2021年12月25日
老害です。こんにちは。今年もアドベントカレンダーに参加しています。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 映画に出演しました。いや、無論エキストラだよ。何か? 撮影は昨年の11月、集合は早朝の地元横浜・伊勢佐木町商店街。キャスト、スタッフにまじって一人の子役がいた。小学校の…たぶん3~4年生くらいの男子。サラサラの髪の毛とクリッとした瞳がどことなくエドワード・ファーロング(※1)を思わせる。映画を毎年100本前後劇場でカネ払って見ている僕だからだろうか「はは~ん、この子は物語のキーを握っている子だな」と思わせる。視線といい佇まいといい印象に残る子だった。 それから1年。タイトル「誰かの花」は、地元映画館「ジャックアンドベティ」の開館30周年記念作品として完成した。東京国際映画祭の「アジアの未来」部門にも選出され、全国公開は来年の1月末の予定。オレは試写会含めまだ4回しか公開されていない段階で3回も見た(本当)。若手監督が撮るミニシアター向け映画としては及第点以上の素晴らしい出来で、個熊的には来年の年間ベストテンに入れてもいいと思う。興味をお持ちの方は是非ご覧いただきたい(って、現段階では北海道での上映は未定なのだが)。 「誰かの花」 http://g-film.net/somebody/ 「太田琉星くん」 https://ta-production.jp/talent/detail/?code=50173b9010b37ace0a0fdaa4990abdcb その子役=太田琉星(るせ)くんの話から始めたい。 彼を起用した理由について試写会の際に奥田裕介監督(35歳)に尋ねてみる。「オーディションで決めました。課題として『自分の好きなものを“好き”という言葉を使わずに表現してください』とお願いしたところ、大抵の子は『欲しい欲しい』とか『お願い!買って』などという、いかにも子供らしいお芝居だったんです。でも琉星くんだけは『別に。嫌いじゃないし』という演技をしたのです。それで、彼に決めました」。話を聞いて電気が走った。仮に自分が監督であってもその子を選ぶ。果たして彼は本番では周囲のスタッフも納得の演技をし、作品の重要なピースを担うことになったのである。 このコラムはコンサドーレについてのコラムである。筆者のひぐまさんはアカデミーチームのサポーターである(トップチームは興味がない←えっ?)。いきなり映画の話でスタートした理由は、俳優さんの世界であってもサッカー選手のそれであっても「特殊技能でプロになる人間は、その技能の上手下手で評価されるものではない」ということを言いたかったからである。もっとバサッと言い切ってしまえば、 「プロというのは、上手い人がなるものじゃない」 無論、上手いのは当然の当たり前だ。言いたいのは芸能であれサッカーであれ同じで、特殊技能でより高い世界にいこうとする者は「上手い」だけでは不十分。「他の何か」で違いを見せつけなければ生き残ってはいけないということだ。「他と比較にならないくらい超めっちゃくちゃに上手くて欠点すらカバーできる」なら話は別だけどね。メッシみたいに。 そういう「上手い」が突出した選手を、過去の僕らは「変態」と呼んできた。誉め言葉だよ。為念。 歴代札幌U-18OB→主にプロで活躍した者たちのユニフォームが並ぶ。 札幌U-18は…いや、「北海道のチームは」とざっくり言い換えてもいいかもしれない、かつては変態を量産してきた。冬が長く「外サッカー」ができる期間が短く屋内ピッチも足りないため、練習のシーンも限られる。ゆえに局地戦での技術に磨きをかける選手を育てることに念頭を置いてきた…そもそも「外サッカー」などという単語が定着していること自体が、内地から見るとおかしい話かもしれないが。ともかく札幌がJに参戦して四半世紀。S木T樹さん(引退・現トップ強化部)、西大伍、古田寛幸(引退)、神田夢実…。極度の変態だけではなく普通クラスの変態も数多い。そんな選手たちの中でも長い期間プロの世界で生き残っている選手は単純に「上手い」選手ではない。つまり「変態」であるだけでは生き残ってはいけない。 札幌アカデミーの指導者たちも指導のプロだ。そんなことはとっくに気がついている。彼らは足りないピースの答えを一応「フィジカル」に置いているように思う。一方で僕の答えは…現状答えとしてまとまってはいないが、少なくとも「フィジカルをつけた変態では不十分」と考えている。 