2006年01月31日
今日、三原選手の移籍先決定の知らせがあった。 これでデルリス以外の行先が、全て決まった。 今回は、切ない別れが多かった。 来季もいるだろう、来季もいて欲しい。 …そう思っていた選手が戦力外になった。 最終戦の前にその決定を知ったので、余計に辛く感じてしまったのかもしれない。 先発出場の田畑の姿を見て、胸がいっぱいになったり、 三原のフリーキックがゴールを捕らえるのを、心の底から願ったり、 サンクスウォークで見せた岳也の涙に、貰い泣きしそうになったり。 あの時は、時間が経つのが遅くなって欲しいとさえ思った。 勿論、コンサが更に上を目指すため、戦力の入替が必要であることは理解している。 感情のみで現状維持を望んではならないことも知っている。 既に、新戦力が加入しており、新しいチームが動き始めている。 我々はもう立止まることは出来ない。 でも、最後にもう一度だけ、彼らに伝えたい。 今まで、本当にありがとう。 君達に出会えて良かった。 君達の将来に幸あれ。 ↓青くんを抱いた曽田に慰められる岳也(左は岡田)
自分用備忘録として、 各選手の行き先とコメントを纏めた。 桑原剛 今まで温かい応援ありがとうございました。 水戸で精一杯努力し、もっと上のレベルに成長できるよう、頑張ってきます。 (12/21:水戸ホーリーホックに期限付き移籍) 吉瀬広志 また一年間レンタルとなりましたが、成長して帰ってこようと思っています。 海外でのプレーとなりますが、温かい応援をよろしくお願いします。 (12/22:アルビレックス新潟・シンガポールに期限付き移籍) 上田常幸 アルビレックス新潟・S(シンガポール)でたくさん試合に出場し、 札幌に戻って来たいと思います。今後とも応援よろしくお願いします。 (12/22:アルビレックス新潟・シンガポールに期限付き移籍) 堀井岳也 今まで温かい声援を送っていただき、本当に感謝しています。 甲府でプレーすることになりましたが、札幌で得た経験を生かして精一杯頑張ります。 これからも応援よろしくお願いします。 (1/6:ヴァンフォーレ甲府に完全移籍) 権東勇介 今まで温かいご声援を送っていただきありがとうございました。 本当に感謝しております。 チームが変わってもプレイヤーとして頑張っていきますので、心の片隅で応援してください。 (1/13:水戸ホーリーホックに完全移籍) 田畑昭宏 3年間、温かいご声援ありがとうございました。 この度、浦和レッズのフロントに入ることになりました。 プレイヤーとしては現役を引退することとなりましたが、 札幌で過ごした素晴らしい経験を活かし、新たな道ですが精一杯頑張っていきます。 サポーターの皆さん本当にありがとうございました。 (1/20:浦和レッドダイヤモンズ強化本部スタッフに就任) 徐暁飛 札幌でのサポーターの皆さんからの温かいご声援に感謝しています。 札幌での経験を活かして新天地で頑張ります。 ありがとうございました。 (1/26:高松FCに移籍) 蛯沢匠吾 応援してくださったサポーターの皆さんには本当に感謝しています。 高松に行ってもサッカー選手としての自覚を持って頑張ります。 (1/26:高松FCに移籍) 三原廣樹 札幌で学んだ経験を活かして、これからもサッカーができる喜びを感謝し、 新天地で精一杯進んでいきます。 温かい声援を送ってくださったサポーターの皆さんには本当に感謝しています。 ありがとうございました。 (1/31:琉球FCに移籍) [追記] 野田達郎 (公式発表なし:道都大学に進学)
2006年01月31日
骨髄バンクからドナー候補になったと連絡が来た当初、私は 「絶対、提供したい!」 と強く思ったものだ(単純お馬鹿だから) しかし、ここに来てちょっと心境の変化が出てきた。
「患者さんにとって、より良い条件の骨髄移植であって欲しい」 「他に条件の良いドナーがいれば、そちらから提供された方が良い」 …ま、言うまでもないことなんですが。 とにかく、数百人~数万人に一人という確率でHLA(白血球の型)が適合したという、 「あなた」に元気になって欲しい。 今なら、素直にそう思う。 でも、できることなら、 そのお手伝いをさせて貰えるのが私であったなら、もっと嬉しいのだけど。 余談だが、白血球の型が一致しても、必ずしも血液型も一緒という訳ではないそうだ。 (前処理が必要になるので、できれば移植は同じ血液型の方が望ましい) しかし、移植を受けた患者さんは、ドナーと全く同じ血液型になってしまう。 何故なら、血液を作る骨髄を移植するのだから。 この世に自分と全く同じ血液型の人…。 ちょっと不思議な気もする。
※ もし興味を持って下さいましたら、日本骨髄バンク、骨髄バンクドナーの輪、ドナーズネットをご覧下さい。 05年夏には、元日本代表キャプテン井原正巳氏がCM出演していた。 初回から読みたい方は、こちらへどうぞ。
2006年01月30日
先日、ファンクラブ会員ポイントカードの景品を引き換えてきた。 何故かポイントが、5,000以上も貯まっていた。 自分としては、そんなに沢山のグッズを買ったつもりはないのだが、 何度か道外サポから限定グッズの購入依頼を受けたので、 思いの他、貯まっていたらしい。 景品は、doZeオリジナル掛時計。 文字盤の中が写真となっており、 和波・池内・相川・曽田・岡田・鈴木・ドーレくんの中から好きなものを選べる。 Cスペースで受け取り、いそいそとその場で中身を確認。 想像していたよりも大きなサイズで、作りも立派なものだった。 直径33cm、フレームは深みのある赤。 12時の位置にHFCのエンブレム。 秒針の先端がサッカーボールになっていたりして、なかなか凝っている。 …こんなに立派なもの貰ってしまって、良いんでしょうか?(小心者) 結構気に入っており、既に別の掛時計を掛けていたにも関わらず、 居間のコンサコーナー(笑)のそばに、この時計を掛けた。 但し、少々残念だったのは、文字盤の写真は他にもう少しマシなものはなかったのか。 ちょっと写りが悪いです…orz
