2024年06月04日
ひぐまです。老害です。まだ生きています。
ここしばらくまったくトップチームの試合を見ていません(本当に)。ユースは見ていますし現場にも行っています。トップの現役選手で誰がいるのかもユース上がりの選手以外は知りません。
クラブの公式ページも滅多にアクセスしていませんでした。
だから本当に知らないんです。冗談ではなくまったく本当に知らないんです。
どなたか教えてください。
「今年2024年シーズン限りでミシャ(ペトロヴィッチ)監督が北海道コンサドーレ札幌の監督を退任する」
と、誰がはっきり言ったのでしょうか?
三上タイショー氏による5月29日のリリースは見ましたが…「辞める」とはどこにも書かれておりませんでした。なのに…たとえばWikipediaでは「2024年シーズン一杯での退任が発表された」と言い切っちゃっているんですよね。
言い切っちゃっていいんですかね?
繰り返しますが、オレ的にはミシャが続けようが辞めようが別にどうでもいいんです。それに対する意見なんかありません。ただ「本当に『辞める』と誰がいつ言ったのか?」、それだけを知りたいです。
(ここから蛇足)
上記のリリースには「今シーズンの最後までミシャ監督と戦う決意をしました」と明記されています。来季のことは何も書かれていません。
監督を含むスタッフや選手は、一部の複数年契約をしている例外を除いて一年ごとに契約を更新するものです。一般企業の雇用形態とは違います。上記の書き方ですと「今季いっぱいの契約がある」ことは理解できるのですが、一方で「来季は契約する」のか「来季は契約しない」のかわからないじゃないですか?
もう一言「集大成」という単語があって、これを調べると、
(Weblio)「集大成(しゅうたいせい)とは、多くの要素や成果が一つにまとまり、最高点や完成形を表す言葉である。これは、個々の成果や努力が積み重ねられ、全体としての大きな成果や完成形を形成する様子を示す。例えば、ある作家の全作品を読み解くことでその作家の芸術性を理解する、あるいは、長年の研究成果が一冊の論文や書籍にまとめられる場合などに用いられる。
(goo)「[名](スル)多くのものを集めて、一つのまとまったものにすること。また、そのもの。集成。「多年の研究を—する」
どこにも「集大成=退任する」という意味は記されていないんです。
だから不思議なんですよ。単純に不思議なので皆さんに聞いてみたかっただけです。
よろしくお願いをいたします<(_ _)>
2023年08月02日
お久しぶりです。老害です。 まだ生きています。撃たれてもいません。 今夜は天皇杯のRound16。おなじみの名前のJリーグクラブに交じって、唯一のアマチュアチームがJ1トップクラスのチームに挑戦します。 高知ユナイテッドSC(高知県代表) vs. 川崎フロンターレ(J1) さすが天皇杯を共催するだけあって、NHKさんは目ざといw。 このカードを高知県春野陸上競技場からBS-1で生放送します! 当ブログでも再三繰り返してきた通り、高知ユナイテッドSC(以下”高知U”)は「コンサドーレのチルドレン」(宮地オーナー)のチームです。また、かつては札幌アカデミー出身の選手が在籍していたこともあります。 ※中山和弥(現 KUFC南国)、深井祐希(今期から十勝スカイアース) 詳しいことは忘れたという人は、ぜひこちらをご覧ください。 今夜は高知県のサッカー界やスポーツ界においても歴史的な一夜になるかもしれません。勝ち負けは別としても、かなりの数の前売り券が売れており、観客が6,276人を超えれば(末尾に注)、恐らくは高知県内での最多スポーツ観戦記録となることに違いありません(違っていたら教えて^^;;)。 我々もかつて通ってきた道を、いま高知Uが通っていこうとしております。「スカパーは見られないけれどBSなら見られる」という方は、ぜひとも高知の試合にご注目ください!こちらも他の試合(除・町田-新潟)と同様、今夜19:00キックオフです。 ※申し訳ありません。2002年の7,236人が最多だったようです。あんなに大雨だったのにそんなに入っていたんだ(^^;; ご指摘感謝します。
2022年09月14日
こちらの続きです。Sunday Monday Kitchenへの行き方です。 場所的には日産スタジアムの東側になります。新横浜駅からの方が近いです。横浜労災病院の横のスロープを昇ります。そして階段を「昇る」のではなく「降る」になります。画面奥の方。円形の建物の下にもぐるイメージで。 すみません、↑この写真のみGoogle Earthを使っております。正面右のまったく目立たない階段を降るのです。 下から見るとこういう図になります。 つまり「日産ウォーターパーク」や「横浜スポーツ医科学センター」を目指すことになります。階段を降ると入り口。手前に立て看板があります。 入って右を向きます。階段を昇るとウォーターパークの入り口。突き当りに看板が見えていますね。 いらっしゃいませ。 本日の選べるランチプレートはメインに生姜焼きとデリ2品。タンパク質たっぷりです。 試合の日には他にテイクアウトの出店も出しているそうですが、お店に来るとこの本をいただけるそうですよ。先着20冊。
2022年09月14日
村野明子さんです。 新横浜の日産スタジアム「Sunday Monday Kitchen」にて。 ' 「札幌サポーターの皆さん!日曜日はお待ちしております!」' とのことでした。 お久しぶりですね~。神戸時代にどこかでお目にかかったことはありますが。 ってか「あっこさんいます?」と訪ねたら、最初に出てきたのがダンナさんの元・鬼寮長さんwww レストランはサッカー観戦でしか日産スタジアムを訪れたことのない人にとっては少々見つけずらい場所かもしれません。今夜あたりそのへんを別エントリで上げます。
2022年08月01日
前回のエントリを上げた直後。それを待っていましたというように「会場変更のお知らせ」」というお触れが出回る。なんだと?苦労して現地調査まで行ったオレの時間を返せ。…いや、ブログを書いた時間は返してほしい。 中島緑地多目的運動広場 実はココだったんですよ。撮影した場所は十勝川にかかる「中島橋」を昇って西帯広方面へ向かう途中。方角としては東。縦長の赤黒い矢印で示した場所に4つ長方形の箱状のモノが建っている。これ、実はトイレ。その右にあたる平たい青黒矢印の平坦な土地。ここに2面分のピッチがある。これが「中島緑地多目的運動広場」。Google Earthの写真、およびストリートビューの写真を載せておく。こちらはひぐまさん来訪と同じ2022年6月に撮影したらしい。GJ。 謎の中島緑地多目的運動広場。正面から左に伸びるのが駐車場用地。 広域写真。無理矢理「最寄り駅」を言うなら西帯広。 この衛星写真では造成が行われる前だが、赤ピンの位置にトイレがある。 ストリートビューの写真を見たときの第一印象として「なにもないじゃん」。単純に原っぱ。平地にタネを蒔いてサッカーのピッチを作ったに過ぎない。スタンドねぇ。ロッカー室ねぇ。夜間照明ねぇ。テレビもねぇラジオもねぇ。着替え場所等は大会の際はテントなどで簡易的に拵えるつもりなのだろう。ただゴールポストぐらい置いておいてくれよ。だから遠目から見てもわかんなかったんだよ(言い訳)。 次に懸念を抱いたのは「駐車場何台止められるやら?」ということ。ネックになったのは恐らくそこ。「世界的な半導体の不足によりゴールポストの調達が遅れ」というわけではない。ゴールポストに基板は入っていない(推定)。 来年までには駐車場問題も解決すると思われる。次回のためにこのエントリを残しておこう。…来年帯広で開催されるかわからないが…(噂では18が?) 試合の方はリンク先の通り例年の音更町サッカー場(キックロスおとふけ)および中札内交流の杜に変更となった。中島で行われる予定だったグループラウンドでのコンサドーレ関係の試合は1試合。初日(15日)の第二試合に予定されていた。 音更は人工芝。しかも金網デスマッチ…いや、観客という名の門外漢は金網の外から見ろと言う鬼のような場所。かつてのグリーンパークが懐かしい。いやあそこ下が相当な凸凹だから。観客にとって優しいのはやっぱ球技場だな。座席もあるし。「え?あそこ帯広市じゃないよ?」なんて言うなよ。 柏林台駅近くの「ぴあざフクハラ」。中島の場合は以降は飲食物は入手不可能である(マジ)。 ここで札幌U-15、旭川U-15双方のグループラウンドでの試合日程を確認しよう。4チーム総当たり各3試合。全グループの上位1,2位=24チームがノックアウトステージへ勝ち抜け。3位の中から成績上位の8チームも勝ち抜けて、合計32チームがトーナメントで頂点を目指す。 