将棋は魅力的なコンテンツとなれるか?

2006年08月07日

将棋世界今月号から、「元奨」の連載が始まった。初回は17才三段で奨励会を自ら去った立石氏。
当時、将棋界に走った衝撃はものすごかったと思う。有望な若手がその世界から去るということは、将棋界自体の価値に関わる問題だからだ。あれから14年もの月日がたち、その後彼がどうなったのか気にしていた人も多かったと思う。私にとってもようやく書いてくれたかという気持ちだ。
個人の価値観はそれぞれ違うので、将棋の道を選んでも、医者の道を選んでも、第三者にはその決断を受け入れることしか出来ない。ただ、なぜその人がその道を選んだのかという判断基準は大いに耳を傾けるべきである。彼にとっては、将棋の道を究めることよりも、医者となって人の命を救いたいということの方が重要だということだ。
私も以前憧れという意味で将棋のプロを目指していた時期もあった。しかし、高校の頃からだろうか?自分の才能がわかったからかもしれないが、どうも棋士になりたいと思う気持ちがなくなっていった。それはまさに立石氏が感じていたこと(ただ将棋を指してて、世の中の役にたつのか?)と同じ思いが強くなってきたからだ。
現在、私は会社勤めをしているが、少しは世の中の役に立っていると思うし、棋士とどちらか選べるとしても今の仕事を選ぶと思う。そのくらいは自分の職業に誇りを持っている。
果たして今の少年たちにとって、棋士はなりたい魅力的な職業になっているだろうか?職業に対する憧れというのは、そのままその職業が社会に対して持っている価値を意味する(はずだ)。立石氏が去って14年の間に棋士たちは将棋を魅力的な世界に変えようと努力してきたのだろうか?私個人の見解は後ほど記そうと思う。


post by roque816

21:57

shogi コメント(0)

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