2022年04月26日
高知県が生んだ3偉人の像。JR高知駅前。 雪の道東から 3週間前は氷点下の釧路にいた。 これから汽車が運休するらしい。理由はその7か月前と同様。「天気が荒れる」。実際に悪天候になるか悪天候が過ぎて災害が発生するかは別として、それが予想される場合は最初から汽車を止めてしまう。こんな手段をJR北海道は憶えた。 おかげで念願の東のはずれ納沙布岬来訪はまたも幻と消えた。8月のときは「風雨が強くなる」。3月の今回は「吹雪になる」。ちっ。やむを得ず釧網本線が動いているうちに雪の釧路から豪雪の網走に着く。途中シカが線路の上で酒盛りで歓迎してくれたみたいだ。いや、線路の上はヤメロ。 向かった先は現住所は北見市内。しかし網走から向かうほうがはるかに近い雪の常呂町。あの銀メダリストたちが来ることで有名になったお寿司屋。おかみさん(超美人!)も「こんなに雪が降った試しはない」というほどの3月の爆雪。たった200m先の常呂町交通ターミナルに着くまでにガチンコのブリザードの中を歩く。冗談じゃなく目の前は白以外の色を失う。…ただしここは南極ではない。10分ほどで吹雪は収まる。それでも裾の長いダウンコートを着ていて助かったと思う。温かいのヨこれ。そのおかげで「それってサッカーの監督さんとかがよく着ていますよね?」と自身の身分が半分くらいバレた(笑)。そうだ。道東でこんな格好をしている人は見かけない。オレは監督ではないが取材者ではあったからね。 3月21日、春分の日なのに道東はコレである なお某「ちび部」の選手がほんの30分前に本当に来ていたらしい。いや選手に会いたかったら「あの人」に頼むから別にいいんだけれどさ(^^;; ヤシが育つ高知 長い長いイントロ。ここから話は本筋。 4月。ここは南国。四国は土佐の高知。はりまや橋。がっかり。 つくづく小さな日本列島という土地が実のところ広大と思い知らされる。当然の当たり前にここに雪なんかない。あるのはヤシの木。ヤシだよ椰子。見たことがあるか道民。高知県中に50,000人はいるに違いない坂本龍馬大先生に「よう来ちゅうぜよ」と来県をねぎらわれ懐のハジキにおののきながら、空港建屋を出て真っ先に目に入るのが南国の植物・ヤシ。何かふざけているとしか思えない。 そう思っていたら土佐くろしお鉄道のごめん・なはり線の高架から見おろす光景にぐらっとする。水が張られた田んぼ。規律正しくフラット3の延長のように刺さっている苗代。おかしい。確かにあれから3週間しかたっていないはずなのに「あれ?今は6月だっけ?」と、枯れかかったクマの脳みそを震わせる。小学生熊のころから地理だけは得意だった。そうよ。アレは二期作もしくは早場米。稲は成長が速い。グングン茎が伸びて伸びすぎて、夏の本格的な暑さの前にゴメンナサイとこうべを垂れる。バッサリと刈られて精米されて、まだ新米にありつけず昨年までの古米でガマンするのですよウチは貧乏だからという時期に、食卓にパンパカパーンと昇る。ありがたや新米。秋になったらあきたこまちの新米を食べるぞと、大館で秋田犬と東急電鉄5000系青ガエルに誓っている。それまでのつなぎ。貴重な新米となるわけだろう。ごめんオレはゆめぴりか教ではない(^^;; 高知の空は青い。花粉なのかPM2.5なのか余計なものが舞っているらしく若干の霞も認められる。が、ともかく青く、どこまでも広い。くしゃみをしながら鼻水をすすりながらサクラの木の下を歩く。満開。色が濃いからソメイヨシノではない。たぶんヤエザクラ系の品種なのだろう。15年くらい昔まで独立した自治体だった高知市内南西部、山の中腹の運動公園。競技場のある運動公園まではほとんど人と会うことなく、当然マスクをすることもなく。どこにいるのか高知県民と思っていたらここにいた。 高知県立春野陸上競技場 「厚別」の春 高知県立春野陸上競技場。 今から20年も昔。札幌ドーム開場前の春先にコンサドーレ札幌(以下“札幌”)が主催試合を開催した競技場だ。それからご無沙汰20年ぶり。一緒に訪れた友人夫婦の奥さんのお腹も小さかった。そこから飛び出た娘が今年成人(18歳)を迎えた。それくらいの年月だ。 競技場正面の広場。キッチンカーの間をのっしのっしと歩く。高知県民は熊を恐れない。土佐名物の龍馬焼きに鶏のから揚げ、わらび餅、肉巻きのおにぎりやフランクフルト。さらには22℃という最高気温予想に後押しされてかき氷のコーナーまである。わらわらとそれらを囲むように赤と緑のホームチームのレプリカユニフォームに身を包んでいる人々がいる。ほぼ高知県民。と、ごく一部にようこそ静岡県民。アップテンポのBGM、スタジアムDJのアゲアゲの口上。陸上競技場であるせいもあるだろう。