2006年12月30日
試合が終わって、選手たちがゴル裏に挨拶に来た。 みんなべーべー泣いているのかと思ったら、意外とあっさりした表情だった。 それは、リーグ戦の負け試合の後の表情とは全然違っていた。 予想したとおり、ガンバの連中はこれまでの新潟や甲府とは技術のレベルが数段上だった。 そういう意味で親しみが持てるとしたら、M本くらいなもんだ。 ・・・いやいや やばい。 やばすぎる。 今までの相手とは違う。 勝てるのか? 我慢の時間帯は長いけど、信じるしかない。 こんな逡巡を繰り返した90分だった。 直接対峙している選手たちはもっと大変な気持ちだっただろう。 自分たちが昇ろうとしている高みは、いつか掴み取りたいものは、こんなにも高いところにあるのだと。 やることはやった。あとは全力を尽くすだけ。 人事をつくして天命を待つ、準備は万端、結果をごろうじろ・・・そうして下された天命であり、結果なんだね。 あの表情は、そんな、悔しいながらも悔いの残すところのない全力を果たした人のできる顔なんだろう。 選手が引き上げてしまったあと、エンドライン上を、コートの襟で顔を隠して足早に通り過ぎていく人影があった。 コールリーダーがそれを見つけてトラメガで呼び止める。 テルミチと呼ばれたその人は、チームの遠征に帯同してくる人。 みんながジャージの時も、ひとりスーツを着てる人。 引き返してきたその顔は、涙でぐしゃぐしゃだった。 静かなゴール裏。 ときどき歌ってみたり、ヤンツーコールしたりしたけど。 エコパに吹く風は強く、冷たい。 たいていのスタジアムのアウェイ側はそうだが、陽も射さない。 やがてテルミチさんはヤンツーさんを先導して戻ってきた。 コールリーダーからトラメガを借りて監督に渡すテルミチさん。 拒否しようとするも、サポの「聞こえない~」の声にしぶしぶ受け取るヤンツーさん。 USに胴上げされそうになるヤンツーさん、断固として拒否するヤンツーさん。 最後まで頑固者の山羊座らしいヤンツーさんだった。 そして、うちらのヤンツーさんお別れ会が終わってから 「これから清掃作業に入ります」の場内アナウンス。 さすが静岡。心憎いぜGJ! それにしても楽しかった。この1ヶ月の喧騒。 遠征して、チケがないー、移動手段がないーなんて大騒ぎして、騒いで、次の遠征に心ときめかせて。 そんな祭りがまたやりたい。 XEROX杯どうしようとか、ACLで「どうやって行く?大邸」とか言ってみたいぞよ~。 そんな日が来たら、それはテルミチさんの涙が報われたときなんだな、きっと。
2006年12月27日
対ガンバ戦で印象に残った試合といえば・・・ 播ちゃんの得点で勝った、函館の試合しかない。 万博のゴル裏は、傾斜がなくて芝のままだったかな・・・? 一度、カッパ着て応援してて、ハーフタイムにしゃがんでいたら、そこをスカパーかなんかに抜かれた。 一度、試合の後ロイホでご飯食べていたら、向こうとこっちの外人選手(アウミールとかビタウとか・・・?)たちがそろってやってきて笑えた。 一度、当時ユースの新居を身に練習場に行ったら、サテライトのキーパー練習に都築がいた。ガンバのキーパーコーチの練習メニューを見ていたら、ディドじゃだめだと思った。 最近行ったときの思い出は、せなかに「SECURITY」と黄色い字で書いた紺色のTシャツを着た黒人警備員。 あとでセレサポの人に聞いた話「あいつら本物」。軍隊経験者なんだって。
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初生観戦:岡田武史が初めて来札したときの神戸戦 名刺代わりのキーワード「パラグアイ」
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