2006年01月28日
最近はまったもの。 チョコエッグ ホンダコレクション フルタ製菓から販売されている。
ご存知の方も多いと思うが、 卵型のチョコレートの中にはカプセルが入っており、 そのカプセルの中には、精巧な組立て式のフィギュアが入っている。 ←の画像は、1個目のS800(未組立)。
お目当ての品は、3個目で入手! 幸いにも、深入りせずにすんだ(苦笑)でも、色違いもあるんだよね(爆)
2006年01月27日
骨髄提供について、何人かの友人に相談してみたが、 その時に、彼らが一様に心配するのは、骨髄提供に伴う危険性である。 コーディネーターさんや担当医師は、危険性について充分説明してくれた。 骨髄液の採取は、ドナーに全身麻酔をした上で、 皮膚の上から骨盤あたりに注射針を刺して吸引する。 (決して、「脊髄」を削る訳ではない。←以外と勘違いしてる人がいるらしい) 全身麻酔をしなければならないこともあり、やはり「絶対安全」とは言い難い。 しかし、本当に皆が心配するほど危険なのか?
骨髄バンクが平成4年に設立されてから、平成16年度までの移植事例が6,339件。 平成16度だけでは、832件。 骨髄バンクでは、ドナーに万一のことがあった場合のために団体障害保険に加入しているが、 保険が適用されるような症状が出た例は、これまでにたったの64件。 つまり、確率にしてわずかに1%。 しかも、症状の多くは数日間で収まる一過性のものであり、 日常生活に支障のでる後遺症が残った事例は、まだない。 事故事例が増えたのは、単純に、移植事例がここ数年で急激に増えているからだ。 一方、私達が何気なく日常生活を送っていても、 何らかの事故に遭遇する可能性は常に付きまとっている。 そんなことを考えると、 「全く危険が無い訳ではないが、滅多に起こらないレベル」 と私は考える。 もし事故に会ったら…という心構えは、当然しておかなければならないが、 必要以上におそれることはない。 勿論、不安に思う人の気持ちを否定するつもりはない。 日本では、まだインフォームドコンセント(説明と同意)は馴染みが薄いが、 骨髄移植では完全に導入されている。 情報公開されているが故に、良くない事例も全て公開される。 だから、ついつい危険性ばかりに目が行ってしまい、必要以上に不安を感じてしまうのかもしれない。 ホントは、そんなに心配するほどのことではないですよ~ と、皆様にお伝えしたい。
※ もし興味を持って下さいましたら、日本骨髄バンク、骨髄バンクドナーの輪、ドナーズネットをご覧下さい。 05年夏には、元日本代表キャプテン井原正巳氏がCM出演していた。 初回から読みたい方は、こちらへどうぞ。
2006年01月26日
昨日から、オフィシャルブログにアクセスカウンターが設置された。 前日のアクセス数と、累計アクセス数が表示されている。 但し、管理画面にあるので、一般の閲覧者からは見ることができない。 当ブログは、「ひっそりこっそり」をモットーにしているので、(正直、アクセスランキングに入ったりすると困惑する)これ程、多くの方が訪れているという事実に驚いた。 これを読んでくださっている方々、ありがとうございます。 基本的に、自分の気が向いたことだけを徒然なるままに綴っているので、コンサ以外の話題の方が多かったりするのだが、これからも皆様の気が向いたときだけ、お付き合いいただければと思う。 WEBOSS様、 要望を聞いて下さって、ありがとうございます。 今後もよろしくお願い致します。
2006年01月25日
先週、会社の交通安全啓発活動の一環として、雪像を作成した。 仕事を終えてから、従業員用駐車場の隣に高さ3mの巨大雪だるまを作り、周囲に黄色い交通安全旗を掲げ、交通安全メッセージを掲示した。 駐車場の除雪時に重機で雪を積上げて貰ったものを、雪だるまの形に削り出す。 なかなかの重労働。 しかし、出来あがるとかなりの達成感。 ところで、今年はチャレンジ・ザ・ギネス 雪だるまづくりは、開催されないのだろうか? ギネスブック登録を目指し、札幌雪祭り期間中に雪だるまを1万個作成しようというこのイベント、 白い恋人サッカー場も会場となっており、昨年までに4回開催された。 情報を探しているのだが、見つからない。 いつも、サポ集会の前に石屋製菓に立ち寄り、雪だるまを作るのが密かに楽しみだったのだが…。 どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら、教えて下さい。
2006年01月24日
骨髄提供のドナー候補となり、確認検査を受診したが、 私は急に気持ちが落ち込んでしまった。 不安だからではない。 提供できない可能性の方が高いからだ。
