2006年08月17日
コンサドーレ札幌U18 ダラススーパーカップ遠征紀行 4月7日(金) 第1日目(3/3) 飛行機を降りてゲートからもう随分歩いた。さすがに広い。動く歩道があるとはいえ、なかなかイミグレーションに着かない。やっとの思いで着いたら外国人の入国受付カウンターが長蛇の列。全員出るのに30分はかかった。次に荷物の受け取りだ。順調に各人は荷物を受け取り、出口に集まったものの、なかなかレオさんが来ない。「どうしたのか」と尋ねると、成田空港で預けた長さ2メートルの棒(入場行進に使う竿)が出てこないそうだ。さらに30分以上待った。結局成田で積み忘れたらしい。たかが竿のため随分待たされたものだ。考えてみれば現地で調達すれば良かった。とりあえずやっと空港を出てダラスの地へ踏み入れることになった。搭乗機到着の15時15分からすでに2時間は経ち、時計の針はすでに17時半を過ぎていた。 慌ただしく出迎えを受け、事前に聞いていたミゲールさんと握手をした。でかい。グローブのような手で握力も強い。そしてまたこれから面白くなりそうなもう一人のお世話役ジョージさん。ダラスに在住するボランテイアの方で、いつもミゲールさんとコンビを組んでこの大会にスタッフとして参加をしているらしい。昨年もジュビロ磐田ユースを担当したそうだ。 大会主催の15人乗りのバス2台に乗り込み、いよいよダラス郊外のインターコンチネンタルホテルに向かった。さすが車王国。フリーウエイをひた走り約30分でホテルに到着してしまった。ホテルのロビーは世界各国から集まったチームで溢れかえっていた。そこで選手たちは荷物を受け取り、ホームステイ先の家々へ分かれていく。皆初対面のため皆緊張していたが、疲れた顔もそこそこに各家庭へ散っていった。すでに夜は21時を過ぎていた。明日の打ち合わせを兼ね、監督、コーチ、ミゲ-ルさん、レオさんの皆でホテルのレストランにて夕食を取った。しかし野菜とパスタしかなかった。ミゲールさんの第一回目の講義が始まった。自分の経歴、サッカーの神様ペレの話。まだまだ序の口だった。その後もミゲールさんの話は続いたがようやく解散し、長い1日が終わった。ここはまだ、日本を出発した同じ日、金曜日の夜なのだ。あと4時間もすればトップチームの対神戸戦の結果が判ることになっていた。ただひたすら眠った。 「ミゲール デ リマ氏」 元ブラジルのプロサッカープレーヤー(ゴールキーパー)で、身長188センチ。現在マイアミでサッカー学校を主宰し、娘に経営を任せている。ブラジルのリゾート地にホテルも1件所有し、そこはご夫人が経営を任されている。月に1、2度マイアミとブラジルを往復しているそうだ。とにかくスケールのでかい人だ。現役の頃はあのサッカーの神様、ペレとずっと一緒に遠征していたそうだ。今でも家族ぐるみで付き合っているという。確かに非常に解りやすい英語でとうとうとしゃべってくれる。幼少の頃は裕福ではなく裸足でボールを蹴っていたそうだ。サッカーの立身出世話を聞くと確かに長い。でも参考になった。我がチームの選手に聞かせてやりたいぐらいだ。 「ジョージ エスパレア氏」 ダラスに在住する電力会社のサラリーマン。息子さん(マテウス)はサッカー好きで現地アマチュアクラブに所属しているが、現在シカゴの大学に通っている。ジョージさんはいつもこのダラスカップの際有給休暇を取り、ミゲールさんとコンビを組み大会を手伝っている。
プロフィール
1948年2月 島根県 松江市生れ。早稲田大学 体育会庭球部卒。全日本学生ダブルスベスト16.国体島根県代表。テニスコーチプロ。1971年 日本航空入社。以来営業畑を中心に世界中を歴任し、主として赤字支店及び赤字関連会社の再建に取り組む。1987年より5年間ドイツ ジャルパック デュッセルドルフ支店長時代東西ドイツ統一の現場を体験。1991年帰国。営業本部国内予約管理室長、大阪、名古屋を経て、2001年1月(株)北海道フットボールクラブへ出向。当時5億円近い債務超過を現在1億円近くまで圧縮。2005年中にはほぼ債務超過を解消すべく努力中。現在の役員では最古参。
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