2023年02月21日
ジョージア6日目の朝、タクシーで空港へ向かう。 タクシーは前日のうちに朝6時に来てもらえるようホテルのレセプションにお願いしておいた。 荷物のパッキングをしていると、モーニングコールをお願いしたわけではないのに、ホテルの人が部屋のドアをノックしてくれた。5時40分を少し回っていた。寝坊しているんじゃないか?という少し心配性なサービスをうれしく思う。 5時50分すぎ、レセプションに行ってみるとすでにタクシーは待機していた。 すぐに空港に向けて出発し、6時15分には到着。来た時の印象ではもう少し距離があるのではと思っていたが、それは路線バスで移動したせいだった。 6時半、出発の2時間半前にチェックイン開始。 9時に出発した便は11時40分、パリ・シャルルドゴール空港到着。 エア・フランスのブランケット。最初、なんて派手な色だろうと思った。 荷物入れの所の色に注目。ブランケットと同じ色だ。写真には写っていないけれど、エコノミークラスとビジネスクラスの客室を分けるカーテンの色も同じ。さすがファッションの国の航空会社だ。 シャルルドゴール空港からはロアシーバスでオペラガルニエまで移動(13時ころ出発、オペラガルニエには13時50分ころ到着)。 けっこう空腹だったが、腹具合もあって汁物が食べたかった。パリで汁物といったら、ベトナム料理屋でフォーか日本のラーメンだが、確かオペラガルニエには”ひぐま”というラーメン屋があったはず。 あてずっぽうに歩いているとめざす”ひぐま”は見つかったが、昔とは違いとても大きな店になっていた。 味噌ラーメンを食べた後、予約していたホテルへ移動。 ホテルが並ぶ通りの入口。 並んでいる建物はすべてホテル(だと思う)。 これから観戦するのは、日本vsアルゼンチンの試合でキックオフは18時。チケットは4月初めに購入。 スタジアムまでの所要時間が今一つ読めなかったので、安全策をとって、16時前ホテルを出て地下鉄9号線で試合会場のパルク・デ・プランスへ向かう。 16時20分、スタジアム最寄りのPorte de St-Cloud到着。ちょっと早すぎた。キックオフ1時間前くらいに到着できればと思っていた。 地下鉄駅からスタジアムへの道沿いにあった店。アルゼンチンvs日本ほか、グループリーグの対戦国を表記したマフラーが売られていた。 スタジアム入り口近く。この後、3回のセキュリティチェックを受け入場。エックス線検査機はなく手作業によるチェックだったが、寒さ対策(パリは緯度が高く朝夕はけっこう冷えるので)にと思って持って行った、ドーレくんが描かれたフリースのブランケット(ドームで来場者に配布されたもの)が入念に調べられた。大会公式スポンサー以外のロゴがでかでかと書かれていたらまずい、ということだろうか? 入場しました。キックオフ1時間半前だがガラガラ。席はバックスタンドの2階にとった。雨が降っても問題がないので。ちなみにこのスタジアム(パルク・デ・プランス)は「もともとは自転車競技場として設営された。収容人数は48,527人で、1974年以来パリ・サンジェルマンFCのホームスタジアムとして使用されている。……5万人収容という程よい大きさと交通の便のよさのためか、パリSGは現在もスタッド・ド・フランスに本拠地を移転せずパルク・デ・プランスを使用し続けている。」(ウィキペディア) 対戦国と試合日付きのカップ。これが欲しかったのでけっこう肌寒かったがコーラを購入。このカップはお土産用ということなのか、コーラはペットボトルのまま渡された。お蔭でベトベトにならずに済んだが、この運営でよかったのか? これは帰国後撮ったものだが、スタジアムで撮っておけばよかった。 ピッチ内練習。 選手整列。 ベンチ前で円陣。 試合は日本が終始押していたが0-0の引き分けに終わった。この結果にはアルゼンチンチームは大喜び、対して日本の選手たちは浮かない表情。写真はバックスタンドの観客に挨拶する日本チーム。 帰りがけ、空がいい感じだったので、1階席から1枚。20時くらいだったが、まだこの明るさ。 ピッチに近いところからもう1枚。 スタジアムは空席が目立っていたが、帰りの地下鉄駅はかなりの混雑していて、ホームへの入場制限も行われていた。フランスのリーグ戦の時はどんな混雑になるのだろうか? しかし、割とすぐに入場でき、ホテルに向かうことができた。 ホテルに戻る道すがら通りから見えたサクレ・クール寺院。 まだ腹具合が不安なので、夜はマックでポテトをかじるだけにしておいた。写真はマックの席から撮ったもの。 翌日、パリ市内を散策した後、帰国の途についた。
2023年02月20日
