【07天皇杯3回戦】とっても、ダメだった、今回

2007年10月09日

上野から北斗星で行きました。
といっても1日早く乗ったので長万部からニセコへ入って一泊。翌日、ニセコから厚別へ。試合が終わった日の夜、青森行き急行<はまなす>号に乗って、そこから東京まで地べたを這って戻りました。

いや、はまなすには乗っていましたとも。TDKサポ数名。まぁ彼らは青森から<いなほ>に乗り換えて、ホームタウンへと戻っていきました。

まぁ、指4本掛かっていた“勝ち”があと一本の隙間からスルッと逃げていったのは間違いないですが、その責めを佐藤優也に求めるのは可哀想ってもので、90分で勝てなかった試合ではなかったですし、119分に点が取れた試合でもあったと思います。

敗因を考えると、TVの生中継がなく、つまりはどこかの空の下で息子を応援したい父親がナマで見れなかったということであり、あのPKを蹴る佐藤優也に必要だったのは、あくまでも冷静な父親のテレパシーではなかったでしょうか。リンク先を見れば解りますが、優也は父の生まれ故郷に負けたということです。
そんなの関係ねぇ!だとは思いますが。

札幌vs仁賀保
コートも着ず、顔を上げることが出来ない佐藤優也。キミだけに責任はない。 でも、Tottemo Damedatta Konkai。



TDKに負けたというと、未だ納得できるのですが、仁賀保に負けたと言い換えると、ちょっと悔しいなぁ。


この記事に対するコメント一覧

コメントする