2007年03月31日
室蘭 前半は暖かくて セレッソにアウェーを感じさせられないもどかしさだったが、 後半はけっこう風が出てきてそれなりの寒さがやってきた。お天気GJ! 後半は風向きもコンサに良く、信じていたがチャンスが多くなり いけるぞ! と思った。予定では 3-0で勝つはずだったんだが、勝ち点3いただき!!! 結果だけみると好調なコンサだ。今日は胸を張って 「首位だぜ ベーベイ」と 言えるわけだし、なんかこそばゆいな。 コールリーダーが言っていた 「北海道は3月には桜は咲かないんだよ!」 その通りだ。 これからも STOP!地球温暖化!を合言葉に 桜なんぞ まだまだ見たくないわ。 いや、とりあえずもういいか。もう咲いてもいいよ サクラ。 でもセレッソが桜と言われるのは ピンクだからかな?たぶんそうだよね。 鳥栖もなにげにGKがピンクだけど。(あの水色とピンク カラフル過ぎて脱力するの) GKで思い出した。 セレッソのGK! 後半は われらの目の前にいたわけだが、余裕しゃくしゃくの態度。 お尻フリフリ、くにゃくにゃストレッチしたりなんかして、無駄に左右に走ったり。 「俺 暇だぜ?」オーラを出しまくる。 そうくるか。あん? せいぜい身体が冷えないように動いておれよ。 あらゆる仕草に 自分 初めてブーイングなんぞをしたくなったぞ。 ゴール裏から吐き出されるブーイングにも 背中の「22」が笑ってるように見えた! しかしだ。GK吉田何某が慌てる時はくるのである。痛快!痛快食堂! 昔 最優秀GKだったらしいと聞いたが、私は初めてと言っていいくらい、 相手GKを憎たらしく思ったし、こざかしい!と ひとり 「へっ!」 と呟いていた。 こうやってフットボールに近づいていくんだな・・・ 違うか? でも書いてて気づいた。吉田くんは 単純に寒かったのかもしれないな。 すまんね。 やはり室蘭は 近かった。 いつでも行くよ! 最高!
2007年03月30日
いよいよ明日は室蘭でセレッソ大阪を迎えての試合だ。 うーむ。 相手さんのことはよくわからないのであるが、室蘭での試合は 天皇杯で美味しい思いをしたが、横浜FCとの苦い思い出があるな。 昨年の3月25日が試合だったことを自分のブログで発見した。 何やら物凄く鼻息荒く出かけたようすである。 あの頃は室蘭に行くのでさえ、海を渡るような勢いだったのだなと感慨深く思った。 今は? うちの庭だね、室蘭は。 で、思い出すに当時はまだゴール裏デビューをしていなかったのであり、 バックスタンドで座って応援していたのである。寒かったよ! 秋の天皇杯の頃はゴール裏?当然でしょと化してしたのだが、天皇杯モードで やはり応援したのはバックスタンドだった。 それでだ。 調べてみたのだが、室蘭入江の本来のゴール裏は 芝生だというではないか! 未体験ゾーン。 芝生が斜めになっているのね。そこでサルトするということですね? 大丈夫だろうか・・・ 同じ位置にとどまって跳び続けることは可能なのだろうか。 将棋倒しにはならないだろうか。 過去にそのようなことがあったかどうかは聞いたことがないが、けっこう怖いな。 天気も午後から雪マークなんぞを見かけた。芝生が濡れて滑りやすくなっていたら・・・ ピッチの芝よりゴール裏の芝を心配する自分は、応援命だからだよ! 滑って転んだらどうしよう。スパイク履いていく?持ってないやい。 とにもかくにも、明日は室蘭。 あ~~~れ~~~~ チケット買うの忘れてた。 頑張ろう選手たち! 頑張ろうサポたち!(コンサの)
2007年03月29日
後半からだけど、U-22のシリアとの試合見ましたよ。 中坊が見ていて、「このチーム今ならA代表に勝てるかも」なぞと 言うもんだからつい見た。 なんせ、もう誰が誰だかわからんくて。知っていたのは平山くらいだ。 試合前のインタビューで 確か 「点 とります~」 だったかな、 なんか語尾が気になるな!と思ったので 見ないつもりだったのだが。 後半から見ていたらなんかそれなりに面白かった。 反町監督が望んでいた 「ピチピチしたサッカー」っていうのが謎だったが 出来たのか?勝ったから出来たのか? ピチピチしたサッカー。誰か翻訳してくれ。 息子の話の中で 「本田の弟が」 の言葉に 思わず 「本田泰人のか?!」 と聞いたくらいに、疎かった。 18番の(16番だったかな)弟は 兄と比べようもないほど コユかった。 息子は 「きっと何処かで傭兵をしていたに違いない」と言う。まさに。 「お、選手交代だ。誰が入るかな」 おっ! 「ロバン・カレートだよ!」 息子 無反応 いやさ、アンタより先に言いたくてね、焦ったらこうなったのよ。 カレン・ロバートだってことくらい知ってる。 息子 「ふーん。 笑わなきゃいけないのかと思ったけど あまりに陳腐でさ」 「テニスの玉子さま 並みのくだらなさだった」 なに?! テニスの玉子さま! テニスの玉子さま! テニスの玉子さま~~~~ だずげで ツボにはまり悶絶。 母さんと見てると気が散る。そう言って彼は立ち去った。 いやあ、平山くん頑張りましたね。それにカレンのアシストも素晴らしかった。 けっこう選手名も覚えたので、次回はちゃんと見よう。
