あしたのジョー

2014年12月02日

美唄育ちの8回目です。

美唄の書店と言えば国道12号線沿いの美盛堂でした。
小学校高学年の時、自分のお小遣いで最初に漫画雑誌を買ったお店です。

漫画と出会ったのは、小学校低学年の頃で、当時は月刊誌が全盛でした。
祖母や母に買ってもらっていたと思います。
少年や少年ブックが愛読書で、鉄腕アトムやビッグXが好きだったなあ。
どちらも手塚治虫さんの作品ですね。あと、横山光輝さんの鉄人28号も良かった。

高学年になると週刊誌が台頭してきて、マガジンとサンデーが両巨頭でした。
確か40円でしたが、この時期から、自分の小遣いで買うようになりました。

そんな中で、マガジン連載の「あしたのジョー」は忘れられない作品です。
少年マガジンに連載が始まったのが1968年なので、小5でしたね。
最終回で、試合後に真っ白になるジョー。
立て 立て 立つんだ ジョ−! 学校で叫んだな。(高校生の頃)段平の有名な台詞ですね。

ちなみに、ちばてつやさんの作品で最初に好きになったのは「ハリスの旋風」です。
学園スポーツ物ですね。主役は石田国松…。
多分、自宅の納戸に単行本が2冊あるはずです。購入した時期は不明です。
あとは、「紫電改のタカ」が好きでした。この作品は、戦闘機乗りのお話。
リアルタイムじゃなく、後に読んだと思います。

その後、美盛堂には、文庫本を買いに良く行きました。
教科書の取扱店でもあり、大変お世話になったお店です。


美唄育ちは、書きためた話題がなくなったので、今回で一旦終了します。
今後、数回分の話題を思いついたら、再開したいと思います。


post by kangie

12:30

美唄 コメント(0)

最中って何だ

2014年11月30日

美唄育ちの7回目です。

美唄銘菓と言えば、何と言っても「べかんべ最中」ですね。
12号線沿いに店を構える「長栄堂」の看板商品です。

店頭に「べかんべ最中」の看板があったと記憶していますが、小学生の頃は「最中」を「さいちゅう」と思い、どういうこと思っていました。
随分と長い間、謎だったなあ。誰にも聞けず一人悶々としていました。

べかんべは、市内の沼に自生していたヒシの実を蒸し、餡に混ぜたことから名付けられたようです。
今では、収穫量が減り栗を使用しているようですが、毎年秋限定でヒシの実入りが販売されているようです。

長栄堂は創業が大正2年なので100年を超える老舗です。
小生は、これまでに、べかんべ最中を最低でも100個は食べていると思います。

そして、時期は忘れましたが、我が家でもクリスマスをお祝いするようになり、その時、食べたケーキは、長栄堂製でした。
確か、何度かイブに受け取りに行かされた覚えがあります。

長栄堂の思い出は、べかんべ最中よりクリスマスですねえ。


post by kangie

13:09

美唄 コメント(0)

高島のカツカレー

2014年11月16日

美唄育ちの6回目です。

カツカレーを初めて食べたのは、たぶん高校生の時だと思います。
食べたのは「高島・・」と記憶していますが、ウェブで検索しても出てこないなあ。

進徳と光珠内に高島屋食堂があるようですが、小生が食べたのは美唄駅の近くだったはず。
そして、精肉店に併設されていたはず。

あのお店のカツカレーは、今でもハッキリ覚えています。かなりリアルです。
少し甘めのルーに、肉厚のロースカツが乗っていました。

衝撃でした。

こんな美味い食べ物がこの世にあるなんて…くらいの衝撃でした。
値段は覚えていませんが、何度も行った記憶がないので、きっと高かったのだと思います。

食べたいなあ。高島のカツカレー!


post by kangie

18:53

美唄 コメント(0)

All you need is ジンギスカン

2014年11月11日

美唄育ちの5回目です。

小学生の頃の大好物はジンギスカンでした。今も好きですが、大好物とまでは…(笑う)
最初は、スライス肉(成形冷凍された肉)を焼き、ベルのタレを付けて食べていました。ひとりで500gはいけました。

そのうち、粉末のニンニクをタレに入れるようになり、肉にオレンジジュース、すり下ろしリンゴを入れて馴染ませてから焼くようになり、野菜はもやしだけから、玉葱、南瓜と増えていきました。
これらは、父が職場の同僚から聞いてきた、あるいはお店で教えてもらったと思われます。

ジンギスカンのタレが付いたご飯が、これまた美味いですよね。
一度、タレだけかけて食べてみたことがありますが、焼いた肉を付けた後のタレじゃないと美味しくない(苦笑)

さてさて、美唄の市街地に「和田公園」があります。昔は、貸しボートがある池があったなあ。現在は、市が買収して整備をしたようですが、どんな公園になったのかな。
小学生の頃、公園の食堂で、父の職場の花見か観楓会が行われ、ジンギスカンを食べた記憶があります。

ジンギスカンは、市販のスライス肉でしたが、タレは自家製でとても美味しかったなあ。もう一度食べたいなあ。

最近は、「松尾」や「かねひろ」などの「味付き」が人気ですね。
だけど、やっぱり生ラムを焼いて、ベルのタレを付けて食べるのが好きだなあ。
ジンギスカンが食いたいですね。All you need is ジンギスカン!!!

ちなみに上川管内の名寄市が、煮込みジンギスカンを好評売り出し中です!意外といけますよ。


post by kangie

22:33

美唄 コメント(0)

部活は弓道

2014年11月06日

このブログを始めたのが2005年11月5日なので、昨日から10年目に突入しました。
今後も、コンサを中心にバラエティに富んだ内容にしたいと思います。

さて、美唄育ちの4回目です。

高校(美東)時代の部活は「弓道」でした。弓道にした理由は、友人に誘われたからです。誘われたら、ホイホイ付いていくタイプです!

