2005年12月11日
まずはヴァンフォーレ甲府殿、J1昇格おめでとう。
彼らの躍進は、我々J2のチーム・サポーターに大きな勇気を与えてくれたと思う。
素直に拍手を送り、お祝いできるのは、そんな勇気を自分に与えてくれたからだ。心より賛辞を呈したい。
さて、そんな日に自分は披露宴に呼んで頂いており、おめでたい席に無事参列してきた。
#入替え戦でドタキャンせずに済んで良かったと思う事にしたw
そこで頂いた”しおり”は、この日のために新郎・新婦が一緒に手作りで準備したそうだ。そのなかにはお二人のプロフィールや性格、馴れ初めなどが書き詰め込まれていて、ついつい顔が緩んでしまう幸せイッパイの内容だった。そして「今日のこだわりと感謝」のページの最上段にあった次の一文が突然自分の目にBold体で飛び込んで来た。
-石屋製菓の米山さんに相談にのって頂き設定外のものを作っていただきました-
石屋製菓設定外石屋製菓設定外石屋製菓設定外石屋製菓設定外石屋製菓…
↑
#自分の頭の中を表現するとこんなかんじw
それでは石屋製菓の設定外のものをどうぞ
何かが違うw
米山さんイイ仕事してますね。
見てますか?米山さん。
これから結婚を予定されている方は、引き出物に『白い恋人』はいかがですか?
2005年12月10日
ご存知の通り三原選手は今期限りでHFCと契約しない事が報道を通じて明らかとなった。三原選手には色々な気持ちを私たちに与えてくれた大切な選手。残念ながら札幌での最後の練習を見に行けず、本人にお礼の言葉を贈れなかった。そもそも面と向かって話す機会があったとしても、恥ずかしくてほとんど口を訊けずに終わっただろう。
ここに活字を並べる事で、この感謝の気持ちが三原選手に伝わればうれしい。
こんな気持ちを抱いていたサポーターに共感してもらえればうれしい。
このBLOGを書くたび、写真を編集するたび、何度となく流れた涙。
全くの自己満足でしかないこのBLOGだが、少しでも自分の気持ちに整理がつけば…うれしい。
#自分勝手で申し訳ない
三原選手に貰った言葉達
三原選手に贈った言葉達
三原選手が感じた気持ち
三原選手に貰った気持ち
自分の気持ちを書き留めた恥ずかしい記録を解き放ち、新しい道を歩き始めよう。
いつの間にかこのチームを応援して10年近くになった。
周りからは熱狂的なサポーターと呼ばれているらしい。
ホームはもちろんアウェーにもよく足を運ぶ。
レプリカユニフォームもモデルチェンジするたびに買い換えた。
しかし、ひとつだけやった事の無い事がある。
ソレは自分で言うのも何だが、シャイな自分には少し気恥ずかしい事だった。
ソレをしないのは特定の選手を応援するのではなく、全選手を応援しているという意思表示でもあった。
ソレをしないのは毎年選手が入れ替わってしまうからかもしれない。。。
本当のところは良く自分でもわからない。
4月3日(土)平塚競技場
この日、大切な選手がひとり大怪我をした。
彼にとっては選手生命にかかわる大怪我だった。
彼は開幕前に、「もう一度大きな怪我をしたら引退する」と語った。
実際、彼は怪我した瞬間「サッカー辞めようと思った」と語った。
「もう移植する靭帯が自分の足にない。」
「7回か8回手術してる。J新記録らしい。」
「怪我した瞬間はサッカー辞めようかと思った。」
「それぐらい今季はかけてた。」
「柳下監督の下で皆ひとつになって、頭から使ってもらって、この年ですげーサッカーがもっと好きになってる自分がいた。」
「柳下監督の下で心からサッカーを楽しんでいた。」
「この人ならついていこうと思った。」
「だから頑張って絶対ピッチに戻る。」
サポーターも絶対に戻ってきて欲しいと願った。。。
自分もそう心から願った。。。
その気持ちは、自分を初めて「ソレをする事」に心を動かした。
そして、白いガムテープを買ってきた。
色んな願いを込めて。。。
ここで待ってる。
必ず帰ってきてくれ!
ピッチに帰って来た時には「7」を掲げ、そしてそのゲームが終わったら白いガムテープは剥がそう。
完全復活の印として…
2005年12月07日
アルバムになりつつあるBLOGです。
2005年度チームの最後の集合写真
社長からのご挨拶
短めの挨拶でした
もっとお話を聞かせて欲しかったです
来年はもう少し長めにスケジュールを組んで下さいね
続いてヤンツーの挨拶
力強くJ1昇格を約束してくれました
我々サポーターもHFCも勝負の年です
今すぐ出来る事は後援会に入会するのが効果的
会場を歩いて1週して最後のご挨拶
深々とお辞儀をする三原選手
私や多くのサポーター達の応援は1年単位ではないだろう。
恐らく生涯応援し続ける。
選手にオフがあるかもしれないが、サポーターやHFCにはオフは無い。
どのようにサポートするのか、どのように関わって行くのか人それぞれだ。
それこそ後援会に入会するも由、CVSに参加するも由、コンサドーレ募金に参加するも由、ゲーフラ作るも由。
自分のライフスタイルにあわせて今から応援していこう。
そのうちゲーフラのネタが出来たら作成手順でも載せようかな…。
2005年12月03日
遠いところからお疲れさまでーす
声も出てましたね
勝ち点3をプレゼントしてくれるか?
ジェッター3の皆さんも来てました
今日はコンサドーレサンクスマッチでした
ファンバナでスタンドを赤黒にしようの図
ファンバナが ちら ほら と
ちょっと淋しかったな
15,000人しか入りませんでした
今朝の雪のせいか…
ビックフラッグ勢ぞろい
アディダスさん今までありがとう
今日でお別れの3人
本当に本当にありがとう
スタメン
開始直後にいきなり失点
しかし確変中の清野が同点ゴール!
タバちゃんへ送るゆりかごパフォーマンス
その後デルリスがGK小島にTKO
変わりに入った石井がJ初ゴーーーーーール!
再びみんなでゆりかごゆりかごw
そして私たちに感動を与えてくれた三原がピッチに
彼の札幌のユニフォーム姿を見るのはこれで最後です
しっかり目に焼き付けました
そしてリーグ戦初出場を果たした藤田も投入
そして、なんとか逃げ切り最終戦をもぎ取りました
ヒーローインタビューは初々しさ満点の石井
来年はJ1に行こうな!
プロフィール
ゴール裏メイトな二人が出会ったのは、J1に昇格した翌年、岡田政権3年目で最後の指揮を執った2001年の年明け早々。この年に行われたサポータによる新年会。2年間の暗黒の時代を乗り越え、2人ならJ2も怖くないと降格した2003年1月に入籍。おかげで家計の歳出先の主がコンサドーレになり、恐ろしい事にジョアンカルロスと共にキャンプに同行(正確にはおっかけ)するまでに。ヤンツー勝負の3年目2006年1月にサポーターが1人増ました。BLOGタイトルはコンサドーレジャンキーはいつでもこんな状態だという意(本当はかーさんの口癖)。
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