8月15日(月) 12:30~ 札幌U-15 vs.クラブ与野(関東) 音更 12:30~ 旭川U-15 vs.徳島ヴォルティス(四国)幕別 8月16日(火) 12:30~ 札幌U-15 vs.ツエーゲン金沢(北信越)幕別 12:30~ 旭川U-15 vs.湘南ベルマーレ(関東) 帯広球技場 8月17日(水) 12:30~ フレスカ神戸(関西) vs.札幌U-15 帯広球技場 12:30~ 東京ヴェルディ(関東)vs.旭川U-15 中札内 このあと、 ラウンド32 8月19日(金) ラウンド16 8月20日(土) 準々決勝 8月21日(日) 準決勝 8月23日(火) 決勝 8月24日(水) 毎年のことながら。ラウンド16を終えると帯広の街が急に寂しくなるんだよね。 ついでに。音更に札幌U-15を応援に行くビョ(略)の皆さんのために十勝バスの時刻を載せておく。親切だなぁいやそれほどでも。 <行き> 帯広駅バスターミナル 6乗場/45系統・十勝川温泉線 11:20発~着11:37「緑南中学校前」 <帰り> 緑南中学校前/ 45系統・十勝川温泉線 14:30発~着14:50「帯広駅バスターミナル」 さて。掲載の通りモノの見事に札幌と旭川の試合時間が被ってしまっている。ハシゴもできない。夏の兄弟同時出場は…ええっと…何回目だっけ??…。たぶん片手で数えられるくらいだと思われるけれど、試合時間丸かぶりは初めて。 ひぐまさんはどちらか1試合、どちらか2試合に行く予定です。ビョーキの皆さん、今年は3年ぶりに帯広のなつぞらの下で会いましょう。よし、きれいにまとめたぞ。
2022年07月28日
-「中島緑地」の謎- 灼熱のグンマーではまだクラセンU-18が開催されているというのに、話題はU-15に飛ぶ。帯広市を中心に開催される第37回日本クラブユースサッカー選手権(U-15)大会。今年も8月に行われる大会の開催要項が6月の上旬に発表になった。 いつも最初に目が行くのは競技日程と開催の場所である。 開催期間=8月15日(月)~8月24日(水) 場 所=帯広の森球技場、幕別町運動公園陸上競技場、中札内交流の杜、中島緑地多目的運動広場 ん?「なかじまりょくち?」と、昨年までとは異なる見慣れない開催会場の名が記されていた。過去にも「帯広競馬場南側運動広場」という地元のNPO法人が運営していたグラウンドが数年間会場になったこともあった。この際は読んで字の如く「あ、けーば場の向かい側か」と速攻でわかった。現在は帯広厚生病院となっている場所だ。しかし「中島緑地」とは皆目見当がつかない。条件反射的にGoogle先生にお問合せする。と、2021年4月の十勝毎日新聞のアーカイブ記事が出てきた。住所は帯広市西21条~22条北4丁目。…中島霊園の近くか。続いてGoogle Mapの航空写真を確認する。2022年6月時点では緑色もしくは土色オンリー。サッカーグラウンドは特定できなかった。周辺の状況から察するに、「要するに何もないところに作ったグラウンド」なのだろう。そうなのだろう。 その0.1秒後。横浜市在住のこのビョーキかつユースヤクザなひぐまさんは考えた。 「ならば、行ってみるしかないな」 帯広駅前の温度計は明確に北国の真夏。しかしまだ6月。 実はその前夜は旭川に泊まる予定だった。昨年度の道内最強U-15クラブだったコンサドーレ旭川の練習場を冷やかすつもりで。そうだ、たくろう監督なら中島緑地のグラウンド情報を知っているかもしれない。聞いてみた。 「どこですか?」 あ、知らないならいいw。U-15フットサルで日本一に輝いた監督さんも知らないのだから熊が知らないのも無理はない。やっぱ行くしかないんだわ。翌朝、一旦札幌に出ておおぞら3号に乗る。 帯広着。暑い。まだ6月の25日だってのになんだこの暑さわ。正午の日陰かつ風通しの良い場所で測った公式の気温29.9℃。6月の北国の太陽は容赦なく真上から照らしてくる。くそっ。11月は斜めから控えめに照らすくせに。 昼鮭として「ぱんちょう」で豚をしばいて(華)、駅前のバスターミナル「おびくる」でチャリを借りる。「また来ましたO田さ~ん」「O田は休みです」「…すいません自転車貸してください」。ノーマルのシティサイクルを借りる。これがこの日最初の失敗だった。 豚丼の名店「ぱんちょう」。帯広駅の駅前。 駅前のホテル「JRイン帯広」は閉店。高齢者住宅にリニューアルされるらしい 十勝スカイアースの告知ポスター。元コンサの子がセンター。 -アメージング・グレイス- 行き先はとりあえず「中島霊園」。それ以外に目標になる建物はなさそうなので仕方がない。片道およそ8.8Km。たいした距離ではない。ひぐまさんはこの4月に四国高知の四万十川の沈下橋をチャリで見に行ったことがある。若干の山道を片道8Kmだったが楽勝だったぜ。撃たれなかったし。 ところが8.8kmのうち2Kmちょっとを漕いだところで後悔し始める。国道38号線に出たあたり。…しんどい。電動チャリにしておけばよかった。今から戻って機種変更したいところだったがヤセガマンをして柏林台のぴあざフクハラに着く(注/ココ、よく憶えておくこと!)。ここを右折して北上することになる。 ずっとず~~っと真っ直ぐ。国道241号線。途中、平原大橋(へいげんおおはし)で十勝川を跨ぐ。ここで最初の人工の昇り坂がある。これが意外に辛い。昇ったら下るんだがな。然別…という北海道ならどこにでもありそうな地名の交差点を左折し進路を西に向ける。西日がまぶしい。然別には「中島霊園」の案内看板がある。次に国見橋で十勝川の支流・然別川を渡る。人工の坂道2回目。ちなみに然別は音更町に入ったところ。ここまで通算で6.7km。ぴあざフクハラからほとんど直線で2.7km。 この日の最高気温は32.9℃。7月の東京の気温なら特に騒ぐほどではないが、今は暑熱順化前。6月のしかも北海道。夏毛に生え変わったばかりの身体にはこたえる。目の前にはポプラの綿毛がふわふわと飛び、幻想的な雰囲気が漂う。耳の奥でアメージング・グレイスが鳴っている。 「神よあなたの恵みが私を導いてくれた」 中島霊園入口の看板。自転車でここまで来た(本当)。 ヤバいヤバい。明確に危ない事態になりそうなところだった。HPが0を指しそうなところで間一髪中島霊園の看板が見えた。助かった。 ダメージを深くした要因は、ここまで飲み物を飲んでいなかったことにもある。霊園も基本的にお墓だからお亡くなりになった人たちが買いに来てくれるわけもないため飲料の自販機はない(注/ここも重要)。お亡くなりになっていない方のためにトイレと休憩所はある。トイレの上水をがぶがぶと飲んで管理棟休憩所の畳の上に転がる(本当に転がった)。転がった後で汗びっしょりだったことに気が付く。すみません、それ熊がやりました。 しばし後。自分を取り戻した後に閉じている事務室の扉を叩く。管理のおじさんがいた。このあたりにサッカー場ができたはずなのですがと聞いてみると「道の向こう側にできると聞いているが、正確な場所は知らない」らしい。あ、当然ながら自転車を漕いでいる間はずっとマスクはしていない。駅前で自転車を借りるときとおじさんを呼ぶとき以外はノーマスク。マスクして自転車を8km以上漕ぐなどという自殺行為は働いていない。なにしろここは北海道。帯広駅前からここまで他人とはまったく接していない。為念。 -「中島緑地」の手掛かり- 休憩所の建物に入って日射しを避けているうちに汗も引いてきた。 「中島緑地の新グラウンドはここの近くにあるのだろう」 「ここの近くだろう」と、テキトーにシャッターを切る 十勝バスの本社。帯広空港からのバスもここが起終点となる。 だいたいのアタリはつけた。しらみつぶしに探して回る気力はすでにない。チャリを返す時間も決まっていたし。道中、見つかったらいいなぐらいの気持ちで道道75号線から道道214号線に入る。どうどう。 帰りは意図的に遠回り。9.8kmの計算。中島橋の人工の坂・第3弾が苦しかったが、西23条南1丁目の交差点で再び国道38号線に出てから今回初めての東進。太陽を背にしたので楽になった。その途中には十勝バスの本社車庫がある。へぇこんなところにあったんだ。そういえばもう1社帯広市内で営業している北海道拓殖バスの車庫はさきほどの然別にある。 ぴあざフクハラで…たぶん5年ぶりくらいにコーラを買う。コッカコーラを飲もーおよ。思い返してみると、フクハラから先ずっと飲料の自販機はなかった。ここは北海道だ。これでもかと自販機が林立する東京の街角とは違う。同じくクラシックを買って晩の臨時穴(ホテルのこと)で飲む。うまかった。飲みながら道中撮ってきた写真を眺めてみる。この時点では気が付かなかったのだが…、中島グラウンドがその被写体の中にあったのだよ! (続く) この写真の中にグラウンドがあったのだよ!!
