2008年02月29日
明日は長男の高校の卒業式。 高校の卒業式なんて 親は行くのかな?なんて思って母に聞いたら 「行きしたよ!」。 ハイ。 記憶にございません。すんません。 親が来てるかどうかより、自分たちの青春のひとこまを思う存分味わう方向にいってたからだな。 だから、なんとなーく、ひきこもってたし 明日の卒業式 めんどくせ・・・と思ってました。 ごめんなさいまし。 ところが。 今のクラス2年3年と PTAの学級代表とやらをしてたことに思い至り。 そうだ、花束贈呈とか一言挨拶なんかもあるっぽい! 仮病は使えない・・・むむむ そう思っていたらとどめの電話。 「明日の花束贈呈のことですけど♪」 はいはいはいはいはいはい。 ああ、飲み会の領収書? そんなの保存してませんって、オホホ。 なんですって?学級費の使い道を書く書式があるとな? もらってないよう。 いつからそんなに規律正しくなったんすかー。 余った何十円かは 通信費で 着服に決まってるじゃないの。 違うのね。 いや、これは、ほんと、学校による。 そして 学年の代表の好みによる。(保護者であったり、担当の先生であったり) 私のPTA経験からすると 小→中→高 になるにつれアバウトになっていった。 領収書要りません!あると余計やっかいなので使い切ってください! そういう素敵なPTAライフが多かったので 安穏としていた。 まあ、誰かの手帳にどこどこ飲み会って書いてあるだろうから、それを参考にします。 わたしみたいのが代表になると決まって きちんとした人が支えてくれてるので。 なので明日。行かなきゃ! てか、そのあと 飲み会だよ! こどもの進路も不安な中 飲みに来る親たち。 13人。 進路が決まった子の親御さんは盛大に祝ってやるぞ。 決まってない親御さんとは しみじみと杯をくみあわせるぞ。 ああ、明日 なんて挨拶して先生に花束あげよう。 泣いちゃうな。 先生より、子どもたち見てヤバイだろうな。 原稿書いておこうかな。
2008年02月29日
このままじゃいかーん しかしシーズンパスもまだ届かないよー。 持ち株会の招待券の往復はがきはきたけれど。 目ざとい次男坊に マリノス戦のぶん 確保!と言われた。 また友達二人連れて行く気満々だ。それも熱烈ゾーン・・・。 そのうちの一人は 親が以前コンササポだったみたいで 昨年の最終戦には なんと 大森健作のレプユニを着てきていた。さすが! で、今季は 己の好みでレプユニを買いたい(買ってもらうつもりか?)と思っているらしい。 ならば自分で調べろよ と、私は思わない。 なんせ 人にもの聞く方が手っ取り早いという知恵を授かってしまったからだ。 しかし、そのレプユニ(以下 レプ男)を欲しがっている レプ男もまた 同じ人種なのだから これは構ってあげなくてはならない。 大切に大切に 「本当に欲しいなら自分で調べろと言え」 とは わたしは言わない。 言うべきなのだろうか。 で、答えたのが 宮の沢に行くか ファクトリーに行くか 丸井さんに行くか、ドームのショップに 行くか、エトセトラ。 きみたちの行動圏内にそれはあるのかな? しかも 好きなナンバー入れたいなら それなりの時間もかかるらしいよ。 わたしはレプユニ買ったことないし。 ぜんぜん親切じゃないね。いや、もう それどころじゃなかったし。 まずはきみたち ほら もうすぐあるでしょ、あれが。 コンササポのつもりでも 思ってもいない質問されると即答出来ないことだらけ。 まず そのレプ男が本当に欲しがってるのか、つい言ってしまったのか、 元手(マネー)はあるのか。 そういった調査をしてからでもいいかなと。 さらに、レプ男の親御さんが 今どうしているのか。そっちのほうが気になるといえばそうだ。 でも、なんか総合的に嬉しかった。 招待券は別の時に使わせてもらう。 レプユニ欲しいくらいの君にならば(レプ男) わたしはチケットプレゼントするよん。 もう一人は どうだろう・・・よく知らないのだ 微妙だな・・・ えこひいき(!)できないしな。
2008年02月27日
顔文字はある程度理解できるというか使えるというか、昔は顔文字辞書のようなものを ダウンロードしていたので さまざまな顔文字を使って遊んでいましたが、今ない。 すべて手入力。 (^^; とか (--; とか M(ーー)M とか (・・) とか。 あんまり使わないけれど。その理由は少しあるけどあとで。 現在わからないで困っているのが 携帯電話にある絵文字というもの。 この2~3年で 絵文字使用率が増えたような気がするのは自分だけですか。 しばらくこの絵文字というのがしっくりこないで、自分はいつまでも (笑)とか(汗)とか 使っていたのですけど、 なんか違うかもと思い 絵文字も使うようになりました。 ガハハの顔、ウィンクの顔、たまにハート系、涙系。 好きなのはムンク。 が!この絵文字というものが 種類豊富! 笑った顔や 泣いた顔や 落ち込んだ顔くらいは識別できるのですが、 矢印系や つつ みたいなのや 洟垂れみたいなものなど 雰囲気で感じなさい というものなのだけれど わからない。 近くに携帯電話の取り扱い説明書がたまたまあったので 見てみたが 絵文字の意味の説明までは載ってなかった。 そして顔文字にもどろう。 これは わたしもものすごく使っていた。 ところがある日、それをまったく使わない人種と文字で語り合う機会があった。 顔文字まったくなし。 内容はやわらかかったのかもしれないけど 「ですます」のしらべに この人は顔文字を知らない人なのか?とすら思ったわけで。 「なんか冷たい人・・・」 それが第一印象。 印象って大事だから、しばらく その人が 怖い人に見えていた。 全然違った。ぜんぜんちがった。 そんなことも頭の片隅にあって、ブログを書きはじめようと思った時も 男っぽくいこうか女っぽくいこうか 考えました(笑)。 だって、男の人だと思ってやり取りしていた人が女性だったなんてこともあったし! あれは痛快だったなあ。 けっこういろいろ考えて始めたコレだったのね。
2008年02月26日