同級生の部員は確か5人で、先輩は3年生が2人だけの正に少数精鋭でした。
当時は、テニスやバドミントンが人気でしたね。小生も弓道クラブがあるなど思いも寄りませんでした。
まあそんな弱小クラブですから、先輩は優しくしてくれました。金の卵!

入部すると、まずは巻き藁で打ち方を練習するのですが、小生は弓を引いたときに手首を内側に入れてしまうので、射った際に蔓が前腕の内側に当たり赤く腫れることが多かったです。
原因が分かるまで、随分と痛い思いをしました。
だけど、運動系とは言え下半身を鍛える練習がなかったので楽でしたね。

思い出と言えば、神社の例大祭で弓を射ったことや大会に出場したことかな。
美東は、地区大会は南空知に属しており、「なんそら」と呼んでいました。

大会は、直径36cmの的を28m離れた位置から射る「近的競技」ですが、練習も近的で行っていたなあ。
的中したときは、気持ちがよいです。上手く当たればスコーンって音がします。(個人的感想です)
一組4人(5人だったかも)が、4射を3回打ち、的に当たった本数で団体と個人の順位を決めたと記憶していますが、一人絶好調の小生は最初の4射のうち3射が的中(残る1射は縁に嫌われる)しちゃいました。

先輩に肩をもまれ「良いぞ。リラックスしてね。この調子なら全道かも。」と言われましたが、他のメンバーはせいぜい1中だったので、このままでは一人で全道(札幌)行きだと思いビビりました。
そのため、心は千々に乱れ、あとの2回は1中しかできず、成績は5中となり入賞すらできませんでした。確か8中で3位入賞だったはず。

帰りは、何とも情けない気持ちとホッとした気持ちが相半ばしていたように記憶しています。
弓道は高校卒業と同時にやめましたが、続けておけば良かったなあ…。


post by kangie

12:38

美唄 コメント(0)

レコードに捧げる

2014年11月05日

美唄育ちの3回目になります。

初めて買ったレコードは、レターメンの「涙のくちづけ」とサーチャーズの「ラブポーション№9」なのです。
北海道では1969年にヒッした曲なので中2の頃かな。

米国のコーラストリオとリバプールサウンドの組み合わせ。
なかなか興味深いけど、当時のヒットチャートは、洋楽はビートルズなどのロックのほかカンツォーネやシャンソンが混在していました。

この2曲に共通しているのは一体何かなあ。
どちらも哀愁がある曲ですが、当時は迷いに迷ったことと思います。優柔不断ですから!

レコードは、国道12号線に面した高橋時計楽器店で買っていました。
高校生になると学校帰りに必ずと言って良いほど寄っていました。生活の一部(笑う)

そのうち、予約や取り置きなどをしてもらう常連になり、見本盤のLPをもらうまでになりました。
見本盤は、市販品と違い白地のレーベルが使われていたので、ホワイトレーベルと呼ばれていたなあ。

何枚か、もらいましたが、スリードッグナイトの「ハーモニー」位しか覚えていませんね。
最初にもらったのかな?

洋楽を聴く以外に趣味はなかったので、小遣いはレコードに注ぎ込みましたが、欲しいレコードは無数にあり、断念したレコードは数えきれません。

実は、このお店の店員さんに恋をしていました。
勿論年上(3歳位?)ですが、とても可愛い方だったなあ。

今はどうしているのかな?僕のことをどう思っていたのかな(苦笑)


post by kangie

12:29

美唄 コメント(0)

学祭で目覚める

2014年10月30日

初めて、学祭に行ったのは中1か中2だったと思います。
確か、美唄工業高校の美工祭でした。

学祭といっても、エレキバンドのステージしか覚えていませんけど…間違いなく何か食べているはず。
曲は、ザ・ゴールデン・カップスの「長い髪の少女」です。

他のGSの曲と違う、何とも言えない暗さが感じられる曲。強烈な印象が残っています。
作詞が橋本淳、作曲が鈴木邦彦ですね。

高校(美東)に進学すると、ステージ上は先輩や同級生になりました。
フォーク派とロック派が混在しており、フォーク派は自作を演奏したりしていたなあ。

ロック派では、GFRの「ハートブレーカー」が印象に残っています。
出演するグループが、みなこの曲を取り上げていた状態でした(苦笑)

その後は、ディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」が定番でしたね。
誰でも弾けるイントロ。だけど正確に弾くのは難しい。

まあ名曲ですね。
そして、僕はディープ・パープルにのめり込みました。
ちなみにパープルでは「チャイルド・イン・タイム」と「ブラック・ナイト」がお気に入りです。


post by kangie

12:31

美唄 コメント(0)

美唄育ち

2014年10月29日

小生は、岩見沢で生まれ、2歳頃〜高校まで美唄で育ちました。
生まれを聞かれたら、面倒なので美唄と答えちゃいます。

不定期になりますが、美唄のことを書きたいと思います。

学校は、市立美唄幼稚園、美小(びしょう)、美中(びちゅう)、美東(びとう)で学びました。
美しい唄のまちですから、美唄育ちは唄が上手い…かな(笑う)

食べ物では、焼き鳥は「たつみ」派です。
寿司は「江戸金」、鰻は「まこと」かな。

どれも、亡き父が、飲み会の帰りに買って帰るお土産の定番でした。
小学生の頃、夜中に起こされて食べさせられましたねえ(苦笑)

たつみは、焼き鳥か海賊焼きが定番でしたが、海賊焼きは一度食べてみる価値がありますよ。


post by kangie

12:29

美唄 コメント(0)