ジョージア5日目、この日は朝から腹がゆるくで仕方がなかった。早い話、軽い下痢である。やはり昨日の大量のアイラン(ヨーグルトドリンク)が悪かったようだ。 この日の目的地はロシアとの国境近くにあるツミンダ・サメバ教会。 マルシルートカでジョージア軍用道路という道をカズベキまで移動して、そこからタクシーで行くつもりだったが、腹具合を考えるとちょっと無理そうだ。ということでタクシーを雇うことにした。 メトロでカズベキ方面への交通の起点になっているディドゥベ駅まで行って、タクシーが固まって停まっている方に歩いていると、運ちゃんに声をかけられた。予定通りだ。ただ、トビリシとカズベキの往復(途中観光付き)の相場というものがわからない。 10人くらいで行くのであろうトビリシ発のカズベキ観光のツアーの料金がだいたい1人50ラリから60ラリ。客が4人しか乗れないタクシーで行った場合、一人当たりの料金は割高になるはずで、仮りに1人70ラリとすると4人で280ラリ(つまり車1台280)なので、250ラリくらいで妥結できれば交渉としては成功だろうと考えて運転手のおじさんと話を始めた。 最初ダメモトで「200」と言ったが、全然取り合ってもらえず、結局、300ラリになりそうな感じで、そんなにラリを持ち合わせていないので両替できる場所を教えてくれというとユーロでも大丈夫だという。 300ラリだと95ユーロくらいだったが、ためしに「80ユーロ(約250ラり)でもよいか」と聞くと「OK」だという。ということで、当初の目論見通りの金額で妥結。ただし、相場を全然知らないで交渉しており、とても高かったのかもしれない。 タクシーのチャーターなので、もちろんカズベキへ行く途中の名所にも寄ってくれた。 途中、運転手のおじさんは自分の朝食としてだろうか、パンを買ったとき僕の分も買ってきてくれた。こうしたサービスはとてもうれしいものだった(有難迷惑に感じる人もいると思うが、途上国っぽさが残っていて自分には好ましく感じられた)。ただ、何せ腹がゆるい。腹具合が悪いというジェスチャーをして丁重にお断りした(後から翻訳アプリを使ってロシア語の「下痢」という単語を示して理解してもらった=旧ソ連なのでロシア語が通じる)。 ジンヴァリ貯水湖とアナヌリ教会。マルシルートカでカズベキに直行していたら見られなかったので、体調を崩したのはよかったというべきか? アナヌリ教会。 アナヌリ教会の前で出会った牛の群れ。 水の色が異なる川が合流する地点でも車を止めてくれた。そこそこ有名な観光地らしい。 カズベキの街から坂を登ったところにあるツミンダ・サメバ教会(ディドゥベ駅から4時間弱で到着)。駐車場から教会とは逆の方向の斜面を登っていった。多くの観光客は車を駐車場には停めず教会の近くに駐車するので、せっかくの景色が台無し。 教会の方へ向かう。しかし、このあたりで腹具合がおかしくなってきた。トイレには列ができており、かなりピンチだったが、ロシア人(だと思う)のおじさん・おばさんたちが、ピンチなのを察してくれたのか譲ってくれて事なきを得た。(トイレはとても汚かったが、長く途上国を旅してきたので、まあ、こんなものかという感じ) トビリシに戻ってきました。上の写真はメトロのエスカレーター。「果てしなく地中に潜っていく感」を感じてもらえるだろうか? エスカレーターのスピードはとても速い。
2023年02月14日
ジョージア観光(1) (トビリシ到着日)ホテルで一休みした後、街歩きに出た。上の写真はルスタヴェリ通りに沿った歩道。 街を見下ろす高台にあるナリカラ要塞から。写真中央やや右寄りにある巨大な教会は、ジョージア正教の総本山ツミンダ・サメバ大聖堂。 要塞近くにあるジョージアの母の像。 ナリカラ要塞から歩いて旧市街へ下って行った。とんがり屋根はベツレム教会だったか? ベツレム教会の近くで出会った猫(ちなみにジョージアでは犬の方がだいぶ多かった)。 ジョージア2日目は、まず古都ムツヘタを観光。 ムツヘタにはジョージア最古といわれるスヴェティ・ツホヴェリ大聖堂があり、これがメインの目的地。 トビリシ駅最寄りのヴァグズリス・モエダニ駅からメトロに乗りディドベに移動。ここの駅近くからムツヘタへ向かうマルシルートカ(ミニバス)が頻発していた。 スヴェティ・ツホヴェリ大聖堂。ツアー客で賑わっていた。 大聖堂ではミサか何かの祭儀のため、内部の見学が制限されていたので、いったん外へ出て、ムツヘタを流れる川の河原まで行ってみた。写真はそこにあった十字架。後ろの山の上に見えるのはジュヴァリ聖堂。 昼食はジョージア風ジャーマンポテトともいうべきオジャクリを選択。これは豚バラ肉とジャガイモと玉ねぎが使われていたが、最後にのせるパクチー多すぎ。自分はパクチーはまったくダメというわけではないが、パクチーが勝ちすぎだった。そういえば前日食べたジョージア風小籠包ともいうべきヒンカリにも大量のパクチーが入っていた。個人的には、もうちょっと抑えてくれると美味いのにと思う。 時間をつぶしているうちに大聖堂内部の見学の制限が解かれた。画像が暗くてわかりにくいが、大きなキリストの肖像が描かれている。 トビリシに戻ったあと、もう少し街歩きをして、あとは駅で時間つぶし(途中ホテルで荷物をピックアップ)。 アゼルバイジャンのバクー行の列車。 トビリシ駅の構内。駅舎の写真も撮っておけばよかったか? 駅の電光掲示板。これではまったくわかりません。 これならばわかります。これから乗る列車は上から5番目にある、21時45分発の602列車(ズグディディ行き)。 発車を待つズグディディ行きの列車。同じコンパートメントで日本人旅行者と一緒になった。
