2006年05月05日
納豆(食用)が大好きなとーさんです。こんにちわ。 ほぼ意地になってお届けしているこの「道産子シリーズ」。 しかし実際調べてみると、残念ながら道産子選手は少ないものです。 この水戸もそのひとつで、現在道産子選手はひとっこひとりいません。 しかし、人材交流は多い方ではないでしょうか。 古くは、渡辺卓(山形ユースコーチ)からはじまり、河村優(静岡FC)、 木山隆之(神戸ユース監督)、深川友貴(札幌ユースコーチ)、 栗田泰次郎(FC琉球)、関隆倫(札幌)、磯山和司(アルテ高崎)、 吉瀬広志(新潟シンガポール)、デルリス(エクアドル・バルセロナ)、 権東勇介(水戸)、桑原剛(水戸)などがいます。 道関連で言うと、昨年まで道都大卒の森直樹(水戸ユースコーチ)が 所属していました。 なんだか、このエントリーは、昔を懐かしむにエントリーに かわって来たような気がします。 さて、明日から第2クールが始まるわけですが、1回目の対戦で 貸しを作ったチームにはきっちり返しておきたいところです。 水戸との対戦は、一発勝負のクレー射撃vs水戸ナチオブロック崩し みないな感じですかね。 ブロック崩しの攻略法のように、ピンポイントでペナルティーエリアに スルーパスを入れて一気に内部を崩して欲しいと思います。 ウチのサッカーは落ち着きすぎる嫌いがあるので、たまには 慌てて攻撃してみるのはいかがでしょうか。 納豆もこねくり回せば美味しくなるとは限りませんからね。
2006年05月02日
HDDビデオが再生しか出来なくなりました。 どーも、2年間撮り貯めしていた札幌の番組をDVDにダビングして いなかった人です。合掌。 みなさん、HHDビデオは便利ですけど怖いですよ。 こまめにDVDに移しておきましょう。 さて、涙のせいかベガルタ仙台には道産子選手は見つかりません。 去年までは財前弟(現・山形)がいましたね。 もっとさかのぼると、覚えているのは賀谷英司(札幌ユースコーチ) ぐらいでしょうか。 札幌に所属した事のある人であれば、記憶が新しいところで 忍者でお馴染み村田達哉氏をはじめ、渡邉晋(ベガルタ仙台普及コーチ)、 森川拓巳(ロッソ熊本)、帝王平間智和(ソニー仙台)、 電柱磯山和司(アルテ高崎)、札幌を救えなかった石井肇(磐田スカウト)、 そして札幌を救うであろう西谷正也(札幌)と言ったところでしょうか。 どこか札幌と同じ香りのする仙台ですが、チーム作りは以前と 変わりなく、毎年本気で昇格するためのチームを作っており、 この部分では札幌とは全く違う道を歩んできています。 下部組織からトップチームに入団した選手は、現在仙台には1人に対して 札幌は4人と、ここだけ見ても、会社の方針や事情などの違いがハッキリ わかりますね。 そんな仙台には、池内が退場にならなければ非常にいい成績を 収めているので、相性のよさを発揮していただきたい。 そして、池内はいままでの(各方面からの)借りをゴールで返して下さい。 強豪ではありますが、必ず勝ちましょう。 いや、勝たせようや。
2006年04月29日
息子の面倒を見ないでブログを書いているとかーさんの機嫌が悪くなりました。 おはようございます。 今回は、神戸から戦力外となり7年ぶりにヴェルディに復帰した 室蘭出身の菅原智選手をいつものようにGoogle先生に聞いてきました。 意外と知られていない菅原智選手。 よくある苗字と情報が少ないサントスFCや神戸に所属していたおかげで 思い通りに情報収集ができません。 わずかな情報ですが、どーぞ。