2022年04月26日
高知県が生んだ3偉人の像。JR高知駅前。 雪の道東から 3週間前は氷点下の釧路にいた。 これから汽車が運休するらしい。理由はその7か月前と同様。「天気が荒れる」。実際に悪天候になるか悪天候が過ぎて災害が発生するかは別として、それが予想される場合は最初から汽車を止めてしまう。こんな手段をJR北海道は憶えた。 おかげで念願の東のはずれ納沙布岬来訪はまたも幻と消えた。8月のときは「風雨が強くなる」。3月の今回は「吹雪になる」。ちっ。やむを得ず釧網本線が動いているうちに雪の釧路から豪雪の網走に着く。途中シカが線路の上で酒盛りで歓迎してくれたみたいだ。いや、線路の上はヤメロ。 向かった先は現住所は北見市内。しかし網走から向かうほうがはるかに近い雪の常呂町。あの銀メダリストたちが来ることで有名になったお寿司屋。おかみさん(超美人!)も「こんなに雪が降った試しはない」というほどの3月の爆雪。たった200m先の常呂町交通ターミナルに着くまでにガチンコのブリザードの中を歩く。冗談じゃなく目の前は白以外の色を失う。…ただしここは南極ではない。10分ほどで吹雪は収まる。それでも裾の長いダウンコートを着ていて助かったと思う。温かいのヨこれ。そのおかげで「それってサッカーの監督さんとかがよく着ていますよね?」と自身の身分が半分くらいバレた(笑)。そうだ。道東でこんな格好をしている人は見かけない。オレは監督ではないが取材者ではあったからね。 3月21日、春分の日なのに道東はコレである なお某「ちび部」の選手がほんの30分前に本当に来ていたらしい。いや選手に会いたかったら「あの人」に頼むから別にいいんだけれどさ(^^;; ヤシが育つ高知 長い長いイントロ。ここから話は本筋。 4月。ここは南国。四国は土佐の高知。はりまや橋。がっかり。 つくづく小さな日本列島という土地が実のところ広大と思い知らされる。当然の当たり前にここに雪なんかない。あるのはヤシの木。ヤシだよ椰子。見たことがあるか道民。高知県中に50,000人はいるに違いない坂本龍馬大先生に「よう来ちゅうぜよ」と来県をねぎらわれ懐のハジキにおののきながら、空港建屋を出て真っ先に目に入るのが南国の植物・ヤシ。何かふざけているとしか思えない。 そう思っていたら土佐くろしお鉄道のごめん・なはり線の高架から見おろす光景にぐらっとする。水が張られた田んぼ。規律正しくフラット3の延長のように刺さっている苗代。おかしい。確かにあれから3週間しかたっていないはずなのに「あれ?今は6月だっけ?」と、枯れかかったクマの脳みそを震わせる。小学生熊のころから地理だけは得意だった。そうよ。アレは二期作もしくは早場米。稲は成長が速い。グングン茎が伸びて伸びすぎて、夏の本格的な暑さの前にゴメンナサイとこうべを垂れる。バッサリと刈られて精米されて、まだ新米にありつけず昨年までの古米でガマンするのですよウチは貧乏だからという時期に、食卓にパンパカパーンと昇る。ありがたや新米。秋になったらあきたこまちの新米を食べるぞと、大館で秋田犬と東急電鉄5000系青ガエルに誓っている。それまでのつなぎ。貴重な新米となるわけだろう。ごめんオレはゆめぴりか教ではない(^^;; 高知の空は青い。花粉なのかPM2.5なのか余計なものが舞っているらしく若干の霞も認められる。が、ともかく青く、どこまでも広い。くしゃみをしながら鼻水をすすりながらサクラの木の下を歩く。満開。色が濃いからソメイヨシノではない。たぶんヤエザクラ系の品種なのだろう。15年くらい昔まで独立した自治体だった高知市内南西部、山の中腹の運動公園。競技場のある運動公園まではほとんど人と会うことなく、当然マスクをすることもなく。どこにいるのか高知県民と思っていたらここにいた。 高知県立春野陸上競技場 「厚別」の春 高知県立春野陸上競技場。 今から20年も昔。札幌ドーム開場前の春先にコンサドーレ札幌(以下“札幌”)が主催試合を開催した競技場だ。それからご無沙汰20年ぶり。一緒に訪れた友人夫婦の奥さんのお腹も小さかった。そこから飛び出た娘が今年成人(18歳)を迎えた。それくらいの年月だ。 競技場正面の広場。キッチンカーの間をのっしのっしと歩く。高知県民は熊を恐れない。土佐名物の龍馬焼きに鶏のから揚げ、わらび餅、肉巻きのおにぎりやフランクフルト。さらには22℃という最高気温予想に後押しされてかき氷のコーナーまである。わらわらとそれらを囲むように赤と緑のホームチームのレプリカユニフォームに身を包んでいる人々がいる。ほぼ高知県民。と、ごく一部にようこそ静岡県民。アップテンポのBGM、スタジアムDJのアゲアゲの口上。陸上競技場であるせいもあるだろう。こう思ってしまったのだ 「ああ…厚別だ」 横浜市熊として初めて訪れたモノホンの厚別は1997年5月25日。“あの”川崎フロンターレ戦だった。春野でこれから行われる試合も…正確に言えば体裁は変わってるが略称は同じ「JFL」。2022年の第5節。高知ユナイテッドSC対HONDA FC。高知ユナイテッド(以下“高知U”)のファーストユニフォームは赤と緑。似ている。あの日見たコンサドーレを連想させる。 アウェイチームであるHONDAは過去23回の現行JFLのうち9回の優勝、5回の2位と圧倒的な強さを誇る「Jへの門番」。対する高知はJFL加入3シーズンめ。今期ここまでの4戦は堂々の無敗!…と、言っても1勝3分、勝ち点は6。なんだどこか北の方にある元JFLのクラブと大して変わら(略)。しかしながら高知は2年前の初対戦で都田でHONDAを倒している。ちなみにその試合でHONDAの6番をつけたセンターバックが期限付き移籍中だったとーやくん。現地まで見に行ったんだよわざわざ(本当)。“最寄り”の常葉大学前駅から2.3kmある上に途中は登り坂。きょうも路線バスの終点JAはるのから2.3km最後は登り坂。ずるうない道を歩いたよ当然。JFLは熊殺し(-_-;; それにしてもどこをどう見ても空気は厚別。あまりにも似ている。それは高知Uというクラブが、札幌を模倣しているからにほかならない。 詳細はこちらをご一読いただきたい。 https://www.consadole.net/higuma/article/433 札幌だって運営の仕掛けもサポーターの応援スタイルも既存のJクラブのモノマネから始まった。今後、高知Uもさらなる発展をしていく上では模倣からオリジナリティを発出させていく必要もあるだろう。現在は模索中の段階。先述の通りチームカラーは赤緑だが、少しだけ先駆者側にいるオレの目に映る高知Uはイメージとしては無垢。これからどの色にも染まっていく。 「あの日の厚別」よりだいぶ観衆は少ない。数字はケタ2つも低い。この件の詳細は後に譲るとして、試合を楽しもう。メインスタンドの上方。高知Uのジャージを身に纏った少年たち、つまりU-15チームと思われる面々の中に割って入りピッチに目を向ける。 キックオフ。好天の13時。 熱量は伝わってきた。確かに途中までは高知Uが押していた。逆にHONDAには昔日の輝きは感じられない。高知U攻撃陣に幾つもの決定機を許す。クロスバーに当たるシュートもあった。特に高知Uの左サイドからのクロスを防げず再三突破を見ることになる。