2月23日。ものすごい降雪量でした。 交通網も乱れ 全国的にも被害がもたらされました。 これは、記録として残しておきたいので書きます。 今の場所に住んで6年になりますが、降雪量うんぬんよりも、ある方向からの風を伴うと こういうことになるということを 今後しかと心に決め、玄関フードを設置するかどうかの 考察を 次のスノーシーズンまでに考えろと。 我が家の玄関はいわゆる縁起でもない 若干北向きにある。 微妙に北西ですから・・・の言葉を信じ なんら不安は感じていなかった。 がしかし。 このたび、初めて 内側から玄関ドアが開かなかった。 力任せで開きましたけれど。 自分の中では都会であろう北国でこのような目にあうとは。 そして、風向きなのかなんなのか、我が家は吹き溜まりになるということも 過去数年でかすかに認識はしていた。 そういえば 秋の枯葉も 我が家の敷地内に たんまりたまる。 厚別は風が強いのだ。 聖地厚別も 風向きでいろいろあるじゃないか。 うちも聖地厚別だからなのかもしれないけど、風向きで 枯葉はたまるわ雪はたまるわ。 今年、2008年。 玄関ドアが開かないくらい雪がきた。それを残しておきたい。 ああ、今日は延期になった息子の試験だ。 昨日、午後から受けた友達。旭川までやっとたどり着いて受けた友達。 宮城県まで行った子は 結局フェリーを使い 試験ぎりぎりに着いた。 うちの子はほんとに記念受験なんだよ。 だけど、仲間たちどうか良い結果を。 頑張った子、頑張りきれなかった子、それぞれだけど同じ仲間でいてね。 記録しておきたかったことを書きました。
2008年02月25日
自分のことなんです。 パソコンに向かうとつい何かやらかしてしまいそうで ほとんど向かわず パケ放題の携帯電話を駆使して 見たいところは見ていました。 車のエントリーに コメントを下さったみなさま、有難うございました。 必ずお返事しますから。気が向いたらまたのぞいてやってください。 なにかあるとすぐに獣のように反応し、そのうち開き直って さらに獣となって 書かなくてもいいようなことまで 自ら追い討ちをかけるように晒す。 これは一種の悪循環というものでしょうね。 思うんですよ。 自分でも。 こいつアホ。 年齢にふさわしい品格のかけらも持ち合わせていない。 しかも 女だという。 さらに、こんなのが時々親ぶったこと書いてる。 終わってるな。 ネット上ではこんな感情も素直に出せる一面もあるから、そういった他者の感想を 目撃したこともあるし、自分も思ったことがあったから、なおのこと、 ああ、今の自分は転げ落ちている最中(もなかじゃないよ)かもしらんと 想像してしまう。 こういうのを自意識過剰、あるいは被害妄想、あるいは 負の思考回路という by aru。 いつからこうなったんだろう ひーん(馬じゃないよ) 一応 なみだ目モード。 他者にも 自然にも いいことひとつもしてないじゃないの。 どこかで(いや、知ってますけど)カウンセリングカテゴリを作成したと拝見しました。 出張サービスはありですかね。 修正可能でしょうか。このブログ。 潮時なのは ISDNでもなくて、この我がブログなのかもしれません。 これでもけっこう思いつめてるんですよ! 光にしようかとエントリーした翌日に 「光にしませんか?」とNTTから電話がきました。 なんという偶然。なんというすばやい対応。 まだしてないけど。 こういうのにコメント誰かくれますか? 自分は欲しがるくせに 与えられてないんですけど・・・ ああ、また少し転がった。 *注意 なぐさめ不要
2008年02月23日
車の運転免許持ってる方は 運転好きですかね。 仕方なく運転してますかね。 必要に迫られ 気づけば生活の必需品となっていて あまり考えないですかね。 私は車の運転が大好きです。 札幌に来てから あまり楽しんでないなというのが本音ですが、 いろいろな土地に住み、近隣の町におもむいたり 抜け道を探すのが好きでした。 こうして今 札幌に住み 行く場所もいちいち考えたり、 気軽におもむきたいな・・・行ってどうする・・・何するよ・・・ みたいな現実的な考えが脳裏をかすめるような つまんない人間になってしまうと、 走行距離もおのずと減りつつあります。 免許をとった時に たまたまうちにあった新車がマニュアル車だったので ためらうことなくマニュアル車の免許をとりました。 自分が免許を取得した頃は まだAT車はそんなにメジャーじゃなかったような。 いえ、これは自分の感想です。もう バリバリAT車の時代だったかも! 今時分は どちらかを選択するみたいですね。 やっぱ、マニュアルじゃない? などと書いてみる。 それでも教習の中で 「AT車授業」も含まれており、 教官に 「楽なのよ、これ」と 言われ 乗りました。 別に楽だともなんとも思いませんでしたがね、緊張してたから。 前にも書いたかな・・・ 人によく喋るので 書いたことあるかもしらんが、まあいいか。 AT車は 信号待ちなどの時 ブレーキを踏んでなきゃならない。 何故なら ブレーキから足をはずすと 車はのろのろと進む。 「はい、この現象をなんといいますか?」 教官からの質問。 AT車に乗るのは カリキュラムの一環で体験学習♪みたいな感覚でいた自分はおののいた。 ・・・・・ わかりません。 教官 「ほら、コーヒーに入れる アレ。アレですよ!」 私 「・・・・マリーナ・・・かな」 教官 「それはパンに塗るやつじゃなかった?じゃなくてね ほら、あれ!あるでしょアレ!」 私 「く、クリープ!!!」 教官 「当たり!」 そんな時代でした。 オートマに乗り始めてから マニュアル車との違いに苛立つこともあった。 まあ、いきなり セダンのマニュアルから ワゴン車のATになったのだから 仕方がないけど。 しかもディーゼル車だったし、エンジンの綺麗なぷるるるるーな音や 回転数が上がっていくときの高揚感は 経験することもなく。 いつかまたマニュアル車に乗りたい! と思っていた。 でも、結局 好きな車に出会えたけれど、AT車。 気持ちマニュアルモードついてるけど あの、半クラの感覚はもう味わえない。クラッチ板・・・ 普通の交換時期より早かったなあ・・・。 ああ、へたくそだったのね。 ぶるんぶるんきききーどはらっしゅ!な運転は どこかですれと。 先日の新聞で 十勝でそういった自家用車でぶるんぶるん出来るところがあると知った。 行きたい。 行きたいー!