菅原 智 Tomo SUGAWARA |[背番号] 6 |[ポジション] MF |[生年月日] 1976/6/3 |[身長/体重] 174/71 |[血液型] O型 |[出生地] 北海道室蘭市 |[ニックネーム] スガ、トモ |[趣味] 睡眠 |[利足] 右足 |[所属チーム] 川崎YMCA→読売日本SCジュニアユース→読売日本SCユース→ | ヴェルディ川崎→サントスFC(ブラジル)→ヴィッセル神戸→東京ヴェルディ1969 |[経歴] 詳細 | |Jリーグ 169試合4得点 天皇杯 15試合0得点 カップ戦44試合0得点 菅原選手の寸評を見ると様々で、「正確な状況判断と持ち味の守備能力が高い」とあれば 「状況判断が甘くサイドバックに入ると簡単に裏を取られる」など真逆なものもありますが、 基本的に対人プレーに強く、汗かき役で、声を出せるプレーヤーのようです。 マルチプレーヤーであるが器用貧乏のように伺えます。 今期はその左サイドバックで開幕から4試合連続スタメン出場するも、 第4節の山形戦にて無念の負傷。右足の肉離れと診断されています。 前所属のヴィッセル神戸の公式携帯サイトにて「菅原智のお気楽悩み相談」があり 「頼れるアニキ」として活躍していたようです。 そんなコーナーがまだあるなら、「シュートを枠に飛ばす方法」とか 「CKの対策方法(攻守ともに)」などを聞きたいですね。 マラドーナに憧れマラドーナと同じシューズの紐の結び方をしていたそうです。 ポルトガル語が堪能だそうです。 最後に【2006キャンプ】東京ヴェルディ1969編:菅原智選手インタビューをどーぞ。
淡白なレポートですいませんですいた。 そろそろかーさんの限界です。
2006年04月21日
いないことをお知らせするだけの、しょーもないエントリーを書く人です。こんにちわ。 柏にはSSS出身の矢野哲也が所属していましたが、昨年期限付き移籍していた愛媛FCからも戦力外となり、現在北海道リーグ1部の札幌蹴球団に入団しております。 柏と言えば、古くは加藤竜二(ロッソ熊本コーチ)からはじまり、有馬賢二(FC東京コーチ)、棚田伸(プログレッソ東京総代表)、森川拓巳(ロッソ熊本)、砂川誠(札幌)、酒井にゃおき(柏コーチ)などが移籍してきましたね。 札幌を去った後、柏に所属した事のある選手は、板長とトレードっぽく退団した瀬戸春樹(柏)のみと、極めて貴重な存在です。 それと柏のコーチ陣を覗いてみると、やけに道産子が多いんですけど、柏には北海道村でもあるんですかね?
<追伸> 残念ながら今回は息子の都合により、函館にいけませんが、行ける皆さんよろしくお願いしますね。
2006年04月17日
中二日の日程は選手にとってさぞ大変であろう。 が、サポーターブロガーも意外と大変だったりします。 どうも自己満です。 明日は徳島戦なので、今回は去年の9月から湘南から徳島に移籍した石田選手をgoogle先生を駆使してお送りします。 石田選手と言えば磐田に振られ札幌を振り湘南に想われと ニキビのような経緯で2003年に湘南に入団。 その後、2005年9月に出場機会を求め徳島に完全移籍しています。
石田 祐樹 Yuki ISHIDA |[背番号] 14 |[ポジション] FW |[生年月日] 1980/11/4 |[身長/体重] 178/73 |[血液型] O |[出生地] 北海道札幌市 |[ニックネーム] ユウキ |[利足] 右 |[足のサイズ] 25.5cm |[得意料理] 唐揚げ |[家族] 奥さん一人 娘一人 |[所属チーム] 清田南小(MF) - 札幌清田中(MF、DF) - 札幌白石高(FW) - 道都大学(FW) | - 湘南ベルマーレ(FW、MF) - ヴォルティス徳島(FW) |[経歴] 2000年 北海道・東北選抜、全日本大学選抜、 | 北海道リーグベストイレブン、得点王 | 2001年 北海道・東北選抜、北海道リーグベストイレブン | 2002年 北海道・東北選抜、全日本大学選抜、 | 北海道リーグベストイレブン、得点王 |[出場記録] ※2006年J2第9節終了時現在 括弧内は得点 | Jリーグ(J2) 46試合1得点 天皇杯 5試合1得点 | 2003年 湘南(J2) 19 (0) 天皇杯4 (1) | 2004年 湘南(J2) 15 (0) 天皇杯0 (0) | 2005年 湘南(J2) 0 (0) | 2005年 徳島(J2) 12 (1) 天皇杯1 (0) | 2006年 徳島(J2) 6 (0) そもそも大学に進学することはまったく考えていなかったが、 高校の恩師の勧めで道都に入学。 その後、めきめきと頭角をあらわし上記のような輝かしい経歴を 残します。 