よく聞く表現だがサッカー競技に採点があったならば、グンジさんは10-9で高知Uの勝利としただろう。完全ホームである「厚別」のスタンドは、無論おらが街のチームを応援している。声を出してはいけないはずなのに高知Uの好機のたびに小さな歓声は上がり、ゴールが生まれたならば立ち上がって大声で叫んじゃるというムードになってくる。 現実は甘くなかった。0-0で進んだ78分にHONDAの連続攻撃を浴びると高知Uのクリアが小さくなり、7松本に拾われ逆サイドのゴールネットに流し込まれる。聞こえたのはため息。高知Uイレブンの膝がガクッと折れる気配が感じられた。87分にはGKの1タンドゥ・べラフィがこれまたクリアボールを相手に渡してしまい2点目を失う。ラスボス門番の底力。 確かにJ1に比べてJFLは大雑把なサッカーをする。が、それがつまらないというわけではない。十二分に面白い試合だった。面白い試合を見せて、結果は高知Uの今期初黒星。0-2。 高知Uに在籍しているDF21深井祐希は札幌のMF8深井一希の弟。札幌ユースU-15出身。この日はベンチメンバーで出番はなかったが、元気な姿は見られた。 そんな祐希くんにあえて声はかけず(コロナ禍でもあるし)、またオーナーさんである宮地貴嗣さんも主催試合であるゆえ何かとお忙しい。ほんの挨拶だけで済ませ、競技場を出て高知Uのタオルマフラーを首から下げたまま競技場の西側にある球技場に後ろ足を向ける。時間は15時。 深井祐希くん。札幌の深井一希の弟。札幌U-15出身 和弥と康介 「芝生って稲と同じ種類の植物だった」と、妙なことを思い出した。のっしのっしと陸上競技場から3分も歩かない場所にある球技場に着いた時だ。ピッチを隔てる金網越しに見えるピッチはこちらも競技場と同じく天然芝。決して冗談ではなく緑の絨毯が敷かれてるかのように見えた。一見して野芝ではないとわかる。南国であるがゆえブルーグラスではないだろう。恐らくティフトン系の芝。それにしても見事すぎる芝の生育状況だ。 そんな芝の上でボールを追っているサッカー選手たちがいる。中でもひときわ大きい細身の背番号29。最終ラインに陣取る赤いユニフォームの彼と会うために、ひぐまさんは高知までやって来た。 中山和弥くん。29歳。 彼は2年前まで高知Uの一員だった。札幌ユースU-15から18と赤黒のユニフォームに袖を通した。三上陽輔(現・J2秋田)や松原修平(現・札幌←えっ?)と同期。卒団後は仙台大学を経てJ3のYSCC横浜に加入。以後栃木ウーヴァ(現・栃木シティFC)、ブランデュー弘前と渡り歩いて高知にやって来た。2019年には高知UをJFLに昇格させるミッションを完遂し、翌2020年限りでスパイクを壁にかけた。 …はずだった(笑)。今年急に「選手復帰しました」と連絡が入る。四国サッカーリーグのKUFC南国の一員としてピッチに戻ってきたのだ。 四国リーグはJFLよりひとつ下の地域リーグ。つまり勝ち上がればまた地域リーグ決勝大会(注/何度も書くがオレはこの呼称で通します)に望める。地方によってチームによって熱量が違いすぎるくらいの混沌としたリーグではあるが、共通しているのは選手たちは「仕事」としてサッカーをやっているわけではないという点。好むと好まざるとにかかわらず他に仕事を持ちながら、心の底からサッカーが好きな選手たちが集まっている。 球技場の観客席はメインスタンドのみ。それもかなり小さい。きょうの試合は地域リーグ的には「スタンド」があるだけマシだよ。河川敷、原っぱ、土の競技場…。初めてボールを蹴った幼い記憶を毎回呼び起こさせる環境でサバイバルが行われる。無料観戦の観客も家族や友人・知人がほとんど。身近な人たちの理解と支援を受けて、彼らはボールを追っている。 先刻の高知Uの試合より遅れ13時30分キックオフだった試合は15分ほどで終わった。両チーム整列を終えた和弥くんはスタンドを見上げ、「パパー!パパー!」と叫ぶ小学2年の息子さんの次にひぐまさんの姿に気づき、笑顔で手を振ってスタンド下に消える。…え?…どっちが勝ったのかもわからない(笑・本当)。球技場にはスコアボードがない。一緒に観戦した和弥くんの奥様も「え?4-1…で勝ったんじゃないですか?」と言う。暫時あって姿を見せた和弥くん自身は「サッカー辞めたら急にヒマになっちゃって」と苦笑しつつ復帰した理由を語ってくれた後、「んと…勝ちましたね。確か2-1」と言う。 後日確認した公式記録によるとこの日のKUFC高知はFC柳町を相手に「3-1」で勝利していたwww。 中山和弥くん(CB29) 試合が終わったスタンドで思い出話に花を咲かせる。長男くんにとってパパは英雄だ。長女さんが生まれたのは2年半昔の地域リーグ決勝大会の最中だった。ゴールを決めてゆりかごダンスを踊った。そんな話をした。大学時代の仙台で知り合って結婚した奥様と1男1女に囲まれて、和弥くんは高知で落ち着いた生活を送っている。 「あれ?康介…来ているはずですけれどね?」 そうだ。もう一人会う予定の人物がいたんだ。彼もまた春野運動公園の中にいるらしい。和弥くんが携帯電話で呼び出すと上下黒いジャージで固めたイカしたにーちゃんが姿を見せる。 菅原康介くん。29歳。 彼もまた札幌ユースで和弥くんや三上、松原らと同期。卒団後は札幌大学から当時産声を上げたばかりのいわきFCの一員となった。2016年限りで若くして現役を引退した康介くんは、そのままいわきのU-15チームの初代の監督に就任した。どこかのコンサドーレがいわきFCに天皇杯でこてんぱんに走り負ける半年くらい前の話だ。なのにどこかのコンサドーレが天皇杯でいわきにこてんぱんに走り負けてガックリの頃にはクラブを去ってしまっていた。どこかのコンサドーレをこてんぱんにしたチームの下部組織の監督に会いに行こうと考えていたのに、結局会えたのはどこかのコ(略)の一年後、東北社会人リーグのブランデュー弘前のホームゲーム。現役に戻っていたのだ。駅の目の前、弘前市運動公園陸上競技場。康介くんの隣にいたのが和弥だった。 しかしながら痛めていたひざの状態が思わしくなく、その年限りでサッカー選手としては完結することとなった。その後しばらくは弘前に居を構えていたのだが、先に高知に発った和弥くんを追って四国の土を踏む。 南国高知の地で2人が取り組んでいる仕事が興味をそそられた。後半は彼らが高知にコンサドーレ・スピリッツを根付かせるべく取り組んでいる仕事について語っていきたい。 左・中山和弥くん、右・菅原康介くん (たぶん来週掲載)
2022年01月11日
お待たせをいたしました。動画です。 公式動画とは異なるアングルで映しております。 撮影に際しJFAの観戦統一規定により三脚は使用しておりません。 決勝戦「東急Sレイエスvs.コンサ旭川」(12:12) https://www.youtube.com/watch?v=XlG_KaYeqIk 中村拓朗監督勝利インタビューー(非公式/2:04) https://www.youtube.com/watch?v=DOdsf6Dz4WY ↑途中にバッテリー切れになりましたwww 最後は泣いてください(^^;;; なおヨコ位置&表彰式は正面のJFA公式動画はこちら(4:58) https://www.youtube.com/watch?v=CZqGQl3GFVQ 中村監督に話を聞いていた隣りでJFA代表取材をしていた大会最終日全般の記事はこちらから https://www.jfa.jp/match/alljapan_u15_futsal_2022/news/00028840/