私は単純に、ここまで来たらかなりの確率で提供できるものだと思い込んでいた。 しかし、コーディネーターさんの話では、余り確率は高くないらしい。 彼女の印象では、確認検査を受けた人の7人に1人位の確率らしい。 (後で調べたら、実際は18%位) 今の段階では、1人の患者さんに対してドナー候補が5人までいる可能性があるそうだ。 「ドナー候補」のそれぞれが確認検査を受け、最も条件の良い人が、 正式な「ドナー」となる。 しかし、私にはハンデがある。 体重が少な過ぎるのだ。 採取される骨髄の量は、患者さんの体重によって決まる。 体重1kgあたり15ccが目安になる。 例えば、患者さんの体重が70kgなら1,050ccとなる。 一方で、ドナーが提供できる骨髄の量も、厳格に決められている。 聞き忘れてしまったが、後で調べたら、体重1kgあたり最大でも20ccという説があった。 そうなると、私が提供できる相手は65kg以下。 つまり、私が提供できる相手は、子供か小柄な患者さんに限られてしまう。 もしも相手が大柄な患者さんだったら、門前払いだ。 仮に提供できる相手だったとしても、 複数のドナー候補がいれば、より条件の良い人が選定される。 担当医師には、 「自分なら、体重ぎりぎりの痩せっぽちよりも、頑健な若い男性を選ぶ」 ときっぱり言われてしまった。 そりゃそうだ。 私が提供を受ける立場なら、きっと同じことを考える。 自分の出る幕ではないかもしれない…orz いや、より良い条件のドナーさんがいらっしゃれば、 それが患者さんにとって一番いいことなんだったことは分かってるんですけどね。
※ もし興味を持って下さいましたら、日本骨髄バンク、骨髄バンクドナーの輪、ドナーズネットをご覧下さい。 05年夏には、元日本代表キャプテン井原正巳氏がCM出演していた。 初回から読みたい方は、こちらへどうぞ。
2006年01月23日
週末に、市内の病院で開催された「市民健康講座」に参加した。 「あなたの目の前で、あなたの愛する人が倒れたら、あなたは愛する人を救えますか」 というサブタイトルが、この講義には付けられていた。 前半は、循環器科医師による講義だった。 突然死の原因となる心室細動(心臓発作の一種)についてと、 それによる死から救うための機器・AED(自動的対外式除細動器)の重要性が語られた。 後半は、ダミー人形を使って、応急手当(人工呼吸や心臓マッサージ)とAEDの使い方の実技。 心室細動が起こった場合、治療が1分遅れるごとに生存率は7~10%も低下する。救急車を待っていては、到底、間に合わない。 その場に居合わせた人が、やるしかない。 時間との勝負だ。 2002年、サッカーを始めスポーツへの造詣が深かった高円宮殿下が突然倒れて亡くなられたが、 その原因が心室細動だった。 もしもあの時AEDがあれば、殿下の命は助かったかもしれないと言われている。 しかし、その死によってAEDの重要性が国内で広く認識され、 今では、人が大勢集まる場所やイベント会場で設置が進められている。 ちなみにジェフ千葉の新ホームスタジアム・フクアリには、 フクダ製のAEDがアリーナ通路内に100m間隔で11台も設置されている。 (3. 「フクダ電子アリーナ、略称:フクアリ」における今後の取り組みについてを参照) 札幌ドームにも設置されたようで、キックオフイベントに出掛けたとき、 こんな掲示を見掛けた。→ 「AED(自動体外式除細動器 設置施設)」 いつ誰がどこで心臓発作を起こすかは、誰にも分からない。 そんな時、見過ごすことなく、何らかの手助けが出来たら…と願う。
2006年01月22日
先日、モエレ沼公園に行って来た。 冬のモエレ沼は、夏とは雰囲気が一変してる。 標高62mのモエレ山では、大勢の子供達がソリ遊びをしていた。 近所の公園とは比べ物にならない高さ。 山頂から一気に滑り降りるたら、きっと爽快な気分だろう。(自分も混ざりたかったが、かなり場違いだったので断念)歩くスキー・スノーシュー・そりが200~300円でレンタルされているので、 家族持ちの方は、子供と一緒に出掛けてみるのも悪くないだろう。
既に終了してしまったが、 ここのガラスのピラミッド内で開催されていた 「日本万華鏡大会公募展」を見てきた。 ← 万華鏡というと、筒型のものを想像するが、 ここには形状から見せ方まで凝ったものが多く、 見ていて飽きなかった。
ガラスのピラミッドからモエレ山を望む。→ ここは外の寒さとは別世界の、温室のような暖かさだった。 こんなところでも、ついこんなことを考えてしまう。 外では練習できないし…室内練習場が欲しいなぁ。
2006年01月21日
先週の木曜、東京へ日帰り出張した。 新千歳空港周辺は、猛烈な勢いで雪が降り、視界は真っ白。 その時の画像が、これ。→ 左から伸びたアームから、解氷剤を吹き付け、機体の雪や氷を解かしまくっている。 搭乗してからもその作業は続けられ、滑走路では除雪車がフル回転。 …予想通り、離陸はかなり遅れ、結局は会議に遅刻。 (冬将軍にはかなわないので、仕方がないと諦めてる)
ちなみに、本社に向かう途中、電車内から撮った画像が、これ。 ← どこの田舎!?って言われそうだが、これでもれっきとした東京都内(苦笑) 良い天気で、上着が要らないくらい暖かかった。 そんな東京でも、今朝は雪が積もったそうだ。 九州合宿を前に、2日間のオフだった選手達に影響はなかったのだろうか。 多分、家族や友人に「お前が雪を連れてきたんだろう」等と苦情を言われてるのではないか(自分は、いつも言われる) 心配だ。
2006年01月20日
骨髄提供のドナー候補としての確認検査の日が来た。 コーディネーターさんと担当医師から骨髄提供についての説明を受け、 簡単な診察と血液検査がある。 午前で仕事を終え、JRで札幌へ向かう。 病院の正面玄関で、コーディネーターさんと待ち合わせた。
