2007年04月03日
ラーメンのこと書いてたらお腹が減っちゃって。遅い昼食取りました。
さて。 とりあえず壬生寺を目指して歩き始めた一行。 寝不足に遠足、しかも風呂上りときちゃ足の運びも遅くなる。 途中赤黒い小集団2つほどとすれ違い、知らないサポさんだったけどお互い身元がわかりますから「おつかれさま~」などと挨拶を交わし、いくつもの辻を左に折れ、右に折れしてようやく着いた壬生寺。 新撰組のコーナーは有料(100円)だった。 ちなみに私は中学~高校時代に数回、友人とここへ来たことがある。 新撰組ファンだったから。 そのころに比べてまぁなんてりっぱに…しみじみ。 そんな思い出がなかったら100円ケチったと思うけど(^^;(おい) さてここから隊は二手に分かれて別行動をとる(新撰組風)。 引き続き徒歩にて西京極へ向かう組、新撰組ゆかりの地をさらに訪ねる組とに分かれた。 私は偽先生とゆかりの地を訪ねることに(というか、もう歩くのがしんどかったので四条大宮から電車に乗ろう、その途中ちょっとお寺にお参りしたいんだけど、という按配)。 光縁寺というお寺に寄る。新撰組を立ち上げた多摩・試衛館道場時代からの同志だった山南敬助をはじめ、隊士が実際に葬られたお寺。 (ちなみに壬生寺には墓石はあるものの葬られているわけではない。隊に死亡者が出ると埋葬されたのはこの光縁寺) ここも有料になっていた(100円)。大河ドラマの影響かねえ… 住職さんが大変嘆いておられた。 ブームになっていろんな人が来るようになり、閲覧自由にしていた関連資料などを黙って持ち去る人もいたそうだ。 中にはびっくり、墓石を削ってかけらを持って行く人がいたそうだ。 あまりにひどいので有料にして自由には入れないようにしたとのこと。 いや~変わったもんだ。 私の中学・高校時代は、一言声はかけるものの自由にお参りさせてもらえたし、資料や書籍(新撰組関連の小説など)も読ませてもらえたのに。 お参りしてたら雨が降ってきた。 雨宿りも兼ねて、近所のお肉屋さんで揚げ物を買う。 偽先生の提案で、スタジアムでみんなと食べようという趣向。 揚げ物ができあがるころ雨も上がり、駅まで揚げたてコロッケをほおばりつつ移動。 大きい通りから1本入った路地だと、いい大人でもそんなことできそうな古びた町並み。 昔に比べてだいぶマンションも増えたけど、やっぱり京都ってかんじがする。 スタジアムに着くとすでにアウェー側入り口に大勢の赤黒い集団が、今季の開幕をいまや遅しと待っていた。 その試合は… 昨シーズンに比べてあまりにもギクシャクした前半と、メンバーを交代して昨シーズンのようにはつらつと攻め立てた後半。 あのときの気持ちをまとめることは難しいけど、明らかに違うシーズンが始まったのだという落胆…といっていいのかわからないけど…誘われるまま飲み会に。 サッポロビールを飲めて本当によかった。あんな気持ちを癒してくれるのは、いつもと変わらぬサッポロビールだけ。 帰りの列車の時間がせまってきたので中座する「ながら」組。 大垣駅までもうろうとしつつ移動し、席に落ち着くや途中で買ったヱビスも開けずにぐっすり。 終着駅の東京は、まだ暗かった。 多摩の我が家へ戻る間、サテライトへ行こうか行くまいか悩みつづけた。 せっかく今日一日使える18きっぷがあるのに、その日鹿島アントラーズクラブハウスで行われるサテライトリーグを見に行かないなんて。 でもこれで二晩、布団で寝てないよ?大丈夫なの?>私 結論。 「電車で座れりゃそこで寝られる。寝てる間にカシマに行けるんだから行ってみるべ」 自宅滞在2時間で再びJRに揺られていたのでした。 新撰組が屯所にしていた前川邸。以前はずっと非公開だったが、中庭に記念撮影用のボード(顔だけ出すやつ、あれね)までできててびっくりした。 見づらいけど、邸内案内図。池田屋事変のきっかけになる古高俊太郎が拷問された部屋とか、隊士の誰それが切腹した部屋だとか、そんなのが書き込まれていてなかなか怖かった(そんなんで新撰組ファンといえるのか?>私)。
プロフィール
東京の西、山の近くでコンサを応援している主婦「A小」。学生時代に旅行で北海道を訪れ、すっかり魅了される。初めてサッカーを見たのは、94年・W杯アメリカ大会。九州旅行の帰りのフェリーの衛星放送だった。その後コンサ誕生を知り、旅行がてら各地に試合を見に行き始め…。当初はサッカーに興味のない夫を置いて一人で出かけていたが、彼は2007年にわかに「各地のウマイもの」に目覚め、その飽くなき食欲と舌を満足させるべく、妻にくっついて遠征を始める(ただし留守番の猫が心配なので宿泊ナシの日帰り)。個人的にFC東京にはいろんな意味で負けたくない。
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