2022年01月11日
【伊勢】中学生年代のフットサル日本一を競うJFA第27回全日本U-15フットサル選手権大会は、10日(月)に三重県伊勢市の三重県営サンアリーナで決勝ラウンドが催され、北海道代表の北海道コンサドーレ旭川U-15(以下“旭川”)が6-1で東急Sレイエス(関東・神奈川県)を破り初優勝を飾った。 試合前、円陣を組む旭川イレブンと右の黒ジャージの中村監督 午前の準決勝は四国代表の松山城北FCが相手。旭川は強力なプレッシャーで追い詰め終始優位に試合を進め、今大会好調の3中田の2ゴールなどで5-0と松山城北を一蹴する。 前半、5加藤のゴールで同点に追いつく 「優勝か、それ以外は何もないと同じ」(旭川・松山育司コーチ)の言葉同様、旭川は漲る気迫で決勝戦でも初出場の関東の雄・東急Sレイエス(以下“東急”)を寄り切った。 東急は横浜市北部の東急田園都市線沿線のあざみ野に拠点を持ち、近年めきめき力をつけ日本クラブユース選手権U-15にも出場を果たすなど「外サッカー」では知られた存在である。しかし今大会のメンバーはフットサル専門チームの一期生。守備も攻撃も総合力が高く、グループBでは昨年優勝のブリンカール安城U-15や強豪長岡JYFCを降すなど、フットサルチームらしい高い技巧で初出場初優勝を狙う。 後半に入ると今大会大活躍の3中田の連続ゴールで突き放す 旭川は試合前の中村拓朗監督の「高円宮杯に出られないとわかったときの悔しさからあとひとつで優勝というところまで来られた。オレは来られると思っていたけれどね。全員で力を合わせてサッカーをしてきたことの集大成を見せよう」の言葉に全員が天を突くほどの咆哮で応え、旭川史上最高の闘志を胸にピッチに飛び出していく。イレブンは普段は内に秘めた情熱が顕在化したときの強さを見せ、積極的な試合で序盤から優位に立つと、不運なオウンゴールで前半8分に先制は許すも、同11分に5加藤のゴールで試合を振り出しに戻す(準決勝以降は15分ハーフ)。 パワープレイの東急に対し10横山がハットトリック。東急を粉砕する。 後半に入っても旭川の勢いに陰りは見られない。18分と23分に3中田の自慢の左足がさく裂し3-1とリードを奪うと、たまらず東急はタイムアウトを取る。選んだ作戦はゴレイロ(ゴールキーパー)を攻撃参加させるパワープレイ。それでも旭川は今大会2戦目のエフスリー(北信越・新潟)戦でも経験済み。落ちついた対処で「相手がパワープレーに出てもゾーンで守る」(中村監督)戦術を徹底し、残り時間が気になる東急に圧力をかけると、10横山が相手選手のボールをかっさらい無人のゴールに流し込む鮮やかな「パワープレイ返し」で追加点を挙げる。横山は終了間際の30分にも連続でゴールを挙げパワープレイ返しだけでハットトリックを記録。6-1とスコアが開き残り時間が0を示すと、日本一に立った歓喜を爆発させる旭川イレブンの叫び声がサンアリーナにこだました。 試合後、優勝記念撮影をする旭川イレブン JFA北澤豪理事から表彰状を受ける旭川・菅谷脩人主将。 その賞状 [実った攻撃サッカー、真冬の豊作] 2004年のチーム創設以来初の全国タイトルを手にした旭川イレブン。中村監督も「高円宮杯に出られても優勝を目指すつもりでいた」と語る豊作の中学3年生たちが決勝で記録したシュート数は48。特に外サッカーではDFのはずのレフティ3中田は一人で相手東急の合計18本に肉薄する16本ものシュートの雨を浴びせた。全5試合でゴールを挙げた彼は春からはJ3松本山雅のU-18に進む。逆にシュート6本で3得点を挙げ技を見せた10横山はJ2ベガルタ仙台のアカデミーの門をくぐる。エフスリー戦で貴重な先制ゴールを挙げた2坂本、好プレーを見せた6倉田、主将としてチームをまとめた7菅谷は札幌U-18へ昇格する。1吉田の身体を張った守備を始め、全員が相手の攻撃を跳ね返し、ボールを奪わんと前へ前へとオールコートで連動し圧力をかける。奪ったら躊躇なくシュートで攻撃を終える。中村監督も「サッカーで勝ちました」と胸を張るそのスタイルは札幌トップチームのミハイロ・ペトロヴィッチ監督が標榜する攻撃サッカーそのものだった。旭川での経験と勲章を胸に、他の生徒たちも旭川実業や大谷室蘭などの有力高校サッカー部に場を移し、さらに成長を続け、コンサドーレのサッカーの種を全道へ、あるいは全国へと広げていく。 トーナメントボード。「コンサドーレ」の名がてっぺんに記されている 選手全員に贈られた一番いい色のメダル 「トロフィー見せてくれよ!」「めんどくせぇなぁ(嘘)」 旭川ユースの諸君、本当におめでとう! 北海道代表の優勝としては第1回大会の札幌第一ジュニアユース、3回・9回のユニオンジュニアユース、6回のコンサドーレ札幌U-15、13回、17回のスプレッド・イーグルFC函館に続く6度目の栄冠。 2020年に監督に就任した旭川の中村拓朗氏は札幌U-18の3期生。同期の新居辰基(元札幌ほか)とともにU-15のユニオンジュニアユース時代にチームはこの大会で全国優勝をしているが、「中学2年の年はトレセンの日程と被ってしまって出場はしていないんです。3年の時も準優勝しましたが怪我をして出られなかったんです」と語る。自身のU-18時代も夏のクラブユース選手権で準優勝に終わっているため、教え子が自身を越えていったことになる。しかも遠征メンバー16人全員を出場させ11人もゴールを記録するという、とてつもないレベルの高い采配も見せつけた。 この快挙はコンサドーレファミリーのみならず、道内で切磋琢磨を繰り広げる同世代や、次代を担う子供たちにも刺激となるものだろう。心から祝福と慰労の気持ちを送りたい。選手たちよ、メシは残すな。(ひぐま)
2022年01月10日
【伊勢】三重県伊勢市の三重県営サンアリーナで開催された全日本U-15フットサル選手権大会において、北海道代表として出場している北海道コンサドーレ旭川U-15チーム(以下“旭川”)が初優勝を遂げた。 大会は3戦全勝でグループリーグを突破した旭川が、準決勝で四国代表の松山城北FCを5-0で一蹴すると、決勝戦でも関東代表の東急Sレイエスを相手に6-1と完勝をおさめ優勝を果たした。コンサドーレアカデミーの日本サッカー協会主催試合でのタイトルは札幌U-18による2012年のU-18のJユースカップ、2001年の札幌U-15による全日本U-15フットサルに次いで3度目。旭川ユースとしては創立以来初の全国タイトルとなった。
2022年01月09日