約束の時間ぴったりにあらわれた担当コーディネーターさんは、 私より年上の女性で、柔らかい喋り方をされる方だった。 診察室で、まずはコーディネーターさんから骨髄提供について説明を受けた。 ほぼ終わりかけた頃、担当医師がようやく現れた。 最新のデータについて、別刷りの資料が渡される。 移植事例の増加に伴い事故事例数も増えたので、その分が追加されたのだ。 「事故事例が増えると、やはり躊躇する人も増えるんです」と、コーディネーターさんは苦笑した。 続いて医師からの問診。 そして採血。 しかし、前の人が血が出にくい体質のようで、かなり待たされてしまった。 担当医師が言うには、血液の病気に掛かると血管が細くなり、採血が難しくなることが多いそうだ。 ひどい人だと、普通の人の10分の1くらいまで血管が細くなると言っていた。 心が痛む。 骨髄移植を希望されている方は、当然、血液の病気。 きっと同じように、採血ひとつでも辛い思いをされているのだろう。 何としても元気になって欲しい。 できれば、私がそれに協力したい。 確認検査が終了し、交通費を受領して、コーディネーターさんとは病院の正面玄関で別れた。 別れ際、私は彼女にこう言った。 「また、お会いしたいですね」 通常、ドナーに決定したか否かの連絡は、電話か手紙で通知される。 次にコーディネーターさんと、直接、会えるのは、 それは、私が正式にドナーに選ばれた時だけである。
※ もし興味を持って下さいましたら、日本骨髄バンク、骨髄バンクドナーの輪、ドナーズネットをご覧下さい。 05年夏には、元日本代表キャプテン井原正巳氏がCM出演していた。 初回から読みたい方は、こちらへどうぞ。
2006年01月18日
コンサドーレ札幌オフィシャルブログのトップページの「おすすめブログ」。 ここに、『アクセスランキング』が掲載されていた。 注目したのは、そこに書かれていたコメント。 『自分のブログのアクセス数を管理画面にて表示する機能を、現在実装準備中です。乞うご期待。』 他所のブログでは良く見られるカウンターは、ここにはない。 なので、一体、自分のブログがどの位の方に読まれているのか、全く見当がつかない。 『アクセスランキング』で50位以内であれば、相対評価は可能だが、 当所は「こっそりひっそり」をモットー(?)にしているので、 そのような晴れがましいところには、無縁(でありたい)。 おそらく、カウンタを要望していた人はかなりいたと思う。 昨年の最終戦で開催されたブログ講座で自分も要望を出していたが、ようやく実現されそうだ。 オフィシャルブログには、ブログ初心者が多く参加しているため、 あえて機能を少なくし、初心者にも使いやすくいように配慮している面もあるそうだが、 今後は少しずつ機能強化を図っていただけると、大変ありがたい。 WEBOSS様、色々と大変とは思いますが、 今後も、宜しくお願い致します。
2006年01月17日
さて、骨髄移植のドナー候補になったが、一抹の不安があった。 骨髄提供には、家族の同意が必須である。 正式なドナーになる前に、家族(既婚者は配偶者、未婚者は親)が同席した上で、 コーディネーターさんや医師から詳しい説明を受け、 本人と家族が同意書にサインしなければならない。 勿論、リスクについても詳しく説明されるのだが、 その段階になって、家族の同意が得られずに撤回してしまうドナー候補が以外と多いらしい。
自分は、一応、両親から(かなり強引に)同意を得ていたものの、当初、母はかなり難色を示していた。 直前になって撤回されないように、とにかく説得しなくては。 万が一、提供できなければ、患者さんに多大な迷惑を掛けてしまうかもしれない。 骨髄バンクには、家族に資料やビデオを貸出してくれるシステムがある。 私は、その資料を家族宛に送って貰うように手配していた。 それが届いて数日経った頃を見計らって、母に電話した。 「骨髄バンクからそっちに資料送って貰ったけど、見てくれた?…やっぱり、まだ、同意したくない?(おそるおそる)」 「いいよ(あっさり)」 えぇぇぇっ!? 一体、どういう心境の変化なのか? どうやら母は、看護師長の経験を持つ友人に相談したそうだ。 で、いきなり怒られたらしい。 なんで賛成してあげないの? 親のあんたが応援してあげなくてどうすんの? 心配しないで大丈夫だから…等など 私にとって、思わぬ援護射撃だった。初めて賛成してくれる人がいた。 凄く嬉しかった。 骨髄提供によって助かる命があると言っても、所詮は他人事。 どこの誰だか分からない赤の他人より、 やはり、自分の家族に「何か」があっては嫌だと感じるのは、正直な気持ちだろう。 しかし、実際は、提供者に「何か」が起きる可能性はかなり低い。 必要以上に、おそれることはない。 自分のほんのわずかな勇気で誰かを助けることが出来るのなら、 …私は前に進みたい。 私は、母の友人に次の言葉をお伝えしたい。 賛成して下さって、しかも、母を説得して下さって、本当にありがとうございました。
※ もし興味を持って下さいましたら、日本骨髄バンク、骨髄バンクドナーの輪、ドナーズネットをご覧下さい。 05年夏、元日本代表キャプテン井原正巳氏がCM出演していた。 初回から読みたい方は、こちらへどうぞ。
2006年01月16日
昨日、キックオフイベント2006へ行ってきたことについて書いたが、会場では、コンサドーレ10周年記念グッズが売られていた。 記念グッズは、ドライマフラー、フラッグ、ペナント、ストラップ等。 かなりカッコ良い! ついつい、衝動買いしてしまった。(HFCの策略に、まんまと乗せられてしまったとも言える)先日購入したばかりのW杯グッズの携帯ストラップが壊れてしまったこともあり、まずはストラップ。 それと、ペナント。