こう思ってしまったのだ 「ああ…厚別だ」 横浜市熊として初めて訪れたモノホンの厚別は1997年5月25日。“あの”川崎フロンターレ戦だった。春野でこれから行われる試合も…正確に言えば体裁は変わってるが略称は同じ「JFL」。2022年の第5節。高知ユナイテッドSC対HONDA FC。高知ユナイテッド(以下“高知U”)のファーストユニフォームは赤と緑。似ている。あの日見たコンサドーレを連想させる。 アウェイチームであるHONDAは過去23回の現行JFLのうち9回の優勝、5回の2位と圧倒的な強さを誇る「Jへの門番」。対する高知はJFL加入3シーズンめ。今期ここまでの4戦は堂々の無敗!…と、言っても1勝3分、勝ち点は6。なんだどこか北の方にある元JFLのクラブと大して変わら(略)。しかしながら高知は2年前の初対戦で都田でHONDAを倒している。ちなみにその試合でHONDAの6番をつけたセンターバックが期限付き移籍中だったとーやくん。現地まで見に行ったんだよわざわざ(本当)。“最寄り”の常葉大学前駅から2.3kmある上に途中は登り坂。きょうも路線バスの終点JAはるのから2.3km最後は登り坂。ずるうない道を歩いたよ当然。JFLは熊殺し(-_-;; それにしてもどこをどう見ても空気は厚別。あまりにも似ている。それは高知Uというクラブが、札幌を模倣しているからにほかならない。 詳細はこちらをご一読いただきたい。 https://www.consadole.net/higuma/article/433 札幌だって運営の仕掛けもサポーターの応援スタイルも既存のJクラブのモノマネから始まった。今後、高知Uもさらなる発展をしていく上では模倣からオリジナリティを発出させていく必要もあるだろう。現在は模索中の段階。先述の通りチームカラーは赤緑だが、少しだけ先駆者側にいるオレの目に映る高知Uはイメージとしては無垢。これからどの色にも染まっていく。 「あの日の厚別」よりだいぶ観衆は少ない。数字はケタ2つも低い。この件の詳細は後に譲るとして、試合を楽しもう。メインスタンドの上方。高知Uのジャージを身に纏った少年たち、つまりU-15チームと思われる面々の中に割って入りピッチに目を向ける。 キックオフ。好天の13時。 熱量は伝わってきた。確かに途中までは高知Uが押していた。逆にHONDAには昔日の輝きは感じられない。高知U攻撃陣に幾つもの決定機を許す。クロスバーに当たるシュートもあった。特に高知Uの左サイドからのクロスを防げず再三突破を見ることになる。よく聞く表現だがサッカー競技に採点があったならば、グンジさんは10-9で高知Uの勝利としただろう。完全ホームである「厚別」のスタンドは、無論おらが街のチームを応援している。声を出してはいけないはずなのに高知Uの好機のたびに小さな歓声は上がり、ゴールが生まれたならば立ち上がって大声で叫んじゃるというムードになってくる。 現実は甘くなかった。0-0で進んだ78分にHONDAの連続攻撃を浴びると高知Uのクリアが小さくなり、7松本に拾われ逆サイドのゴールネットに流し込まれる。聞こえたのはため息。高知Uイレブンの膝がガクッと折れる気配が感じられた。87分にはGKの1タンドゥ・べラフィがこれまたクリアボールを相手に渡してしまい2点目を失う。ラスボス門番の底力。 確かにJ1に比べてJFLは大雑把なサッカーをする。が、それがつまらないというわけではない。十二分に面白い試合だった。面白い試合を見せて、結果は高知Uの今期初黒星。0-2。 高知Uに在籍しているDF21深井祐希は札幌のMF8深井一希の弟。札幌ユースU-15出身。この日はベンチメンバーで出番はなかったが、元気な姿は見られた。 そんな祐希くんにあえて声はかけず(コロナ禍でもあるし)、またオーナーさんである宮地貴嗣さんも主催試合であるゆえ何かとお忙しい。ほんの挨拶だけで済ませ、競技場を出て高知Uのタオルマフラーを首から下げたまま競技場の西側にある球技場に後ろ足を向ける。時間は15時。 深井祐希くん。札幌の深井一希の弟。札幌U-15出身 和弥と康介 「芝生って稲と同じ種類の植物だった」と、妙なことを思い出した。のっしのっしと陸上競技場から3分も歩かない場所にある球技場に着いた時だ。ピッチを隔てる金網越しに見えるピッチはこちらも競技場と同じく天然芝。決して冗談ではなく緑の絨毯が敷かれてるかのように見えた。一見して野芝ではないとわかる。南国であるがゆえブルーグラスではないだろう。恐らくティフトン系の芝。それにしても見事すぎる芝の生育状況だ。 そんな芝の上でボールを追っているサッカー選手たちがいる。中でもひときわ大きい細身の背番号29。