2006年09月02日
コンサドーレ札幌U18 ダラススーパーカップ遠征紀行(最終回) 4月17日(月) 第11日目&第12日目 早朝から慌ただしかった。選手たちの一部は朝6時半にはホテルに送られてくるという。月曜日の今日、仕事に出かけるホストファミリーの方々も多く、共稼ぎの場合は否応にも朝早くホテルに送ることになる。最後に各ホストファミリーの方々にお礼をするため、早々とホテルの前に立っていた。別れのスタイルはそれぞれ違う。涙を流す者、ニコニコと握手をして去る者。よく「出会いは別れの始まり。」と聞くが、それにしても別れはつらいものだ。 他のチームの出発もありフロントロビーはごった返していた。その中にひときわ大騒ぎをして別れているチームがあった。イラクのユースチームである。あのイラクからも今回参加していたのか。米国とイラク。世の中の表と裏の関係を複雑な思いで見つめていた。しっかりと友好が育まれているではないか。いづれにしても平和は大切だ。スポーツには国境がないことが、今ここで証明されている。今後もずっとイラクが参加することを願った。 さて、いよいよホテルを出発する。見送りに来てくれたホストファミリーもたくさんいた。バスに荷物を全て詰められず、特別にバンをもう一台用意してもらった。選手たちの経験や思い出もいっぱい詰まっていることだろう。 空港に着き、今度はスムースにチェックインが出来た。皆も慣れたものだ。ミゲールさんもジョージさんもまた息子のマテウス君も見送ってくれた。来年の再会を誓って。そのためにはどうしても今年、国内で優勝しなければならない。しかもその前にまず北海道地区で代表に選ばれなくてはならない。選手たちにそんな強い期待と願いを抱きながら、機内へ乗り込んだ。 成田空港に到着したら、すでに4月18日(火)午後になっていた。全ての荷物を受け取り、レオさんはここでお別れの挨拶をした。選手一人一人と握手をして、再会を誓い合った。選手とコーチ勢を見送り、ここで団長としての役目も終わった。後発便にて千歳着。千歳空港の夜もすっかり冷え、一人高速道路をひた走った。選手たちは無事に家に着いたのだろうか。家族の出迎えはあっただろうか。アメリカでできた新しい家族との経験によって、本来の自分の家族に再会した今、思いは出発前の時と変わっただろうか。けが人も一人のみで済んだ。今回の遠征を通して選手達は一人一人得難い経験をして、一回り大きくなったに違いない。 終わり
2006年09月02日
コンサドーレ札幌U18 ダラススーパーカップ遠征紀行 4月16日(日) 第10日目 最終日となった。いよいよ今日一日で遠征は終わる。今日は地元のクラブチームとの試合。適当な相手が見つからなかったため、どうやらU17のチームらしい。さすがに負けてはなるまい。最後ということもあってか選手たちも気合が入っていた。試合会場はまた街中のフェンスのないグランド。こりゃまたボール拾いが大変だ。どこへいくかわからない。但し今日は日曜日ということもあってギャラリーもたくさんきていた。このクラブは女子チームが有名で強いらしい。監督もわざわざブラジルから招聘しているぐらいだから本格的だ。その彼女たちも応援に来るという。俄然我がチームも張り切った。ところがキックオフの11時になっても審判が一人来ない。急遽ジョージの息子さんであるマテウス君が副審をすることになった。 多少遅れて試合開始。開始10分で決着がついた。1歳違えばこうも違うのか。我がチームの攻撃が敵陣で一方的に繰り広げられ、ボコボコとゴールへ入る。ピッチのもう半分はほとんど使わなかった。相手も戦意喪失。後半に入っても変わらない。とうとうレフリーが途中で試合終了を告げてしまった。終了の挨拶が終わると相手方の女子チームのガールたちが飛んできて、一緒に写真を撮ってくれと言われていた。選手たちは唖然としながらもニヤニヤしながら写真に写っていた。嬉しそうだった。全てが開放された気分になっていたのだろう。バッジ等を交換していた。 コンサドーレ札幌(札幌) 6 - 1 ノーステキサスU17(ダラス) 昼食を取り、いよいよスーパーグループ決勝試合の観戦だ。最後まで残っていたのは予想外にも地元ダラスのテクサンズ・レッド(ダラス)と我がチームと1回戦で戦ったメキシコのサントス・ラグ-ナ(メキシコ)だった。あのマンチェスター・ユナイテッドとレアル・マドリッドは準決勝で敗退したらしい。また2台のバスに乗りピザハットスタジアムのメインスタンドに向かった。キックオフは18時。太陽の日もうっすらと弱みがかっていた。さすが決勝戦だ。地元のチームがファイナリストでもあるからか、約1万5千人は集まっていただろうか、観客が多い。さらにダラスはメキシコからの移民も多いので、対するメキシコ人も数多く応援に駆けつけてきていた。またもやピザとジュースで観戦。ビールが飲みたいが、やはりない。 試合は押し気味のメキシコ優勢で進められたが、アメリカも2人程ユース代表選手がいるらしく五分五分だ。北林豪元選手にそっくりな日系二世の選手が活躍していたのも印象的だ。しかし、どうもジャッジがおかしい。ワールドベースボールクラシックのアメリカ人審判を思い出してしまった。結局地元ダラスのテクサンズが優勝した。 選手たちは各ホストファミリーへの家路に着き、最後の夜を過ごした。帰路の車の中はめずらしく静かだった。ミゲ-ルさんも何もしゃべらなかった。
プロフィール
1948年2月 島根県 松江市生れ。早稲田大学 体育会庭球部卒。全日本学生ダブルスベスト16.国体島根県代表。テニスコーチプロ。1971年 日本航空入社。以来営業畑を中心に世界中を歴任し、主として赤字支店及び赤字関連会社の再建に取り組む。1987年より5年間ドイツ ジャルパック デュッセルドルフ支店長時代東西ドイツ統一の現場を体験。1991年帰国。営業本部国内予約管理室長、大阪、名古屋を経て、2001年1月(株)北海道フットボールクラブへ出向。当時5億円近い債務超過を現在1億円近くまで圧縮。2005年中にはほぼ債務超過を解消すべく努力中。現在の役員では最古参。
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