2006年09月15日
姫路といえば…。 姫路城。 あやや。 俺の「姫路といえば…」は【西日の強烈さ】。 これに尽きる。ここも明石同様に異常に暑かった。 山陽電鉄終点の山陽姫路駅で下車後、一旦荷物を置いて姫路城に向かう。 駅を出たらすぐ見えるんだね。約1kmの道程をだらだら歩く。汗もだらだら。 途中にあった銅像。写真では見にくいが、素っ裸で帽子を被ったおっさんがSAXを吹いている銅像。いうまでもなく竿と稲荷もついてた。何故素っ裸なんだ…謎だ。 約15分歩いて大手門をくぐると眼前に姫路城。ホントに暑かった。天守閣まで行きたかったけど、時間がないのと暑くて行く気力が無くなったので引き返す。何しに行ったんだろう…。 時間が無いはずなのに、JR姫路駅地下の立ち飲み屋で一杯。これも暑さのせいだ。 ここからJRの普通列車で岡山に向かうのだが、その前に姫路駅構内で【えきそば】を食べる。 【駅そば】じゃないよ、【えきそば】だよ。 えきそばの起こり 太平洋戦争の終戦後 姫路駅で 麺類を販売しようと計画し うどんを試作、 うどん鉢は 出雲今市にあるものを仕入れ、 うどんの販売を始めました。 しかし 当時 うどんはいたみが早く 長持ちさせるには と考えた末 うどんをあきらめ 度々の試作の結果 黄色いそば を考案 当社独自で その製造に のりだし だしは評判が良かった為 そのままで 黄色いそば に 和風だし という 一見 ミスマッチの商品が生まれました。 その後 昭和24年10月19日 姫路駅ホームにおいて それをえきそばと名付け えきそば の立ち売りを始めました。 その当時の 販売価格は せともの容器付 50円 でした。 (えきそばの店内にあった説明書きより) 見た目はそばと呼べるものではない。たぶん麺に「かん水」を多く加えた結果うすい黄色になったんではないだろうか。なのでそばというよりラーメンに近い。関西方面のつゆは色が薄い思っていたがこれはちょっと濃いめ。そして上にのるのはフニャフニャの天ぷら(右)あげ(左)。何故か出てきた時からフニャフニャ。店内の人のほとんどがこの天ぷらの方を注文してた。さっそく食べる。 麺の食感はのびたラーメンの麺って感じ。味もラーメンの麺に近い。なんと言ったらいんだろう。ん~「おまえ、ホントはラーメンなんだろ?」って感じ。出汁は和風。天ぷらは見た目通りフニャフニャ。まとめると薄めの和風出汁に少しのびたラーメンの麺が入ってる不思議な食べ物といったところかね。まとまってないね。つなげただけだ。驚くほど力が入ってないんだよね。脱力系食品というのだろうか。【えきそば】が発するゆるゆる攻撃にすっかりやられた俺だった。 お得情報…14時~17時の間は通常\330のところ\280で食べられる。 どうでもいい情報1…所謂普通の駅そばは【和そば】という名前で販売している。 どうでもいい情報2…列車到着時は非常に混み合う。
神戸に向かう前にちらっと岡山観光。 友人A曰く「やっぱり後楽園でしょ」ということで日本三大名園のひとつへ行く。 この時俺は第4クールの水戸遠征ついでに偕楽園も行けば残るは兼六園だけだなって思った。ただ金沢にはJリーグのチームがないのでいつ頃兼六園に行けるのかとも思った。後楽園がどういう庭園なのかは興味のある人が勝手に調べるがよろし。遊園地ではないことだけは確実だ。この庭園内に【流店(りゅうてん)】というところがあってパンフレットの説明をそのまま使うと「中央に水路を通し、色彩に富んだ奇石六個を配した全国的にも珍しい建物です。藩主の庭廻りや賓客の接待などで、休憩所として使われました」との事。まぁ分かりやすく言えば足湯の温泉が冷水になってるってとこかな。足湯に入ると体が温まると言うがこの流店は熱くなった体を冷やしてくれる。この日も北国育ちの人間には辛い暑さだったのでとても気持ちが良かった。 後楽園からの帰り道の車中、友人Aの息子S(5歳)に「オ・カ・ヤマ!オ・カ・ヤマ!」と岡山のコールを教えた。 今回の遠征のまとめ 『新幹線って速いのね』
プロフィール
02年日韓W杯でサッカーのおもしろさに目覚め、ただのミーハーのつもりがいつの間にか生活の一部にコンサドーレ札幌があったことに気づく。 唯一の観戦仲間である夫ともども基本的に甘サポ。 勝っても負けても酒は欠かさない。
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