2007年03月28日
気の向くまま書いています。 心のどこかで、これでいいのか? という思いがあるのも事実です。 でも、結局 マイペースなんです。 コメント頂いて、携帯で受け取って、嬉しくて、 こうきたか。ならばどう返すか? などと考える時間があって、そういう時って楽しいものです。 で、いざパソコン立ち上げてどうするかといったら、エントリしちゃう。 よそみしまくる。 よそさまを見ていたら コメントつけたい衝動に駆られる。 でも、自分とこのお返事もしてないのにな・・・ これは、本当に自分だけが変に拘ってしまっている癖なんです。 エントリした時にきちんと前回のエントリのお返事を返しているブログを 見ると、ああああ、素晴らしい・・・・と思うのであります。 以前言われたことがあるんです。 返事が遅くなったりするなら、「100%返す」なんて書かなければいいと。 (プロフィール欄に書いていたりします・・・) みなさんそうだと思う。コメントついたら嬉しいですよね。 いや、嬉しい嬉しくないに限らず、また返す返さないに限らず、 自分の書いた文章に何がしかの反応があったりするのは、嬉しいですよね。 いろんなスタイルがある。 自分のスタイルは、やはり、来て下さった方にお返事したい。 これは、相手のためかと思いきや全然違うのです。 コメントにヒントを貰えるのです。 そして新たな発見を貰えるのです。 ですから、自分のお返事は、結局自分のことばかり書いてしまっているちっとも つまんないものになっています。わかっているんです。すんません。 でも、成長させてくれるみなさまに感謝しているんです。 それが今まで続いてきた証し。 こんなブログですが、今後ともよろしくお願いします。
2007年03月28日
私的な日記にて追記とします。
彼は医師だった。 同じ病院の同じ病棟に配属された。 私は配属されたのであって、彼は希望してきたのだ。 いわゆる○○科ってやつを。 今は制度が微妙に違っているけれど。 医学部は6年制なので、普通に卒業し国家試験を通ると 24歳くらいかな? でも、彼はもともと医学部ではない、まったく別の分野の学部にいて、 医大に入り直して医師になった。 だから、同期の医師たちからは先輩のような年齢だった。 私はまだ20歳くらいだった。 それでも働き出したのは同じ時だから 右も左もわからないのは同じ。 特別に親しくなる機会もない状態ではあったが、何年も共に いると、お互いの成長ぶりにびっくりすることがあったり、 だんだん意見し合うようになる。 仲良くなった。「喧嘩するほど仲がいい」まったくその通りに。 彼は、自分に自信を持っていた。 決断するのに時間はかかる。しかし一度決断したならば 崇高なくらい、いやアホなくらい、固執した。 ある夜の勤務の時に、彼の患者さんの緊急検査のため、他の科の医師 とともに、緊急で検査室に降りた。 病棟勤務の自分だが行くしかなかった状況だった。 しかし一通りの手順は把握してる。やってやる。 患者さんは私たちを知っていてくれている。 初めての医師やスタッフばかりだと不安に違いない。 無理をしてでも降りていった。 うまくいった。 彼が言ってくれた。 「君でよかった」 いい仕事ができたと思った。 それから何度か2人で飲みにいった。 彼が最初にいた大学のポプラ並木も一緒に散策した。 ロバみたいなポニーかな、なにかいたな。 野球が好きで、さっぱりわからなかったが聞いていた。 彼が好んでいた居酒屋は、今思い出しても、どこかわからないくらい 袋小路の冴えない雑居ビルの中にあって、汚くて、マスターというのか 店主というのか、いずれにしろ、何もかもが冴えない店だった。 野球の話になる。 わからない。 「ヒットってなにか知ってるか?」と聞いてくる。 ホームランの一歩手前で入らなかったってことでしょ? そう言うと、本当に楽しそうにお腹かかえて店主と笑っていた。 違うよ・・・ぜいぜいしながら説明してくれたけど、よくわからなかった。 回診などについていく。 たまに 患者さんに本気で怒ったり、それが真実の怒りならばわかるが、 まるで自分の鬱積した思いをぶつけるような言い回しだったりしたことが あった。 病室を出てから言う。 今の言い方はいけない。違う。あんな態度とるべきじゃないよ! しばらく病棟の廊下に佇んで考える仕草をみせ、 「だな。俺が悪かったな」 そう言うと白衣の裾をひるがえして病室に戻る。 聞こえてくるのは 「すみません。さっきは自分が間違った態度をとってしまいました。 でも、僕は信じているんです。真剣なんです。わかって欲しくて。 でも謝ります。またあとで来ます」 そんな声。 大好きな医師だった。 そう。医師として、尊敬していた。 一番最後に覚えている彼の言葉。 「俺と患者さんは戦友みたいなものなんだよ」 残していってしまったんだね。馬鹿野郎・・・ でも、もう忘れるよ。それが一番の望みだろうから。 言いたくない。でも言う。 バイバイ。