このストラップの良いところは、 裏面もちゃんと加工されてること。 丸型の方には、梟の目と「Consadole Sapporo」のロゴ。 角型の方には、北海道の形の中に「CS」。 そして両方に、「SINCE 1996」と刻印。
通常、裏面はただ平べったいだけなのに、中々凝っている。 ちょっとお値段は張ったが(¥1,600)、満足。 あぁ…、こんなものまで衝動買いしてしまった。→ ホントに使うのかよ、自分。
追記 分かってるとは思いますが、ナンバープレート部分はダミー。 商品は、フレームのみ。 「1996」は、コンサ設立年だと分かるのだが、何故、「ま」? 「ま゙」と言われると、を真っ先に思い出す自分は一体…orz
2006年01月15日
キックオフ2006に行って来た。 コンサ欠乏症になってたので、久しぶりの赤黒に満喫した。 マスコミも大勢来ていた。→ 新加入選手のトーク中心に記録する。 まず、9人の新加入選手の自己紹介。 「○○から来た△△です。××歳です」という感じで進んだ。 最後にまわってきた大伍は「まだピチピチの18歳です!」と言って、グッチーさんに「30歳(の大塚選手)にケンカ売ってる?」と早速、突っ込まれてた。 続いてサイコロトーク。…何故か1・4・5しか出なかった。 1:コンサに決めた理由 大塚「北海道は良い所だと色んな人に聞いた」 藤田「自分で選べる立場じゃないので…上げて貰ったという感じ。サポが熱い。そこでできるのは幸せです」 5:札幌に来て、おいしいものを食べましたか? 関「来たばかりなので、まだ食べてない。寿司を食べたい」 川崎「寮のご飯がおいしいです(観客から拍手)」 野本「スープカレーを食べました。レベル3にしたら辛くて大粒の汗をかいた。今度は1からスタートしたい」 4:何をしている時が一番幸せ? 芳賀「サッカー。(サッカー以外と言われて)子供と遊んでいる時」 千葉「サッカー。(サッカー以外では)友達と遊んでる時」 フッキ(通訳:ウリセス)「自分のプレーでサポーターが喜んでくれた時。(サッカー以外)家族とショッピング」 西「サッカー」 何故か、西くんだけ特別質問があった。 グッチー「とある選手に聞いたんだけど、ピッチの外で先輩を呼び捨てにしてる?」 西「仲の良い人…智樹くんとかにはたまに。中学からJrユースで一緒にやってたから。これからは…」 グッチー「選手の中でヤバイ人っている?」 西「監督…。」(←選手じゃないだろっ) 最後に、選手は目を閉じて、グッチーの質問に当てはまると思ったら手を上げる。 これが爆笑。 「この中で自分が一番サッカーセンスがある」 →西 「相手が監督でも、何でも言える」 →関、川崎 「俺がコンサを仕切る」 →野本 「自分が一番、女にモテル」 →フッキ、野本、芳賀 「相手が先輩でも遠慮なくモノを言える」 →関、西 …西くん、超大物の予感。
2006年01月13日
骨髄提供のドナー候補には、担当のコーディネーターさんが付くことになっている。 読んで字のごとく、骨髄提供の全般についてコーディネートしてくれる人だ。 (そのまんまだろっ) コーディネーターさんには、骨髄提供に関することが全て終了するまで、 何かとお世話になるらしい。 担当コーディネーターさんとのファーストコンタクトは、骨髄バンクからの郵便が来てから5日目の土曜日だった。 その日、私はコンサドーレ札幌の試合観戦のため、福岡に行っていた。
アビスパ福岡vsコンサドーレ札幌(博多の森競技場) 羽田空港経由で福岡空港に到着し、地下鉄に向かう途中、携帯が鳴った。 …見知らぬ番号。 「骨髄バンクのTと申します」 彼女は、私の担当コーディネーターになったことを伝え、幾つかの質問をした。 特に何度も確認されたのは、「家族の同意」。 骨髄提供するためには、家族の同意というのは余程重要らしい。 その後、検査を受ける病院の希望を確認し、確認検査の日取りを決めた。 ウィークデーしか対応して貰えないので、午後のなるべく遅い時間に設定するよう依頼する。 これなら、午後だけ有給を取れば何とかなる。 確認検査は、最初の連絡が来てから丁度1ヶ月後に設定された。 実際に提供することになったら、事故防止とか体調管理のため、 アウェイ観戦も少し控えないとならないのかな…。 そんなことを考えながら、応援した。 試合は、私が応援する選手も活躍しての、3-0の完勝だった。 幸先が良い(*^-^*)v
※ もし興味を持って下さいましたら、日本骨髄バンク、骨髄バンクドナーの輪、ドナーズネットをご覧下さい。 05年夏には、[[元日本代表キャプテン井原正巳氏がCM出演していた。 初回から読みたい方は、こちらへどうぞ。
2006年01月12日
今日、会社を退勤する前、ふと窓の外に目をやると、雪がちらちらと降り始めていた。 札幌よりも雪が少ない土地とはいえ、一昨日は物凄く雪が積もった。 また、雪かきしなければならないのかなぁと思いつつ、残業していた同僚に、 「小雪が舞ってるよ」 と教えると、 「え?(長州)小力が舞ってる!?」 と聞きまつがいされてしまった。 瞬間的に、その映像が頭に浮かんでしまって _| ̄|○ な気分に…。 えぇ、今日も雪かきしましたよ。 小雪ではなく、小力並の大雪がどさどさ降る中。
2006年01月10日
骨髄移植のドナー候補になったと連絡があった日の夜、不意に思い出したことがある。 ある友人のことだ。 地元を離れていた大学生時代、長期休暇で実家に帰省していたときのことだった。 幼馴染から久しぶりに電話がかかってきて、突然こう言った。 「昨日、Mちゃんが死んだって知ってた?」 ……えええぇぇぇっ!!
