2008年10月30日
本当は 浦和に勝ちたいっていうより 浦和サポに勝ちたいんだな、私。 「J2サッポロ」コールをされたドームで 勝って、見返してやりたいって思ってた。 あの、2000年7月の厚別での浦和戦。 「12」の人文字が忘れられない。 あんなふうにもう一度熱くなれたら。 力の差は歴然かもしれないけれど それでもサポの想いは浦和に負けないくらい熱いと ひとつだと ついこの前までは思ってた。 だから、J2に降格したとしても 11月8日の浦和戦はワクワクすると思ってた。 なのに こんなふうに皆バラバラになってしまったことが悲しい。 去年から今年にかけてのUSはずいぶん頑張っていたと思う。 数年前は仲間以外の人の声には耳を貸さず 同じような応援が出来ない人を排除するような言動をしていた彼らが 皆に呼びかけ、「一緒に応援しましょう」と 「自分なりの精一杯で良いので」とお願いしていた。 彼らの頑張りがなければ、スタジアム全体が立って歌声を響かせたりなんて どこのチームもやっていない応援をすることは出来なかったと思う。 若いモンの統制がとれてない、とか 多少常識に欠ける部分とか、ルールを守れない人がいる、とか いただけないところもあるけれど それでも、ロクに応援もせず、野次ばかり飛ばしているような人たちに比べたら 彼らの純粋な応援は、やはりゴール裏を引っ張るのに相応しいものだったと思う。 今の彼らの決意は固いようで それは私が意見できるものではない。 ただ きっと私は あのドームで、あの浦和と 彼らと一緒にめいっぱい声を出して応援したかったのだなぁと思う。 それが出来ないことが 降格した時のあのやりきれない想いと重なって 今、こんなにも鬱々としているのだと思う。 誰にリードされなくても応援はできるけれど 彼らの声がなくても 私たちはひとつになれるのだろうか? そんな私たちが 選手に何を求められるというのだろうか? 何もかもがエゴのような気がして 今、自分の気持ちのやり場がわからなくなっている。
2008年10月28日
今朝の道新の浦和戦の広告。 「俺たちが 勝つ」 俺たちって、誰のことだろう? 降格が決まった試合の後、村野さんが言った。 「コンサドーレは皆さんのチームなんです」 その言葉が嘘ではないのなら もしも何かを変える力が私たちにあるのなら 何度同じことを繰り返したとしても サポートし続けるしかないのだと思う。 それが甘いと言われたとしても どんな状況でも応援し続けることなのだと思う。 私たちが向かい風になってどうする? どんなに情けなくても どんなに泣きたくても 背中だけは向けちゃいけない。 目を背けちゃいけない。 たとえ、真っ赤に染まったスタジアムを目の前にしたとしても 「We are」は浦和じゃない。 We are SAPPORO. We are the FAIR WIND of 12th. いつでもピッチに吹く追い風でいよう。
2008年10月26日
「ベストメンバーで臨む」と言っていた。 今日の試合に出ていたメンバーが今のコンサのベストなのだろうか? 何をもってベストなのだろう? テレビで見た限りではわからなかった。 試合後の選手のコメントを読んだ。 元気のコメントは理解できた。 マーカスは? 何のために戦っているのか そのベクトルの方向が違っている選手たちがピッチに立って ベストな試合が出来るのか、私には理解できない。 個々の力量でみたら到底試合に出すレベルではない選手だとしても もしも、皆同じ気持ちを持って臨むことができるのなら それがチームとしてのベストなのではないのか、と私は感じた。 若手を出せといっているわけではない。 ただ いくら上手くても、チームとして勝つことを考えられない選手なら見たくない。 がむしゃらに、勝ちに行く姿勢を見せてくれる選手と一緒に サポとしてJ1の残り試合を戦いたい。 USは今後の応援を拒否すると聞いた。 けれど応援したい人を否定するわけではないから、好きにやってくれ、ということらしい。 私はゴール裏に行く。 見届けにいく。 黙って見ているだけかもしれない。 良いプレイがあったら拍手をする。 声をかけたいシーンがあったら声を出す。 ただ、それだけのこと。 誰かに強制されてあの場所に居たわけではないから 太鼓がなくても、リードされなくても 私は私の応援をする。 