2007年03月25日
新しい月刊コンサドーレに芳賀博信のインタビュー記事があった。 サポーターにお願いがありました。 ※コンサは若い選手も多いので、良いプレーは褒める、悪いプレーは 「悪い」とはっきり言って欲しい のようなことが書かれていました。 勝手に抜粋していいものか迷い (いや、買って欲しいからだけど) 原文ママではありませんが、月刊コンサドーレ参照のこと。 よく聞くと言えばよく聞くし、目にする言葉である。 しかし、今回 新鮮だったのは 「コンサは若い選手が多いですし」 の部分。 ふむ。若いか。コンサの選手は若いのか。 そのへんの統計は苦手なのであまり考えたことはないが、 芳賀選手が25歳として、それより若い選手が多いということかな? んで、例えば今日の山形戦のスタメンを見てみよう。 高木 貴弘 25 西澤 淳二 33 曽田 雄志 29 ブルーノ 30 西嶋 弘之 25 藤田 征也 20 芳賀 博信 25 カウエ 21 西谷 正也 29 中山 元気 26 ダビ 23 年齢早見表にて確認(誕生月無視) したところ、平均年齢は 26歳だった。 自分の調査の限界ここにありだ。 Jリーグの各クラブの平均年齢は 省略(笑) 何が言いたいかというと、若い選手はそんなに活躍してません、コンサで。 というか試合にフル出場していないということかな。 出てない選手もたくさんいますしね。 ああ、そうか。そういうことなのかな。 若い選手がイマイチなのね。自分は出てくる選手しか見ようがないし、出てこない選手 には興味の持ちようがない。 悪いも何も・・・わからん・・・ まあ、若い若くないに限らず、悪いところは言って欲しい!というのがキャプテンの 本音なんでしょうね。わかったよ! さて、誰に何を、どのような形で言おうかな。両手の手関節をボキボキさせながら 考えよう。 (でも、ボキボキできないんだよね、怖くて)
2007年03月24日
明日は山形戦。現地へ向かわれる皆々様、念を送ります。 どうかやっつけて下さい。 最近、普通にたずねられる。「山形行くの?」とか。 自分はホーム信奉人間なのに、アウェーによく行っていると思われている っぽい。 思えば昨年初アウェーを経験したのが山形だったのは、苦い事実だ。 あれが山形だったのか?と問われても 「間違いない!」 と言い切れない。 覚えてるのは 豪華客車に乗ったことくらいだ。 暇なので、行ったアウェーを書いてみようっと。(記憶が頼り) ・山形 ・フクアリ×2 ・仙台 ・エコパ そして 今年の京都。 (地名とスタジアム名を同列にする美意識の無さよ) これだけだけどな。いや、凄いと言えば凄いけど、天皇杯絡みがあったし。 純粋にリーグ戦で行ったのは2回だけなのな・・・。 4月8日のユアスタには行く。チケット、飛行機、宿 完璧だ。 当初の予定としては、そのまま西が丘へ向かう予定であったのだが、 さすがに京都で散財してしまい、まあなんというか、財政難の予感。 子どもらに 「母さんのアウェー遠征一回で アレが何個買える」 「アウェー2回で 憧れのアレが買える」 そんな呪文に今回は屈したということにしよう。 いや単純に、残高 ヤバイから。 それでも、そっと ローソンでチケットを買ってきてくれた夫よ。 私は今、実を言うと、ローカル再放送の 「熟年離婚」というドラマに ひそかにはまっている。昨日で7回。ワンセグを駆使し見ている。 子どもに録画を頼もうとした日もあった。 「実は見ている」 そう言うと、 長男は 「意味ないよ、熟年離婚なんて」 と言う。 そうなのだ。やはり、そんなドラマをひそかに見ている母親に対し 何がしかの感情を持つのであろう。 でも、大丈夫。 ローソンでチケット買ってきてくれるお父さんと離婚だなんて! 有り得ないから! 説得力あるでしょ! え? お母さんが言い渡される? ・・・・・・・・・あるかも。ひょえー! 話それまくり。 今日は京都観光の話書こうかな。 コンサのおかげで京都行けたんだから、書きまくってもいいよね。いいんだ。
2007年03月21日