2008年02月21日
ナビスコカップの案内があったので つくづくオフィシャルを見て 確認した。 いやはやびっくら。 そうか、室蘭、函館はナビスコだったのか! うーむ。 一番近いので3月23日(日)13:00 川崎フロンターレ戦 室蘭入江運動公園陸上競技場 ときたもんだ。 うーむ。 うーむ。 行くよもちろん! しかし うーむ。 で、次は 5月25日(日)14:00 ジェフ戦 函館市千代台公園陸上競技場。 これは大丈夫だろういくらなんでも。 頑張らなきゃいろいろと。
2008年02月21日
故郷でもなんでもないんだけど 時々 無性に恋しくなり 帰りたくなる場所がある。 あそこだけは なんとなく特別。 わたしが生まれたのは旭川で、結婚して子どもが出来て でもすぐに夫の転勤が決まるまで その土地から離れるということは あまり覚悟していなかった。(←詰めがいつも甘い) 本当は 育児休暇を経て復職するのが希望だったけれども、夫がいないんじゃ話にならない。 いくらつぶしのきく職業に携わっていたとしても、また乳飲み子抱えながら知らない土地で一から やり直すだけの根性がそのころの自分にはなかった。 絵に描いたようなマリッジブルー及びマタニティーブルーを とことん味わった。 (母と祖母は わたしの目につかないように そっと 塩をまいていた 後に聞いた) 初めて住んだ知らない土地。それは富良野。 めっさ 近いわね。今にして思うと。 でも 海外のような気分だった。さみしくてさみしくて。 それも 山すそのようなところに住処があって ベビーカー押すのも一苦労。 免許をとりました。26歳で ぴったり26万円かかりました。 教習所で 仮免落ちました。 泣きました(笑) 一応バリバリ仕事していた名残があったので 怒られるってことに慣れてなかったのかと あとで自己分析。 でも、長男は そこで 新たなジジババに出会う。 こよなく愛され今に続く。 本当のジジ(夫の父)を 「おじちゃん」と言い 富良野のおじちゃんを 「じいちゃん」と呼ぶ。 そのたんびに わたしは気を失いそうになった。 そのあと北見へ。次男はここで誕生(神社じゃないよ ちゃんと日赤で産んだよ)。 そして深川。 そして恵庭。 そして 稚内だ。 (そのあと 札幌の今の場所に) 稚内が無性に恋しくなる時がある。なんでだろう? 海があったからかなあ。とふと思うのである。 内陸育ちの自分にとって 海とは 留萌あたりまで車走らせ(友達の) 泳ぎに行ったり キャンプに行ったり 夏の華やかな そうサザンオールスターズが必ずBGMにあるような そんな場所であった。 ところが。違った。海水浴が出来るのは ある一定の場所で それも2週間ひらければいいとこ。 てか、海水浴した覚えないや。 なんか長くなります。 稚内に初めて行った日のこと。そこでの2~3年。 少しずつ書きたくなりました。画像もなんにもないけれど。 しばし コンサとまったく関係ない思い出話 突入しよう。
2008年02月20日
いろんな見方があるでしょうが、 久しぶりに血が騒いでしまいました、代表戦。 とは言いつつ 叫びもせず 石のように固まって食い入るように見つめてしまった試合でした。 あのスタジアムの雰囲気も含め 審判も含め やっぱりサッカーだ・・・と思ってしまった。 いいとか悪いとか理屈じゃなくて 「目が離せないわ!」 モードで ふとテレビ画面の光線が変わった時に 自分がテレビ画面にうつって、 「なにこの正座したおばさん!」 と ひいたけど、 がちがちになって見ておりました。 自分の目には ファールとそうでないものの区別がいまだはっきりわからないのだが、 リプレイされて 足がボールにいってるか そうじゃないかは 後でわかるけれども ボールのないところや 追ってる時などの 激しいタックル的な当たりは その判定基準がいつもよくわからない。 こんなこと書くのはお叱りを受けそうだが、倒れる側ってどうなんだろう。 後半ばたんばたんと 倒され痛がる選手が続発していくうちに 中国側から見たら 「あれっぽっちで倒れてる ブーブー」 だったのかな なんて。 いや、そういうことなんかも ちょっぴり思ったですよ。 わたし痛くなかったから・・・あああ。 それにしても山瀬は 立派になったのう・・・ 今更ながら知りました。 もう素直に 喜んでしまった。 今野は きっと 3年毎くらいの写真を並べたら違いがはっきりわかるんだと思うけど 札幌の時と なんら変わっていない風貌に 土のにおいというか ぬくもった。そして良い。 相馬さんが 「イラっ」としたり、スタジアムが 実況曰く 「モヤっ」 としてたり 手持ち花火のようなちょっぴりショボイ発炎筒みたいなのが出たり 何かピッチに投げ込まれたり いろいろありましたが、最終的に面白くてごめんなさい。 安田選手の状態はどうかな。大丈夫だといいけれど。 担架で右手で左手を持っていたから 胸とかより肩のあたり痛めたのかななんて思ったけど わからない。 楢崎はやっぱり 今まで代表で選ばれた中でずーっと一番好きなGKだ。 そして中澤 いいなあ。ひょうひょうとしてて。 なんか最後 「フラッシュいかがですかー」 か 「クラッシュいかがですかー」という 意味不明な音声をマイクが拾っていたが あれはなんだったんだろう。
2008年02月18日
更新頻度はそんなに多くなかったし、そもそもみんな多くなかったし、 頻度としては 元気はピカイチ! だったと思う。 サポの心理を自然に理解していた人。 選手としてのもろもろや、個人としてのもろもろや、サポーターを意識して書いてくれた もろもろに 人柄的な云々もさておき ツボのわかるお人だ! とひそかに尊敬していた。 なんだか やめよっかなー的な発言を見て ショックだったけど、 これも 彼の気持ちなんだし。 一時期 更新するのをやめる宣言もしたし、復活嬉しかったよ! でも、今度は本気でやめるのかな? まだ時間あるから 残り楽しみにてみる。 オフィシャルだからなのかなあ、それとも彼の性格もあるのかなあ。 いずれにしろ 好印象を残し いなくなるのも潔く、期待しまくってしまうな。 彼は進化しようとしている。私はそう受け取った。 彼の旅立ちを素直に喜ばなくてはな。 ちゃんとやめる前に 次のブログ(オフィシャルだよ!)書いてくれる人 確保してくらさい。 曽田さんもご無沙汰だしな! 誰か書いておくんなましよ! 生の声というか、声とも違う、文章にするって難しいことだけど 語ってくれよー! 仙台の岡山選手ほど語らなくてもいいからさ。←感動したけど語りすぎ(好きだけど) なんかこう・・・ 素をさらすって難しいことだし、あれこれ言う人ってかんならずいるけど そういうの乗り越えて 別にファンサービスでもなくて、 「(サポーター)と共に 喜怒哀楽を。」 それだけのことでいいから 誰か書いて欲しいな。 芳賀くんなんて 100%書かないだろうな。 どもならんな! 書けよっ。 まあ 一番鋭く書きそうで怖いのは 西澤さんであったりして。 うわお。希望。 いや、ダビもそうだけど…大宮の欠点を知らない人に聞くんだから。 要するに だれでもいいから 楽しませておくんなまし。
2008年02月17日
はい。もう一発。 いやあ、イヤーDVDもう 見まくりですよ。 そりゃ、泣くよね。泣くしかないよね・・・ いろんな場面で嗚咽きました。 オフシーズンって やっぱりいろいろある。 うん、なんとなくそう思う。 コンサに向けるエネルギーが いくぶん鎮静化して 月に何度か行われていた試合もなく 頼る情報は 情報を果敢に求めつつオフシーズンをきちんとわきまえた方々の手により もたらされ、そんな貴重な情報を求めることを忘れかけたひよこは行き場を失い、路頭に迷う。 そうだ。これは鉄則だったのだ。うむ。 だから こんな時に届いたDVDは 救世主であった。 ああああ!これこれ!覚えてる! 見たじゃん! そう!この場面!このゴール! あれ惜しかったんだよ! 審判このやろう! だからもうね、そこからはヤバイんだってば!そんなこと言ってたのかよ! 泣かすなよ!すっとこ! そうして、結局泣く。 行った。あれも これも、行った。それはごめん行けなかった、行った人ありがとう。 思い出して、嗚咽が終わればほろりとくる。 なんだ、自分 サポーターって思ってもいいんじゃないのか? 行った回数でもない。見た回数でもない。かけたエネルギーの違いでもない。 覚えていること。思い出せたこと。 それが自分にとっての希望になった。 今年もコンサと生きていこう。また頑張れるんじゃないかな! 少しずつだけど コンサとリンクしてきた自分に嬉しくなった。 今日は 負けたんだね。 大丈夫だよ。 まだキャンプなんだからうろたえないで。 やっと 選手の名前覚える気になってきたぞ! 「北のサッカーアンビシャス」という 小さな新聞がある。コンビニに売ってるけど。 昨日久しぶりに買い求め アルセウのぞく新加入メンバーをつくづくと眺めた。 早くJリーグ年鑑も買い求めなければ! そーいえば、コンサのオフィシャル年鑑って もう出てたっけか! うわお知らない!
