柳家小せん逝去

2006年10月12日

よくお客様から「なんで?」とか「いつ頃から?」なんて尋ねられます。えェ、落
語と接し始めた頃のことです。


多分、14、5歳の頃だったでしょうか。当時のテレビは結構寄席からの中継やら噺家
を使った番組が多かったのです。なかでも、談志師の司会で始まった「笑点」とか
牧伸二司会の「大正テレビ寄席」、柳昇師司会の「お笑いタッグマッチ」などは毎
回のように見ていました。


記憶の中にある決定的な出来事は談志師が書き下ろした「現代落語論」との出会い
と、三遊亭圓生師の「文七元結」を聴いて涙したこと。人情噺などという分野の落
語があることも知らぬ少年が、腹を抱えて笑うしか知らなかった少年が落語で泣い
た、これは衝撃的な出来事でした。


まァ、それもこれも上記のようなテレビ番組に親しんでいたからの所以なんでしょ
うけど……


で、「お笑いタッグマッチ」ですが、司会の柳昇師を挟んで3人ずつの噺家グループ
が左右に対峙。リレー落語とかやりくり川柳といったお題をこなしてました。当時の
メンバーは小せん、小円馬、夢楽、柳好、伸治、馬の助。将来を嘱望された若手真打
ばかりでした。

なかでもお気に入りだったのが小せん師。すっとぼけた味で、「ケメ子」なる女性
像を作り上げ(三平師の「よしこさん」とか円鏡師の「節子」と同じような感じ)
後には「ケメ子の歌」なんてレコードを出していました。



4代目柳家小せん 1923年(大正12年)7月24日生まれ
落語協会所属の落語家 本名・飯泉真寿男(いいずみ ますお)
2006年10月10日、肺炎のため死去 享年83歳 東京都出身。出囃子は『せり』


合掌……


post by ボーナス

11:55

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