簡単に言うと負けなくて良かった。 簡単すぎ! 負けなくて御の字とすら思えた。 湘南の「負けたくないオーラ」が随所に見られた気がする。 そりゃ札幌だって同じだけれど、なんかな。語彙に乏しいな。 帰ってきたらスカパー観戦していた中坊が一言。 「ダビさ・・・ボールくると慌てるのは何故だ?」 マジ?母さんはちっとも気づかなかった。 「なんかさ、あ、来たよ・・・ってドキドキしてるように見えた」 「それってどうよ」 どうよって言われてもな。そうなのか。何故なんだ。 ドームに向かう道すがら、ビーグル犬を見つけた。よっしゃあ! あ、返すマフラー忘れた・・・ そんなごめんなさいなビーグルさんが帰り際来て下さって おニューのタオルマフラーを下さった。こっちは返すものも忘れてきたわ、 取替えっこすればいいだけなのに、もう固辞しまくったつもりなのですが、 2回くらいで手に持っていました。 申し訳なくて嬉しくて頬ずりしてしまいました。 ビーグルさん有難うございます。今度ちゃんとお返しします。 今日は新しい応援仲間さんがいらっしゃいました。 私は俄然張り切ってしまったようです。「いつもより声出てるね」 「対抗意識ってやつかい?」など言われましたがね、えへ、そうかな? でも嬉しかった。だって野郎ばかりじゃね。可愛くてもう! 私が守ってあげなくては。 新曲のちょいとエッチな歌詞の 「我慢できない」 大好きですがな。 でもでも、ずっと我慢してたところに、 「我慢できない」「我慢できない」「我慢できない」ってリピートしてるうちに だんだん、本当に我慢できなくなってきて、辛かったとです・・・。 応援はある意味忍耐でもある。 「我慢できない」と発語した途端に、本当にできなくなりそうで、 しんどい歌だと思いました。 好きですけど・・・切ない・・・ 今日のフラッグは大丈夫でした。 「今日は良かったね」などと言いに行くのもアレなので、やめました。 風紀委員か、自分は。 えっと、今は心が晴れ晴れしています。 先日だったか、矢部っちFCだかの番組で何かのランキングがあり、ピクシーが 出ていたそうです。それを見た中坊仲間たちの間で つかのまの 「ストイコビッチ人気」があるようなんです。 今頃知ったか、ふふふ。 そんなわけで、先ほどまでずっと ピクシーのDVD 「THE LEGEND OF STOJKOVIC」 を見て 感嘆し、号泣しました。 彼みたいなプレイヤー 今 Jリーグにいるかな・・・いたら教えて下さい。 (コンサとは関係なくね それはそれ、あれはあれ)
2007年03月20日
つづき (空気読めない投稿だな・・・) ほとんど自分用日記化しているので長いです。 とりあえず烏丸駅で (もちろん、からすま駅ですよ。修学旅行の時 とりまる駅 と読んだことのある人もいるだろう) コインロッカーに荷物を入れ身軽になる。 ちなみに 四条駅は しじょう駅と読みますよ。 ああ、知ってますか。 スタジアムに向かうには早すぎる気もしたので、ちょいと地上に出てぶらりとする。 しかし、銀行やら銀行やらのオフィス街っていうのかな、喫茶店らしきものも 見当たらず、ため息。 しまいに雨が降ってきて、とあるビルの入り口でぼーっと 雨宿り。 そのビルには塾も入っているようで、小学生らしき子どもたちが 走りこんでくる。 京都でも塾か・・・ 何もかも感慨深くなり、自分はここで 何をしているのだろうと はっと我にかえった。 めんどくせえ。スタジアムに行こう! また烏丸駅に戻って、「180円だからね」と教えてくれてた知人の言葉を思い出し 颯爽と切符を買う機械に(他に言い方ないのか)向かう。 すると、隣の空白に 「西京極へ行かれる方は、帰りが大変混雑しますので、往復券を購入することを お勧めします」 のような張り紙があった。 そうだな。 180円×2=360円 360円入れてボタンを押した。 ああああ! 一枚しか出てこない。 齢42(当時)にして往復切符すら買えない事実に驚愕した。 もう一度 180円を入れて西京極まで一枚買って安堵した。 確か京阪線の鉄道で行くのである。 階段を降りると、もちろんホームはふたつあり。ちゃんと路線図も確認し、 それでもさらに安心したく、近くにいたあんちゃんに 「西京極はこっちですよね?」 と聞いて、「そうですけど・・・」と言われました。ありがとう! 「・・・」について後に気づくことになる。 グッドタイミング!待つ間もなく私の乗るべく電車はきた。 乗った。西京極までは近いし、座ることもないだろう。乗車してすぐの反対側に 慎ましく立つ。発車オーライ! コンサマフラーを首に巻き、チケットホルダーをぶらさげ、頬を紅潮させ私はいた。 視線を感じるので、ふと周囲を見渡すと。 