2008年02月17日
プログレス 即座に意味がわからずに 辞書をひもといた あるいはネットで調べた方が多いことを希望する。 自分はそうだった。 プログレス 意味 とか適当にグーグルする。 辞書機能なんぞ使わない。 スガシカオという人が そういう曲を作っていたらしく そういうファンサイトにとんだ。 あるいは、塾経営者のような方のブログにもとんだ(英語に詳しい)。 同じようなキーワードでとびまくって そこに行き着いたコンササポが 私以外に大勢いたとしたら、彼ら彼女ら(?)は 己のアクセス数に気づき 何があったんだ!と不安に思ったかもしれない。(知らない) 【コンサドーレ札幌が プログレス というスローガンを発表したからなのだよ】 あんまりダイレクトな題名つけるとこういうことにもなるんだなあ と感慨にひたる。 あ、ブログにね。 以前 風と共に去りぬうんたら で書いた後に 自信がなくてダイレクトに検索して調べていたら なんと 己のブログが 何十万件中の 20件目みたいな場所にあっておののいた。 話がそれるな。 まあ、わかったようなわからないような気持ちでいたのだが、 夫が帰ってきてから 「意味わかる?」と聞いたら ニュアンスとしてわかるということで 簡単に教えてくれたのが、アドバンスとの違い。 要するに プログレッシブという形容詞的な用い方が多いらしいけど 「進行しつつある」。 そうか。発展途上にあるってことかな?いや、いい意味で。 進行してしまったらそれこそ伸びない。まだまだ伸びしろがあり、発展していく過程である。 そして それは前を向くこと。それのみ! かなり 話を大きくし 自分なりに解釈してみた。 長いシーズンの間に、幾度となく この プログレスの意味を噛み締める時がくるのだろう。 そうやって いくんだろうな・・・ ますます感慨深くなってしまった。 まあ コメント返しもしたりしなかったり他にももにょもにょで、レスも減ったわな。 まさしく ブログレスってことにも思いを馳せた。 うーん・・・ 寒い。寒いよう。
2008年02月16日
目先の雪に翻弄され見逃していた。 我が家の物置。 積もった雪がお隣に落ちるのは時間の問題であった。 何かに似てる。 札幌ドームだ! 記念写真を撮影後 息子二人総動員で 雪おろし。 ウッドデッキも壊滅寸前で雪は片付けてられ、 今日はもうみんな自分の仕事を誇り、明日のことはまたぬくんでから考えることにした。
明日も降るんだべか (泣) 明日はコンサな話題書きたいな。いろいろ考えて寝よっと! 雪かきしたみなさまお疲れ様でした!
2008年02月16日
いい年齢にもなって いまだに自分のお酒の適正な量を知らずにいる私だ。 いやはや。参った。 とてつもなく他人事とは思えない何かがあったな。 ああ・・・ それしか言えない。 誤解なきよう くれぐれも よろしく。 いや、自分の話ですから。 マジメな人は読まないでください。 例の事件とはなんら関係なし。 言いたいことは お酒はこわいね・・・しみじみエスパルスとかあったな・・・ 私はお酒が好き。 アルコールが血中に入ってきて ほんわりしてくる感覚・・・。 たまんない・・・。 でも 強いかというと自信がない。もしかしたら弱いのかもしれない(むはっ)。 ほどほどということが出来ない。 飲み始めたらとことん飲む。 それこそ 自分が 「もうだめ 具合わるい」 という己の信号をキャッチするまで とことん飲んでしまう。 信号をキャッチした時は 時すでに遅し 覆水盆に返らず ということも稀にだが、ある。 ふくすい 云々に関しては意味が違うかもしらんけど。 誰にだって 過ちはあるだろう。それを他者に語るかどうかではないか。 私は語る。 以前 パトカーに乗せられて 家に帰ったことがある。札幌に住む前だ! 犯罪は起こしていないけど、他人から見たら犯罪に見えたのだろう。 いわゆる 通報された。 というやつ。 「酔った私を介抱してくれていた夫」 それはいたって普通の出来事だった。 だが、それは 深夜も過ぎた明け方の 3時かそれくらいだったはずだ。 しかも 家の中ではなく 小規模な繁華街を 少し離れたらあっという間の閑散区域だった。 学校の集まりでしこたま飲んだ。 飲んだ私のために 友達が夫を呼んでくれた。 それだけのことだ。 それだけのことだ。 それだけのことじゃなかったのか・・・・。 時間と場所の問題だったのね・・・。 通報された方は私の 「いやー! 離してよ!」 が聞こえて 犯罪の匂いありと思われたのか、 そもそも その声が迷惑だったのだろう。 駆けつけて下さった警察官に 私は 後に聞くと 「 いやーパトカーはじめて うれぴー」 とか 言っていたらしい。 健やかに目覚めた時、 家族全員に白い目で見られ 「なんとなく パトカーに乗ったような 汗」 と気づいた。 そんなことを経験したならば話せずにはおられない。 臆面もなく素面で知り合った人に話してしまったりもして 距離をおかれたような気もしないでもない。 固形物のようにかたい人と私は話ができない。 コンソメだって 固形より 顆粒が好きなんだ。 いちいち叩かないでいいしすぐ溶けるしな。 味見だって早く出来るし いいんでない? なんだい。 おりこうさんになんてなれないわい。 それにしてもすごい雪。 作戦を練らなければ! 雪かきっていつすればいいのか。 さっきもしたよ! ご近所の目というものもあるしな。 あああ! だめだめ人間に愛の手を!