あえて言葉にして絞り出すのならそれは「経験」であり、「経験を想像する力」ではないかと考えている。これでも足りてはいない考えだろうけれど、まぁここから先の主題として聞いてほしい。 人は経験からしか物事を学べない。では物理的理由で、そのほかの理由で、経験が積めない少年たちはどうなるのだろう。 プレミアリーグ・プレーオフの第一戦、阪南大学高校戦はそんな試合だったと思う。技術では勝っていても、阪南大高は経験による試合の運び方、局地戦での身体の使い方で優位に試合を進め、札幌U-18は相手のやり方に慣れてきた後半終わり頃になってようやく1点を返したのみだった。 札幌は道外の強豪と夏以降は真剣勝負の機会がなかった。道内の公式戦も2カ月前に終わっていた。阪南大は高校選手権予選を終えたばかりだった。だからと言って「札幌は経験が足りなかった」で済ませるのはどうなのか。むしろ「経験を想像する力」が乏しかったから…と見てはどうだろうか? プレーオフについてまともな詳しい話はくろかわさん家でも覗いてほしい。ためになります。 くろかわひろとさん「note:北海道コンサドーレ札幌U-18 〝2021最後の戦い〟を振り返る」 https://note.com/harukuro/n/nf14d17044173 ※写真提供=あきっくさん(@akikconsa) 少し昔話。もう15年くらいの前、Jヴィレッジでの夏のクラセン(※2)U-15での出来事。コンサドーレのトップチームの選手だった人が、今は札幌以外のクラブに指導者で転じている。その練習を覗かせてもらった。引退して数年しかたっていない若々しい姿(当時・笑)のコーチの隣りで、溌溂とピッチを駆ける子供たちの姿を見ていた。ごく普通の中学年代サッカーチームの練習だった。 ややピッチから離れた光景に目が止まる。日陰の芝の上。選手たちのバックパック(背負い式のバッグ)がズラリ。選手分だけおよそ20個、まるで定規で測ったかのようにきれ~いに並べられていた。夏の大会らしく各々のスクイーズボトルや、脱いだアップシューズ、タオル類や着替えもきちんと畳まれてバッグの前に鎮座していた。一見して誰のものであるかがわかる。すぐに必要なものとそれ以外のものもわかる。長年あちこちユースチームを見ていて挨拶など規律正しいチームはそれなりに接してきたが、ここまで見事に整理整頓が現場で測られているクラブは初めてだった。写真に撮っておけば良かったとすら思っている。 「いいですね、あれ」と、件のコーチに声をかける。「え?ああ、あれですね。いや、別に僕ら(監督・コーチ)がやれと言ったわけじゃないんですよ」「自分で気が付いた子がいるということですね。すばらしいですね。この先、後輩たちも先輩たちの真似をして続けていくといいですね」「要するに『自分たちのことは自分たちできちんとできるぞ』ということなんですよ。そりゃできないこともあるだろうけれど、一言注意してあげればサッと直せるよと、形で示してくれていると受け止めています」「いい選手たちに恵まれましたね」「そう言って気が付いていただけるとすごくうれしいです」 これが、ひとつの例だ。文字にすると恥ずかしくなるくらい当たり前の話だ。最初の選手は自身の経験から始めたことなのだろうか?コーチなど周囲から言われて始めたのでないとすると、恐らくは「これをやればチームとして団結する」「大人たちからもしっかりとしたチームだと認めてもらえる」という想像力を持っていたのではなかろうか。以降およそ15年。このクラブは複数人のプロ選手を生んでいる。 先の映画の話もそうだ。「誰かの花」先行公開の初日。琉星くんに聞いてみた。「別に、嫌いじゃないし」というオーディションの演技を誰かからレッスンされたの?…と。そういうわけではなかったらしい。やはり「想像する力」があったのだろう。その力はスクリーンにも満ちていた。奥田監督も認めている。彼はすごい子ですよ、と。 さて、札幌ユースの話。もう18歳。でもまだ18歳。足りないものが多数あるのは当たり前。それでもこれまで自分たちは、気づいた範囲内で努力はしてきた。だからいいことを教えてあげよう。世の中というものは普通に努力をしてきた人には普通の幸を平等に分け与えるようにできているものだ。 札幌U-18は今年夏のクラセンで準優勝に輝いた。そのお陰で今年の3年生は直接プロに進む子はいないものの、進学(予定を含む)先には名前の通った大学がズラリと並んだ。すべての進路が固まったわけではないため公表は避けるが、インカレ優勝経験がある名門大学に進学する子も数多い。