コロナ禍の介護生活

2023年01月16日

以前、実家張り付き生活をしているということを書いた。
遠まわしに書いたのだけれど、早い話、親(母)の介護である。

どうも世の中では、コロナはたいしたことないという雰囲気が蔓延しているようである。

しかし、実際には一日に500人を超える死者の報告がある日もあるという状態だ。
それなのに、ニュースでは軽く触れるだけ。クジラの死の方に多くの時間が割かれているんじゃないかという感じすらする。

政府も、ワクチンを打ってくれ、個人で対策をしてくれ、というだけでほぼ無策。

どこが出どころかよく知らないが、コロナはインフル並みという情報が流れてくる。実際にはコロナの方がはるかに罹患者が多く、この一か月で1万人もの人が亡くなっている。どこがインフル並みなのだ。

そして、死んでいるのは年寄りということを強調するもの。

確かに若くて、基礎疾患のない人間にとっては、それほど恐れるべきものではなくなっているのかもしれない(しかしいまだよくわかっていない後遺症というものがある)。

まあ、若くて、基礎疾患のない人は、不幸にも罹患してしまった場合、極端に恐れることなく冷静に療養してください、というのはわかる。

しかし、死んでいるのは高齢者ばかりという言い方には、高齢者は生い先短い、死んでも仕方がないというニュアンスを感じてしまう。弱者の命を軽視する考え方を感じてしまい、受け入れることはできない。

新型コロナ感染症は、無症状・発症前にも他者にうつる病気だ。

介護生活をしているものの立場から言わせてもらえるならば、もう少し安心して外に出られるようにしてほしい。

マスクくらいちゃんとしてほしい(他者にうつさないため)。政府内では屋内でもマスク不要という議論があるという報道にも接したが、ほんと、勘弁してほしい。

それから、介護施設、学校などで、そのほかいろいろなところで、ちゃんと感度の高い検査をしてほしい。

介護で家にいることが多いのは事実だが、外へ出ずに生活をすることはほぼ不可能だ。

不幸にも、自分が行った空間に「コロナ? そんなの知らん。ただの風邪だろう?」
という生活をしている人間がいて、その人間が罹患していたら怖いのである。

自分が罹患するだけならば、まああきらめはつく。しかし、もし、自分が親にうつし、それが原因で、もっと生きられた命を失うなどということになったら悔やんでも悔やみきれないだろう。

そんなわけで、コロナ禍が始まってから3年。自分は生活に極端な制限をかけている(医療従事者の方々もそんな感じなのだろう)。

残念ながら、感染状況が悪い時は、コンサドーレの試合にも行かない。スタジアム内や往復の交通機関内でスーパー・スプレッダーが近くにいたら、たとえマスクをしていてもアウトの可能性があるので。

また、介護の都合上、ホームの試合でも会場までの往復を含めて4時間家をあけるのは難しい場合があり、観戦数は極端に減っている。

去年買ったレプリカには袖を通すことがなかった(今度着ようと思っていたら、その今度がこなかった)。今年も一応レプリカの購入を申し込んだが、袖を通すことがあるのだろうか?

本来ならば、シーズン前の「今年はどうなんだろう、けっこういけるかも」とワクワクする時期なのだけれど、あまり盛り上がれない個人的状況だ。


post by オフ

22:09

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