2023年02月11日
<成田~ヘルシンキ~リーガ~トビリシ> 成田9時50分発のフィンエア便(JALとの共同運航)で出発。13時30分ころヘルシンキ到着。 ヘルシンキからは16時10分出発の便に搭乗し、17時30分すぎにリーガに到着。 リーガの天気は快晴。季節的にも緯度的にもまだ昼間。成田からのフライトの疲れもほとんど感じられなかったので、当初の予定通りリーガの街に出ることにした(トビリシ行き出発までの乗り継ぎ時間が5時間半くらい)。荷物はいつもと同じ30リットルのバックパック一つ(※)だし背負ったまま歩いても構わない。 (※)自分は1週間の旅でも3週間の旅でも、ある時期からmont-bellの30リットルのバックパックを使っている。サブバックとしてショルダー・バッグを持っていくが、そのショルダーもバックパックに押し込んでしまえる程度の荷物しか持たない(荷物スペースの少ない機材に搭乗する場合1つにまとめてしまう)。旅の最中の洗濯が前提なので着替えは最低限。荷物が重くなるのも避けるため、ガイドブックは必要な頁を切り取って持っていくことも多い(『地球の歩き方』は切り取りやすい製本で助かる)。荷物を極力減らすわけだけれど、安いホテルに泊ることも多く、シャンプーなどが備えられていない場合もあるので小さなボトルに入れたシャンプーを(セキュリティチェックの際に必要なジッパー付きの透明な袋に入れて)、ホテルの部屋でインスタントコーヒーなどを飲むために投げ入れ式の電気ヒーター(投げ入れ式のヒーターって何?という人も多いと思いますが)、スティックタイプのインスタントコーヒー、保温機能のあるステンレス製のマグカップなどなど、一定レベル以上の旅をしている人には必要のないものを持っていくので、それらにTシャツ2枚くらいのスペースは使っている。滑稽なほど細かい話だけれど、それくらい色々考えて荷物の内容を決める。 余計なことを長々と書いてしまいました。話を戻します。 リーガで到着口を出ると幸いすぐに荷物の一時預かりがあった。ということで、バックパックを預け、空港の売店でバスのチケット(2枚:1枚は空港に戻るためのもの-市内でバスチケット売り場を探して時間を食うのを避けるため~こういう細かいところが重要になる場合がある)を購入して市内に出た(所要30分くらい)。 聖ペテロ教会。高さは123mもあり、72mのところまでエレベーターで昇ることができるとのこと。 奥の建物は聖ヨハネ教会。 ドゥァマ広場(だと思う)。 リーガ大聖堂。 右の建物はブラックヘッド会館。左奥の塔は聖ペテロ教会のもの。 まだ時間的には余裕があったが、以上でリーガ旧市街の街歩き終了。 定刻の23時05分リーガを出発したエア・バルチック機は、午前3時30分、定刻通りトビリシに到着。 入国の手続きはあっさり終わり、到着ロビーのベンチで時間つぶし。予約したホテルは小さなホテルで24時間オープンというわけでもないので、市内行きのバスが動き出してから行動しようというわけ。 両替所の列が途切れたのをみてジョージアの通貨ラリを確保。100ユーロが309ラリになった。1ラりはだいたい40円見当か? 7時少し前、バスが見えたのでターミナルを出てみる。始発なのかどうかわからないが(もしかしたら見逃していたかも)、そろそろ市内に向けて動き出してもよいだろうと判断してバスに乗り込む。 しかし、ここで問題発生。僕が持っている一番少額のコインは1ラりだったが、バスの運賃は0.5ラリで、車内の券売機はお釣りが出ないつくりになっているのだ。 車掌ではないが、バス会社の職員みたいなおばさんがいて、彼女に1ラリコインを見せて「これしかないんだけれど」という素振りをみせると、空港で両替して来いというジェスチャー。そこで空港の売店で両替をお願いすると0.5ラリコインはないという。 実はこのとき同じ状況に置かれていた外国人観光客が1人いて、彼と両替に走ったのだが、結局、0.5ラリコインはゲットできなかったので、1ラリをそのおばさんに渡すと、それを券売機に入れた。そうするとチケットが2枚出てきて、1枚を横にいる彼に渡せというジェスチャーとともに「どうだこれで解決だ」という表情。しかし、横にいる彼と僕は何の関係もないのだ。まあ、たった0.5ラリ(20円くらい)だからどうでもよいのだが、チケットを手にした彼、僕に1ラリコインを渡してきた。いらないと断ったが強めに渡してきたので結局受け取った。ということで、市内までの交通費は見知らぬ旅行者におごってもらうというかたちになった(彼は荷物を持っていなかったので、知り合いの見送りか何かで空港に来たのか?)。 