2008年02月15日
息子たちの受験も佳境に入ってきました。 コンサなブログにも受験生が何人もいらして、我が事のようについ見てしまいます。 みんな頑張っておくれー。 兄貴のほうは センターで撃沈してしまったので もう奇跡が起こるのを呆然と見守るしかない。 予備校の資料に早く目を通したいところだが、本人は 「せめて 2次終わってからにしてw」 と言うので じりじりしながら待っている。 倍率やら 定員に対して何人受けるかとか(同じか) もう慣れた。全然驚かない。 ただ、親同士の情報交換はつつがなく行われており (予備校について) 「あそこはどーだ」 「ここは こーだ」 「年間いくらくらいだ」 「成績によって免除があるとな?!」 と ひっそりと盛り上がってるというべきか 肩は落としている。 その兄貴も何をしているのか、部屋にこもって勉強しているのかさっぱりわからない。 笑い声だけは 敏感に聞こえるわけだが。 いたって元気であり、ならば雪かきのひとつでもしてくれや!と思うのだが・・・ 絶対甘やかせてしまったと、積もる雪をひたすらじっと眺めていると自己嫌悪に陥るので 見ないようにしている。 昨日、次男は私立のA日程試験をしてきた。こちらも撃沈のもよう。 兄貴が 数学だけ解いてくれたらしい。 今日、次男はそれを学校に持って行ったらしく 「兄ちゃんのレポートが 思わぬ人気だった。先生にも頼まれて見せた」 と得意気に帰ってきた。 どれどれ!見せてもらった。 すごい。 なにこれ。 兄ちゃんすごいね と思わず言ったら 「だよね」 と言う。他人事みたいに。 二人で ははは・・・と笑う。 やっぱり他人だと思われてるのかい?と聞くと 「俺のもちネタで絶対の笑いがとれるレパートリーのひとつなんだ」と またも得意気に 「兄と自分の違いについての定説」 を語ってくれた。 実際には図すら用いて笑いをとるらしい。 まあ 要するに 母親の遺伝子が主に自分にきてしまったか、神社かコインロッカー・・・ という ひどい話だ。 自虐ネタに走ってるところなんか 確かに似てるし、 またそれをネタにブログ書いてるんだから、まったく その通りだ。 次はB日程がある。 「どうやって行くかなあ」 と友達と悩んでいるそうだ。私は知らない。 第一、その場所がどこにあるのかすら 私は知らない。まあそういうことだ。 せめて いい姑にだけはなろうと固く心に誓っている。これはマジ。
2008年02月10日
わたし自身が書いたことを 一字一句もう一度読んで下さい。 なーんて いきなり何? でしょうが。 悪意を持って読めば そこに悪意を感じる。そんな感想を持ちました。 自分も 似たような経験があるから偉そうなことは言えません。←言った 先日 「レラの福袋企画に思った」 というエントリーをしました。 お一人お一人にお返事するとややこしくなるので 新たに書きます。 トラバもして頂きました。有難うございます。 拝見しました。 リンクフリーの自己責任でした。 (プロフィール欄から リンクフリー消去しました) あるところでは 深く読み取られ、あるところでは 間単にまとめられました。 管理人さまの主張はしっかりと伝わってきました。 でも、その場所にコメントされる内容は 果たして 誰に対するものか? それがわからない。 そこがはっきりしないところ。 なので なかなかどうして書きづらい。 日々少しずつ ナノ単位で学習しているので。 やはり ブログという場所での議論は難しいということでしょうか。 自分が勝手にですが、 誤解されたかもしれないな・・・残念だな・・・と思ったことを こちらで書かせてもらいます。 どのブログとか お名前は 書きません。 気になる方だけお読みになって頂けたら それだけで幸いと思うからです。 全部お知りになりたい方は 私の 当該エントリーのコメント及びトラバ先をご覧下さい。 以下追記。しかも 覚えてる順番だが。ながい。
・レラに悪意なんぞまったく持っておりません。まったく持っていません! 自分 高校時代バスケ部でした! (半年くらい) ・上から目線でものを言ったつもりはないです。 この 「~なつもりはない」 が曲者ですよね。でもそうだからね。 ・嫉妬については、自分でも嫉妬かもしれないと認めたくないけど認めてます。 だから わたしが買ったら 選手に謝るしかないって。 ・結局批判したいだけと思われたのかな?と妄想しましたが、それは誤解です。 それしか言いようがありません。 ・単純に コンサに当てはめて 今の状況で そういう企画通るかな? 三浦監督が許してくれるだろうか?と思いはしました。 でも 選手自らや HFCの考えで 動くのなら それは凄いなと思います。 商品として選手やスタッフが納得できるなら良いのです。 賛否両論出てくるでしょうが、画期的な側面を感じられて嬉しがるかもしれません。 ・選手の時間を拘束することを 特にこだわったわけではありません。 これは 今初めて 書くことですが、うちの選手は 線が細すぎるとは思ってます。 個人でもっとフィジカルを鍛えて欲しいという願望を私は持っています。 そんな思いが根底にあっディナーより鍛えて! があったのかな?と今は思います。 だから、選手の時間を買う ということに過敏になったのかもしれません。 「いやだー!」 の本意は ここだったのかもしれません。 ・レラのことについて少々書きました。それが 「だからコンササポーターは心が狭い」に 何故結びつくのか わかりません。 道民として レラカムイを応援することについて 私はまったくその通りだと思っています。 付け加えれば 道民としてではなく レラを応援する人これから増えて欲しいです。 ・Mさんと書きましたが 水澤さんへの何がしかの感情は 私は一切持っていません。 何故なら 水澤さんがいらした時のコンサのこと 知らないのです。 コンサを応援していましたが 水澤さんのことはよく知らないです。 でも 同性として憧れの眼差しは持ってます。 ・記事になった方のことについて触れました。 いたたまれない立場になってないといいけれど、のような。 それは、自分もリンクしたし ネットというもので お顔もお名前も流れてしまう。 そこまで その方は覚悟されていたのだろうか、そこまで危機管理や個人情報保護法に のっとった説明があったのか そこまではわからなかったので そういう意味で書いたのです。 それは稚拙な老婆心から出たものであり きっとなんら心配することではなかったのでしょう。 ・今日 たまたまレラカムイの試合がテレビでありました。 見ましたあああああ! トップのアイシンと第3~4ピリオドで 凄い展開を見せてくれました。 東野ヘッドコーチが思わず感極まって言葉につまりました。 そして 何より観客へのお礼、戦ったアイシンへのお礼を述べていましたね。 ・サポーターだけじゃなく 相手へのお礼には ぐっときました。 学びたいものがありました。 恥ずかしながら 初めてレラの試合を見たのです。桜井選手はカズゥに似てますね。 実況の方の説明で 北海道のバスケ人口は 全国2位なんですね。(神奈川県についで) 知りませんでした。 ・自分のこども関係の親御さんはバスケ少年の親がほとんどです。 彼女たちは 息子のバスケを 仕事を調整して何がなんでも駆けつけていました。 彼女たちが 自分のこどもたちがバスケから少し離れていくこの時期に どれくらい レラのこと興味持っているのか 知りたいと思いました。3月に集合するのでインタビューします。 そういうわけです。長々とみっともなかったですが、あがいてみました。 見苦しかったでしょうが 書きました。読んで下さり ありがとうございました。