みんなこっち方向の座席仕様になっている!で、2~3人が、私のコンサグッズを 見ている気がして、そしたら、よく見ると、さっきまでホームにいた赤黒や紫な 人物が人っ子一人見つからないのである。 180円でずいぶん遠くまで行けるのな。まだ気づいていなかった。 何気なく外を見ていたら、スタジアムみたいなものが見えた。さよならー。 あれか?! あれか?! 「桂駅に停まります」 桂というところがどこかはわからんかったが、猛烈な予感 を感じ、飛び降りた。 ホームにいた駅員さんに、問うた。 「特急に乗りはったんやね、180円で」 「西京極に行きたいんなら、反対側のあの2番で待ちなさい」 「いいよいいよ、わざとじゃないんだから、精算なんていいからそのまま乗りなはれ」 泣けた。 そして大阪方面から私は西京極へ向かった。 さっきの特急で座ってうたた寝でもしていたら大阪に行っていただろう。 ちなみに帰りは、360円の切符が使えると信じていたのだが、自動改札でバタンと 扉がしまった。当たり前やね。 切符には 「烏丸→西京極」ってあるんだもんな。 また駅員さんのお世話になってちゃんと乗れました。 京都での失敗はこれくらいですね。あとは、もう万事順調。人間万事塞翁が馬。 つづきは 私が一番アッピールしたい人力車編です。 もう最高!人力車!誰か読むのかな。ははは。
2007年03月20日
これが思っていた以上に順調な仕上がりをみせました。 自分でも不思議です。 あの碁盤の目の街がよかったのでしょうか。 私の生まれ故郷北海道旭川市も碁盤の目だと教わり生きてきました。 なので自分の足で歩く限り迷うことはなく。 迷っても、角を曲がり続ければ戻れる安心感。そういう培ったものってのは 大事なものだと思いました。 しかし、乗り物においては、西京極へ行く時に唯一間違えました。 千歳を発つ時点から3人の人物と出会い、そのほかにも赤黒人間はたくさん いたわけだが。コンササポ・・・涙。 関西空港で4人集まり京都駅へ向かう。バスで行った。 空港で 「京都雑学の本」みたいな本を買う。 ビトンのバッグを持つかっこつけ野郎のそばで、青いガラガラを引きずる一人。 「ちなみにこれはね」と言うので、見かけによらずブランド物か!といきりたつや、 「折りたたみ出来るんです」 めんこいよ・・・。 バスの中で自分は京都雑学の本の地図を見ていた。 自分が泊まる東山近辺の地図を見ていて ぶっとんだ名称を見つけた。 他3人に 「このページですごい名前があるから!」と 本を流す。 1名がすばやく見つけ 「ここ行きなよ」 と言った。 笑ってすませたが、なんと偶然にも行った。何が起こるかわからない。 ちなみに他2名は、「どれかな・・・」などと、その方面には弱いらしかった。 京都に着いてお腹がすいたので、みんなでうどんを食べました。 なるほど。うどんの麺のこしこしさ加減はあれくらいをいうのだな。 今まで 「まだ硬い」と茹で続けていたので駄目だったんだ。勉強になるな。 他3名は京都駅そばにホテルがあるのでチェックインをすませてからスタジアムへ 向かうと言う。 自分は何気に東山だったので、迷った。 よし。コインロッカーに荷物を入れて西京極直行だ! 一緒にホテルに荷物置くかい?と言ってくれた仲間たちよありがとう。 しかし自分は言った。 「甘やかさないで!」 そして華麗に烏丸駅で別れを告げ一人になる。なった。 ここからが迷走だ。京都迷走なんたらというサスペンスはなかったか。 長いのでいったんやめ。
2007年03月20日
コンサの試合があったので、それも開幕戦だったので、 京都に行ってまいりました。 試合がなんとも言いようのない雰囲気で、 せっかく練習した新曲を歌う場面もおとずれず、攻撃時の 「オウ!(ヘイ?オラ?)オウ!」も あっという間に終わり尻切れトンボ。 気づけば、「コーンサドーレ!コーンサドーレ!」や 「サポーロ!サポーロ!」という悲鳴のような加勢コールだらけになっちゃう。 試合も応援もリンクしたかのように、流れを断ち切れない有様だったと 末端サポながら思った(すんません)。 ハーフタイムに相談があったみたいで、 後半はリーダーたちも集まって、我々を物凄く煽ってくれた。 「俺たちは観光に来たんじゃないよな!」 その一言が、ぐさっときた。それだ。ごめん!頑張る! 後は本当に頑張ったよ。 時として、試合に応援が流されてしまうこともある。 勢いをつかみ損ねたら後手後手になってしまう。 そこでいかに先手を打ち、切り替えていくか。 なんか自分が先頭立つわけでもないのに、よく言うよな・・・恥。 でも、個々人が思うことも大事だと思う。 リーダーたちの思いに心を馳せるのだ。 あれ?京都観光の話を書こうと思っていたのにな。 明日はもうはや湘南戦だ。 攻撃的な応援するぞ!オウ! 学校閉鎖やズル休みで息子たちがいる。 あいつらがいると、パソコンが自由に使えない。 早く京都のこと書きたい。
