2008年03月01日
先ほど、NHK教育を見ていたところ、 アルゴリズム行進、一人で行進をやってまして、 明るい芝の上を背広着た小太りくんが歩いていきます。 背後は斜面が続いていて、きれいに刈り込まれた植木がアクセントを添えています。 なんとなく見覚えのあるその景色・・・ フロンターレの麻生グラウンドだと思われます。 http://jp.youtube.com/watch?v=1FHk-SkIFIg もう、何年前でしょうね。 練習試合を見に行きました。 ゆづと黄川田があっちにいて、エメもまだいたかな? こっちにはコハルの飼い主がいました。 あのころスタジアムでいつもお会いしていた微妙なお年頃のお姉さんとか 森川好きのギャル子ちゃんとか、 今頃どうしておいでなのでしょうか・・・ 私のように「あいかわらず」、ということは無いのでしょうね(苦笑)
2005年12月12日
ひょんなきっかけで、日立台に行って来た。
当事者たちにとっては非常にセンシティヴな一戦を、他サポが興味本位で見に行くというのはある意味非常に悪趣味のような気もしたが、後学のため行ってみることにした。
内容と結果は報道の通りで、柏が、まさに「完膚無きまでに」打ちのめされた試合であった。
しかもバレーの確変の長いこと。5点目獲った後はさすがにいつものバレーに戻っていたが…
それはさておき、
アウェイゴール裏は、それぞれ半分ずつが、両サポに割り当てられていたのだが、私が着席したメインスタンドのアウェイ側にも、多数の甲府サポがいた。
私の耳には、甲府サポ、柏サポ両方のつぶやきが入ってきていたわけである。
スタジアムの緊張感は私の中に罪悪感を植え付け、私はそれに耐えきれず、試合前に思わずビール1杯飲み干してしまった。
試合前のDJタイム、アジアナンバー1を決めた千葉ロッテマリーンズの小宮山投手からの応援メッセージが、今季途中でできたワイドでないビジョンに放映されていた。
ゲート口では、柏サポとボランティアの人が、「一緒に声を出して応援しましょう!」と、ビニルのビブスやファンバナを配っていた。
スタメンが発表される。外人2人が入り、残る外人1人もベンチイン。
柏の外人のダメっぷりは噂に聞いていた程度だが、大野の調子が上がり、矢野貴章や宇野沢らが生き生きし出したのが外人を外すようになってからだから、
ひそかに「早野、外人と心中だな」と思った。
調子が上がってきていたはずの矢野も前半を数分残して3人目の外人と代わり、もう勝負は見えてしまった。
外人どうこうというよりも、柏はすでにチームとしての体をなしていなかった。そのバラバラっぷりは、他サポから見ても痛ましいほどであった。
コンサでいえば、天皇杯で大分に4-0でやられたときのような気持ち?
きっと柏サポたちは、私たちがつい一昨年のシーズン中感じていたことと同じ気持ちを今年ずっと持っていたに違いない。
「早野を信じていいんですか?」
「フロントを信じていいんですか?」
「チームを信じていいんですか?」
「応援してる俺たちって、なんか間違ってるんですか?」
「ぼーくーたーちーのー将来は、よーくーなーってゆーくだーろーぉか?((c)中島みゆき)」
「後10分。2分で1点取れば勝てる」
「あと5分。1分で…」
つぶやき君の言葉が痛々しい。
「バレー絶好調。楽ショー」
浮かれ君の言葉は飛び道具でぶっちぎって昇格したいつかの我々の姿を思い起こさせる。
うちら、こんなに鼻持ちならなかったんだなあ。キーッ
試合前日に友人と言っていたこと。
柏サポが試合後ピッチに乱入するかどうかについて。
「負けたら怒って乱入、勝っても感激してやっぱり乱入」
しかし、おとずれたのは、静寂のみであった。
甲府サポも、監督の胴上げ直後くらいまでは大騒ぎしていたが、その後雰囲気を察したコールリーダーの指示で、静かになった。
シーズン最後のホームでの試合。
ピッチの真ん中にマイクが立てられ、社長が挨拶をする。
挨拶というより、お詫びだ。
「土下座しろ」「早野を出せ」
怒号すらすでに弱々しい。
「1年で必ず復帰します」
言わない方がいいんじゃないのかなあ…ここまでチームが壊れちゃ。
サッカー観戦としてはあまり充実感はなかったが、
すごいものを見たなあ…という印象だけは残りましたとさ。
さ、うちらはうちらでがんばろっと♪
2005年12月03日
岳也さんのコンサデビュー戦は、JALサンクスマッチの清水エスパルス戦。
清水ではJALさん、胸スポンサーなのよ。空港もないのに…
しかもうちの腕スポンサー料よりも安いと言うウワサ。
…それはともかく。
赤黒のバンダナいただきましたねえ。
双方のチーム名はもちろんですが、日付も入っていたでしょうか…しばらくお弁当を包むのに使っていましたが、今は保管庫に移動してます。
元のつくりはかっこいいのに、いつまでも山国センスと言うか、垢抜けないところが魅力でした…
タバさん…あなたが移籍してきたとき、当時付き合っていたレッズサポの彼氏から、ことづかっていましたよ。
「田畑をよろしく。あいつ、レッズに入ったばかりのとき、ブッフバルトに、
『これでレッズのセンターバックは10年安泰』と言わしめた天才なんだよ。
1年で3回骨折したり苦労してるけど。」
その彼氏もおととし知らない人と結婚しましたよ。
それまで、もしかしたら復活できるんじゃないかって、タバさんが活躍するたびにメール送ったりしてましたよ、ええ。
すみません。
三原さん…鳥栖時代の、俊輔もかすむほどの美しいFKでのゴールは、全国放送でしたよ。
あれを赤黒ユニ姿でも見たかった…
イイヤツ度が顔に出てるのが、勝負師としての運のなさを物語ってるのかも…
そこの嘆いてるアナタ!