2008年02月09日
先日のタイ戦で聞こえた 後半も残り10分かそれくらいの時に 何やら 岡田監督の指示に激しくうなずいていたあの男。 カズか? んなわけねーよ! ばんちゃんだぜよ! なによ あの顔つきといい髪形といい カズじゃん。 そうだ、カズのところに行ったよね むかし。 しかも 半袖。 その時 わたしは確かに聞いた。 「俺は 札幌にいたんだぜ!」 その一言が 勝手に自分の頭の中でリフレイン。 改めて思い出したので書いておこう。 播戸竜二という選手が大好きだったということを。 その頃 自分は稚内市に住んでおり 試合にも行かなかった。ひたすらスカパー。 彼の選挙ポスターは 稚内市の某スイミングスクールに貼ってあったので すかさず必要なくなった時にください予約をしておき、ゲットした。 が、トイレの開き戸のガラスが割れ、他のポスターじゃ 夜中怖いという幼い子どもたちの 気持ちをおもんばかり、やるせないまま そのポスターは トイレのドア内側に貼られた。 いや、そういうことじゃなくてだ。 自分は 播戸竜二が好きだったんだ。 やんちゃ小僧。 得点したら 岡ちゃんに飛びつきにいく。 でも なにやらファンサービスには不評な噂も聞いたことがある。 そりゃ私は離れていたしね、ファンサービスなんて関係なかったのよ。 それは ファンサービスを受けたい人が受けに行くものであって 別にそんなのいらなくても 全然平気だったし (まず行ってないからの意見だがな)。 話がずれましたかね。 あの半袖を見た時に、心底 「無理するなよ!」とは思った。 が ほぼ同時に 聞こえた。 「雪がどうした?1℃や2℃がどうした?俺は監督と札幌にいたんだよ!」 みたいな。 自己満足。 ただし スタメンだったらどうだったかは知らない。 巻選手はやはり肋骨骨折してたんですね。タイ戦でのゴールの時 泣いてるのか?と思った。 痛みもあり、いろんな思いもあり、雪でぐちゃぐちゃだったし あんな顔になったのだろう。 もう ラーラララー♪というメロディの大黒摩季の歌は しゃれになんない・・・。
2008年02月08日
中山暢気移籍の件 めちゃダイレクト いわゆる赤黒アフロというものを被る人は彼だけじゃない。 でも わたしにとっての 赤黒アフロは 中山君であった。 彼が 仙台に移籍することになった。 知り合った頃から いつか札幌からいなくなることは覚悟してました。 昨年から その確率がどんどん上がっていくことを知り、 初めてその話を聞いた時は あろうことか 電話口で号泣っていうんですか? へへ 恥ずかしいっすね。 いえね。 自分、コンサのことは応援してたんですよ 10年はいきませんけど それなりに。 いろいろあって ようやくコンサに復活したのは ほぼこのオフィシャルブログ誕生の頃と かぶり、その中で 初めて 文字だけで笑いあえた人と リアルで出会った。 それはものすごい偶然でした。 その人が 中山暢気くん。 ほぼ 彼へのラブレターになるので追記。 たくさんのコメント およびトラバ有難うございます。 でも、今日は どうしてもエントリしたかったことを優先させて下さい。
正直言うと よく喧嘩もした(笑)。 くしくも アルセウとの何かやかにやで 三浦監督が言った 「去るものは追わない」 中山暢気くんは そういう主張を断固として持っていた。 だから、喧嘩したら 折れるのは自分さ。 折れて連絡したら 「へー 素直なとこあるじゃん」 なんて言われたりな(笑) コンサのこと 本当にたくさんお話してきました。二人で盛り上がったよね、いろいろ。 ブログで悩んだ時も いつも適切なアドバイスをくれました。 彼のすごいところは コンサがまったくダメダメだった時期にサポになったというところ。 それは まあ 彼の遍歴の中のたまたま一致した時期にかぶるだけかもしれないけれど。 自分自身も草サッカーしてたり サッカー好きが基本にあったのだと思う。 そして、コンサに傾倒していった様は 私よりも他の人の方がよく知ってると思う。 一番彼のことを尊敬していたところは、北海道に限りなく馴染んだその人柄かな。 北海道弁も普通に使う。 決して 「北海道の人はね」 なんてこと言わない。(どこかで言ってたか? 笑) そして 頭がいい。 その脳につまっていることをけしてひけらかさない。 彼が 生粋の営業畑の人間であったことも大きく関与してると思う。 仕事の上でも 私や他の近しい人が知る限り 成功をおさめていた。 だからこその 今回の移籍。 誰にも媚びない。ブログではどうだか知らないけど リアルではそうだった。 それでいて 順応する器用さ。 狡猾さ。 自ら楽しんでしまおうとする生活力というか人間力の力強さ。 そういう側面を 何度も感じさせてもらった。 彼との思い出はつきることがない。彼や彼の友人のおかげで私はたくさんの人と知り合えた。 感謝してもしきれない。 いつだか、偶然旭川にいて 同じ時間に札幌に帰ることわかって 高速のとあるSAで待ち合わせしたね。 その日は どしゃぶりの徳島戦だったねえ。 初めて買ったポンチョを着せてくれたねえ。 それであの日 車のキーが見つからず 雨の中持ち物全部ひっくり返して探してた時、 ずっと傘さして待っててくれたね。 函館でも楽しかったね。 何度も飲みに行って、何度もお茶したりごはん食べた。 宮の沢にも行ったね。三角山放送出演の時は わたし付き添ったの覚えてるかい? 一番一緒にいた応援はSA席だったね。 得点の時 はしゃいで 一番前に飛び降りて 周囲の人に わおわお!という意味不明の声出して 喜びを分かち合おうとしたね。 初めて見た時 びっくりしたよ! いつでも電話一本、メール一通で会えるとおもてたよ。 時間は容赦なく過ぎるんだね。 すんごく悲しい。さびしい。 でも 暢気君は 呆れるほどスタジアムに行く人だ。アウェーで会えるだろう。 札幌にだっていっぱい帰ってくるだろう。そう断言できる。 それが出来るのは 暢気君の 移籍先での活躍次第だろう。成功を祈ってる。 そんでまたこれからもちょくちょく会おう。お見送りはしないからね! ずっと友達。 出逢えて良かった。大好きな暢気へのラブレター。でした。