7時に出発したバスは普通の路線バスで途中から通勤客が多くなってきた。 7時50分ころトビリシ中央駅前に到着(件の彼は途中で下車した)。 ホテルへ行くには、まだ早い。ということで、翌日の乗車予定のズグディディ行夜行列車のチケットを購入することにした。 最初、チケット売り場の窓口が行先別かもとか、当日と前売りが分かれているのかもとか思って客の様子を見ていると、番号札発券機から番号札を取り出し、チャイムとともに各窓口の上に表示される番号を見てそこへ行くことがわかった。 番号札を取ってしばらく待っていると、チャイムがなり自分の番号が、ある窓口の上に表示されたので、その窓口の人に「明日のズグディディ行きに乗りたい」ということと1人であることを伝えた。外国人観光客の対応には慣れているようで、思ったより簡単に列車のチケット購入完了。ファーストクラスで36ラリ、日本円で1500円もしない額である。 鉄道チケット購入後、予約しておいた駅近くのホテルに行ってみた。 まだ、9時前で当然部屋は使えないだろうから、とりあえず荷物をあずかってもらおうと思って行ってみると、何と部屋が使えるというではないか。ラッキーだ。何せほとんど寝ていないので。ということで、部屋で一休み。
2023年02月09日
上の画像は割と最近FIFAから送られて来たメールのスクリーンショット。 FIFAの表彰候補をチェックして投票してね、という感じのメール。 FIFAからのメールは、昨年のワールドカップの準々決勝あたりから急に来るようになった。 なぜだろうと思ったが、どうやら2019年に女子ワールドカップの試合を見に行った際に、メールアドレスを登録して(チケット購入のため)、いろんな情報を受け取るため、メールを送ってもいいよ、ということにしていたようだ。 しかし、ワールドカップの宣伝ならば、カタール大会の情報もおととしとかから送ってきてもよさそうなものだが、なぜ、準々決勝から突然、送信してきたのか? カタール大会のチケットは宣伝せずとも売れるので、2023年の女子ワールドカップのプロモーションということで、2019年に観戦に行っている人のデータを利用してメールを送り出したのかもしれない。 メールの配信を停止してもらうことも可能なのだが、今はちょっと様子をみている。 さて、長々とFIFAからのメールのことを書いたが、2019年にフランスで開催された女子ワールドカップを見に行ったときの旅行記みたいなものの導入部にしようというわけである。 女子ワールドカップ観戦が目的だったわけではない。最初はいつもの海外旅行とおんなじ感じでと考えていた。 目的地はジョージア。ジョージアは以前グルジアと呼ばれていたが、グルジアはロシア語由来の呼び方で、反露感情から英語由来の呼び方であるジョージアへの変更をジョージア政府が各国に求めて、日本でもジョージアと呼ぶようになった。 ジョージアにはかなり前から興味を持っていて、ユーラシア陸路横断の様々なルートを通りたいと思い、中国-カザフスタン-ウズベキスタン-トルクメニスタン-アゼルバイジャン-ジョージア-トルコというルートに興味を持っていた。そして、実際、カザフスタン-中国の旅は実行、アゼルバイジャンからトルクメニスタンに入り、陸路ではないが、カスピ海を渡ってアゼルバイジャンに入るというルートにもチャレンジした(しかしウズベキスタンのタシケントでのトルクメニスタンのビザ取得に時間がかかりすぎることがわかり、カスピ海横断は断念してタシケントから飛行機でアゼルバイジャンのバクーに飛んだ)。 ところで、2019年の前半当時、その何年か前からの流れで、1週間(以内)は東京、次の1週間ないし2週間は札幌という生活をおくっていた(最近の記事で書いている通り親が生活のさまざまな点で助けが必要になっていたため)。 東京の1週間の部分をジョージア旅行にあてようということで計画をねっていた。そのとき、女子ワールドカップの開催地はフランスだ、うまく組み合わせれば1試合くらい見てこれるかもと思って日程を調べてみると、何とかなるかもしれないという感じになってきた。 しかし、ネックは、行き、もしくは帰りにフランスに寄るとなると、1週間という日数では足りなくなってしまうことだった。 結局、札幌に帰ることができない期間が若干長くなるので、身内で調整して日程を確保した。 ジョージアの首都トビリシへのアクセスはトルコ航空を利用すると便利。しかし、例によってJALの利用を優先したいので、成田→ヘルシンキ(フィンランド)→リーガ(ラトヴィア)→トビリシ(ジョージア)というルートを選択。リーガまではJALの正規割引運賃で、リーガからトビリシへはエア・バルチックを利用。 帰りは、フランスで女子ワールドカップで日本チームの試合を観戦するため、トビリシ→パリ→羽田というルートを選択。トビリシ→パリ間はエア・フランスがサッカー観戦(18時キックオフ)にぴったりの便を飛ばしてくれていたので、迷わずそれを選択した。 ということで、2019年6月の旅行記を書き始めたが、いつフランスに着けるかはわからない(ここサポーターズ・ブログではサッカー以外のネタはあまり需要ななさそうだけれど、いきなりパリに到着しましたという感じにはならないことをお断りしておきたい)。 ちなみに、しばらく放置してきたこのブログですが、すでに書いた通り、今年はスタジアムへ行って昔からの知り合いに会える感じではないので、昔からの知り合い方々に生存を確認してもらおうと思って最近になってちょっと書き出しました。たぶんアカウントは持っていても離れてしまった人、最近SNSの方が中心でサポーターズブログはちょっと。。。という人が多いと思いますが、たまにのぞいている方もいそうなので。。。