その中でもデンソーカップサッカー'02では、深井(鹿島)、 巻(千葉)、千代反田(福岡)、高原(札幌)など、 そうそうたるメンバーの一員でした。 そんな石田選手を各チームが放っておく訳も無く、 当然札幌も2001年から練習に参加させるなど獲得に動きましたが、 当時の新聞に「山瀬移籍の影響もあった」と書かれたように、 札幌を選ぶ魅力は弱く、 結局「湘南は若い選手が多くて溶け込みやすかった」と いまいち弱い理由に敗戦。 後のインタビューでは大学3年の時に磐田に練習参加した際に 「これやってればうまくなれると思ったから」と磐田出身である当時の 湘南の監督を務めた山田松市氏の存在の大きさを明らかに。 少し自分の気が晴れましたw しかし、即戦力を期待されながらも出場機会にめぐまれません。 当時強化指定選手であった河端(ロッソ)選手の高評価にあわせ、 張元監督が 「彼は向こうで何をしている?地元の選手をクラブが育てなくては」 と息巻いて獲得を強く要望するも、崩壊し続けている札幌に顔を向ける 訳も無く、湘南で壁にぶつかりながらも出場機会を狙います。 しかし、与えられたポジションは本職のFWではなくサイドと、 慕っていた山田監督に逆に追い詰められ、守備をやったことの無い 石田選手にとって課題はてんこ盛りおかわり3杯くらいにまで山積、 サポーターからもサイドはだけはやめて欲しいと言われる程までになり、 最後には調べた私が鬱になってしまいましたw 第一子が誕生した慌しい中、その翌日に徳島に移籍。 新規一転、出場機会を掴み取るもベガルタ仙台戦にて 右足関節靭帯損傷。 湘南時代も初アシストした次の試合にはコンディションを 落としスタメン落ち。 今期も開幕スタメンを勝ち取るが大敗。 スタメン落ちした第3節からはチームは逆に調子を上げ、 代りに入った小林康剛にポジションを奪われ、 現在はそのままバックアッパーに回ってるなど、 彼のプロ人生はヤムチャっぽく感じるのは私だけでしょう。 道産子としてヤムチャ以上の活躍を期待していますが、 札幌戦ではヤムチャ並みでお願いしたいですね。 徳島と言えば西谷の地元。 活きのいいプレーを60分ぐらい期待してますよ。
2006年04月14日
企画倒れの感が否めない「次節対戦相手の道産子選手を探る自己満企画」は、既に自己満足すら出来な状況であります。こんにちは。 去年は北出勉(室蘭大谷高-道都大-磐田-湘南-栃木SC)、石田祐樹(札幌白石高-道都大学-湘南-徳島)などが在席していましたが、今年は湘南ベルマーレに道産子選手はひとりもいません。涙くんさようなら。
湘南に所属していた選手で最初に思い出されるのは、元日本代表・現札幌U-12コーチのなっちゃんですかね。今の若い人はわかるかな。 続いて、2点取って試合終了後に呼ばれてもいないのにサポーターに挨拶して「どっちらけ(死語)」された美白さんとか、練習中に遠国を鋭いミドルキックで一発KOしたコバとか、練習生から正式契約した川口や、名前は知れどもプレーは全く記憶に無い井手口などでしょうか。もっともコバは湘南に在籍中ですが。 思い出す順番によってその人と札幌との関わり方が判るかもしれないね。
密かにベルさんがいるんですけどw
2006年04月07日
ラッキー残念な事に道産子選手はいません。
これだけで終わるのも気が引けるので少しばかり小話。 神戸と言えば、和波の出戻りや、播戸の地元だったり、柏戦でPKを外してから運命が狂い始めたコジや、腐りかけていた西嶋とか、2年も所属してたのに何故か記憶に無い西谷や、花垣さんしかり、J2降格をお手伝いしたパベルなど、そこそこ接点があります。 現在、神戸に関わっている人は、ユース監督として木山隆之(筑波大→G大阪→札幌→水戸)、道民ではU-13監督の野田知(室蘭大谷高→国士舘大→日産/横浜マリノス→アビスパ福岡→ヴォルカ鹿児島)が所属しています。野田知と言えば財前コーチの同期で、全国高等学校サッカー選手権大会(1987年)でベスト4進出したメンバーです。それにしても随分顔が変わったねぇ。自戒を込めて。使用前 使用後
2006年03月23日