【伊勢】中学生年代のフットサル日本一を決める大会「全日本U-15フットサル選手権」が、8日(土)より三重県伊勢市のサンアリーナで行われている。北海道代表の北海道コンサドーレ旭川U-15(以下“旭川”と呼称)は9日(日)までにグループラウンドの3試合を全勝し、準決勝への進出を決めた。 三重県営サンアリーナ(伊勢市) 本来であれば出場していないはずの大会だった。 北海道コンサドーレ札幌の下部組織にあたる旭川は、他の組織と同様にサッカーの強化の一環としてしかフットサルを捉えていない。過去この大会で準優勝一回、ベスト4に2回進出を記録してはいても、成果を図るのはあくまでサッカー。したがって今回もフットサル専門のクラブとは熱意の面で一線を引いているかと思われた。が、一昨年来のコロナ禍において、北海道地区においても昨年の高円宮杯U-15カブスリーグが規定を満たす試合数を消化できず、公平を期すため前年の2チームに高円宮杯全国大会の出場権が渡った。独走状態で一位を走っていた旭川には残酷すぎる裁定が下されたわけだが、その高円宮杯に出られなかった悔しさをぶつけてやろうと、今大会出場に目標を定め道予選を勝ち抜き、「全国優勝」を明確な目標として伊勢に乗り込んできた。 ベスト4進出を決めた旭川(手前) 8日午前の初戦となるセレソン都城(九州・宮崎)戦の立ち上がりこそ堅さが見られた旭川であったが、1点を奪うとあとはやりたい放題の状態となり7-0で格の違いを見せつける(注・訂正済)。登録された15人全員を起用するという、連戦を見据えた采配を振るうこともできた。 同日午後には二戦目。グループ内の最大の壁とみられていたエフスリーJr.ユース(北信越・新潟)との激突。1-1で折り返した後半早々に2失点し暗雲が立ち込めたが、3中田、5加藤、7菅谷の連続得点で逆転に成功する。エフスリーはゴレイロ(ゴールキーパー)を攻撃に参加させたりなどの陽動作戦を繰り出すが、慌てない旭川は逆に20横山が貴重な追加点を奪い雌雄を決した。 前半5分、7菅谷の2点目が決まる 9日に行われた第三戦。ここまで勝ち点6を獲得していた旭川は勝てばもちろん、引き分けでもベスト4への進出を決められる。相手はヴィットーリアスFC(関東・千葉)。ヴィットーリアスが勝った場合、エフスリーを含め3チームが勝ち点で並ぶことも考えられたが、当該チーム間での得失点差で1点以内で敗れても旭川が1位になることはできた。その試合、開始早々に相手に直接FKを決められ先制を許すも、主将の7菅谷が本領を発揮し逆転すると、さらに2坂本のゴールで突き放しにかかる。しかし点差をつけて勝つしかないヴィットーリアスも猛追を見せ同点に追いつく。息詰まる攻防戦は双方とも決定機をものにできない展開で迎えた終盤、残りわずか4秒。直接FKを3中田が見事に蹴りこんで勝負あり。旭川が3戦全勝で堂々の準決勝進出を決めた。 2坂本が4点目をゲットし、旭川が一時は2点差をつける 準決勝は明日10日(月・祝)。10時50分キックオフ予定で、旭川は四国代表の松山城北FC(愛媛)と対戦する。勝った場合は同日午後の決勝戦で、フットサルの専門メンバーを揃える強豪の関東代表・東急レイエスFCとの対戦が予想される。 旭川の全国初優勝なるか、コンサドーレのアカデミーとしては2度目の栄冠に輝くか、注目である。 終了4秒前。3中田の左足が火を吹く なお北海道第二代表として出場しているSSSはグループAで1勝1敗1分で2位となり、惜しくもベスト4進出は成らなかった。
2021年12月25日
老害です。こんにちは。今年もアドベントカレンダーに参加しています。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 映画に出演しました。いや、無論エキストラだよ。何か? 撮影は昨年の11月、集合は早朝の地元横浜・伊勢佐木町商店街。キャスト、スタッフにまじって一人の子役がいた。小学校の…たぶん3~4年生くらいの男子。サラサラの髪の毛とクリッとした瞳がどことなくエドワード・ファーロング(※1)を思わせる。映画を毎年100本前後劇場でカネ払って見ている僕だからだろうか「はは~ん、この子は物語のキーを握っている子だな」と思わせる。視線といい佇まいといい印象に残る子だった。 それから1年。タイトル「誰かの花」は、地元映画館「ジャックアンドベティ」の開館30周年記念作品として完成した。東京国際映画祭の「アジアの未来」部門にも選出され、全国公開は来年の1月末の予定。オレは試写会含めまだ4回しか公開されていない段階で3回も見た(本当)。若手監督が撮るミニシアター向け映画としては及第点以上の素晴らしい出来で、個熊的には来年の年間ベストテンに入れてもいいと思う。興味をお持ちの方は是非ご覧いただきたい(って、現段階では北海道での上映は未定なのだが)。 「誰かの花」 http://g-film.net/somebody/ 「太田琉星くん」 https://ta-production.jp/talent/detail/?code=50173b9010b37ace0a0fdaa4990abdcb その子役=太田琉星(るせ)くんの話から始めたい。 彼を起用した理由について試写会の際に奥田裕介監督(35歳)に尋ねてみる。「オーディションで決めました。課題として『自分の好きなものを“好き”という言葉を使わずに表現してください』とお願いしたところ、大抵の子は『欲しい欲しい』とか『お願い!買って』などという、いかにも子供らしいお芝居だったんです。でも琉星くんだけは『別に。嫌いじゃないし』という演技をしたのです。それで、彼に決めました」。話を聞いて電気が走った。仮に自分が監督であってもその子を選ぶ。果たして彼は本番では周囲のスタッフも納得の演技をし、作品の重要なピースを担うことになったのである。 このコラムはコンサドーレについてのコラムである。筆者のひぐまさんはアカデミーチームのサポーターである(トップチームは興味がない←えっ?)。いきなり映画の話でスタートした理由は、俳優さんの世界であってもサッカー選手のそれであっても「特殊技能でプロになる人間は、その技能の上手下手で評価されるものではない」ということを言いたかったからである。もっとバサッと言い切ってしまえば、 「プロというのは、上手い人がなるものじゃない」 無論、上手いのは当然の当たり前だ。言いたいのは芸能であれサッカーであれ同じで、特殊技能でより高い世界にいこうとする者は「上手い」だけでは不十分。「他の何か」で違いを見せつけなければ生き残ってはいけないということだ。「他と比較にならないくらい超めっちゃくちゃに上手くて欠点すらカバーできる」なら話は別だけどね。メッシみたいに。 そういう「上手い」が突出した選手を、過去の僕らは「変態」と呼んできた。誉め言葉だよ。為念。 歴代札幌U-18OB→主にプロで活躍した者たちのユニフォームが並ぶ。 札幌U-18は…いや、「北海道のチームは」とざっくり言い換えてもいいかもしれない、かつては変態を量産してきた。冬が長く「外サッカー」ができる期間が短く屋内ピッチも足りないため、練習のシーンも限られる。ゆえに局地戦での技術に磨きをかける選手を育てることに念頭を置いてきた…そもそも「外サッカー」などという単語が定着していること自体が、内地から見るとおかしい話かもしれないが。ともかく札幌がJに参戦して四半世紀。S木T樹さん(引退・現トップ強化部)、西大伍、古田寛幸(引退)、神田夢実…。極度の変態だけではなく普通クラスの変態も数多い。そんな選手たちの中でも長い期間プロの世界で生き残っている選手は単純に「上手い」選手ではない。