2006年01月30日
中・高と、バスケ部に所属していた。
県大会で何とかベスト16を狙おう、ってくらいのレベルだった。
中学は校則の厳しい学校で、部活で着る服も学校指定のものしかダメだった。
ジャージにも半そでシャツにも、腹の部分にB5大の名札をつけなければならず、これで対外試合に行くのはホントにイヤだった。
高校になると、普段の練習では学校指定のを着るものの、対外試合ではそれ用のウエアがあった。
だいたい、サッカーもそうだけど、試合中の選手交代の時はウォームアップの状態からすばやく対応しなければならないわけだから、ささっと脱げるウエアで無ければ困るのだ。
学校指定のジャージは、バッシュがつっかかって、非常に脱ぎにくい。
そこで、こんな風に、サイドが開くズボンをはく。
http://www.asics.co.jp/products/basketball/XBT238.html
なんかいい写真が見つからなかったのだが、このボタンのところがプチプチ~っとあくわけ。急いでいる時はチャックよりも楽ちん。
ただ、新入部員はすぐには買えない。
そこはそれ、練習の厳しいところであるから、辞めるやつが多いのだ。
学区内のそれなりのレベルの中学のやつらの間では有名な話だが、顧問の先生が試合中灰皿投げたりびんたして選手のメガネ壊したりといった武勇伝を持っていた。
ワシの代の連中はほとんどそれを知らなかった・・・orz
つわけで、最初30人近くいた部員も夏休みまでに10人減り、秋口までにさらに5人減った。
新人戦を迎え、ずっと学校指定の緑ジャージだったワシらも、対外用ジャージを
「買ってヨシ!」となった。
けど・・・
先輩らと同じデザインのヤツは、なぜかその年、廃盤になっていて入手不可。
そこでワシらは、めいめい適当に探すこととなった。
当時ワシ御用達でいっとう垢抜けてるスポーツ屋と言えば新星堂だったので行ってみた。
すると見たことの無いメーカーのジャージが。
それがKAPPAと私の初めての出会いであった。
「まだ日本に入ってきたばかりで、販売店も限られてるんですよねー」
うひー。即買い。
しかし、これがまたスリムなシルエットでワタクシにはぱつんぱつん。
さっと脱ぐ!っつうそもそもの要求を満たしてないし(笑)
さらにショックだったのは、ワシよりも田舎に住んでるヤシがまんま同じの買ってきてたこと。
それはさておき、
速乾性と軽さが段違いだったねー。
汗かいたの持って帰るにしても、重たくなかったモン。
だっはー。
まだおうちにあるかな・・・?
2006年01月30日
母儀薬効むなしく1月12日、永眠いたしました。
ご心配いただいた方々には、この場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございました。
このようなわけで、ワタクシの開幕は、四十九日経過後のからとなります。
2006年01月22日
「もう負けはごめんだ」「うちらも」
おととし、鳥栖に行った時、われらがコンサドーレは連敗中であった。
同じく、鳥栖も連敗中。しかもうちらよりも連敗のトンネルは長かった。
うちらは3くらいだったかな?相手は8とか。
でもって、うちはそのシーズン、相手の連敗を止めてあげるというボランティア精神にあふれていて(またの名を「地雷」)、試合前は正直ひやひやモンだった。
そんな中で、鳥栖側のゴル裏に貼ってあったダンマク「もう負けはごめんだ」。
そしてそれを見て白いガムテで即席で作ったのが「うちらも」。
同類相憐れむダンマク合戦だったとす。おしまい。
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初生観戦:岡田武史が初めて来札したときの神戸戦 名刺代わりのキーワード「パラグアイ」
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