ダラスの熱い12日間②

2006年08月15日

コンサドーレ札幌U18 ダラススーパーカップ遠征紀行

4月7日(金) 第1日目(2/3)

 ほぼ定刻に成田空港へ到着。国内線用の新滑走路に降りたため到着ゲートに着くまで20分をも要してしまう。すべての荷物を搬出するまで約25分。最後まで残されたチームが全員到着ゲートをやっと出ると、今回の旅行をすべてにおいて面倒をみてくださる添乗員のレオさんがじっと待っていてくれた。真っ黒に日焼けした日本人だ。昨年もこのダラスカップにエスコートをした方だけあってとても心強い。レオさんより、まだ緊張した気持ちが抜けきれない選手たちの前で最初の挨拶が始まった。

 「今回皆さんと一緒にお手伝いする高柳玲夫と申します。最後のこの成田で解散するまで皆さんとご一緒ですからどうぞご安心下さい。」誰よりも一番安心したのは他でもなくこの自分だった。とにかくホッとした。そこに高柳さん(つまりレオさん)の上司である島田社長も見送りに来て下さり、昨年のダラスカップについて色々と教えを受けた。この伝統のある大きな大会で、必ずやコンサドーレのユースたちが貴重な経験を得られること、一皮も二皮も剥けてうまくなって帰ってくるであろうこと等を聞いた。さらにアメリカでお世話をして下さるブラジル人で、サッカー界ではゴールキーパーとして昔活躍したミゲ-ルさんという方がなかなか面白いと言うのだ。「いやあ、人柄の良い体格の大きなブラジル人でね。しゃべりだしたらなかなか終わらない。多分一発で気に入りますよ。ただ一つ、よく助手席のほうを見ながら両手を離して運転するから気をつけて。」と言われた。会ってからの楽しみがひとつ増えた。
 
 JALが発着する第二ターミナルから、早速無料循環バスで2班に分かれて移動だ。第二ターミナルが出来る前によく仕事で使っていた第一ターミナルはあちこちで工事中であった。ここでもアメリカ線は個々で搭乗手続きをせねばならず、皆レオさんの手助けを受けながら手続きをした。たまたま自分の番で、チェックインカウンターの日本人女性が、「コンサドーレ札幌の皆さんですか。私の実家が札幌なのでよく応援していますよ。がんばってきて下さいね。」まさかこの場でしっかりと激励を受けるとは。 

 出国検査も終え、昔懐かしい第一ターミナルならではの円形サテライトからゲートインをした。機内は最新鋭777のファースト、ビジネス、エコノミーと3クラスタイプ。一席の空席もなく超満席であった。どうやらほとんどがここ日本からの乗客ではなく、お隣中国(香港、上海、北京等)等からの乗り継ぎ客らしい。ここでも中国の経済発展の凄まじい光景が見られた。聞くところによると、中国からの直行便は全て満席のため、仕方なく日本経由便を選ぶらしい。確かに日本人は我々だけのように感じた。一人だけ日本人の男性パーサーが乗っていたがこれがまたぶっきらぼうな日本語でアナウンスをした。「えーと、ただ今の機長からの報告によりますと、これからの飛行時間は10時間50分。航路は概ね良好ですが途中ところどころで揺れることもございますので常にベルトは着用して下さい。なにか御用があれば私に申し付け下さい。」これで終わり。もう定年間近の気の良さそうなおじさんという感じだった。離陸してから一通りの食事が終わっても、まだまだ時間がある。いや、とにかく長い。長すぎる。しかも隣は若そうなアメリカ人男性だ。難しそうな経済誌を読んでいる。一応儀礼的に挨拶をし、どこから来たのか、どこへ行くのかを尋ねた。彼は出張の帰りで上海から成田を経由してダラスまで飛行し、そこからまた国内線に乗り継いで家族のいる家に帰るところだそうな。いやいやそれこそ大変な道乗りだ。少し自分も考え直した。文句は言えないと思った。 

 機内では娘からあてがわれた本を読んだ。ひたすら読み続けた。今時のベストセラー「東京タワー」である。不思議と自分の人生とかぶり、島根の田舎から東京へ一人息子が単身乗り込み、浪人、大学、入社、結婚等、自分が経験してきたことを思い浮かべた。幸い真っ暗な機内がゆえ、大いに泣いた。その為ほとんど寝付けず読書をしていたら、いつの間にかテキサスの上空に差し掛かっていた。灼熱の太陽が乾燥した滑走路を照らし、無事着陸した。定刻だった。


post by kadowaki

20:30

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