HFCに抗議したって、レッズに勝てるってものでもないし 来季の方向性が見えたからって鹿島に勝てるものでもない。 私は勝って、笑って、次に進みたいから、ゴール裏に行く。 ただ、それだけのこと。 「糸」という唄が好きだ。 (中島みゆきではなくもっぱらBANK BANDのVer.を聴いているけれど) こんな糸が なんになるの 心許なくて ふるえてた風の中 縦の糸はあなた 横の糸は私 織りなす布は いつか誰かの 傷をかばうかもしれない 歌詞では縦があなたで横が私だけれど サポはチームという布の縦の糸なんだと思った。 変わらずにそこに居る。 選手や監督が変わって、何年もの間いろいろな色や厚さで紡がれていく。 この唄の最後はこんな歌詞で終わる。 縦の糸はあなた 横の糸は私 逢うべき糸に 出逢えることを 人は しあわせと呼びます コンサのサポであることに誇りを持ち続けたいから どんな姿でも見届けたい、と あんな試合の後でも思うのは ある意味、しあわせなのかもしれない。
2008年10月22日
2002年の最終戦を想い出していた。 二度目のJ2降格が決まった年 あの年も全く勝てなかったけれど 最終戦の盛り上がりといったらなかった。 曽田のハットトリックで一年が終わるなんて 誰が予想しただろう? 三度目のJ2降格が決まった。 だけどこの一年が無駄だったとは思いたくない。 もはや来年のことで雑音が聞こえるけれど 背番号12の選手以外は何も決まっていない。 今年、残り5試合。 まだ終わっていない。 奇跡は起きなかったけれど せめて軌跡を残して終わりにしよう。 このままfade-outなんて冗談じゃない。 きちんとピリオドを打って また次の一歩を踏み出そう。 終わらなければ、始まらないのだから。
2008年10月22日
数日が過ぎても 自分が何を感じているのか あんまりよくわからない。 悲しいはずなのに 悔しいはずなのに 心が麻痺してる感じ。 ずっと片想いをしてきた人に 振られたような気分だから。 気持ちが重いんだよ、って 言われたような気分だから。 それでもまた性懲りもなく 「彼」の姿を見に行ってしまうのだろう。 何度振られても 追いかけてしまうのだろう。 永遠の片想い。 それを承知で好きになったのだから。 もう一度、一緒に笑いたい。 きっとそれが全て。
2008年10月19日
愛があるなら 一部でも二部でも関係なく俺たちは応援するんだ 試合後のGMや社長との対話の中で出たUSからの言葉は 多分その場にいた誰もが同じ想いだった。 選手は、監督は、フロントは、チームを愛しているのか? 試合に負けたことよりも、降格したことよりも それが見えないことが苛立ちの原因だった。 試合中、声を出して応援していながらも、後半になると私は自分が何に向かって声を出しているのかがわからなくなった。 私が応援している「コンサドーレ札幌」というチームはそこにいなかった。 借り物の選手がうちのユニを着てプレイしているような気持ちだった。 誰が札幌の選手なの? チームを愛し、絶対に諦めないという気持ちを持って、赤黒の縦縞を背負っている選手はいったい何人いたのだろう? だから降格が決まっても、「来年絶対に頑張って戻るから」とか、去年の寿人のように泣きながらサポに叫ぶ選手はいるはずもなく がっくり肩を落とす選手も、悔しがる選手も私には見つけられなかった。 ゴール裏の声に立ち止まって耳を傾けたのはダイゴただ一人だった。 彼だけが、札幌の選手だったのだろうか・・・ 今日の応援、試合中の90分に集中するために、試合前の声援は控えるということだった。 普段とは違う雰囲気の中で、相手チームの応援を聞いていた。 確かに、選手のいないところでどんなに大声でコールをしても、それはサポの自己満足でしかないということがわかった。 ただ無言でマフラーを掲げるだけの選手入場も気持ちが入りやすい気がした。 残り試合、私たちはどんなふうに応援するのだろう? ホームでの試合はあと二試合。 ドームで浦和に勝ちたい、と言う気持ちはサポだけなのだろうか? 最終戦、勝って終わりたいと言う想いもサポだけなのだろうか? 来年もコンサドーレ札幌の背番号を背負うのは、サポだけなのだろうか? one heart それはサポだけの想いなのだろうか?