☆★☆★☆★☆★☆★ Mちゃんは、小・中と同じ学校だった。 特に仲良しって訳ではなかったが、とても記憶に残ってるクラスメートだった。 私は子供の頃、とにかく絵を描くのが好きで、幼い頃から暇さえあれば何か描いていた。 将来、絵に関することをしたい…漠然とそう思っていたりしていた。 しかし、小学4年の図工の時間、その思いは打ち砕かれる。 図工の時間、好きな物語を読んでそれを絵に描くという課題が出た。 その時の彼女の絵が今も忘れられない。 その発想、色使い、構図。 技術もさることながら、発想・想像力といった部分で郡を抜いていた。 すごい才能の持ち主だった。 とてもかなわないと思った。 ☆★☆★☆★☆★☆★ 喪服を持っていなかった私は、慌てて母から服を借り、近所のセレモニーホールへ向かった。 遺影には、少し大人っぽくなった彼女がいた。 ご両親とお姉さんに、弔意を述べる。 だが、ショックで混乱していて何を言ったのか全く覚えていない。 おろおろする私に、お姉さんは穏やかに微笑みながら逆に気遣ってくれた。 二十歳になるやならずの友人の命を奪った病名が、急性白血病だった。 骨髄提供によって救えるかもしれない病名。 …もしかして、私は彼女のような人を救えるのか? (但し、当時はまだ骨髄バンクが設立されていなかったが…)
※ もし興味を持って下さいましたら、日本骨髄バンク、骨髄バンクドナーの輪、ドナーズネットをご覧下さい。 05年夏には、元日本代表キャプテン井原正巳氏がCM出演していた。 初回から読みたい方は、こちらへどうぞ。
2006年01月09日
全国高校サッカー選手権大会・決勝 鹿児島実業vs野洲をTV観戦した。 一言、面白かった。 連続優勝を狙う鹿実は、高校サッカーの王道とも言える存在。 エース栫(かこい)を出場停止で欠くものの、各ポジションに昨年の優勝メンバーを揃えている。 一方、野洲(やす)高校は、若い山本監督の元、クリエイティブな攻撃サッカーを目指す。 パス回しやドリブルが小気味良くつながり、観ていて非常に面白い。 最近の高校サッカーでは、なかなか見られないものだ。 特に、決勝点となった延長後半のゴールは圧巻だった。 大きなサイドチェンジ→ドリブル→ヒールキック→サイドから折返し→確実にゴール! あの時間帯にあんなプレーができるとは…。 野洲のような存在が出てきたことによって、高校サッカー全体が更に面白くなるのではないか。 正月から面白いサッカーが見られた。
2006年01月08日
昨日、サッポロファクトリーのアトリウムでシーズンチケット販売会&選手トークショーが開催された。 大雪の中、13時半頃到着し、シーチケを購入。 特典の黒リストバンドとライオンの10%割引券がついていた。 しかも、先着200名の握手会&色紙プレゼントの引換券までゲット。 会場MCはグッチーさん。 参加選手は、鈴木智樹選手と石井謙伍選手。 お正月は、智樹は友達と、謙伍は実家でのんびりと過ごした模様。 トークショーは、2時・5時の部、共に質問が10問ずつ用意されていたが、グッチーさんが選手を上手く誘導するので、とても面白かった。 智樹の口癖は「ヤバイ」。かなり連発していた。う~ん、イマドキの子だなぁ。 ヤバイの上は「わや」。う~ん、道産子だなぁ。 謙伍はついつい智樹と同じ答えを言ってしまう。まだ場慣れしていないなぁ。頑張れよ。 …智樹だって去年の今頃は、噛みまくりだったんだから(笑) 智樹は先輩としての威厳(!?)を見せ、積極的に喋る喋る。 結婚願望だとか、失恋話だとか、西くんが「クソ生意気」だとか。 謙伍は真面目な性格なのか、優等生的回答が多く、散々突っ込まれていた。 なるべく貯金してるとか、宝物は「サッカー選手なので自分の足」とか。 トークショーの後、両選手に握手をして貰って智樹のサインを受け取り、大雪の中を帰宅。 HFCの方々へ 大変楽しかったです。大雪の中、行ったかいがありました。 お疲れ様でした。
2006年01月06日
骨髄バンクに登録して7年目。 半年ほど前、骨髄移植のドナー候補に選ばれました。 貴重な経験をしたので、当時の様子をつらつらと記録してみました。
ある日曜、アパートの郵便ポストに角4の淡いピンク色の封筒が入っていた。 骨髄バンクからだ。 7年前に骨髄バンクにドナー登録して以来、これまで機関紙しか来たことがない。 いつもの茶封筒とは、明らかに大きさも色も全く違う。 「もしや…」