2008年02月07日
やっぱりねえ。 って、知らんのがほんとうですよ。 情報はコンサの携帯のサイトとこことオヒサルだけみたいなものだもの。 なかなか アルセウの情報には疎かったのだけど あははー。 自分は その名前に (名前) 一目おいておりました。 わたしのHNが アルって発音なのでね(知ったこっちゃないだろが)。 どんなお人かしらー。 コールなんて 「アル!アル!アル!」 曽田さんバージョンみたいな感じだったら 照れるなオイ なんて考えていました。これほんと。アホですね。 そしたらまあ。 瞬間湯沸かし器とどこかで見たんですよね。 今 検索してみたんですけどね ようわからんのですわ。 でも どこかで確かにアルセウのことを 瞬間湯沸かし器と表現していたものを見たのです。 それで 退団です。 はは。 やっぱりコミュニケーションちゃんと取れない人は サッカーしても何してもダメなの。 練習終えても 誰ともコミュニケーションとらないとか、レッドカードとか、それだけのことしか わたしは知らんよ? でもね。 今のコンサでは たぶん一丸なんだよ。正露丸じゃないよ? い・ち・が・ん。 ウリセス~ ちゃんと訳してくれた? なんて うそうそ。 「アル!アル!アル!」の コールを 照れながらしたかっただけさ。 孤高の MF。 違うよね。 MFは えーと、なんだ ひまわりのように なんというか あんまし好き嫌いしてちゃだめというか いや、ひまわりの花の気持ちは知らないのだけど ひたすら太陽みてるというか、あったかい感じとか、なんていうんでしょう。 孤独じゃだめというか 気遣い大事というか。 そうか ひまわりじゃなくて 陽だまりか! そういう居心地のよさというか、でも あまり良すぎてもだめなのか。 知らんわ。 なんか 大変な職業だなと思いました ミッドフィルダー。
2008年02月06日
http://hokkaido.nikkansports.com/news/p-hn-tp2-20080205-316839.html 自分は北海道新聞で見たのだけど、文章全部載せるわけにいかないので 急遽グーグルして 上記ニッカンの記事を探したんだけど。 新聞で初めて見たとき、思ったのは 正直言いますと・・・ こーゆーのやだな。 良い企画だと思われた方もたくさんいらっしゃるとは思うんですけど。 これは個人個人の考え方ですから、なんとも言えません。 まあ、自分があんな美女じゃないから嫉妬もあるとか思われたら元も子もないがな! どーせ、あたしゃディナーなんぞ行けねえよ 服もないしな! 10万払ってまでな!みたいな。 じゃなくて。 真面目に考えたこと。 ・あからさまな 選手を商品にするということへの抵抗。 だって 福袋の商品でしょう。選手の貴重な時間を サポータが買うという行為への抵抗。 ・もちろん、プロ選手は ある意味 その才能を商売の道具としているのだから 商品という 言い方にこだわりさえしなければ 差し支えない。 当たり前だが、選手たち、スタッフにその意味を 組織のトップが(Mさんだけど)きちんと 説明できたからこそ 出来て通った企画であることは わかる。 ・レラはこれからのチームであると思う。ファン拡大のためには ミーもハーも (言いすぎかも失礼) 大切なお客様であり、そんな何がしかの企画で 一人でも二人でも ファン層を拡大したいという ある意味 なりふり構わない宣伝の仕方というものは、あり得ると思った。 ・そしてコンサにもどる。 同じような企画があったとしよう。バスケの日程(年間通しての日程という意味)をよく知らないので そこはすまない。 コンサ的には 福袋には 無理かな。 やっとこさ訪れたシーズンオフでもあり 契約更改の真っ最中 な時でもあるし。 たとえば 4日に行われたレラのディナーは コンサでは無理だろう。 だから バスケの日程と比べるな!です はい。 だから、いつ出来るのか?と思ったり。 いや、もうこのへんで 頭が固いな・・・ (先日 新しい企画を!を叫んだ自分がこれだもな) ・要するに 結論は。 そんな福袋企画は わたしは いやだ! いやだー! 選手が希望するなら それはそれでいいけんど。 わたしが買ってもいいのかい?ぶはは。 謝るしかないね。 いやー もし当たったらどうしようー。 そしたら わたしは居酒屋でいいな。 煙草すっちゃだめか? なら うちの雪かきをしてもらいたいな! そいで うちの犬と狭い庭で遊んでもらいたい。 それと 息子たちに なんとなく いろんなこと 話してもらいたいな。 送り迎えは わたしがしてあげます~。 好きなCD持参してね~。 結局妄想してるじゃん・・・。
2008年02月05日
母にGENEを見せてみた GENEに掲載されている ユニあり私服ありの選手たちの写真。 コメントの文章は置いておいて、ざっと 私服を観察する。 うちの夫はスーツと言うものはほとんど着ない。月に1回か2回かな。 なので 必然的に 私もスーツ 及びシャツ さらにネクタイなどにおけるファッションには いまいち疎い。 マーカス選手のネクタイはひたすら細い。これが流行りなのか? いや、そんなネクタイをしているのは彼だけだ。 シャツもボタンダウンだったり 違ったり ネクタイの太さにも目がいく。 うーむ。 齢48となる夫の七五三スタイルを新調する時に誰を参考にしようか。悩む。 ちなみに、夫は自分で服を選ばない。呉服屋に生まれたという性は、オシャレに敏感に なるか、されるがままになるかのどちらかであり、間違いなく後者であったと私は思う。 新婚の頃は 彼の服装に気を使っていたのだけれど、時は過ぎていく。 私も変わった。 じゃなくて。 母に見せたのだ。選手の写真を。 「誰が好み?」 と単刀直入に。 母は くどいが71歳。 しばらく思案したあと指で示したのは せいやあああ でした。 「なんだか さっぱりしてる感じ。邪気がないというか 」 ですって。いい着眼点だ。 へえ。 じゃあさ、 この中で 誰を知ってる?と聞いた。 「この人」 指差したのは 曽田さん! 「あとこの人」 ダビ! 「それと この人」 ぎーさん! びっくり。そりゃダビはFWだし優勝した時の試合はたくさん流していたし覚えやすいだろう。 ぎーさんだって 覚えやすかっただろう。 しかし優也と間違えなかったのにはびっくり。 そして曽田さんだ。 母はコンサをそれほど見てない。というか テレビで流れていたら 付き合いで見ていて居眠りする人だ。 その人が 「だって この人曽田さんでしょ わかるよそれくらい」 と言った。 すごい!!!! 曽田さんの存在ってやっぱり凄いんだ!
