2006年07月04日
昨夜、帰宅してからニュースで知った。 予感があったので、突然とは思わなかった。 彼が、Jリーグでプレーしたのは僅か3年。 98年のフランスW杯で評価を受け、セリエA移籍。 そして、その後ヨーロッパで7年、しかも全盛期にはスクワッドも手にし、移籍金は31億円にも及んだ。 彼に続けと、J選手が勇んでヨーロッパリーグに乗り込んだが、みんな彼ほど輝くことはなく、ワールドクラスと認知されつつあるのは俊輔だけかと。 私がコンサ(サッカー)にはまったのは、98年室蘭で彼が率いるベルマーレ平塚との一戦だった。 彼を通して、ひとつの時代の始まりとその終焉を見させてもらった想いがある。 日本が、初めてW杯本大会に出場した98年からの3大会、これは彼の歴史だ。 今後、98-06を語るとき、彼を語らずにはいられない。 「孤高」と言われ続けたプレースタイル&ライフスタイル。 彼は、これから、我々には想像もつかないような「旅」を始めるのだろう。 彼には「お疲れさん」と共にYELLを贈りたい。 ありがとう、ヒデ。 そして、次の時代は残されたJAPAN戦士が創る。 どんな時代が来るのか、彼らの飛躍を祈るばかりだ。
プロフィール
98年室蘭の平塚戦からコンサにはまった。 かつて「頭が痛い、腹が痛い、仕事が進まない。そんな一週間でも、週末はいつも元気に厚別にいる」でクラシックをいただいた。 今は「試合がある、仕事もある、札幌にいない。そんな生活でも、試合の日はいつも心はスタジアムにある」てな感じでしょうか。
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