つまり「変態」であるだけでは生き残ってはいけない。 札幌アカデミーの指導者たちも指導のプロだ。そんなことはとっくに気がついている。彼らは足りないピースの答えを一応「フィジカル」に置いているように思う。一方で僕の答えは…現状答えとしてまとまってはいないが、少なくとも「フィジカルをつけた変態では不十分」と考えている。 あえて言葉にして絞り出すのならそれは「経験」であり、「経験を想像する力」ではないかと考えている。これでも足りてはいない考えだろうけれど、まぁここから先の主題として聞いてほしい。 人は経験からしか物事を学べない。では物理的理由で、そのほかの理由で、経験が積めない少年たちはどうなるのだろう。 プレミアリーグ・プレーオフの第一戦、阪南大学高校戦はそんな試合だったと思う。技術では勝っていても、阪南大高は経験による試合の運び方、局地戦での身体の使い方で優位に試合を進め、札幌U-18は相手のやり方に慣れてきた後半終わり頃になってようやく1点を返したのみだった。 札幌は道外の強豪と夏以降は真剣勝負の機会がなかった。道内の公式戦も2カ月前に終わっていた。阪南大は高校選手権予選を終えたばかりだった。だからと言って「札幌は経験が足りなかった」で済ませるのはどうなのか。むしろ「経験を想像する力」が乏しかったから…と見てはどうだろうか? プレーオフについてまともな詳しい話はくろかわさん家でも覗いてほしい。ためになります。 くろかわひろとさん「note:北海道コンサドーレ札幌U-18 〝2021最後の戦い〟を振り返る」 https://note.com/harukuro/n/nf14d17044173 ※写真提供=あきっくさん(@akikconsa) 少し昔話。もう15年くらいの前、Jヴィレッジでの夏のクラセン(※2)U-15での出来事。コンサドーレのトップチームの選手だった人が、今は札幌以外のクラブに指導者で転じている。その練習を覗かせてもらった。引退して数年しかたっていない若々しい姿(当時・笑)のコーチの隣りで、溌溂とピッチを駆ける子供たちの姿を見ていた。ごく普通の中学年代サッカーチームの練習だった。 ややピッチから離れた光景に目が止まる。日陰の芝の上。選手たちのバックパック(背負い式のバッグ)がズラリ。選手分だけおよそ20個、まるで定規で測ったかのようにきれ~いに並べられていた。夏の大会らしく各々のスクイーズボトルや、脱いだアップシューズ、タオル類や着替えもきちんと畳まれてバッグの前に鎮座していた。一見して誰のものであるかがわかる。すぐに必要なものとそれ以外のものもわかる。長年あちこちユースチームを見ていて挨拶など規律正しいチームはそれなりに接してきたが、ここまで見事に整理整頓が現場で測られているクラブは初めてだった。写真に撮っておけば良かったとすら思っている。 「いいですね、あれ」と、件のコーチに声をかける。「え?ああ、あれですね。いや、別に僕ら(監督・コーチ)がやれと言ったわけじゃないんですよ」「自分で気が付いた子がいるということですね。すばらしいですね。この先、後輩たちも先輩たちの真似をして続けていくといいですね」「要するに『自分たちのことは自分たちできちんとできるぞ』ということなんですよ。そりゃできないこともあるだろうけれど、一言注意してあげればサッと直せるよと、形で示してくれていると受け止めています」「いい選手たちに恵まれましたね」「そう言って気が付いていただけるとすごくうれしいです」 これが、ひとつの例だ。文字にすると恥ずかしくなるくらい当たり前の話だ。最初の選手は自身の経験から始めたことなのだろうか?コーチなど周囲から言われて始めたのでないとすると、恐らくは「これをやればチームとして団結する」「大人たちからもしっかりとしたチームだと認めてもらえる」という想像力を持っていたのではなかろうか。以降およそ15年。このクラブは複数人のプロ選手を生んでいる。 先の映画の話もそうだ。「誰かの花」先行公開の初日。琉星くんに聞いてみた。「別に、嫌いじゃないし」というオーディションの演技を誰かからレッスンされたの?…と。そういうわけではなかったらしい。やはり「想像する力」があったのだろう。その力はスクリーンにも満ちていた。奥田監督も認めている。彼はすごい子ですよ、と。 さて、札幌ユースの話。もう18歳。でもまだ18歳。足りないものが多数あるのは当たり前。それでもこれまで自分たちは、気づいた範囲内で努力はしてきた。だからいいことを教えてあげよう。世の中というものは普通に努力をしてきた人には普通の幸を平等に分け与えるようにできているものだ。 札幌U-18は今年夏のクラセンで準優勝に輝いた。そのお陰で今年の3年生は直接プロに進む子はいないものの、進学(予定を含む)先には名前の通った大学がズラリと並んだ。すべての進路が固まったわけではないため公表は避けるが、インカレ優勝経験がある名門大学に進学する子も数多い。中には推薦で早稲田大に進む子もいる。札幌ユースからア式の門を叩く子がいるというのはびっくりと同時に喜ばしい。外池よろしく頼む。 一人だけ例を挙げるとあの「稚内のFW」(※3)は大阪体育大学に進む。それも通常のスポーツ推薦ではなくオリンピック選手級の特待生らしい。中学3年の春に稚内を出て札幌の寮に入り、順調すぎる夏を過ごしスポーツ新聞にも取り上げられサポーターの間でも「末は札幌のエース!」と期待が膨らんだ。と、思ったら胆振東部地震でメニコンカップ(※4)への出場を泣く泣く辞退。U-18に昇格して1年坊主ながらレギュラーを掴む。途端に怪我をしてクラセンを休み。2年で本格化すると思ったらコロナで対外試合が軒並み中止となる。最後の夏には大活躍しチームを全国2位に押し上げたが、惜しくもプロ入りはならずという、ジェットコースターのような4年間を送った。「すごく悔しかったけれど…いまプロに行っても何もできないと思うから」と気持ちを切り替え最北の地から河内弁の本拠に挑む。よう来よったのぉワレェ。大学言うのんは遠回りちゃうで。 …ちなみにちなみに、一学年上の札幌U-18の10番だった木戸柊摩は関西学生サッカー連盟の新人王に輝いている。 ※上記3点写真提供=あきっくさん(@akikconsa) クラセンで全国準優勝したのは確かだ。プレミアリーグ昇格争いで敗れたのも確かだ。高校→プロ入り争いで後輩に負けたのも事実だ(※5)。 顛末として大学へ進む。大学に進む未来って何のためにあるのか?「青春リベンジ」。つまりはより高い意識を持ってユース年代では得られなかった経験を積むチャンスを手にしたことにある。子供である高校生の立場から、より社会人に近い位置に視野を変え、今までとはレベチな責任感を担い、それでも学生であるという逃げ道は4年間残されている。今年の3年生は高校では対外試合などで積み重ねる経験値を重ねることはできなかった。足りないものを大学生活の中で見つけて身に着けて、それで札幌に戻って来るもよし、他のクラブの門をくぐるもよし。 他のクラブと同様に札幌でも成功例も生まれている。ニッコニッコニーと笑いながら試合になると超えげつないプレーをするサイコパスが入ってきているwww。 サイコパスくん。