2019年02月20日
先週14日、イスタンブールのトルコ・テレコム・スタジアムでUEFA ヨーロッパリーグのガラタサライVSベンフィカの試合を見てきました。 トルコには今までかなりの回数訪れており、ギリシャ、シリア、ヨルダン、イランといった周辺国への旅行のついでに寄るということもあり、年に2回旅したこともあるくらいです(3回のときもあったか?)。最近やや頻度が減っていましたが、何となく行きたいという気持ちは消えることはなく、ガラタサライに移籍した長友が現地でえらい人気だということを知り、ガラタサライの試合を見るということを目的にイスタンブールへ出かけることにしました。 ガラタサライは人気チームでチケットの完売もありうるので、どうやってチケットを確保するかが問題となるわけですが、トルコのサッカーチケットはPASSOLIG カードなるカードがないと買えないシステムになっています。座席のブロック・番号などのチケット情報とカードの番号と結びつける必要があるのです。 このカードはネットで申し込むことができ外国人の場合はパスポートナンバーを入力し、さらに顔写真をアップロードします(登録の途中で入力した電話番号にSMSでパスコードが送信され、それを入力するという過程もあり本人確認はけっこう厳重です)。 チケットを購入する際、このカードのナンバーで登録するので、チケットの買い占め・転売は不可能。かつ入場の際はこの顔写真情報入りのカードを読み取りチェックするので(カードにも顔写真が)、本人以外の入場は不可能、かつテロ抑止の役に立っていると思います(ちなみにカードにはクレジットやプリペイドカード機能が付帯、外国在住者にはクレジット機能付帯のものは発行されないみたい)。 ということで、ネットでこのカードの申し込みをしました。自宅に送付してもらうことも可能っぽい感じだったので、12月末に申し込んだのですが、登録の最後の画面の方まで進むと、トルコでの受け取りのみ可能ということがわかり(トルコのクラブチームの本拠地のスタジアムで)、ガラタサライの本拠地トルコ・テレコム・スタジアムを指定しました。 しかし、トルコ渡航が2月中旬なので、また1ヶ月半近くあります。ちゃんと保管していてくれるのか若干不安ですがしかたがありません(その辺は当たり前にしっかりしていました)。 さて、PASSOLIG カードは作成できました。カードの現物はなくても作成は済んでいるので、そのカード情報でチケットが購入できます(トルコサッカーのチケット販売サイトPASSOで購入できる)(詳細はネット上にけっこう情報があります)。 で、人気チームですし、ヨーロッパリーグという大一番のチケットなので、チケットの発売が開始されたらすぐに購入しようと思っていましたが、トルコの場合、チケットの販売開始は試合の3~4日前というのが基本で、ヨーロッパリーグといえどもそれは同じでした(もっと早いと思ってました)。ということで、日本出発前にはチケットの確保ができず現地で購入することに。ちなみにPSSOLIG カードがなくても、チケット販売窓口でカードを発行してもらい(1試合のみ有効のカードもあるらしい)、チケットを購入することが可能なのでPASSOLIG カードの作成はあまり意味のないことになってしまいました(低額ですが年会費 =更新なし、がかかりますし)。 2月12日夕方、イスタンブール到着。 2月13日、試合前日、スタジアムに行き首尾よくPASSOLIG カードを受け取りチケットを購入。チケットは席種が10のカテゴリーに分けられており、すでに8、9、10は売り切れ。ちなみに一番高いカテゴリー1は1000トルコリラ(日本円で23000円ほど)、自分は下段のコーナー席のカテゴリー7を選択(400リラ=9200円くらい)。えらい高額です。普段のリーグ戦の倍の料金設定という感じです。 ちなみに、リーグ戦のチケットの料金設定はチームによってまったく異なり、地方のチームはスーパーリーグ(トップリーグ)のクラブであっても日本円で3桁円というところが結構あるようです。チケット価格からみてもものすごい格差リーグであることがわかります。 