2008年02月04日
オフィシャルブログについて 考えさせられたエントリーがありました。 コメントはしませんでしたが、初めてその記事を読んだ時に感じたことは はからずも コメントで 書かれていた方と同じキーワード 「自己顕示欲」でした。 ブログって、書いてる時点ではいくら日記というくくりにしようとも 何かを発信しているということであり、その責任の帰結は言うまでもなく。 度重なる自分の失敗を少しでも減らしていかなければと 思った次第です。 しかし やはり ブログを発信するということにおいて 自己顕示欲というものの存在を 否定することは出来ないでしょう。 自分は 自己顕示欲 という言葉が出てくると 「お!」と思う反面、逃げ出したくなります。 それは 自己顕示欲の塊だということを嫌々ながら認める人生だったからなのだと 涙。 前置きが長くなりましたが、 そういったエントリーに触れさせてもらったならば この方は過去にどのようなことを書かれて いたのだろう? という好奇心にも繋がります。 限られた時間の中で 過去を追う作業は楽しみでもあり、ちょっとめんどくさくもあり(^^; 自分も 自分用になんですが カテゴリに 「記事一覧」というのを作りました。 数名の方が そういったものを カテゴリに作ってらっしゃいます。 ご自分の ブログの一覧を 作ってみませんか? わたし的には とっても大変な作業ではあったのですが、慣れたら簡単ですし。 そのカテゴリを開いて貰えれば 過去に大体こんなこと書いてきたんだな、と 来て下さった方にわかってもらえますし。 そして 作ってから思ったんですが、エントリする時の題名にも気を使うようになります。 自分にも 他人にも わかりやすくなるというか・・・。 作って下さい! > こちらを見てしまった全ブロガーのみなさん! わたしも500を超えるエントリーしてきましたが、記事一覧は300で止まってます。 何故なら やり方を忘れてしまったから・・・ そんな人が 頼んでるんだから終わってますが。
2008年02月04日
届かない届かないと思っていたらやっぱり届いていた。 しかも家族の手によられ すでに開封されていた doze事務局からの大封筒。 ファンクラブの継続手続きしていなかったからダメだったのか?! と、必死にオフィシャルサイトを読んでいたのに。 my箸は いいですねえ。時代の先駆けとまではいかないけれど のっとってますね。 昨年のエコバッグも良かったし。 そういうアイデアは とっても良いと思うし、やっぱりファン限定じゃなくって、こういうのこそ グッズ販売すればいいのにと 昨年もみなさん仰っていたし、今年も わたしは思いました。 そいでもって 先日エントリーした月コンのファイルのように ファン限定じゃない商品が アレだと・・・ちょっぴり 悲しくなったりもするのでした。 ファンしか買わないとは思うけれど、月コンにしても 他の雑誌にしても たいがいは右開き 仕様だと思うから やっぱり なんであんなことになっちゃったのかと 涙する しくしく。 さて。ジグソーパズルというものがあるらしい。 1000円。 黄色い用紙には それしか書いてありません。 パズルと言えば 「何ピースか?!」 が大事だと思うのであります。 昔からインドアな自分は犬猫と暮らすようになってから していませんが 昔は くらーく くらーく 最高4000ピースを超えるジグソーパズルを作った自慢と言うか 悲しさと言うか そういうものがあります。 ので! ジグソーパズルと聞けば 絵の内容よりも先に 「何ピースか!」が 条件反射的にくるのです。 1000円。よく見たら、「GENE」の裏に ひっそりと B5サイズスタンドタイプとありました。 せいぜい 30ピースがいいところだろうか。 50あったら 凄いもんだ。と思案する。 1ピース失くしたらおしまいだろう。 「失くしました保証書」なぞないだろう(笑) 袋に入って届くのかなあ・・・そうであってほしいなあ・・・ のりなんか付いてるんだろうか・・・まさか額なんかないだろうから 妄想しちゃうなあ。 のりだけでどぞ。 だったら 思いっきり 反り返るんだよなあ 出来上がりが。 ああ、そうか お子様用のパズルみたく 厚紙で枠付きなのかな? いずれにしろ 楽しみだから 頼んじゃえ! そして この際 パーソナルスポンサーとやらにも 振り込むかあ! 一口だけんど・・・。 いつかも振り込んだ覚えがあるぞ。名前が載ったことあるぞ。遅れて載らなかったこともあるぞ。
2008年02月01日
何が彼をそうさせるのか 昨日の北海道新聞夕刊を見た。見れない人には どうにかして見てもらいたい。 このご時世 見れないものなんか 世の中にはないのではないのか と思うから。 知らんけど。 噂には聞いていた。元気選手のブログだって欠かさず見てる。 携帯サイトの 毎日の様子やスクープ写真だって見てる。 でも、昨日の北海道新聞に載ってた謙伍。 焦げてることは知っていたよ。想像はついたよ。でも。 今年一番笑った写真かもしれない。 どうしたけんご。けんごどうした。どうしてそうなる。 昔 こげぱんという漫画と言うかコミックがあった。同じか?本というのか? 同じ職場で仕事していた10歳以上年上のSさんとわたしは ものすご仲良かった。 仕事やめてからも 会ったり電話したりメールしたりの仲だ。 かなり前だが、Sさんは わたしに こげパン を紹介してくれた。 「あんたと かぶるんだよね・・・」 3冊だったか出てたので購入して読んだ。 こげぱん。好きだよ こげぱん。 こげぱん http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%93%E3%81%92%E3%81%B1%E3%82%93 じゃなくて、謙伍。 どうしてそこまで黒くなるんだ。 もともと黒い人はどうなるんだ 意味不明。 プールサイドの戦士たちも見た。からだ 白っ。 真っ黒顔とのギャップに今後どうなるのかと 関係もないのに おののいた。 サーファーのように焼けるのはかっこいいと思うんだ。 そういうのは小麦色とか言うと思うんだ 日本では。 あの色は。 彼はブラジル人になりたいのか、いや、南アフリカを狙っているとしか言いようがない。
プロフィール
HN aru 聖地厚別在住 旭川市出身 *変わらず当たり前 1964年生まれ *いい年齢になってきました 性別 ♀ たぶん *まだそうだ!たぶん 厚別・函館・室蘭ゴール裏 ドーム Gシート *今 違う 夢(妄想)・HFC最高幹部次席付電話受付係りなにそれ *ちょい自信なくなった(本気だったのか?!) 特技・ブログの文章が長すぎること *書けば長いのだが・・・
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