これは筑波大に進学してすぐに撮ったもの。 この先も順調に進むとは限らない。怪我もあるだろう。天変地異もあるかもしれない。いくら努力をしようともサッカー選手として君の未来が保証されるわけじゃない。それでも今後の4年間、サッカーの世界で信じた道を突き進むことができたならば、たとえサッカー以外の世界に棲む日が来ても、君は決して不幸に見舞われることはない。 この話はプロサッカー選手に限らず、特殊技能を売りにする人、しようとする人全員に言える。全員がそれぞれの道でプロになれるわけではない。プロになれたのならそれまでとは違った「想像する力」を発揮して、世の中を前へ前へと進める推進力になってもらいたい。 老害の、棺桶に両手両足を突っ込んで納棺を待っているひぐまさんは、それを願ってやまない。いや、まだ死なないけどさ(^^;; 了 【注釈】 (※1=エドワード・ファーロング)主に1990年代に活躍したアメリカの子役。デビュー作は「ターミネーター2」。その後大人に成長するにつれてアル中で身を持ち崩す。 (※2=クラセン)「日本クラブユース選手権」の通称。中学生年代のU-15と高校生年代のU-18があり、学校の部活動に該当しないクラブ形態による日本一決定戦。主催は公益財団法人日本サッカー協会と一般財団法人日本クラブユースサッカー連盟。 (※3=稚内のFW)佐藤陽成のことである。もっともU-18では右ハーフで起用される機会も多かった。正直に言って札幌がJ2ならば直接上がったのではないかと思える力はある。 (※=4メニコンカップ)毎年9月にニャゴヤで開催されるクラセンU-15で活躍した選手による、言わば東西対抗オールスター戦。過去には阿部勇樹、宇佐美貴史、齋藤学、堂安律など大成した選手の名がズラリと並ぶ。来季昇格する横浜Fマリノスの山根陸のパスから陽成がゴールを決める夢を何度も見た。あの中盤なら陽成は何点でも決めMVPになったはず…と、今も妄想している。 (※5=後輩に負けた)こんな書き方をしたが勝ったのは西野奨太のことである。彼は現在高校2年生だがすでにプロ契約をした選手なので保有権はトップチームにあり、U-18は彼を借りるという立場になる。しかし来年いっぱいまでU-18であることも確かなため、ユースチームでの活動が全面的に禁じられるというわけではない。
2021年11月16日
昨日、京王プラザホテル札幌にて故・石水勲氏(肩書きは多いので省く)の「お別れの会」が催されました。 15時少し前に降り出した雨の中、会場に着くと人、人、人。一度地下一階に降りていただいて、そこから会場の2階まで上がるという動線。コロナ禍ですからそこまでしないといけないのでしょうね。そんな中で、懐かしいサポーター仲間や古くからの知り合いにも多く顔を合わせることができました。 (この写真は午前中に撮影) 祭壇は左に菊の花で作られた白い恋人、右にたぶん利尻富士。中央の勲さんの遺影の下のメッセージには「あとは頼んだぞ」。笑顔が好きな勲さんのお別れの日だから泣くのは絶対にやめようと思っていたにもかかわらず、ちょっとグッと来てしまいましたね。 献花を終えると現社長の創くんに挨拶のため、また長い列を待ちます。その間参列者を退屈させないように、生前の勲さんの写真やゆかりの品々がたくさん展示されていました。流されていたBGMは「西部警察」で「共演」した石原裕次郎の「わが人生に悔いなし」。ビデオ画像はTV出演した時のもので、サポーターの姿もたくさん映り込んでいました。石屋の広報さんの話によると、この僕も出ているシーンがあったとか。知らなかった(^^;; いつの日かコンサドーレ博物館ができたななら、石水さんのコーナーも必ず作ってほしい。充分作れる質・量があるもの。 (関東後援会が寄贈した寄せ書きフラッグ) さて。事前告知にて「香典もお花もいらないよ、手ぶらで来て。平服でいいよ、食事も出せませんよ」と、本当にお別れをするだけの…形式だけを言えば簡素な会となっておりました。だからおみやげをいただけるとは思っていなかった。「白い恋人」18枚入り。どうせ今回はたっくさん購入して横浜に帰る予定でしたから、いただいた分はその日のうちに食べてしまおうと封を切ると、 えっ?やるなぁ石屋製菓。「2021年9月26日製造」の白い恋人を僕らに贈ってくれました。 考えてみれば勲さんは「製造年月日」をめぐる不祥事で社長を退き、数少なかったかもしれない人生の悔いを作ってしまったわけでした。死して四十九日も過ぎて、その事件に関してのアンサーをここで出してくれたわけです。すっげぇなぁ。 いつ食べてもおいしい、不思議な味わいの白い恋人。これからもずっと封を切るたびに勲さんの笑顔を思い出し、僕らも満面の笑みで口元に運ぶことになるでしょう。 さようなら、そして、ありがとう僕らの私たちの父・石水勲さん。
2021年11月04日
昨日のことであるが、JFLのいわきFCのJ3リーグへの来期加入が内定した。 どこかで見たような(?)文言の横断幕が広がる 記念Tシャツを着て記念撮影 現在のJFL参入2年目の今季、HONDA FCと優勝争いを演じているいわきは東京武蔵野FCとの試合で3-1と快勝し、最終順位4位以上が確定した。Jリーグ百年構想クラブの中でも最上位に付けているため、今月25日のJリーグ理事会での承認を経て、正式にJ3への新規加入となる見込みだ。それどころかいわきの現在は勝ち点で首位HONDAに並び得失点差で2位に付けている。奇数の17チームで争われるリーグ戦は次々節にHONDAの試合が組まれていないため、現在1試合消化が少ないいわきのJFL優勝も十分にあるかもしれない。 決まった場所がいい。Jヴィレッジスタジアム。ほんの数年前まで福島第一原発事故終息に向けての作業員宿舎が並んでいた場所がピッチだ。ここで2年前には東北社会人リーグから地域リーグ決勝大会(注/正式な呼び名が違うことはわかっていますがここはこれで通します)を経てJFLへの入会を果たし、今回もまた次のステップであるJ3への加入も内定させた。ここまでクラブを成長させてきた大倉社長や田村監督をはじめ、支え続けてきた地域の皆さんの様々な苦労と努力には心から敬意を表したい。そして…クラブの運命と言えばそれまでなのだが、毎年のように入れ替わる選手たちも良く結果を残したと思う。ヒストリー・ロールの中にはコンサドーレの下部組織を卒団して身を投じた選手も2人存在する。 2年前の地域リーグ決勝大会レポートはこちら その2度とも現地でナマで見られてよかったよ。 観衆は2,013人+熊一頭 詰めかけたプレス 現地で編集・印刷され即配られた号外。福島民報はスポンサーでもある。 なお「J3に昇格」と言うのは絶対的な間違いである。日本サッカー協会(JFA)が掲出しているピラミッド図はあくまで便宜的なものであり、JFLとはJリーグの下部組織ではありえないので念のため。
2021年11月02日
本日の道新に掲載されているようですが、石水勲さんのお別れの会のお知らせです。 11月15日(月) 15:00~17:00 京王プラザホテル札幌 「平服でお越しください」「ご香料、ご供花、ご供物はご辞退します」 と、書かれておりますが、サポーターはレプリカ姿でもいいのではないでしょうか。