20年ぶりの記憶(U-18)

2021年08月03日

 北海道コンサドーレ札幌U-18(以下“札幌”)が、夏のユースの公式戦である「日本クラブユース選手権U-18」で決勝戦に進出しました。グンマーらしからぬ異常に涼しい気候に助けられ本人たちの頑張りと、指導したコーチ陣の皆さん、父母の皆さん、選手らを支えた多くのサポーターのお陰であります。皆さんご寄付をいただきありがとうございましたという話は別のブログで。

 この大会での決勝戦進出は2001年以来20年ぶり。当時はテレビ放送なんかありませんでしたから、ビョーキの我々は現地に行くしかなかった。…と、言うのはちょっと違う。実は前年まで中継があったんですよ。しかも地上波(本当)。たぶん全国放送ではなかったと思うけれど。とにかくその年は中継がなかったからオレ的に隣町のJ村スタジアムまで行った。スタジアムはJ村本体の南側。この時に初めて後ろ足を踏み入れた。隣町のくせに。
 陣取るのはバックスタンド。の、左側。出入り口に近いほう。右に見る相手のFC東京(以下“F東”)の観客席はベンチ外やU-15の選手たちが中心で、応援をリード(?)していたのは、なんと当時フロントの社員さんだったOさんwww。
 人数では負けていた札幌側だが、応援のタイコが4台もあったwww。記憶が確かなら…宮岸部のKさんに、わざわざ札幌からNさん…それと…たぶん東京のSさんと…あと誰だっけ?忘れたwww。いや確かに4つあったよ。いつもはひとつで充分なのにね(^^;;。

 決勝戦は正真正銘の「adidasカップ」。お互いサプライヤーがダスでしたから。試合前に当然やりましたよ。大きな声で。

 「adidas Japan!」(^^;;

 F東のサポ連中も煽って一緒にやりましたよwww。 向こう側、本部席の関係者が笑っているのがはっきり見えましたよ。んで、コールが終わったとたんの最高のタイミングでFIFA ANTHEM。
 そうして試合が始まって終わって札幌は準優勝。いま現在はサッカースクールを立ち上げて、あの近藤祐介と一緒に子供たちを指導している馬場憂太の2ゴールでF東の初優勝。いい奴だったんだよ彼。後年トップに昇格してサテ戦で宮の沢を訪れた際にちょっと取材をさせてもらった。現役時代は怪我に苦しんだ。
 いま思い出しても双方いい選手たちが揃っていた。札幌のエースがあんにゃろだったのは知られているが、他にも相川雄介と中村拓朗はともに現在はアカデミーの指導者。たくろうは旭川U-15の監督として帯広でのクラセンU-15に挑む。控えのエビちゃんは札幌のトップに昇格した。S木T樹さんらは一年生。S木さんは現在全国の学生たちを見て回りツバをつけて人さらいを商売にしているらしい(推定)。F東も尾亦がいいサイドバックだったんだよな。驚きは1年生で出番はなかったんだけれど李忠成がいたこと。後に刈谷で活躍した来栖がいたこと。オーバーエイジで20番の選手が混じっていたこと…え?あれオヤジだろ?

 ついでに言えば札幌が準々決勝で間違って勝ってしまった清水に日高拓磨がいた。彼はよほどショックだったのかその後の順位決定戦で自らゴールしたにもかかわらず記憶がないらしい(本人・談)。ああそういえば今年も優勝候補だった清水と準々決勝で対戦し、2-1でまんまと勝っていたな。イタリアだったな。
 その前に。今年は初戦の福岡相手に6-0で大勝したのが大きかったと思う。2001年も富山の街クラブを相手に11-1というフルボッコの試合をやらかして波に乗った。あの、ユース親分こと Aきっくさんが初めて札幌のユースを観戦したのがこの試合である。Cさんに至っては腹を抱え鼻血を出して転げまわって笑っていた。そんな試合を最初にすると波に乗るものだ。グループラウンド3戦めで当時の年代別日本代表の六車拓也を擁する京都に0-3から追いついた。3点差は危険なスコア(推定)。六車は現在セレッソ大阪西U-15の監督。彼らも今年帯広に来る。てめぇらあっこさんの寮メシを毎日食っているのだろう羨ま(略。ちなみにU-12の監督は鳥居塚。

 どーでもいい老害の思い出話が長くなったので、今年の話は別のところに書きます。

 最後に監督の森下仁之さん。いやいや、モリゲさんの方じゃなく。読みは同じなんだが。昨年札幌のアカデミーに帰ってきた。アビスパに行ったり金沢のトップの監督やったりよりによってJ2の最終節でどこかと談合?って感じの試合やらかしたり、ギラの監督で九州に戻ったり。で、13年ぶりに北の凍てついた大地を踏んだ途端に例の流行り病のせいで試合も練習もできなくなった。お陰で髪の毛の白い部分も一層白くなった。が、実はこの人、2年目に花を咲かせる人なのである。先の札幌U-15監督時代、前年はコーチで指導2年目となった2002年。高円宮杯で準優勝を遂げているのである。エースFWがハーフナー・マイク(現FC Bombonera)、アタッキングMFが西大伍(現・J1浦和)だった。
 単純にそういう理由で、今年もやってくれるはずだ。

 実は…どこにも書かれていないことだが…プロの取材陣も書いていないことだが…今年の札幌U-18の快進撃を支えた要素をひとつ知っている。それは大会が終わってから書くことにする。結果にかかわらず、だ。
 とにかく、ひと大会で最大数の真剣勝負ができるんだ。勝敗なんかどうだって構わない。ただサッカー選手として、あるいはひとりの人間として、経験値を高めろ。

 と、いう、いかにも老害が書きそうな〆で、とりあえず終わります。オレも明日、現地には行かない。△山で取材申請しようと思ったけれど、やめとく(^^;;; 今年の目標はここじゃないし。

 我々はおだったらいかんよ。絶対に。


post by higuma

16:45

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