最終ラインに陣取る赤いユニフォームの彼と会うために、ひぐまさんは高知までやって来た。 中山和弥くん。29歳。 彼は2年前まで高知Uの一員だった。札幌ユースU-15から18と赤黒のユニフォームに袖を通した。三上陽輔(現・J2秋田)や松原修平(現・札幌←えっ?)と同期。卒団後は仙台大学を経てJ3のYSCC横浜に加入。以後栃木ウーヴァ(現・栃木シティFC)、ブランデュー弘前と渡り歩いて高知にやって来た。2019年には高知UをJFLに昇格させるミッションを完遂し、翌2020年限りでスパイクを壁にかけた。 …はずだった(笑)。今年急に「選手復帰しました」と連絡が入る。四国サッカーリーグのKUFC南国の一員としてピッチに戻ってきたのだ。 四国リーグはJFLよりひとつ下の地域リーグ。つまり勝ち上がればまた地域リーグ決勝大会(注/何度も書くがオレはこの呼称で通します)に望める。地方によってチームによって熱量が違いすぎるくらいの混沌としたリーグではあるが、共通しているのは選手たちは「仕事」としてサッカーをやっているわけではないという点。好むと好まざるとにかかわらず他に仕事を持ちながら、心の底からサッカーが好きな選手たちが集まっている。 球技場の観客席はメインスタンドのみ。それもかなり小さい。きょうの試合は地域リーグ的には「スタンド」があるだけマシだよ。河川敷、原っぱ、土の競技場…。初めてボールを蹴った幼い記憶を毎回呼び起こさせる環境でサバイバルが行われる。無料観戦の観客も家族や友人・知人がほとんど。身近な人たちの理解と支援を受けて、彼らはボールを追っている。 先刻の高知Uの試合より遅れ13時30分キックオフだった試合は15分ほどで終わった。両チーム整列を終えた和弥くんはスタンドを見上げ、「パパー!パパー!」と叫ぶ小学2年の息子さんの次にひぐまさんの姿に気づき、笑顔で手を振ってスタンド下に消える。…え?…どっちが勝ったのかもわからない(笑・本当)。球技場にはスコアボードがない。一緒に観戦した和弥くんの奥様も「え?4-1…で勝ったんじゃないですか?」と言う。暫時あって姿を見せた和弥くん自身は「サッカー辞めたら急にヒマになっちゃって」と苦笑しつつ復帰した理由を語ってくれた後、「んと…勝ちましたね。確か2-1」と言う。 後日確認した公式記録によるとこの日のKUFC高知はFC柳町を相手に「3-1」で勝利していたwww。 中山和弥くん(CB29) 試合が終わったスタンドで思い出話に花を咲かせる。長男くんにとってパパは英雄だ。長女さんが生まれたのは2年半昔の地域リーグ決勝大会の最中だった。ゴールを決めてゆりかごダンスを踊った。そんな話をした。大学時代の仙台で知り合って結婚した奥様と1男1女に囲まれて、和弥くんは高知で落ち着いた生活を送っている。 「あれ?康介…来ているはずですけれどね?」 そうだ。もう一人会う予定の人物がいたんだ。彼もまた春野運動公園の中にいるらしい。和弥くんが携帯電話で呼び出すと上下黒いジャージで固めたイカしたにーちゃんが姿を見せる。 菅原康介くん。29歳。 彼もまた札幌ユースで和弥くんや三上、松原らと同期。卒団後は札幌大学から当時産声を上げたばかりのいわきFCの一員となった。2016年限りで若くして現役を引退した康介くんは、そのままいわきのU-15チームの初代の監督に就任した。どこかのコンサドーレがいわきFCに天皇杯でこてんぱんに走り負ける半年くらい前の話だ。なのにどこかのコンサドーレが天皇杯でいわきにこてんぱんに走り負けてガックリの頃にはクラブを去ってしまっていた。どこかのコンサドーレをこてんぱんにしたチームの下部組織の監督に会いに行こうと考えていたのに、結局会えたのはどこかのコ(略)の一年後、東北社会人リーグのブランデュー弘前のホームゲーム。現役に戻っていたのだ。駅の目の前、弘前市運動公園陸上競技場。康介くんの隣にいたのが和弥だった。 しかしながら痛めていたひざの状態が思わしくなく、その年限りでサッカー選手としては完結することとなった。その後しばらくは弘前に居を構えていたのだが、先に高知に発った和弥くんを追って四国の土を踏む。 南国高知の地で2人が取り組んでいる仕事が興味をそそられた。後半は彼らが高知にコンサドーレ・スピリッツを根付かせるべく取り組んでいる仕事について語っていきたい。 左・中山和弥くん、右・菅原康介くん (たぶん来週掲載)
おぢさん
Re:コンサの種の育て方~南国高知から
2022-04-26 15:27
ここで解説ちび部とはロココのあの小さい身体で異常なスイープを重ねる世界からクレージースイーパーと呼ばれているあの選手ですジャンプのあの美人選手もメンバーだそうです