勝ち点1の重みは1千万円? 最終戦を考える

2016年11月23日

この1年ほど雑文を書くのを休んでいましたが優勝も決まったことなので少しお邪魔します。

フクアリでの「奇跡」を現地で目の当たりにして迎えた最終節。
心配し始めるとネガティヴの螺旋に嵌ってしまう性格が災いして落ち着かない日々を過ごし、当日はスカパーで観戦しました。
得点はどうでもいいから失点だけは避けてくれという、これもまたネガティヴな想いでの観戦でしたけど。それで優勝なら御の字じゃないかと(結果的にそうなりました)。

北九州が3失点目を喫したのが80分過ぎ、そのありからでしょうか、金沢も積極的に行かなくなり、あとは「そのまま、そのまま」とまるで競馬場にいるような声を出してみたりしながら終了のホイッスルを待つ時間の長いこと。

しかし、42試合を戦うリーグ戦の最終節でこのような状況が出現するというのは極めてまれなケースのはずです。国際大会の予選リーグではたまにありますが、国内リーグで目にすることになるとは思ってもいませんでした。
岐阜の頑張りと山形の頑張りのおかげです。
でもこれ、スタジアムで他の情報を遮断してみていたら異様な感じだったんだなと想像はできます。



さて、あらためて試合を見直してみると、どうも、積極的に勝ちに行っているようには見えず、失点をしないことを最優先に試合を進めているような感じがします。
まあ、私の目にはそう見えただけなのかもしれませんが。
そのような展開を続けていくうちに50分前後に相次いで岐阜が得点しリードを奪い、北九州が失点。さらに60分前後に岐阜が追加点を入れ2点をリード、北九州が失点を重ね2点ビハインド。ほぼこの時点で金沢の最良の選択は失点をしないことになりました。後は徐々にセーフティな展開となり、もどかしい時間を過ぎるのを待つという形になったわけです。
時系列的にはこんな感じです。
49分 山形 1 ‐ 0 北九州 
52分 岐阜 3 ‐ 2 東京V 
59分 山形 2 ‐ 0 北九州 
63分 岐阜 4 ‐ 2 東京V 
81分 山形 3 ‐ 0 北九州 
まるで「果報は寝て待て」を地で行くような試合運びができたものだと思います。偶然の産物かもしれませんが合理的に考えるなら失点しないことが最良の選択なわけで、それをするためにどうするかを考えて進めた試合だったのかもしれません。
もっとも、岐阜がリードされていれば金沢は勝ちに来たでしょうしこればかりは何とも。
ただいえることは、そのときの状況を冷静に判断した監督と選手達を誇りに思いたいということと、勝ち点で優位に立っている者のメンタリティが出せるんだからたいしたものだということです。


日経の吉田記者の署名記事に四方田監督の話として、「負けないことを優先した中で勝機を見出していく堅い試合、そういう中で選手が冷静さと積極性を出してくれた」と伝えています。さらに、3万3000人の観衆にあおられることなく、最後まで心の均衡を崩さなかったと(これは監督ではなく吉田記者の見解です)、コンサドーレの戦いぶりを称えています。
やっぱりそうだったのかと納得した次第です。
それにしても、観衆にあおられることなくとは。

結果的にですが、松本の試合をみれば、たとえコンサドーレが2失点して0-2で負けても昇格は果たすことができました。ただ、優勝は逃してしまいます。
なので、1点くらいの失点を恐れず果敢に攻めのサッカーをということも言えるわけですが、3位までに与えられる賞金はJ2リーグの場合、順に2千万円、1千万円、5百万円となっており優勝と2位では1千万円の違いがあります。コンサドーレにとって、この差は大きいはずです。勝ち点1の重みは1千万円だったともいえます。

いろいろな思い込み、邪推も含めて金沢戦を考えて見ましたが、この試合、通常の試合ではないということ。いかに失点をしないで試合を進めるかがポイントとなった試合であったということにつきる試合であったのでしょう。
41節を終了した時点で昇格が決まっていたり、金沢の降格が決まっていたりしていれば展開は違いますし、どちらもすでに消化試合になっていればもっと違う展開になったはずです。去年の最終節が何のプレッシャーも無く試合ができたのも、栃木の降格が決定していたこと、コンサドーレのプレーオフ進出がなくなっていた状況での試合だったということが良い例かと思います。
ゆえに、この最終節のふがいなく見える試合で来年を占うことはしないほうが良いと、私には思うのですが、いかがでしょうか。