2007年03月16日
今年は何のためらいもなく何の違和感もなくタスキの中から応援は 始まった。シモベ達への感謝は涙なしでは語れないので省く。 昨年は、自分はゴールドシートで見ていたはずだ。つまらんかった。 だっておとなしくしてなきゃいけないみたいで。 我慢できなくなってゴール裏まで移動していった経緯は過去のブログを 見ればわかるはずなのだが、めんどくさくて見ないが、確かに一年前は ゴール裏なんぞ遠い存在であった。 勝てて本当に良かった。京都での試合でコンサが駄目なのか、京都が 強すぎるのかさっぱりわからないまま、しかしこの試合だけでネガるのは やめようと思いつつも引きずり。 だから、相手がどこであろうと、ホームで勝てたことに重きを自然においた。 本能的に嬉しかった。 さて。 タスキの中は非常に心地が良い場所だといつかも書いた。 よそよりも確かにいいと思うのは今も同じだ。 はい、また文句ですがな。 自分の2列前の方が振り回すフラッグが、ちょいと自分を怒らせた。 フラッグはたくさんの人が振り回している。前列のフラッグとは違って、 中央付近で振られるフラッグのことなんですけどね。 その某フラッグはやたら周囲の頭や顔をぶんなぐっていた。 フラッグで「見えない!」という文句では一切ないことをここに誓う。 見えないなら別の場所に行く。フラッグは必要だ。私の言うところの「演出」 に非常に大切だ。なので、フラッグそのものはカッコイイし、大好きだ。 だが。 あのフラッグは痛かった。なので。 他のフラッグもよく観察した。同じように試合中振られているが、誰の頭もかすめて いない。 しかし、自分の2列前のフラッグは、周囲の人間の頭や顔を直撃していた。 しかもその本人の野次は素敵だった。 鳥栖が出てくると 「ばーか!ばーか!」 なのだ。 ふむ。 まあ、これは今回の言いたいことと違うのだけれど、フラッグだ、問題は。 一言いおうと思っていたのですがね、さっといなくなったので機会がありませんでした。 次回あのフラッグを見つけたならば、自分は言おうと思っています。 現場で言わないとヘタレ扱いされますからね。 もう少し下を持って振り回すか、棒そのものが短いのなら長いものにして下さい。 あるいは、旗の重さと棒の長さの難しい問題に直面しているのなら、フラッグの わきのほうは空白があったから切るとか。 要するに、他の方たちのフラッグはあまり迷惑をかけていなかったと思うが、 あなたのフラッグは人の顔をぶったたいたり、頭を叩いたりしてるんですよ。 目にも入って涙ぼろぼろ充血した人もいるんですよ。 今一度、自らのフラッグの振り方を省みてほしいですわ。 これだけはもう一度いいます。 フラッグで見えないから。の文句では一切ありません。 フラッグ感謝です。大好きです。 せめて、他人の頭をかすめないような高さでうまいとこ振り回して下さいな。
2007年03月16日
なんと13日から発熱しておりました。39℃近い熱は自分を機能停止にした。 12日から身体の節々が痛かったので、翌日に筋肉痛とは若いな!とにんまり していた。ふわふわするのも勝利の余韻だと思いはしゃいでいた。 気づけば中坊が発熱し学校を休んでいたが、自分の体調とそれを結びつける ことなんざあすることもなく。 頭痛がやってきて初めて気がついた。 熱ある? 37,5℃。 くら~~~~~ もう駄目・・・駄目なの 医療の現場ではこの値は微熱である。座薬を使うほどではない。 (私の現場=かなり過去) あの時、入れてあげればよかった・・・。 めっちゃつらい。 体温計大好き人間は、何度もはかる。 そのたびに ああああ~~~と伏せる。 ちなみに、我が家はみな体温計が大好きである。人気グッズだ。 たいがいの者は 「熱がある」と思うと測り、同じように駄目人間となる。 しかし、夫は、「熱がある」 と言って測ると 35,4℃だったりするので けっこう笑える。話がそれたな。 どんどん上がる。38,8℃になってからは測るのをやめた。 アウト。座薬さん!アナタの出番よー。 ボ○タレン座薬よ、あなたは神だ。 かつて イ○ダシン座薬というものがあったが、消えた。 あれは、自分も使ったことがあるが、意識が何度となく遠のいた。 そういうわけで、病院にも行っていないが、インフルエンザではなく ただの風邪だったのだと思う。 さあ!ブログの開始だ! 今日はお返事と更新に忙しいぞう!(まだだけど)
2007年03月12日