前回エントリーは全く評判になっていませんが、今回も勝手にお送りする「次節対戦相手の道産子選手を探る」自己満企画第二弾。 今回は横浜FCの道産子選手。といえば言わずと知れた城彰二選手に迫る--- と言ってみたけどやっぱり迫らないw 今回もGoogle先生に尋ねたところ、約 64,200 件もあり、しかもどこを見ても断片的で、ほとんどが横浜FM時代のギャルによる役にたたない情報や、98年ワールドカップフランス大会で時間が止まっているような情報ばかりで、調べたい情報が埋もれて探せませんでした。と、言い訳ではじまる最悪の滑り出しになりましたが、ご想像の通り今回は面白くないので読み飛ばしてくださいw 前回も面白かったのか?と言えば、そんな事ないんですがねw
城 彰二 Shoji JO |[背番号] 9 |[ポジション] FW |[生年月日] 1975/6/17 |[身長/体重] 179/72 |[血液型] O |[出生地] 北海道室蘭市 |[前所属チーム] 中島旭ヶ丘サッカー少年団(中島小)-加治木中-鹿児島実高 | -ジェフユナイテッド市原-横浜マリノス/横浜F・マリノス | -レアル・バリャドリード(スペイン)-横浜F・マリノス-ヴィッセル神戸 | -横浜FC(2003年加入) |[ニックネーム] たぶん無し |[利足] たぶん右 |[得意技]皮肉な笑い最近見ないけど宙返り |[選抜歴] 1990年 ジュニアユース代表 | 1992年 ユース代表 | 1996年 オリンピック代表 | 1998年 ワールドカップフランス大会出場 |[出場記録] | 国際Aマッチ:36試合出場7得点 | Jリーグ:J1、230試合95得点、J2、96試合28得点 | 合計326試合123得点中 (2005年9月9日現在) | スペイン1部リーグ:15試合出場2得点 |[資格] 財団法人日本サッカー協会公認 C級コーチライセンス |[所属事務所] 株式会社ボランチ (ノノと同じ) |[家族] 奥さん一人 娘一人 たぶん あとはコレを読んでください。 河野 浩一 (著) 不屈のゴールハンター 城彰二 って、なんだこのやる気の無さはw もう少し頑張ろう。 いまやジャンクスポーツ出演やJリーグ30横浜FC編で司会を務め、過去にはデカビタCのCMに出演、今年からはスポニチにコラムを書くなど、マルチタレントとして活躍している。 J2サポなら知っていると思いますが、J1サポの方には念のため言っておきますが、まだ引退していませんよ。 市原に入団して1年目で開幕から4試合連続5得点の活躍で一気に時の人に。 城彰二=水かけ事件と言えるほどの代名詞になっていますが、他にもシューズを観客席に投げ込んだらサポから投げ返されちゃった事件とかあったと思うんですど探せませんでした。 以上 って、ほんとやる気で無いなw それは、余りにも知られているせいもありますが、それよりも道産子と思えないからだろうなw ほとんど鹿児島人でしょ。クサナギに学生服着させて高校生ですとか、特番でマギー四郎に超魔術をやらせるとか、翼君が中田と一緒にフル代表で戦ったりとかするぐらい無理がある気がするんですが。 しかし、室蘭日報では城の室蘭凱旋とカズのW効果で動員2,000人増を目標と期待を寄せており、その部分では大いに頑張っていただきたい。2,000人増じゃ淋しいけどね。 昨季は12得点、得点ランキング11位とそこそこ結果を残し、今オフにはJ1セレッソ大阪から完全移籍のオファーがあったらしい。 横浜FC・城が契約更改 横浜FCのFW城彰二が契約更改交渉を行い、微増の1500万円(推定)でサインした。 契約期間は1年。なお、同選手にはC大阪から完全移籍でのオファーが届いていた。 契約交渉した際、横浜FC側の提示額の低さに 「こんなんじゃティッシュも買えない」 と吐き捨てたセリフは忘れられない名言になるだろう。 あと、興味のある人はコレを覗いてみてください。 [[【スペシャルインタビュー Vol.10】横浜FC:城彰二選手 「代表復帰も不可能じゃないと思うし、それまでは努力して現役を続けたい」 [ J's GOAL ]|http://www.jsgoal.jp/club/jsgoal/00023404.html]] やっぱり最後は手抜きでした。すいません。
