2006年08月22日
コンサドーレ札幌U18 ダラススーパーカップ遠征紀行 4月9日(日) 第3日目(1/2) いよいよ大会本番の日だ。午前9時半に全員集合。体重検査。各自面談をし、コンディションをみる。今日は14時からのキックオフなので、午前11時からホテル周辺を散歩した。今日も熱い。結構な距離を歩いた。郊外型のホテルなだけに緑も多く非常に気持ち良く歩けた。その時の話だった。ある選手が昨日練習していたらゴールの近くで紙幣35ドル拾ったというのだ。実は夕べホテルに戻って着替えをしているときに、自分の小銭、つまりジャージに入れていた紙幣がなくなっているのに気づいた。どこを探してもない。もしかしたらルームメードにやられたか・・・と思いつつ諦めていたのだ。それが今、めったに動かさない体を思い切り動かしていたものだから、その時にジャージのポケットから落ちたのだと判明した。選手たちの嬉しそうな会話を聞けば、最後までそれが自分のものだと言い出せず、じっと我慢して諦めた。皆は早めの昼食をホテルのハンバーガーでまかなった。 正午、ホテルを出発。会場まで道に迷わないことを運転役のジョージさんに祈る。フリーウエイを通り約40分、サバンナ特有の殺伐とした荒野の中に忽然とサッカーパークが現れた。2万人収容のピザハットパークスタジアム、17面のサッカー場(6面天然芝、11面人工芝)だ。とにかくでかい。しかしまだ歴史が浅いせいか、立ち木も小さく日陰をとれるところが全くない。まさにこれは火傷を覚悟せざるを得ないところだった。また、ここも周囲に1メートル強の高さのフェンスがあるのみで各コート間の金網は全くない。試合中でもボンボンと別コートのボールが入ってくる。 周りの施設を一回りしてようやく我々の試合会場である7番コートにたどり着いた。すでに対戦相手のメキシコ代表サントスはウオーミングアップをしていた。昨年この大会のスーパーグループで準優勝をしたチームだ。とにかく体格が良い。見渡す限りの選手と比べてみれば、うちのチームはとても小柄だ。確かにこのスーパーグループはカテゴリーでいえばU19。今年の8月1日まで19歳であれば良い。いわば我がトップチームに所属しているフッキ選手みたいなのがゴロゴロしているのだ。我々は、この大会中に18歳の誕生日を迎える選手が最年長。えらいところに来たものだ。これは玉砕しかない。世界の胸を借りることにしよう。 ひと通りの儀式を終えて、ちょうど14時00分キックオフ。日曜日でもあり各ホームステイの家族がたくさん応援に駆けつけてくれていた。もうすでに家族の一人と見られていて、名前も皆ファーストネームで呼んでいる。試合はしばらくは模様眺めで進んでいた。意外と好戦している。突然セットプレーから得点を入れた。左45度から足でボレーシュート。見事に決まった。これはいける。と思ったらつかの間、相手側が焦ったのであろう。相手側が突然目を覚ましたように怒涛の攻撃を仕掛けてきた。5点も入れられてしまった。実力的には遙かに相手が上だと認めざるを得ない。いや、最初にしては良くがんばったと思う。まだ時差ボケもあるのか、この熱いところでは最後は誉めてやるしかない。次の試合に期することにした。 サントス・ラグ-ナ(メキシコ)5 - 1 コンサドーレ札幌(札幌)
プロフィール
1948年2月 島根県 松江市生れ。早稲田大学 体育会庭球部卒。全日本学生ダブルスベスト16.国体島根県代表。テニスコーチプロ。1971年 日本航空入社。以来営業畑を中心に世界中を歴任し、主として赤字支店及び赤字関連会社の再建に取り組む。1987年より5年間ドイツ ジャルパック デュッセルドルフ支店長時代東西ドイツ統一の現場を体験。1991年帰国。営業本部国内予約管理室長、大阪、名古屋を経て、2001年1月(株)北海道フットボールクラブへ出向。当時5億円近い債務超過を現在1億円近くまで圧縮。2005年中にはほぼ債務超過を解消すべく努力中。現在の役員では最古参。
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