2006年08月12日
コンサドーレ札幌U18 ダラススーパーカップ遠征紀行 4月7日(金) 第1日目(1/3) これまでの激闘の中の思い出と、滞在期間11日にわたる長い旅の終わりに近づく安心感、そしてなんとも言えないボーッとした時差ぼけの感覚にさまよいながら、若い少年たちは、高度1万メートルの成層圏の中を一路成田に向かう満席の機内でおそらく爆睡しているに違いない。 このダラススーパーカップへ参加できたのは昨年の秋、高円宮杯全日本ユースサッカー選手権の全国大会で準優勝出来た結果である。 4月の初めでも春はまだ遠く、両脇の道路にはまだ残雪の名残がある中で、気温計の針は2度を指していた。いつも走り慣れたこの千歳空港高速道路も、今日の思いはことのほか期待と不安が入り混じった気持ちが高鳴り、その気持ちを抑えながらただ漠然と「これからダラスへ行くんだ。」と走っていた。 集合場所も時間もろくに確認しないまま、千歳空港のJALカウンターの前までいくと、赤と黒のジャージを着た少年達がパラパラと見え、これから遥か遠い未知のダラスまで行く子供を見送る母親とともに集まっていた。 「こんにちは。この度、私がユースチームの責任者としてお供させて頂きます。皆様のお子様を責任持ってしっかりお預かり致しますので、どうぞご安心下さい。」 そもそもこの随行も急に決まったもので、事前の準備も打ち合わせも何もなく、随行のスタッフ、選手の名前もほとんど把握しないままでの出発だっただけに、親御さん以上に不安なのはこの自分だった。ダラスというところは昔ダラスフォートワース空港を業務視察したことがあるだけで他には全く記憶にない。J.F.ケネディ大統領が暗殺された場所であることと、当時世界で3番目に大きい空港だったという印象しかない。 スタッフも揃い、選手も全員集まり、まずは成田空港までの搭乗手続きをしなければならない。千歳空港では添乗員はおらず、Fコーチがまとめて航空券を持っていたので、早速、以前仕事で幾度も搭乗手続きをした経験を生かした。なにしろ荷物は大きいし、遠征に必要な道具類も多い。成田空港でのターミナルも航空会社も違う。ただ乗り継ぎ時間は十分にある。ここ千歳では国際線の手続きはせず、成田空港までの国内線手続きまでとしたほうが確実で安全だ。さて、25名ともなると団体扱いとなり1階で手続きをしなければならないが、わざわざ降りてもらうのも大変だから2階で搭乗手続きをさせてもらうことにした。一人ずつ無事にチェックインを完了。その後は各自解散として、搭乗ゲートで再度集合することになった。 その時、思いがけず搭乗ゲート付近で我がコンサドーレ札幌のトップチームの面々と偶然めぐり会うことができたのだ。彼らは神戸とのアウェイ・ゲームのためお隣のゲートで出発を待っていた。思いがけずそこに藤田選手や石井選手等、我がU18チームの先輩達がいた。藤田選手にとっては昨年の高円宮杯大会に出場し、このダラス遠征を勝ち取った一員なだけに、なおのことこのまま隣のゲートから皆と共にダラスに行きたかったに違いない。お互いに健闘を誓い合いながら我々はひと足先に機内へ乗り込み、全員まずは成田空港へ向かった。
プロフィール
1948年2月 島根県 松江市生れ。早稲田大学 体育会庭球部卒。全日本学生ダブルスベスト16.国体島根県代表。テニスコーチプロ。1971年 日本航空入社。以来営業畑を中心に世界中を歴任し、主として赤字支店及び赤字関連会社の再建に取り組む。1987年より5年間ドイツ ジャルパック デュッセルドルフ支店長時代東西ドイツ統一の現場を体験。1991年帰国。営業本部国内予約管理室長、大阪、名古屋を経て、2001年1月(株)北海道フットボールクラブへ出向。当時5億円近い債務超過を現在1億円近くまで圧縮。2005年中にはほぼ債務超過を解消すべく努力中。現在の役員では最古参。
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