開幕戦までに振り込みして郵送ではシーズンシートが間に合いそうにも なかったので、HFCに電話して、ドーム年間駐車券だけ速達で送ってもらえました。 感激です。有難うございました。 駐車券欲しさに、座りもしない ゴールドシートをまた購入。 フルシーズンは売り切れてしまったんだろうなあ、と思っており ドームゴールドシートと駐車券のぶんしかお金を持って行かなかったのだが、 なんとフルシーズンも僅かながらあった!うーん残念・・・・。 実は駐車券のことでHFCに電話して一件落着した後に、夜の8時近くだったか HFCの別の方から電話があって、「今年もどうかシーズンシートを・・・」と。 「いえね!さっきね!電話して買うことにしたんですよう!」 あ、そうでしたか!で、フルシーズンで? 「えええ!もうないんでしょう?オヒサル見たらのってなかったから ないと思ってたんだけどあるんすか?」 えっと・・・ちょっとお待ち下さい。 ・・・・あー、そうですねないですね。 「でしょでしょ!だから、ドーム限定にしたんですよう。んもう・・・ あせったじゃないですかあ・・・でも、遅くまでご苦労様です!」 なーんて会話したんですけどね、当日ありました・・・。 そのへんの行き違いがなければ私はフルシーズンゴールドシート買う勢い でしたのに。 とりあえず当日のシーズンシート販売ブースに行ったのですがね、凄い人で! 場所間違えたかと思い慌てました。 それでまたHFCの方に聞いて、やはりその場所だったのですが、行きました。 選手がいるんですもん! 駐車場から走ってきた挙句に選手がいて、どっと汗が流れた。 3人の選手がいらっさいました。 紙に名前やら住所やら書こうとするんですけどね、お三方が目の前でかしこまって いてはるんです。 「手が震えるじゃないですかー!」と言うと、 関はんが、「ほら、大伍、手を添えてあげなさい」 ひょえ~。おばさん顔真っ赤。 一応書き終えて、間がある。 そしたらまた関はんが、「ほら、大伍、サインしてあげなさい」 サイン!どこに!あわてまくる。ひらめいた。 ちょい待ちよ、ちょい待ちよ・・・つぶやきながら震える手でバッグをまさぐる。 登場したのが素晴らしきトートバッグ。 颯爽とひろげて、お三方にサインをしてもらいました。 「えっと、そっち持って下さいますか?」 あらそう。そうね、たるんでちゃ 書けないよね。気がきかないったらありゃしない。 ありがたやー。 しかしだ・・・ 大伍くんと関はんと・・・もうお一方がわからねえ! サインに背番号が入ってるのかも判読不明。 どなただったのでしょう・・・・ごめんなさいよう。近くで見るのに慣れてなくて。 写真と比べてみても、あの日の関選手よりは背が高かった彼がわからない。
2007年03月11日
有難うの一言です。 だってね、それしか言えない。勝ってくれて有難うコンサ。 試合のことは例によってサッパリわかりません。 応援頑張ったし、フラッグだらけでほとんどピッチ見えませんでしたし。 なのでこのホーム開幕戦までの道のりでも少し書こうかな。 HFC頑張ってました。電話きたりして、わかりました。 もともと買おうと思っていたシーズンシートも無事購入できました。 少しばかり融通も利かせてくださったのも感謝です。 いろいろありすぎて嬉しくて興奮して、やっぱりだめだ。 勝ってくれて本当に有難う。 43になりました。ダビと同じ誕生日だー。良かったー。
2007年03月07日
京都に行ってまいりました。 端的に言いますと、試合は最悪でした。 応援も駄目でした。反省です。 行ったからには、元をとらねば悲しいので、しっかりとってきました。 京都おそるべし。魔法にかかり、魂を抜かれました。 京都は凄いところでした。 あそこでサッカーですか。なんか結びつかない。 京都のサッカーマンは何を求められているのだろう、地域の人に。 なんだか違いすぎると思いました。 自分は京都には絶対住めない。京都に何か貢献するなんておこがましい事 出来ないと思いました。 サッカーのこと。 京都のこと。 考えすぎて抜け殻状態です。 えっと、人力車に乗ってきてしまいました。 恥ずかしさは18分くらいでしょうか。 あとは、写真を撮られようが道行く人たちの注目を集めようが、気にならなく なりました。しまいには、「ピース!」とかやっちゃったりして。 最終日に三十三間堂に行ってきました。雨でした。 大きなろうそくに名前を書いて祈祷をお願いするものがありました。 何気なくお名前を見ておりましたら、 とある京都サンガの選手の名前を見つけました。 負けたと思いました。 ホーム開幕戦が近づいてきました。 いつの日になるやわかりませんが、京都のこと書きたいですし、 頂いたコメントにお返事したいと思っています。 今はこれが精一杯。
2007年03月02日