ちなみに、PASSO(チケット販売サイト)に登録していると、Webの画面で席を指定して購入できるので(空いているすべての席から選ぶことができます-ちなみに全席指定です))、それを見てみると、1000リラの席も空席がわずかという状況で、一番、空席が多かったのが僕の選択したコーナー席でした。 ガラタサライの本拠地トルコ・テレコム・スタジアムは地下鉄SEYRANTEPEという地下鉄駅からすぐで(一応直結ということになってますが、駅の改札からスタジアム入り口までは400m~500mくらいはある)、改札を抜けて長い通路を歩いていくと、写真のような鉄の回転扉があります。試合後、サポが地下鉄駅にどっと流れ込むのを防ぐのに有効であることが後でわかりました。(チケットを購入した日に撮影) チケット売り場の前からスタジアム方面を望んだところ。SPOR KOMPLEKSIとあるようにサッカースタジアム以外にさまざまなスポーツ施設があるようです。 13日は一日中雨が降り続け観光意欲がわきません。 チケット購入後は、旧市街に出てグランドバザールをぶらぶらした後、客のほとんどが地元民という食堂でハムスィ(かたくちいわし)のフライを食べ、新市街のホテルにもどってダラダラすごしました。 グランドバザール ハムスィに衣をつけてあげたもの。実はハムスィは今回のイスタンブール訪問の目的の一つでした。ハムシィの旬は冬で、これに軽く塩を振り、レモン汁をかけて、パン(トルコのパンはおいしいと評判)と一緒に食べるととてもおいしいのです。自分的にトルコB級グルメのトップという感じです(イスタンブールといえばサバ・サンドが有名ですが=焼きサバをはさんだサンドイッチ)。付け合わせとして、玉ねぎの輪切りが添えられていますが、ときどき、これを薬味替わりにかじりながら食べます。(ドネルケバブや焼きサバのサンドイッチには玉ねぎのみじん切りが入れられますが、この玉ねぎは自分で適当にかじって薬味にしてねということだと思う)。なお、値段は12トルコリラ(270~280円くらい)。 トルコにやってきた目的の一つが猫。とにかく街のあちこちで猫を見かけます。自分が旅先で盛んに猫写真を撮るようになったきっかけもトルコです。しかし、この日は雨のため猫はあまり現れず。写真はレストラン(ここで夕食をとったと思う)の軒下で見かけた猫。 14日。いよいよ試合の日です。雨はやんでいましたが、いつ降り出してもおかしくはない空模様です。しかし、天気も問題ですが、寒さも大問題でした。予報によるとこの日の夜は5度くらいしかないらしく、一応、そこそこの防寒対策はしてきましたが、ナイトゲーム、気温5度はちょっと行くのを躊躇する状況です。雨の心配はなくなってはいませんが、購入した席は完全に屋根におおわれており、濡れる心配はしなくてもよさそうです。 それからキックオフの遅さも問題でした。なんと20時55分でした。 これはおそらくテレビ放送の時間の関係と思われます。この2日前に行われたフェネルバッチェ(イスタンブール)とゼニト(サンクトペテルブルク)の試合は、相手の国ロシア・サンクトペテルブルクとの時差はなく、キックオフが20時でしたから。。 さて、スタジアムを出るのは23時くらいになると思いますし、5万くらいの観客が一斉に帰途につきますから帰りの足が心配です。地下鉄の最終は24時前らしいですが、23時半くらいには駅にたどりつけるでしょう。 昼間はイスタンブールをぶらつきました。 スレイマニエ・モスク。イスタンブールに行くといつも何となく足が向いてしまう場所です。 スレイマニエ・モスクで出会った猫。階段にちょこんと座っていたのですが、カメラを向けたとたん歩き出しました。嫌がられたようですが、こっちが離れると近寄ってきます。 スレイマニエ・モスクの敷地から金角湾をはさんで新市街側を望む。目立っている塔はガラタ塔。 スレイマニエ・モスクの内部。 アヤ・ソフィア。現在の建物は6世紀前半に東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世の命によって建設されたもの。 15世紀半ば、オスマントルコのメフメト2世がコンスタンティノープルを陥落させた後、キリスト教の聖堂であるアヤ・ソフィアをイスラム教のモスクに転用。壁面のモザイク画は漆喰で塗りつぶされました。19世紀以降、漆喰の下にあるモザイク画の調査が行われ、トルコ共和国が成立した後、アヤ・ソフィアは博物館とされたとのことです。こんな歴史があるので、写真のようなキリスト教とイスラム教が混在する不思議な雰囲気を感じることができます。 アヤ・ソフィアの近くで見かけた車のボンネット上で暖をとる猫。寒いのです。 グランドバザールは主に観光客が行く市場ですが、こちらは地元民が集まる商店街。平日なのですがすごい人出です。 ガラタ橋からスレイマニエ・モスク方向を望む。手前の派手目の船はイスタンブール名物サバサンドを販売している船です。この日は寒すぎで外で食べる気が起きず、サバサンドは食べませんでした。 夕方いったんホテルに戻ります。昼が重かったので、そとでパンを買ってきてそれを食べて出かける時間を待ちます。あまり早くスタジアムについてしまうと、寒さをこらえるのがたいへんそうなので。 ホテルは新市街のタクシム広場の近く、イスタンブール一の繁華街ともいえるイスティクラル通りの近くにとっていたのですが、ときどき通りの方からサポの一団による大音量のチャントやコールが聞こえてきます。 19時10分すぎ、もうちょっと遅く出かけるつもりだったのですが、外から漂ってくる雰囲気に押されてスタジアムへ向かうことにしました。 <続く>
