2016年11月22日
今年の1月だったか2月だったか。 ある日曜日、外出して帰宅する直前、カラスの糞がガッツリ頭を直撃。 帰宅直前だったので、速攻でシャワーを浴びられたし、洗濯もできたのは不幸中の幸いだった。そう自分に言い聞かせ、さらに、「これは何か良いことがある予兆では」とポジティブに考えてみました。 しかし、よいことはなかなか起こりませんでした。 そうこうするうちにコンサが首位を快走。 そうかこれがよいことか、と思うことに。 が、このことを口に出すと良い結果が得られないのではと思い、心の中にしまっておくことに(まったくアホですが、これ以外にもいろいろとゲン担ぎとかをやった結果、行動が窮屈-笑) そして何とか良いこと=コンサのJ1昇格が実現しました。 くだらない話ですが、自己の記録として書き留めておくことにしましました。 ところで、最終節は、何としても勝ちたいチームと絶対負けられないチームの戦いらしい試合になりました。 立ち上がりから金沢(何としても勝ちたいチーム)は積極的でしたし、コンサ(絶対負けられないチーム)の選手の動きはどこかぎこちなくチームの重心は完全に後ろに。 そんな前半を終え、後半もその傾向は続き、他会場の動向をうけて、金沢は引き分けたいチーム変わり、コンサはあいかわらず絶対負けられない=引き分けOKということで、まず金沢が、ついでコンサがディフェンスラインでのパス回し。 条件がそろわなければめったに見られない、とてもレアな場面を見られて、ある意味幸運と感じながら、試合終了のホイッスルを聞きました。 カラスの糞を浴びるところから始まり、数多くの勝利、いくつものしびれる勝利(フクアリの内村の得点後はしばらく足の震えが止まりませんでした)を目の前で目撃、レアな場面の目撃、そしてJ2優勝・J1昇格決定の目撃と、自分にとっては「うんのついた」2016年シーズンでした。
2016年11月01日
上の写真は5月中旬に熊本に行った際に撮ったものです。 屋根瓦が落ちたりして、ブルーシートでしのいでいる家が多いことがわかります。 今回の熊本行きの飛行機からもブルーシートの状況を見ましたが、少し減少したかな、という印象。 試合の方については特にコメントはありません。 個人的には、ゴール裏で大旗をふり、大声をはりあげ、飛び跳ねならば応援していたころに知り合い、最近ご無沙汰していた人たちにお会いできたのが、スタジアムにいた時間における唯一の収穫だったか? ハーフタイムに被災地の自治体の人たちが、旗など(のぼりもあったか?)場内を一周したのですが、その行列が最後で、「益城町」の文字を見たためか札幌サポの拍手が大きくなりました。 テレビの震災報道では「益城町」の映像・レポートが圧倒的に多く(それと熊本城)、地元の人たち以外の震災に対する印象は、熊本市や益城町とかがひどいことになっているという感じだと思います(断層の上に立っていた古めの家はあちこちでけっこうひどいことになっているようです)。なので、サポのこうした反応もうなずけるものですが、こうした状況を見るにつけ思うのは、マスコミの特にテレビ報道の国民に与える影響の大きさです。熊本の震災被害については象徴的な場所として熊本城や益城町に集中するのは仕方がない面もあるかと思いますが、昨今の報道の偏りは本当にこれでよいのか?という感じです(例えば東京の豊洲市場の問題の詳細って全国の人が知っておくべきこと? もっと他に伝えることがあるのでは?)。 翌日、飛行場で見た熊本のニュースではコンサとの試合のことがとりあげられ、地元の有名人(知識人?)と思われる人がコメントしていました。なんだかんだいって試合結果は悔しいものだったので、ちゃんと見ませんでしたが(器小さいです)、県民に勇気を与える結果とか何とかそんなことを話していたような。。。今回の試合結果が熊本の人たちに力を与え、最終的にはコンサは昇格・J2優勝して、という最高のシナリオになればと思います。 ところで、例によって試合の翌日に歩きました。今年は日曜・月曜という遠征が可能で、あまり観光客が多くない月曜日に観光できるのが好都合ですが、今回行った先は、日曜でも混雑はしていないのではという場所で、熊本市の中心部からバスで1時間以上行ったところにある美里町。 ここには江戸時代後期~末に建造された石橋が沢山残っているのです。昨夏の熊本遠征で通潤橋という石橋を見たのですが、その続編の旅です。 霊台橋。国の重要文化財です。1846年から47年にかけて建造されたもので、江戸時代の石造単一アーチ橋としては日本一の大きさを誇るとか。橋そのものは地震にも耐えたようです。脇の方で工事をしていましたが。橋のすぐ横に国道は通っており、この橋と並行して現代の橋がかかっています。 さて、ここから歩きです。熊本方面に向かいながら、この辺に点在するいくつかの石橋を見る予定です。 50分以上歩いて着いた大窪橋。1849年に建造された橋ですが、美里町のホームページによると震災の被害にあい、修復されたようです。やはりここにも並行して現代の橋がかかっています。写真に写っている木は桜の木で春は美しそうです。 大窪橋から15分くらい歩いたところのバス停を見ると、もうすぐバスが来るようだったのちょっとだけバスを選択して(乗ってみると停留所2つ分だけだった)やってきた馬門橋(まかどばし)。写真は国道の橋から見たところ。 下まで降りて行った見た馬門橋(1828年建造)。震災の影響で通行禁止になっていました。 馬門橋から徒歩20分弱で二俣橋(1830年建造)に到着。ここは御覧の通り震災で崩れていました。 二俣橋を最後に石橋の見物は終了。熊本市内に出て熊本城へ。 城内は入場禁止ですが、外側を一周でき、遠目に眺めることができました。近くにガイドつきの団体がいたので、そのガイドさんの話をちらちら聞いていたのですが、平成に復元・整備された石垣の被害がとくに大きかったらしいです。
プロフィール
札幌出身、東京在住。05年の秋からはアウェイで大旗を振っていたが、2011年末にOSCが解散したこともあり、同年限りで旗振りは引退。
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