今日はお別れを言える数少ない機会の1つですぞ!
ぜひ、大声援をもって、新しい道を行く彼らへのはなむけとしよう。
もっと早く書けばよかったな。
2005年11月29日
大好きだった関脇・琴ノ若が、千秋楽を待たずして引退した。
37歳。
膝の故障はほとんど持病だった。
「息子に相撲を取っている父親の姿を覚えてもらうためにも、一日でも長く現役を続けたい」
その思いが、彼を土俵に上がらせていた。
彼を特別に好きなお相撲さんと感じ始めたのは、学生のころであった。
もちろん、その端正なマスクにやられたわけである。
上背もあり、左上手を取れば強かったが、そのやさしさのせいか相撲が遅く、左に固執するあまり半身に持ち込まれて横から押し出されることも多かった。
評論家の評判は「遅い」「闘争本能がない」=「大成しない」がほとんどだった。
霧島、巨砲、寺尾と個性的なベテラン力士が引退していく中で、
ほとんど目立たない存在だった琴ノ若が、いつしか幕内最年長になっていた。
優しさゆえに大成しないと言われていた彼が、それでも長く相撲を取ってきたのは、父としての自覚ゆえに違いない。
彼が先代佐渡ヶ嶽親方の娘さんと婚約した時には、
「優しいから政略結婚とわかっていても断れなかったに違いない」
と、穿った見方をしていた。
近年は反省している。
あきらめるような土俵の割り方や、「ミスター1分」と呼ばれたこともある遅い相撲も、ここ数年減ってきていた。
30半ばを過ぎて、強い思いが、相撲まで変えてしまったことは、驚きであった。
先代佐渡ヶ嶽親方が体調を崩してからは、現役と親方代行の二足のわらじ状態だったそうだ。
これからは、佐渡ヶ嶽親方として、第2の相撲人生を歩むことになる。
それにしても、もう一度生で見たかったなあ・・・
実は、彼の本割を見たことがないのだ。
チャリティー相撲や、靖国神社での奉納相撲では見ているのだが・・・
真剣勝負の立会人というのは、相撲それ自体が興業であることとは裏腹に、ときにそれ相応の覚悟を必要とすると思う。
ありがとう、琴ノ若。
2005年11月24日
非常に残念なことに、わがチームは来季の2部残留が決まってしまった。
可能性を信じて闘い続けた人たちには、お疲れさまと言いたい。
けど、こんな中途半端な実力で運良く上がったって、前のJ1時と同じ間違いを犯しそうだ。
ここはひとつ、今確実につきつつあるこの実力を、残りシーズンの実戦とオフ後のキャンプで熟成させて欲しい。その様子は、絶対に一見の価値あるものと思う。コンサ好きでなくてもいい、サッカー好きに見て欲しい。
今季は、家庭の事情もあり、ホームはおろか、近場での試合も行く機会が少なかった。
久々にアウェイに行くと、中心部に知らない顔のサポーターが増えていたり、知らない歌ができていたり、びっくりすることもある。
けれど、こと声出しに限ってはどうか。
前のJ2のとき、初めて駒場の離れ小島に押し込められたときの気合と声量はあるか?
こんな、何かを失いかけているような漠然とした不安は、実は、J1時代の国立での浦和戦のあたりから、うすうす感じてた。
いつも宇都宮から青春18きっぷでやってくる2ちゃねらーの某氏に言われること。
「お前らいつもなんか食ってんな。俺は試合中は食わないぞ。闘ってんだからな。」
彼自身の信念により最近はレプリカも着ない彼の、この言葉にはシビれる。
レプリカ着てます、もちろん背番号入りです、アウェイの観光地でもサポであることを主張するためこれ見よがしにグッズをぶら下げます、アウェイのスタジアムの名物もたいてい食いました、練習後も試合後も出待ちします、日々サイン欲しいから…
どうなんですか。
自戒も込めて。。。2005晩秋
おつかれてる場合じゃない。
まだシーズン終っちゃいない。
>若い彼等は今・・力を蓄えています(しまふく寮通信より)
妙齢の私も、チームに栄光を招き入れるべく、応援力を蓄えていきたい。
一朝一夕には無理だけど。
2005年11月07日
うちに帰ると、ほくせんからお手紙が来ていた。
ほくせんからの郵便物なんて、毎月の請求書と、ときどき振込み遅れたときに来る督促状くらい。
「親展」って書いてないから、督促状ではなさそうだけど。
けどこの薄さは・・・
「おわび」か?
なんだ?
やな予感・・・
こんな心配はまったくの稀有で、
なんと8月末で締めた今年度の寄付金総額のお知らせでした。
みんなでチリツモの寄付金 1,952,670円
(うちワシも微力ながら14,398円)
思えば、あれは長居だったような気がする・・・
今はフロントにおいでになるしろくまさんから、
「とりあえず、名前だけ、お願い」
って言われて、申込書書いたんだった。
「また後で郵便来ると思うから。いやだったらそんとき無視してくれればいいから」
けど、カードの絵柄に魅せられて(notジュディ・オング)そのまま入会、
携帯クリーナーの出来のよさに感動、
以来、丸井(今井さんじゃない0101の方)で
「入会すると丈詰め工賃半額!」と言われようとも、
マイレージカードから「ボーナスマイル今なら倍増」
とか言われようとも、
ほくせんサポカード一筋でござんすよ。
こういうの、なんていうんでしたっけ?
一穴主義?
山のアナアナ、歌奴でやんす。
プロフィール
初生観戦:岡田武史が初めて来札したときの神戸戦 名刺代わりのキーワード「パラグアイ」
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