僕も、まだ若いうちにやられておいて良かったと思っていますよ。
人生まだまだこれから。ここらでインターバルを入れるのも、悪くない。
だから、頑張らなくていい、マイペースでいいから、今はじっくり病気を治して下さい。もし病気が治って、またサッカーを続けられそうだったら、是非コンサに戻ってきてほしいし、他の人生を見つけてそちらに進むのなら、それもいいと思う。プロのサッカー選手は確かに立派だけれど、それだけが人生じゃないですしね。
阿部ちゃんがコンサにいたという事実はなくならないわけだし、サポーターも、記憶が薄れることはあっても、完全に忘れ去ることはないと思います。僕たちは、…なんて言うとおこがましいかな? 少なくとも僕は、阿部ちゃんのことをずっと応援しています。
もし僕と同じ病気だったら、できることなら、この病気の先輩?として、阿部ちゃんをサポートしてあげたいですw。
なんだか、思ったことを十分まとめ切れていない感じですが…、最後に一言。
阿部ちゃんのこれからの人生に、幸多かれ!
2005年12月09日
昨日のエントリーのコメント欄にも書いた通り、一口に「多摩」といってもエリアは結構広いわけです。
僕が住んでいたのは、暢気さんがコメントしてくださったように「南多摩」のエリアになるわけですが、この「南多摩」には、権東選手の出身地、町田市も含まれています。
権東選手は残念ながら戦力外となってしまい、今日の練習が最後でした。いや、実際はトライアウトに出る選手はまだ宮の沢には顔を出すみたいでしたけど、それは個人練習ですしね、多分。公式には最後、ということで。
で、行ってきました、最後の練習。
誰に誘われて行ったかは、明言しない方がいいのかな? どう思います?>暢気さん
昨日急遽行くことが決定したので、昨夜急いでこんなメッセージを書きました。
で、この裏に「でっかくサインしてください!」と太いペンを渡してサインしてもらいました。
最後、
「どこに行っても応援しています!」
と言って握手しました。
敵として札幌のピッチに戻ってきた時は、このスケッチブックを出そうと思います。
あと、和波向けのメッセージ、前から書いてあったので、和波にもそのメッセージの裏にサインしてもらいました。和波は来年もいるから今日は軽く触れるだけにしておきます(笑)。
ちょっと寒かったけれど、今日は楽しかった。行って良かったです。
乱れがちだった生活のリズムも、今朝は「宮の沢に行く」という目的のために少し良い方向に戻りましたしね。
ありがとうございます。>誰とは言いませんが誘ってくれた方
今年で札幌を離れる選手には、それぞれコールが送られていました。
っていうか、僕の周りの人(知り合い)がコールを始めたんですけどね。
札幌を離れる9選手には、新天地での活躍を願ってやみません。
特に僕と同郷の権東選手。多摩といえば新選組。松平容保公が見つかると良いですね。そして、見つかった折には「誠」の心で忠誠を尽くして下さい。
2005年12月02日
再び会うまでの遠い約束。
そんなこんなで選手が巣立っていく時期なわけですが、あっちこっちのブログでいわれていることを、敢えてここでも書きます。
そりゃあ、ある程度の解雇はしかたないさ。プロの世界ですからね。
しかし、権東やら蛯沢やら、果ては野田まで解雇ってどういうことですか!
まあ、権東はね、大学からの加入なのである程度即戦力として期待されていた部分もあるでしょうからしかたないのかもしれないけれど…、
せっかく取ってきた若手を1年や2年で解雇ってどういうことさぁ?
そんなすぐに解雇するなら最初っから取んなや!
(ちょっと北海道弁)
だって、札幌のコンセプトは「若手育成」でしょう? 去年も解雇された若手選手が何人かいましたけれど、取ってきてはすぐ切り捨てていたら、育成にならないじゃないですか。
桃栗3年といいますから、せめて3年くらいは猶予を与えてやってほしかったと思います。
まあ、若いうちならやり直しがききますから、早いうちに見切りをつけて進路の選択肢を多く残してやるのもひとつの優しさかもしれませんが、「若手育成」と言っている割にこうした若手切りがある一方で、「J1へ向けての大型補強」といった話がちらほら聞かれるのが気になります。
また外して大損しなければいいですが。
頼みますよ、ヤンツーさん。頼みますよ、HFC。
2005年11月05日
曽田選手のブログ「不易流行」や、あるサイトで紹介されていた「曽田裕志の文化向上委員会」などを読んで、曽田選手って本当に頭のいい人なんだなと思いました。
「不易流行」
この言葉、恥ずかしながら曽田選手のブログを読むまで知りませんでした。
サッカー選手の知っている言葉を知らない現役大学院生ってどうよ。しかも文学部。
まあ、その辺は大学院生も学力が低下しているということで許していただいて、調べてみると、松尾芭蕉の俳諧用語で、「不易」とは変わらないこと(「易」の字に「変わる」という意味がある)。流行は、まあ、そのまんま、その時々の流行り廃りってこと。普遍のものも変わっていくものも、「風雅の誠から出るものであるから、根本においては一である」(広辞苑第5版)のだそうです。
不易にしろ流行にしろ、「風雅の誠」を大切にしろってことでしょうか。
「文化向上委員会」では、あるコラムの中で「古いものがあると<中略>新しいデザインのものの原点がわかる」、と述べ、「温故知新」という言葉を引いていました。言い訳がましいですが「温故知新」くらいは僕も曽田選手の文章を読む前から知っていましたよ、さすがに。
また、こうした使う言葉だけでなく、コラム全体も結構含蓄のあることを書いているのです。
リンクしていいのかどうかわからないので、読みたい方は「北海道ファッションWEB」でググって先頭に表示されたページにアクセスしてみて下さい。
まあ、要するに、曽田選手はとても頭が切れるという話です。
知っている方は「札○南高校だし、筑○大学一般入試で入ってるし、当たり前」とおっしゃるでしょうけれど、頭がいい上にプロのスポーツ選手になれるほどの体も持っているっていうのは、これは並大抵のことじゃないですよ。
もちろん、スポーツには頭も必要ですから、そういう意味では曽田選手に「頭脳」というアドバンテージはあったのかもしれません。しかし、それにしても、僕も多少スポーツやってますが、勉強しながらスポーツするのって結構大変なんです。体を軽く動かして頭の回転も高めよう、という程度の運動なら返って気持ちの良いものですが、プロになるほどとなるとそうは行きません。
僕も一応都立南○摩高校でH大学ですが、メンタルボロボロ、体はひ弱、その上今回言語力でも曽田選手に劣っていることが判明し、僕はいったいどうすればいいんですかお兄さん!
もはや曽田選手に対抗できることといえば、高校の略称が同じ「南高」(○幌南=みなみこう、都立南多○高校=なんこう)であることしかありません。いや、実際のところ全然対抗できてないですけど。
そんなこんなで、これをきっかけに僕も曽田ファンになろうかな、と思った次第です。
ソダン大明神、万歳!
プロフィール
HN:元多摩の農民/大澤唱二 東京多摩地域出身。 2001年最終戦、対セレッソ大阪戦でコンサドーレデビュー。 翌年、翌々年と徐々に試合に行く回数が増え、2004年にはファンクラブ会員になるなど、身も心もすっかり赤黒く染まる。 2005年、CVS登録。また、OSC蹴遊旅人の立ち上げにも加わり、赤黒さに磨きがかかっている。
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