芳賀博信がキャプテンです。 信じて疑わなかった。こんな嬉しいことないです。 明日の準備で地に足がついてない状態で 「はがーはがー」と悶絶する私に 家族は冷たい視線を送っていますが、しかたありません。 うれしいんです。けっこう普通じゃない嬉しさなんです。 すでに喉がやばいくらい叫びました。
2007年03月02日
♪それはコンサのためよ~ 以下、今20分ほどの時間をかけて 「ひまわり娘」で替え歌を作っていたのだが 凄く時間の無駄だったことに気づき、また書きとめていなかったので忘れて しまった。かなり良かったのだが。お披露目できなくて残念だ。 なにやら京都はあたたかいようです。 コートはいらないと某人物は教えてくださった(あつしんさん)。 迷うな、おい!いらないか・・・いらないね!うん。 旅行用のかばんは一つしかない。それより大きいのは凄く大きい。 二泊だよ。たったの二泊。飛行機も手荷物だけで済ませたいのである。 いろんなことを想定すると荷物は果てしなくなる。 想定なんかするなということだ。 汗臭くなろうが、しわくちゃになろうが、自分さえ気にしなければ だぁ~~~~れも気にしないのである。 だから原点に返ろう。コンサの応援をしに行くんだということを思い出せ! ならば、チケットとマフラーと、とりあえず赤黒でいればいいのである。 もう考えない。 美容室に行ってきた。やめときゃいいのに、ちょいとカットやらしてもらった。 あ~頭が軽くなった~。 家に帰ってきて鏡を見たら、妙に懐かしい感じがした。 70年代っていうのか、フォークソングっていうのか・・・ 鏡の中に かまやつひろし がいた。 明日会った人、笑わないでください。 携帯電話を最新機種にしてしまった。ポイント貯まってたし。 でも。 もともとの携帯電話の充電を直接する部分が壊れてしまっているのと、 暗証番号を2回も間違えてしまい、あと1回でロックがかかるおそろしい状態。 とりあえず必要なアドレスは手入力しなくてはなりません。 赤外線でやるのには一件一件やたら時間かかるんです。 今、私の電話帳には夫のアドレスしか入っていません。 メールきたから登録できた!そして思いつきました。 お願いがあります。 私のアドレスをご存知の方は、一人残らず メール下さい(;;) お願いです。ダメもとで書いてみます。明日が出発日でなければこんな厚かましいこと 言いません。たぶん。 「甘えるなー」とお思いの方は その旨 メールして下されば反省します。
2007年03月01日
ちょいと敵さんを調べようとした。 なんと!!!! 京都パープルサンガとは法人名で、呼称は京都サンガ.FC.なのですね。 存じ上げませんでした。 マスコットは不死鳥をモチーフとした「バーサくん」 今ではあやしい仲の「コトノちゃん」もいるらしい。「古都の」か。 うん。いいよ。 でもって、先日も書いたが、京都なのに秋田がいた。 でもって、盛岡までいた。違う。森岡だ。 どうなのかな。出てくるのかしらん。鉄壁のDF。 一人は流血も恐れない猛者だし。 ううーん、楽しみ。 一人で行くということで舞い上がりすぎて、本来の目的を忘れて しまいそうになったのは、仕方がないよね・・・ 本来の目的は 打倒京都サンガである! 明日は皆の衆、なすびを食べよう。焼く。焦がしちゃってもいいよ。 くちゃくちゃになってもいいよ。 思いっきり煮てすさまじい色にしちゃってもいいよ。でも食べてね。 茄子は油を吸うからねえ・・・ こてんぱんにして食べましょう。 何書いてるんだか・・・。 先日エントリしたメモのうち、4つくらいは達成したかも。 明日が勝負だ。 とりあえず、三十三間堂で仏様の尊顔に恍惚とし、(そっくりさんを見つける) 菅原道真の北野天満宮にて 学業の御守りを購入する。 気が向いたら清水の舞台から飛び降りてみる。古い?もう無理? どこかの柱の穴をくぐってみたい。 しかし、どこだか忘れたし(奈良だったかもしれない)、絶対くぐれなくて くまのぷーさんになるのでやめる。 そんなわけで、ぬるいこと書きました。 コンサとこんなふうにお付き合いしていなかったら、私は 今時分京都になんぞ 100%行かない。思いつきもしないだろう。 ありがとう、コンサ。
プロフィール
HN aru 聖地厚別在住 旭川市出身 *変わらず当たり前 1964年生まれ *いい年齢になってきました 性別 ♀ たぶん *まだそうだ!たぶん 厚別・函館・室蘭ゴール裏 ドーム Gシート *今 違う 夢(妄想)・HFC最高幹部次席付電話受付係りなにそれ *ちょい自信なくなった(本気だったのか?!) 特技・ブログの文章が長すぎること *書けば長いのだが・・・
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