予想は的中。 1枚目の書類は、「骨髄ドナーコーディネートのお知らせ」と題しており、 「あなた様と骨髄バンクの登録患者さんのHLA型(白血球の型)が一致し、 ドナー候補者のおひとりに選ばれました」との一文が。 おぉっ!とうとうドナー候補に選ばれたんだぁっ。 嬉しい。 肉親でもなければ、HLAの型は数百人から数万人に一人しか一致することはない。 全く見知らぬ人の命を救えるチャンスが、私に与えられたのだ。 そもそも、骨髄バンクにドナー登録したきっかけは献血だった。 献血マニアな私は、高校生の頃から札幌市地下街にある献血ルームに毎月のように通ってた。 一時、献血ルームが身近にない街に住んでいた時期にやや疎遠になっていたが、 就職してからは、札幌に出掛けるたびにせっせと献血していた。 余りの熱心さ(?)に、日本赤十字社から 「血液の在庫が少ないので献血に来て下さい」 と、時折、呼び出されたりする始末(苦笑) そんな訳で、新札幌の献血ルームに行った98年2月のこと。 壁に貼ってあった骨髄バンクのポスターを眺めていたら、 「ついでに登録しませんか?」と誘われた。 元々興味があったので、早速、登録。 献血のついでに極少量の血液を採取し、骨髄バンクに関するビデオを視聴した…ような気がする。 単純な私は、登録したらすぐに依頼が来るかもと期待していた。 しかし、そんな連絡は全くなく、たまに届くのは機関紙のみ。 そんな期間が7年も続いた。 自分自身も殆ど忘れかけてた頃、ようやく届いたドナー候補の知らせだった。
【目次】 第1回:骨髄移植ドナー候補体験記 第2回:ある友人の思い出 第3回:コーディネーターさん 第4回:家族の同意 第5回:確認検査 第6回:条件 第7回:本当に危険なのか? 第8回:心境の変化 第9回:以外と困難なこと 第10回:最終結果 第11回:献血と臓器移植意志表示カード 第12回:「メンバーが、足りない」 第13回:最後に 第14回:「半落ち」 第15回:ご報告 第16回:SAVE!AYAKA…しかし、あなたにも救える命がある 第17回:三度目のチャンスは…
※ もし興味を持って下さいましたら、日本骨髄バンク、骨髄バンクドナーの輪、ドナーズネットをご覧下さい。 05年夏には、元日本代表キャプテン井原正巳氏がCM出演しました。
2006年01月05日
正月休みに、久しぶりに札幌ドームへ行った。 最終戦が12/3だったから、丁度1ヶ月ぶりだ。 画像は、ウェルカムロビーにあるチケット購入カウンター。 キッズドーレくんが、獅子舞と共に愛嬌を振りまいていた。 うん、ポーズも決まってて可愛いぞ。
正月開けの営業開始のこの日、訪れている人は少ない。 オーロラビジョンには、「謹賀新年」と映し出されていた。 ←あれ?読めない…orz。
空中エスカレーターを上り、ドーム展望台へ向かう。
一面の雪景色。 画像は、展望台から南側の農業試験場を見おろしたところ。 他に客がいなかったので、課し切り状態。 4年ぶりに、展望台から眺める札幌の街並を堪能した。 こんな季節に、こんなところに来るなんてことは滅多に無いので、 結構、面白かった。 (あ、今年は1/15にキックオフイベントで来るか…苦笑)
ちなみに、屋外のホバリングステージは、こんな感じでした。 今年こそは、ドーム開幕前にサポを動員して行われる雪割りに参加したい。 あぁ、開幕が待ち遠しい。
2006年01月04日
少々古い話しになるが、元日に北海道神宮へ初詣に行ってきた。 幸いにも穏やかな日和。 初詣客も多い。 参拝の後、御神籤を引いた。 「大吉」 記憶にある限り初めて。 やっぱり、嬉しい。 実は参拝の時、2006年は元日に誕生日を迎えられたお二人、児玉社長と柳下監督に幸福が訪れるようにと祈願した。 このお二人が揃って幸福になるということは、 コンササポ全員に幸福になる(J1昇格) ということだから(笑)
2006年01月03日
先日、Cスペに行ったついでに隣に設置された2006FIFAワールドカップアンテナショップに立寄ってきた。 で、購入してきたのがコレ。→ 携帯ストラップ(\1,050) 金色のワールドカップのミニチュア版が付いている。 うん、なかなか良い。
が、自分はコレを取り外して… ノモキンプレートとここで購入したジッパーホルダーを取りつける。 (選手の背番号は秘す) …買った意味あんのかっ! と、言われそうな予感。
そう言えば、3年前にも同じことをしていたような…(苦笑) →
2006年01月02日
今日はTVで高校サッカー選手権大会を観た。 北海vs大津は、残念ながら0-4で北海が敗退してしまった。 前評判では、大津高校の圧倒的優勢だったが(Jリーグ内定者が4人もいるし…)、フタを開けてみると序盤こそ押し込まれたものの、堅い守備からペースを握りあわやという場面を創出していた。 前半終了時には、このまま行けばもしや・・・とさえ思った。 しかし、FKから失点を喫してしまい、その後もCKからこぼれ玉を押し込まれて2点目を献上。3点目は相手のシュートが見事と言うしかなかったし、ダメ押しの4点目は攻めに行ったところだったし、不運な失点の仕方だったと思う。 しかし、彼らは良く頑張った。 北海高校サッカー部の健闘を讃えたい。