2008年10月09日
来年の手帳が並ぶ季節になった。 毎年のように父から同じ手帳を買うように頼まれていた。 10年以上同じメーカーの手帳を使っていた。 何の変哲もない薄い黒い手帳。 シンプルで一番使いやすい、と言っていた。 最近の私の手帳に書き込まれる予定は、 大切な人たちのお誕生日とピアノのレッスン日以外は 試合の日程と結果だけになっている。 仕事は毎日忙しい。 プライベートを楽しむには、寝る時間を削るしかない。 それでも試合だけはなんとか、と思う自分がいる。 手帳に書かれた試合結果は今年は散々だ。 どんなに良い試合だったとしてもスコアはただの数字でしかない。 それでも、その瞬間に一喜一憂したことはしっかり刻まれている。 来年の手帳にはどんな数字が並ぶのだろう? 楽しみ、と言っておこう(笑) 今の仕事は私の一番好きなことではない。 こらえ性のない私にはそれだから良いのかな、とも思う。 好きだからしたい、と思うことが、しなければいけない、に変わったら きっとキツイのだろうなぁと思う。 好きだけど、やりたくない時だってあるだろうし、 どんなに頑張っても、思った通りに出来ないこともあるだろう。 もし、私が音楽を仕事にしていたら、きっとやめてしまっていただろう。 そうわかっていても、自分が一番好きではないことを仕事にしていることが 時々嫌になることもあった。 でも、 父の死を経験して、自分の仕事に対する考え方が少し変わった。 薬で人の命を救うことはできない。 病気を治すこともできない。 だけど、苦痛を和らげることはできる。 だから、その薬を安心して飲んでもらえるように手渡すのが私の仕事。 最後に患者さんが気持ちよく帰ってもらえるように「お大事に」の一言を言うのが私の仕事。 ちっぽけな仕事だけれど、 私じゃなくても出来る仕事だけれど、 父が私になって欲しかった薬剤師という仕事は 結構ステキな仕事なんじゃないかと思い始めている。 「だから言っただろう」と笑う父の顔が浮かぶような気がする。 「今年もあの手帳を買わなきゃ」と娘が言った。 「もしかしたらおじいちゃまが何かを書き込むかもしれないよ」と笑った。 今年も、あと少しで終わるんだね。 今年が終われば、また来年が始まるだけ。 いや、別に深い意味はないさ(笑)
2008年10月06日
土曜日、「ROOKIES」(総集編?)が放送されていた。 「全力で戦って負けるならいい。でもこんなザマで負けたら死んでも死にきれねー。」 みたいな台詞があった。 前節までの何試合かは良い試合が続いていた。 今日はジュビロ戦。 どう考えたって負けられない試合だった。 いや、負けても良い試合なんて一個もないんだけど・・・ 全力で戦って負けた試合だったのかどうかは、選手でなければわからないのかもしれない。 だけど、少なくとも、サポは全力で応援していたのがTVを通してもわかった。 メンタルが・・・と言う言葉もノノから出ていたけれど 今更、何が怖いというのだろう? この期に及んであんな試合を見せられるとは思わなかった。 2週間のインターバルがあれば、この鬱々とした気持ちは晴れるのだろうか? いや、 解説や、ハーフタイムのオフトの言葉に悔しがる自分がいる。 「死んだりなんてしないから!!!」 悔しいと思えるなら、頑張れるはず。 君を呼ぶ声 力にしていくよ 何度も 諦めたりなんてしない。 まだ、ロスタイムは残っているから。
プロフィール
2000年5月に厚別デビュー。 同年7月29日の浦和戦にてコンサにはまる。 娘は学業専念のためダンスはお休み中。 今年は普通のサポーターに戻ってゴル裏復帰予定。 家族揃って死ぬまでコンサを応援し続けます。
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