TSUNAMIプロジェクト・その後

2005年12月30日

※都並元仙台監督のことではありません(笑)

皆さんは覚えていらっしゃるだろうか?
TSUNAMI留学生帰国支援・北海道では、
『インドネシアの子ども達へサッカーボールを贈ろう!』プロジェクトと題し、
インドネシア・スマトラ沖地震・津波で被災した孤児(3万4千人とも言われる)や子供達へ
笑顔と元気のタネを北海道から送ろう!を合い言葉に、
サッカーの試合会場やサッカー関係者からサッカーボールを募集して、
被災1年後の12/26までに贈ろうと奔走していた。

HFCでは、この企画のかなり初期段階から協力していた。
メッセージボール第1号は、堀井岳也であるし、
10/1の徳島戦(厚別)、10/22の山形戦(函館)や11/6の水戸戦(ドーム)では
サポからも募集していた。

ちなみに、彼等らはその後、パキスタン北部地震災害の募金にも協力していた。

児玉社長のブログでも、
彼らの活動はしばしば取り上げられ(11/1811/2411/3012/312/7)、
お礼のディナーに招待された様子(12/13)もUPされている。

自分は、ボールと空気入れを寄付しただけなのだが、
その後の動向は、ずっと気になっていた。

最終的に、彼らが集めたのは、サッカーボールだけで1,472個。
バレーボール等も全て含めると、何と2,306個!
その他、空気入れ等もかなりの数が集まっている。

彼らが目指していた、被災1年目までに子供達に届けるという目標には、
残念ながら間に合わなかったようだが、
(どうやら、書類がやたらとめんどくさいらしい…)
ようやく、インドネシアの港に着いたコンテナから荷物を出せるそうだ。

現地から更新されるブログは、日本語入力ができないためローマ字で綴られており、
少々読みづらいが、彼らの奮闘と喜びが伝わってくるようだ。

是非、一読をお勧めしたい。

TSUNAMI留学生帰国支援・北海道


post by イリス

08:58

雑記 コメント(0)