横浜FCとは公式戦にとどまらず、その相性の悪さは練習試合にまで及ぶ程で、横浜FCの選手にも「札幌には負ける気がしない」とまで言われた過去があります。しかしながら、昨年は2勝1分1敗と初めて勝ち越し、通算成績も2勝6分4敗としました。つまり、去年勝ち越したどころか、初めて勝ったチームです。 その中の城にはかなりやられているイメージがありますが、実際はこんな感じです。 1998年04月11日 三ツ沢 4●0 横浜FM *1得点 1998年10月03日 厚別 0●2 横浜FM *1得点 1998年04月11日 三ツ沢 4●0 横浜FM *1得点 2003年03月15日 札幌ド 1●3 横浜FC *1得点 2003年07月30日 厚別 2△2 横浜FC *2得点 2003年11月23日 横浜国 2●0 横浜FC *1得点 2005年10月05日 西が丘 1△1 横浜FC *1得点 *=城の得点 2003年07月30日の2得点のイメージが強いだけで、意外とやられてませんね。勝ててないけど。 それでも100ゴール以上あげている選手に、たったの8失点だしね。母数が少ないけど。 対戦回数をだして得点率を計算するなんて、ネガ計算はしませんよ。 彼のシュートよりキープ力の方が怖いので、その辺をよろしくね。大塚とか大塚とか大塚。
2006年03月20日
道産子選手や道内の学校出身、ましてや札幌と関係があった選手となれば、多かれ少なかれ札幌サポであれば気になるのではなかろうか。 明日対戦する愛媛FCの道産子を調べてみた---
そもそもこのエントリーをするきっかけになったのは、去年の某秒刊にあった書き込みだった。 > 236. U-名無しさん mail 2005/05/29(日) 17:01:18 ID:rFjmNnIk0 > 知らないところで喧嘩売られてますよ > ttp://www.ehimefc.com/cgi-bin/player/mf/player-pc.cgi?mode=sheet&no=7 既にこのページは削除されているが、ここは愛媛FCの公式ページで選手のプロフィールが記載されていた。その選手のコメント欄には「J2にあがってコンサドーレをやっつけたい」といった趣旨だったと脳内デフォルメ記憶。 おぃおぃ、JFLの選手が何を仰っているのかと思ってましたよ。当時、佐川急便東京SCに負けると思ってなかったし。 表面上は気にもしていないと思っていたが、今頃こんなエントリーするなんて我ながら粘着乙でありますw その選手の名をGoogle先生に尋ねたところ、赤井選手と判明。早速、赤井選手をインターネットで調べてみよう。 赤井秀一をイメージ検索すると名探偵コナンのキャラと愛媛の選手が6人出てくるので要注意。早くも愛媛FCの策略にハマルところだった。恐るべし愛媛FC。
赤井 秀一 Shuichi AKAI |[背番号] 16 |[ポジション] MF |[生年月日] 1981/09/02 |[身長/体重] 173/67 |[血液型] A |[出生地] 北海道札幌市 |[前所属チーム] SSS-札幌光星高-仙台大-愛媛FC(2004年加入) |[ニックネーム] しゅう |[利足] 右 |[得意技] 赤いイナズマターン! |[選抜歴] 北海道東北選抜(2001/2002年) |[出場記録] | シーズン:出場試合/得点 | JFL 04シーズン(全30試合):27/3 | JFL 05シーズン(全30試合):19/1 | J2 06シーズン(全48試合): 0/0 ※第3節終了時点 上記の通り、出身は札幌市で、SSSでは横浜Fマリノスの山瀬選手と同期で、どーでもいいけど誕生日は20日違い。SSSのホームページに何故か赤井選手の名が無いのが気がかり。この情報大丈夫かなぁ。 クラブ公式サイトにて愛媛FCに入団するまでの経緯が自身の言葉で語られている。 > 僕は、小学校1年生のときに友達に誘われてサッカーをするようになり、 > 3年生になるとチームに入って本格的にサッカーを始めた。 > そのときから僕の夢が始まった。Jリーグでプロ選手としてプレーすることだ。 > しかしその夢は簡単にかなえられるものではなかった。 > 高校卒業を控えてもJからの誘いはなく、やむなく大学へ進学してJを目指すことにした。 > 大学生活を終え、僕の実力ではJへの道は難しいと悩んでいたときに、 > Jリーグを目指す愛媛FCというチームの存在を知った。 > 僕は迷うことなく愛媛に行くことを決めた。 Jからの誘いが無く、当時JFL4年目の愛媛FCに入団した赤井選手だが、ここまで全く無名の選手ではなかったようだ。在学していた仙台大ではレギュラーであり、北海道東北選抜(2001/2002年)にも呼ばれた。 当時の北海道東北選抜のメンバーを眺めると、河端和哉(ロッソ熊本)、鎌田安啓(ロッソ熊本)、石田祐樹(徳島)、権東勇介(水戸)、田澤勇気(FC岐阜)と札幌に縁のある選手が結構顔を揃えており、翌年2003年の北海道東北選抜には芳賀博信(札幌)が選考されている。不参加だけど。 ご存知の通り芳賀は仙台大に所属していたので、赤井選手の後輩にあたる。この辺の選手のつながりを知って、ゲームを見ると、またひとつゲームを面白く観戦できるのではないだろうか。 さて、経歴は札幌出身だけではとどまらない。実は2003年9月、札幌の練習生として参加していたのだ。どおりで、前記の発言が出る訳だ。赤井選手にとって見れば、自分を落としたクラブ。絶対に負けたくないはず。妄想全開。 プレースタイルは右サイドの攻撃的選手。左サイドもこなせるプレーヤーで、持ち前のドリブルの上手さだけではなく、猛暑の中で行われた栃木戦で、ほとんどの選手がグロッキー状態の中で魂の50m独走ドリブルを見せるなど、北国の選手とは思えないスタミナとハートを持った選手。らしい。 上記にあるように、特技には赤いイナズマターンと、百恵ちゃんのドラマのタイトルに付きそうな冠とダジャレをミックスしたSTVちっくなネーミングで、一見失笑されそうだが、キャプテン翼世代には脳内で充分に楽しめる技である。楽しめる方は30オーバー。 愛媛FCの公式ページには、イナズマタックルでインターセプトし得点の起点になるなど、公の場で晒された認められたネーミングは少々居た堪れないが、足が早く鋭さがありそうなのが伝わってくる。ドリブルから相手GKをかわしてのシュートをポストにあてるなどネタも忘れないところが侮れない。 帰省した際のお土産には白い恋人を選ぶなど、定番ではあるが選んで貰えるのはやはり嬉しいものだ。 残念ながら、今年のキャンプ中の練習試合で負傷し| http://www.ehimefc.com/bin/info/info_v2.cgi?view=00000429、左第五中足骨骨折 全治8週間と診断された。この試合を一番楽しみにしていたのは赤井選手自身であろう。1日も速く完治して、札幌のピッチを踏んで欲しい。 まだ25歳と若く、これからが楽しみの選手。北海道出身の選手として、これからも生暖かく見守りたい。 こうして全編Googleによる取材を終えたわけだが、この取材を通して、このエントリーを書くキッカケになった彼の言葉を見つけることが出来た。最後に赤井選手の言葉をどーぞ。 赤いイナズマ2005! 昨シーズンは夏場、南国愛媛の熱さに少しやられちゃったけど、今年は暑さ対策万全!必ず愛媛FCのJ昇格に貢献し、来シーズンは地元コンサドーレ札幌に勝ちます!応援よろしく! 人の記憶など本当に当てになりません。特に自分の記憶。 全然煽ってないし。 ホントすいません。 そしてガンバレ。
プロフィール
ゴール裏メイトな二人が出会ったのは、J1に昇格した翌年、岡田政権3年目で最後の指揮を執った2001年の年明け早々。この年に行われたサポータによる新年会。2年間の暗黒の時代を乗り越え、2人ならJ2も怖くないと降格した2003年1月に入籍。おかげで家計の歳出先の主がコンサドーレになり、恐ろしい事にジョアンカルロスと共にキャンプに同行(正確にはおっかけ)するまでに。ヤンツー勝負の3年目2006年1月にサポーターが1人増ました。BLOGタイトルはコンサドーレジャンキーはいつでもこんな状態だという意(本当はかーさんの口癖)。
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