2008年03月14日
いよいよ、明日ホーム初戦! 期待と不安がないまぜになった状態で、ふと頭に浮かんだのが、ジョン・レノンの “ Give Peace A Chance ”という歌でした。 元の歌詞は、 All we are saying is give peace a chance 私たちが望んでいるのは平和だけ All we are saying is give peace a chance 我らに平和を 訳はかなりな意訳かもしれませんが、そんなリフレインが頭に浮かんできました。 これも旧聞に属しますが、「いちご白書」という映画のラスト・シーンで、大学にたてこもる学生たちがこの歌を合唱しながら、警官隊の排除に抵抗するシーンがありますが、その時の歌として強く印象に残っています。 この歌に、リーダーの Everybody, down! Get down, get down! みんな、伏せて! 伏せて、伏せて! という言葉がかぶり、警官隊の突入で混乱するシーンで映画が終わっていたような気がしますが、違ってたかなぁ? 映画の印象が強いこともありますが、ジョン・レノンの歌の中でも好きな曲の一つです。 もしこの歌を応援に使うとすれば、 All we are saying is give us a win 私たちが望んでいるのは勝利だけ All we are saying is give us a win 我らに勝利を Everybody stand. Get a goal, get goals! みんな、立ちあがれ。ゴールをうばえ、もっとゴールを つたない英語(和訳)ですが、明日の勝利を祈りつつ、今日はお終い!
2008年01月29日
今月号(2月号)の月間コンサドーレに面白いコメントがあったので、その紹介と私が考えたことを書きたいと思います。 コメントは「平川弘の一蹴両断!」という記事の中に書かれていたのですが、平川氏が「年末年始の忙しい時期に何を血迷ったのか、イングランドのプレミアリーグ見たさにロンドンへ行ってきた」際の以下のコメントです。
「昨季までウェストハムに在籍していたテベスが散々の出来で、ベンチに引っ込む時でも『アップトンパーク』はスタンディングオーベーション(書かれたまま)だった。そんな温かいサポーターの反応にも胸を打たれたのかもしれない。はたしてフッキに同じことができるだろうか。今野にだったらできるかもしれないが。」
中村俊輔選手もスコットランド・プレミアリーグのサポーターのことで、平川氏のコメントと同じ内容を言っていたと記憶しています。 「スコットランドのサポーターは、いいプレーには敵・味方関係なく、スタンディングオベイションをする。逆も同じで、へたなプレーができない」とかなんとか。 で、なぜこの平川氏のコメントが気になったかというと、昨季のホームゲームでまさしく「できなかった」状況を目撃したからでした。 確か、4月22日のJ2第10節「対ベルディ」戦でした。 私が座った席のとなりに、年のころは60代の母親と40前後の娘さんの親子二人が座り、熱心に観戦していました。 赤黒の、背番号12のユニフォームを着ての応援でしたから、熱心なファンなんだなぁと思って見ていると、試合が進むにつれて、母親が発した言葉に仰天しました。 母親:「フッキなんて死ねばいいのに」 すると、娘が、 娘 :「そうだよね。死んだらいいのにね。」 唖然としていましたが、さらにベルディの服部がボールをキープすれば、 娘 :「早く引退してほしいよね。」 それ以降は、不愉快な気持ちでこの試合を観戦していた記憶があります(今さら座席を移動することもできず・・・)。 フッキがベルディでプレーしていることだって、コンサドーレ札幌が引き止めるだけのお金がなかったのが原因でしょう(今季はベルディですら引き止められず、保有権を持っている川崎に復帰なんだから)。 エメルソン移籍で失敗し、フッキ移籍で失敗し、3度目の正直でダヴィを完全移籍で手にしたことがHFCの唯一の功績でしょうか?。 服部にしたって、マイアミの奇跡の時、ジュニーニョと相対して孤軍奮闘している姿や、ジュビロ、日本代表での頑張りを知っている私には、むしろ「もっと続けてほしい」というのが正直な気持ちです、相手チームの選手でもね。 今季はJ1でも元コンサドーレ札幌の選手(山瀬、今野、播戸、藤が谷、フッキ等々)と対戦することになりますが、こんな発言を聞きたくないなぁとの思いと、先のイングランドやスコットランドのサポーターの姿を思うと、はやく私たちサポーターも成熟または成長しないといけないなぁとつくづく思いました。 コンサドーレ札幌サポーターである前に、スポーツファンであり、サッカーファンでありたいと思います。いいプレーには拍手を、ひどいプレーにはブーイングを、もっとサッカーを勉強して、今季のコンサドーレ札幌の応援に臨みたいと思います。 先の親子の気持ちは分かりますが、「ひいきの引き倒し」をやっちゃお終いだと私は思うのですが、皆さんはどう思われますか?