2018年07月02日
この冬というには時間がたちすぎてしまいましたが、イタリア北西部のリグーリア海岸にあるチンクエ・テッレというところに行ってきました(その後、ルッカ、ペルージャを回りました)。チンクエ・テッレとは5つの土地という意味でその名の通り5つの村が並んでいて、その景観で有名。 上の写真はヴェルナッツァという村ですが、カメラの設定をいじって撮ったものでかなり色が強調されています(SNS映え全盛の現在、この手の色を加工した画像がネット上にはあふれているのでしょうか?) 実際は次の写真のような色あいです。 さて、表題の件です。 チンクエ・テッレの南側の入口というようなところに位置するラ・スペツィア駅にあるバール(コーヒーなどの飲み物やサンドイッチなどの軽食などを売っている売店でそこで食べることもできるような店)で、サンドイッチを買いました。 直径15センチくらいの表面がカリカリの鏡餅型のパンを2つにスライスして、そこにトマトとチーズをはさんだだけのもので、値段は4.2ユーロ。現在のレートだと日本円で530~540円くらいでしょうか。 おそらく日本で同じものを540円で売ったら絶対売れないでしょう。おそらく350円か400円が限度では(それでも売れないか?)。 というくらい、今、日本の物価は先進国の中では安いです(とくに食事)。 昼時、700円くらいでけっこうな内容の定食をとることができますし、ワンコインランチなんていうのも珍しくはないです。ヨーロッパで同じレベルの食事をしようと思うと、安くて1200~1300円。2000円もしくはそれ以上であることもざらです。 毎年冬になると、オーストラリアから大挙してニセコ地方にスキー客がやってきますが、(オーストラリアの物価は知らないのですが)彼らにとって日本は物価の安い国で、飛行機代をかけてやってきても、それほど大きな負担ではないのでしょう。(自国で休暇を過ごすより安いのか?) さて、日本の物価が先進国のなかでこんなに安いの原因は、労働者、特に非正規労働者の低賃金にあるのでしょう。 日本って本当に経済大国なのか? 先進国を旅するたびにこうした感覚が強くなります。 今、たいへん多くの外国人観光客が来日しているが、彼らにとって日本の旅先としての魅力の一つが、「安さ」であることは間違いないでしょう。
2018年05月27日
5月20日・21日は関西遠征。 東京から大阪へ飛ぶ時、楽しみにしている上空からの古墳の眺め。 伊丹空港到着後、時間に余裕があったのと、ちょっと興味があったのとで、空港から阪急蛍池駅まで歩いてみました。所要時間は15分ほどでした。 梅田近辺のホテルにチェックインした後(今回は翌日の観光の時間を確保してあります)、神戸へ移動。 試合は0-4で敗戦。ウエリントンにやられたという感じですが、ぶっちぎりで昇格した湘南と対戦して、よいところなく敗れた2014年シーズンのアウェイでの試合をふと思い出しました。(あのときウエリントンにやられたのかどうかの記憶は定かではないのですが) 翌日は、京都の青もみじ観光。紅葉が綺麗なところは、新緑のもみじも美しいのですが、紅葉の時期とは違い、観光客でごった返していないところがけっこうあります。 まず、向かったのは阪急の上桂駅から近い地蔵院(竹の寺)。観光客はほとんどいません。 地蔵院からほど近いところにある浄住寺。境内の散策は自由です。写真に写っている木々はほとんどが楓で、秋の紅葉は素晴らしいのではと思われます(混雑するらしいですが)。 地蔵院、浄住寺ともにちょっとした穴場でしたが、この近くにある鈴虫寺(華厳寺)はプチラッシュでした。 このあとは、ちょっと早目の昼食をとってから、松尾大社を経由して、猫がいる(猫を飼っている)神社として有名な梅宮大社へ(徒歩)。 梅宮大社の猫1。 梅宮大社の猫2。 この日はこれ以外に3匹の猫を見かけました。 この後は真如堂へ移動(バス)。ここも紅葉の名所です(紅葉シーズンはそこそこ混雑しますが、超有名どころほどではありません)。 真如堂。人混みを避けてボーッするには良いところです。 真如堂。 このあとは、発作的にあぶり餅が食べたくなり今宮神社へ。 神社に向かう前に、参道に入るところの北大路通に面したところにある、コーヒー豆を焙煎している店で北大路ブレンドなるこの店オリジナルのブレンド豆を購入。実は京都はコーヒー文化の根強い街で、さがせばこの手の店がけっこうありそうです(カフェというか喫茶店は多いです)。 さてあぶり餅です。神社の東門の門前に向かい合わせて2軒の店があり、今まで、門に向かって右側の店ばかりに行っていましたが、今回は左側の店に。当たり前と言えば当たり前ですが、微妙に味が違うみたいです、たぶん。写真はありません、あしからず。 ということで、ここで時間切れ、空港に向かいました。