中には推薦で早稲田大に進む子もいる。札幌ユースからア式の門を叩く子がいるというのはびっくりと同時に喜ばしい。外池よろしく頼む。 一人だけ例を挙げるとあの「稚内のFW」(※3)は大阪体育大学に進む。それも通常のスポーツ推薦ではなくオリンピック選手級の特待生らしい。中学3年の春に稚内を出て札幌の寮に入り、順調すぎる夏を過ごしスポーツ新聞にも取り上げられサポーターの間でも「末は札幌のエース!」と期待が膨らんだ。と、思ったら胆振東部地震でメニコンカップ(※4)への出場を泣く泣く辞退。U-18に昇格して1年坊主ながらレギュラーを掴む。途端に怪我をしてクラセンを休み。2年で本格化すると思ったらコロナで対外試合が軒並み中止となる。最後の夏には大活躍しチームを全国2位に押し上げたが、惜しくもプロ入りはならずという、ジェットコースターのような4年間を送った。「すごく悔しかったけれど…いまプロに行っても何もできないと思うから」と気持ちを切り替え最北の地から河内弁の本拠に挑む。よう来よったのぉワレェ。大学言うのんは遠回りちゃうで。 …ちなみにちなみに、一学年上の札幌U-18の10番だった木戸柊摩は関西学生サッカー連盟の新人王に輝いている。 ※上記3点写真提供=あきっくさん(@akikconsa) クラセンで全国準優勝したのは確かだ。プレミアリーグ昇格争いで敗れたのも確かだ。高校→プロ入り争いで後輩に負けたのも事実だ(※5)。 顛末として大学へ進む。大学に進む未来って何のためにあるのか?「青春リベンジ」。つまりはより高い意識を持ってユース年代では得られなかった経験を積むチャンスを手にしたことにある。子供である高校生の立場から、より社会人に近い位置に視野を変え、今までとはレベチな責任感を担い、それでも学生であるという逃げ道は4年間残されている。今年の3年生は高校では対外試合などで積み重ねる経験値を重ねることはできなかった。足りないものを大学生活の中で見つけて身に着けて、それで札幌に戻って来るもよし、他のクラブの門をくぐるもよし。 他のクラブと同様に札幌でも成功例も生まれている。ニッコニッコニーと笑いながら試合になると超えげつないプレーをするサイコパスが入ってきているwww。 サイコパスくん。これは筑波大に進学してすぐに撮ったもの。 この先も順調に進むとは限らない。怪我もあるだろう。天変地異もあるかもしれない。いくら努力をしようともサッカー選手として君の未来が保証されるわけじゃない。それでも今後の4年間、サッカーの世界で信じた道を突き進むことができたならば、たとえサッカー以外の世界に棲む日が来ても、君は決して不幸に見舞われることはない。 この話はプロサッカー選手に限らず、特殊技能を売りにする人、しようとする人全員に言える。全員がそれぞれの道でプロになれるわけではない。プロになれたのならそれまでとは違った「想像する力」を発揮して、世の中を前へ前へと進める推進力になってもらいたい。 老害の、棺桶に両手両足を突っ込んで納棺を待っているひぐまさんは、それを願ってやまない。いや、まだ死なないけどさ(^^;; 了 【注釈】 (※1=エドワード・ファーロング)主に1990年代に活躍したアメリカの子役。デビュー作は「ターミネーター2」。その後大人に成長するにつれてアル中で身を持ち崩す。 (※2=クラセン)「日本クラブユース選手権」の通称。中学生年代のU-15と高校生年代のU-18があり、学校の部活動に該当しないクラブ形態による日本一決定戦。主催は公益財団法人日本サッカー協会と一般財団法人日本クラブユースサッカー連盟。 (※3=稚内のFW)佐藤陽成のことである。もっともU-18では右ハーフで起用される機会も多かった。正直に言って札幌がJ2ならば直接上がったのではないかと思える力はある。 (※=4メニコンカップ)毎年9月にニャゴヤで開催されるクラセンU-15で活躍した選手による、言わば東西対抗オールスター戦。過去には阿部勇樹、宇佐美貴史、齋藤学、堂安律など大成した選手の名がズラリと並ぶ。来季昇格する横浜Fマリノスの山根陸のパスから陽成がゴールを決める夢を何度も見た。あの中盤なら陽成は何点でも決めMVPになったはず…と、今も妄想している。 (※5=後輩に負けた)こんな書き方をしたが勝ったのは西野奨太のことである。彼は現在高校2年生だがすでにプロ契約をした選手なので保有権はトップチームにあり、U-18は彼を借りるという立場になる。しかし来年いっぱいまでU-18であることも確かなため、ユースチームでの活動が全面的に禁じられるというわけではない。