2008年01月25日
「真のコンササポ」なんて、存在するのでしょうか? 真があるなら、「偽のコンササポ」がいるってことでしょうか? 今季のコンサドーレにとって、最重要課題は「入場者の増加=サポーターの増加」だと思います。 今まで試合会場に通っていた方たちは今季の基礎票ですから、入場者数を増やすということは、今まで会場に来なかった人をどれだけ増やすかにかかっていると思います。 選挙になぞえれば浮動票層の獲得ということになるでしょうか。 で、なぜこんな話を書いたかというと、先日このブログで読んだ「にわかサポ」なる言葉に違和感を抱いたのと、「真のコンササポ」という言い方に排他的かつ特権意識を感じたからです。 誰でも初めて観戦するときは、「にわかサポ」だと思います。しかし、回を重ねるうち、コンサドーレ札幌への愛着も増して、ファンクラブに入会したり、CVSのお手伝いをしたり、コンサドーレ札幌との関わりを深めていくのだと思います。 そういう意味では、ゴール裏で90分間、声をからして応援する人たちだけでなく、「にわかサポ」も含めた、コンサドーレ札幌を応援しようとする人たち全員を、コンサドーレ札幌のファンと考えてもいいのではないかと私は思っています。 物理的に、経済的に実際に会場に足を運べない人たちだっています。その人たちだって、コンサドーレ札幌を応援する気持ちがあれば立派なコンサドーレ札幌のファンだと私は思います。形にするか、しないかは別問題です。 「真のコンササポ」だとか「にわかサポ」という言い方は、ひどくいやらしい印象を受けます。自分たちだけを特別な存在だと思うのは勝手ですが、言葉にするとひどく独善的な物言いに感じるのは私だけでしょうか? 繰り返しますが、コンサドーレ札幌の「破産状態」を解消し、多額の累積赤字をなくすには、売り上げを増やすことです。ファンのすそ野を広げ、試合に足を運ぶ入場者数を増やすことだと思います。その意味では「にわかサポ」が増えることは、コンサドーレ札幌はもちろん、ファンにとっても大歓迎なことではないのでしょうか? 仮に「真のコンササポ」が存在するとして、「真のコンササポは最初からいるのではなく、なる」ものだと思います。であれば、「にわかサポ」を増やし、彼らに「真のコンササポ」になってもらえばいいだけの話ではないかと思いますが、皆さんはどのようにお考えでしょう? 最後に言っておきますが、私は「真のコンササポ」だとか、「にわかサポ」なる言い方は大嫌いです。
【追記】 会場のゴミをゴミ箱に持っていって捨てるかどうかは、コンサドーレ札幌とは無関係です。個人のモラルの問題です。 私のように、ゴール裏では一度も応援したことがなく、B自由以外にSAで応援することのある人間だって、ゴミは所定の場所に、CVSの皆さんにお礼を言って捨ててますよ。
プロフィール
サッカー歴は古いです。 中学でサッカーを始め、中学時代にメキシコ・オリンピックの日本の銅メダルを目の当たりにし、メキシコW杯の「イタリアvs西ドイツ」戦に感涙し、高校までサッカーをしていましたが、心だけは今でも現役です(笑)。 ちなみに湘南ベルマーレ監督や全日本女子代表監督を歴任した上田栄治さんは高校時代の1年先輩。彼は一流でしたが、ご一緒した経験もあります(他人のふんどしでものを語ってどうするっ…爆)。 コンサドーレ札幌との関わりは、北海道・札幌移住後のコンサ誕生以来。 エメルソンの移籍騒ぎのときに、市民株主(1株ですが)となりました(結局エメは逝ってしまったが)。 昨今は、元コンサドーレ出身の選手の活躍を見るたびに、死んだ子の歳を数えるような機会が多くなり、自分の年齢を今さらながら実感しています。 ただ、コンサドーレ札幌を愛する気持ちは、昔も今も変わりません!
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