2018年01月21日
タイトルにある通り、以前ユーラシア大陸陸路横断の旅をしました。 とは言っても、1回に旅できる日数に限りがあるので、今回はこの区間、今回はこの区間という感じで旅しているうちに、結果としユーラシア大陸の陸路横断を達成したということなのですが。 また、最初から陸路横断をめざしていたわけではなく、旅を重ねるうちに、こことこことここと、そしてここをつなげれば、という感じになって、旅の目的は陸路横断達成になったのですが。 さて、2010年、イタリアのミラノからポルトガルのロカ岬まで移動して、陸路横断を達成したのですが、例によって限られた旅行期間で移動したので、その道すがらにある魅力的な場所を飛ばして移動せざるを得ませんでした。 それで、最近は、そのとき寄ることが出来なかった場所へ行くというのが旅の一つのテーマとなってます。(本当はパキスタンとかイランとかで飛ばしてしまった場所へ行きたいのですが、現在は治安状況に問題があり、困難という感じです) そうした旅として、2015年にはポルトガル国境に近いスペインのメリダ、カセレス、サフラなどを訪れました。 <メリダ> ここは紀元前25年にローマ帝国の属州ルシタニアの州都として建設された都市で、ローマ時代の遺跡が数多く残ってます。 紀元前25年に造られた橋(全体が創建当初のものというわけではありませんが)。全長は792mもあります。現在は歩行者専用の橋として使われています。 水道橋。 <カセレス> レコンキスタの時代の名残をとどめる中世の街で、「エストレマドゥーラの宝石」と呼ばれています。こじんまりとした街で、街歩きが楽しいです。 マヨール広場 <サフラ> サフラは、カルタゴ人、ローマ人、アラビア人等がスペインを南北に移動する際の幹線ルートだった「銀の道」の道の中継点として栄えたとか。とても小さな街です。白壁が続く街並みはアンダルシアが近いことを感じさせます。 花で飾られた家が多い。 2017年はそうした落穂拾いの旅の続きとしてポルトガルへ行きました。 一番の落穂拾いは、スペイン国境から12kmのところにあるポルトガルのエルヴァスという町。17世紀に築かれた塁壁に囲まれた古い街並みが残っています。 <エルヴァス> <マルヴァオン> 落穂拾いというテーマではエルヴァスだったのですが、この旅一番の目的地となったのはマルヴァオンです。 マルヴァオンはサン・マメーデ山脈にある860m余りの岩山の上に築かれた城壁の中に形成された街で、山のてっぺんの部分にちょこんと載ったような形なので、「鷲の巣」と呼ばれています。が、中に入ってしまうと「鷲の巣」感はありません。 エルヴァスは要塞都市、マルヴァオンも城壁を持ち、長くなるのでここには載せませんが、この後訪れたポルタレグレも城壁に囲まれていますし、このあたりは城塞だらけです。スペインとの国境が近いという立地によるものなのでしょうか(このあたりの詳しい歴史は知らないのであしからず)。
2017年10月03日
飛行機の出発が遅いので、まだ相当時間がある。 ということで、福山城を出た後、尾道へ向かいました。 尾道は一度ゆっくり歩いたことがあるので、どこを見るとはなしに、短い時間散歩でもしようということで。 尾道駅の裏手あたりから、寺巡りの散策ルートがあるので、道しるべにしたがって歩いていくと、とあるお寺に花が。コンデジではなく、一眼を持って来きて寺を写し込んだ、色々な風景を撮りたかったなあと思い歩いていくと猫登場。 旅先で、とくにトルコなどイスラム圏(イスラム圏ではムハンマドが猫好きだったとかで、猫がとても可愛がられており街のそこかしこで見られる)で何となく撮っているうちに猫を撮るのが好きになってしまいました。ということで、お寺より猫ということに。(この写真はまだ「お寺」の雰囲気をいかそうと撮ってます)。 とても体格のよいお方。「観光客、ウゼー」と言っているかのよう。 次々に現れます。 爪を研ぐ猫と、その音を聞きつけてのぞきに来た黒猫。 駆けていく猫。 何を見ているのか。 静かにたたずむ猫。 気配を感じて見上げてみると、そこにも。 1時間くらい歩いただけですが、かなりの数の猫が見られました。 以前、尾道を訪れたときは、こんなにいなかったような(それとも、そのころは猫に興味がなかったため気が付かなかったのか?)。
プロフィール
札幌出身、東京在住。05年の秋からはアウェイで大旗を振っていたが、2011年末にOSCが解散したこともあり、同年限りで旗振りは引退。
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