高校選手権の思い出 Jリーグが創設されてから、サッカーはTVでも良く放映されるようになったが、自分が学生の頃には元日の天皇杯と高校選手権くらいしかなかった。 かつては、北海道で高校選手権といえば室蘭大谷だった。 財前(現札幌アシスタントコーチ)が活躍していた時代、昭和61年の準々決勝で宇都宮高校と対戦した試合が忘れられない。 試合は両チーム共に得点ならず、0-0でPK戦に突入。 キッカーが次々とゴールを決め、何と15人連続PKという死闘を演じた。 しかもこの試合、中継がPK戦の途中で切れてしまい、STVに苦情の電話が300件も行ったと記憶している(今ならネットで情報を入手できるのだろうが…)。 その試合は室蘭大谷が勝利し、結果、ベスト4に輝いた。 今でもあの試合は、自分の中でベストゲームのひとつである。
2006年01月01日
あけましておめでとうございます。 新年を迎えるにあたりまして、「温故知新」と言いますか、「初心忘るべからず」と言いますか、 2000年に発表されたアノ文章を、全文コピペしてしまいます。 (一部、現代版に手直しをしています)
「背番号12の日々。」 室蘭には、何度も足を運んだ。 函館にも行った、仙台にも行った、九州にまで、行った。 1997年10月22日優勝の日、人目をはばからずに泣いた。 1998年12月5日降格の日、もっと泣いた。 初詣は、家内安全と勝利昇格を祈願する。 車にステッカーが貼ってある。 タイヤカバーにエンブレムが描いてある。 ステッカーを貼った車を見ると「よっしゃ」と思う。 ドームに雪割に行った。 飲み屋の親父に「どーなの今年は?」などと聞かれる。 衛星放送に加入した。 勝った日は、大谷地駅(または福住駅)までニコニコ歩く。 負けた日は、無言でトボトボ歩く。 タオルマフラーを3本持っている。 試合の翌日、良かったねーとか、残念だったねーとか言われる。 コンサート、と言う文字につい反応する。 赤黒のデザインに反応する。 飛行機はあれしか乗らない。 北海道土産は必ずあれにする。 宝くじが当たったら半分は寄付する(つもり)。 家族皆でレプリカを着て地下鉄に乗る。 娘が、ドールズになりたいと言っている。 なったらうれしい、と思っている。 ゴール裏で友達ができた。 ゴール裏で出会った人と結婚した。 スタジアムでは、よく通る声で知られている。 裸になることで知られている。 ツボを押さえた(?)ヤジで知られている。 月曜日は声が枯れている。 勝った試合のビデオは2回見る。 負けた試合は早送りで見る。 見ないこともある。 メモ帳に結果を記入している。 インターネットで熱く議論する。 仕事の途中で練習グラウンドをのぞく。 出張は、アウエー試合にあわせようとする。 携帯に赤黒いストラップがついている。 全てのスケジュールは試合を中心に決める。 そしてふと考える。 北海道の人みんながこんな気持ちになって、こんな生活をしてくれたらいいなと。 さて今日も、クラシックを飲みながら私は思う。 私にはこんなに夢中になれるチームがある。 心から応援できるチームがある。 私は、シアワセだ。 がんばれ、コンサドーレ札幌。 勝つぞ、コンサドーレ札幌。 私が、ついてるぞ。 11人の男たちに乾杯。 12番目の自分に乾杯。 北海道に乾杯。 *=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=* あなたのコンササポ「なまら」度CHECK 「背番号12の日々」の中に、あなたの日常はいくつありましたか。 その数で、あなたのサポーターとしての「なまら」度を判断してみましょう。 【1~9】 ひとつでも当てはまる項目があったあなたは、十分にサポーター度高し。 コンサに「なまら」はまってると言えるでしょう。 今後はさらに上をめざして応援を続けてください。 【10~19】 けっこう、すごいですね。 あなたのサポーター度はすでに「わや」な状態に突入してるといえます。 今後はどんどんまわりをまきこみ、コンササポの輪を広げていってください。 【20以上】 お見事です。 あなたのサポーター度は、尊敬の意をこめて、 「はんかくさい」の域に達している!と言わせていただきます。 何があろうと、コンサドーレへの情熱をこのまま持ち続けてください。
ちなみに、私の「なまら」度は16。 以外と低い・・・orz さてと、家内安全と勝利昇格を祈願しに、初詣に行きますか。