徳島ヴォルティスの道産子選手

2006年04月17日



中二日の日程は選手にとってさぞ大変であろう。
が、サポーターブロガーも意外と大変だったりします。
どうも自己満です。

明日は徳島戦なので、今回は去年の9月から湘南から徳島に移籍した石田選手をgoogle先生を駆使してお送りします。

石田選手と言えば磐田に振られ札幌を振り湘南に想われと
ニキビのような経緯で2003年に湘南に入団。

その後、2005年9月に出場機会を求め徳島に完全移籍しています。



石田 祐樹 Yuki ISHIDA

|[背番号] 14
|[ポジション] FW 
|[生年月日] 1980/11/4 
|[身長/体重] 178/73 
|[血液型] O
|[出生地] 北海道札幌市
|[ニックネーム] ユウキ
|[利足] 右
|[足のサイズ] 25.5cm
|[得意料理] 唐揚げ
|[家族] 奥さん一人 娘一人
|[所属チーム] 清田南小(MF) - 札幌清田中(MF、DF) - 札幌白石高(FW) - 道都大学(FW)
|       - 湘南ベルマーレ(FW、MF)  - ヴォルティス徳島(FW) 
|[経歴] 2000年 北海道・東北選抜、全日本大学選抜、
|        北海道リーグベストイレブン、得点王
|    2001年 北海道・東北選抜、北海道リーグベストイレブン 
|    2002年 北海道・東北選抜、全日本大学選抜、
|        北海道リーグベストイレブン、得点王
|[出場記録] ※2006年J2第9節終了時現在 括弧内は得点
|    Jリーグ(J2) 46試合1得点 天皇杯 5試合1得点
|    2003年 湘南(J2) 19 (0) 天皇杯4 (1) 
|    2004年 湘南(J2) 15 (0) 天皇杯0 (0) 
|    2005年 湘南(J2)  0 (0)  
|    2005年 徳島(J2) 12 (1) 天皇杯1 (0) 
|    2006年 徳島(J2)  6 (0)

そもそも大学に進学することはまったく考えていなかったが、
高校の恩師の勧めで道都に入学。
その後、めきめきと頭角をあらわし上記のような輝かしい経歴を
残します。

その中でもデンソーカップサッカー'02では、深井(鹿島)、
巻(千葉)、千代反田(福岡)、高原(札幌)など、
そうそうたるメンバーの一員でした。

そんな石田選手を各チームが放っておく訳も無く、
当然札幌も2001年から練習に参加させるなど獲得に動きましたが、
当時の新聞に「山瀬移籍の影響もあった」と書かれたように、
札幌を選ぶ魅力は弱く、
結局「湘南は若い選手が多くて溶け込みやすかった」と
いまいち弱い理由に敗戦。

後のインタビューでは大学3年の時に磐田に練習参加した際に
「これやってればうまくなれると思ったから」と磐田出身である当時の
湘南の監督を務めた山田松市氏の存在の大きさを明らかに。
少し自分の気が晴れましたw

しかし、即戦力を期待されながらも出場機会にめぐまれません。
当時強化指定選手であった河端(ロッソ)選手の高評価にあわせ、
張元監督が
「彼は向こうで何をしている?地元の選手をクラブが育てなくては」
と息巻いて獲得を強く要望するも、崩壊し続けている札幌に顔を向ける
訳も無く、湘南で壁にぶつかりながらも出場機会を狙います。

しかし、与えられたポジションは本職のFWではなくサイドと、
慕っていた山田監督に逆に追い詰められ、守備をやったことの無い
石田選手にとって課題はてんこ盛りおかわり3杯くらいにまで山積、
サポーターからもサイドはだけはやめて欲しいと言われる程までになり、
最後には調べた私が鬱になってしまいましたw


第一子が誕生した慌しい中、その翌日に徳島に移籍。
新規一転、出場機会を掴み取るもベガルタ仙台戦にて
右足関節靭帯損傷。
湘南時代も初アシストした次の試合にはコンディションを
落としスタメン落ち。
今期も開幕スタメンを勝ち取るが大敗。
スタメン落ちした第3節からはチームは逆に調子を上げ、
代りに入った小林康剛にポジションを奪われ、
現在はそのままバックアッパーに回ってるなど、
彼のプロ人生はヤムチャっぽく感じるのは私だけでしょう。

道産子としてヤムチャ以上の活躍を期待していますが、
札幌戦ではヤムチャ並みでお願いしたいですね。



徳島と言えば西谷の地元。
活きのいいプレーを60分ぐらい期待してますよ。



post by とーさん

15:10

道産子選手 コメント(0)

この記事に対するコメント一覧

コメントする