2008年12月10日
まずは入替戦の第1戦、というか前半戦と言った方が良いのかもしれませんが、1-1のドロ-という結果になりましたね。 これで第2戦(後半戦)では仙台は「絶対に点を取らなければ昇格出来ない」状況になったので、気持ち的には磐田がリードですかね。 さて、ここ数日鹿島戦終了後の出来事についていろいろな意見を見たり聞いたりしながら考えることが多かったのですが、今朝、携帯に毎日配信されるメルマガが以下のような内容だったのでご紹介します。 「見えているものだけで判断をすると時に、間違った選択をすることもある。 ゆとりがなくなってくると目の前しか見えなくなる。 心に余裕がないと目に見えているものも信じられなくなってしまう。 その時は、ちょっと立ち止まって考えてみよう。 物事の本質は出来事の奥にある。 目に見えるところではなく、目に見えないところにもある。 それらを意識して行動を選択してみよう。 その方が今後生きていくうえで大切なものを感じることができるだろう。」 (このメルマガのサイトはこちら) 以上ですが、今回の出来事と照らし合わせるとこういう考えが出来るかどうかがポイントなのかなぁ・・と感じています。 そう!これからもず~っとコンサドーレを愛する人たちが気持ち良く応援し続ける為に・・
鹿ですが
Re:「メルマガ」で考えさせられた・・
2008-12-11 15:51
この前の鹿ですが、あまり深刻に考えないでいいのでは? その土地にその風土にあった地域性があるのと同様にそのクラブにあった雰囲気が自然とサポの中にできると思いますよ。 我々は今回のコンサコールは優勝した喜びの勢い、上から目線でやった気持ちの方が帰って来いよの気持ちより強いと思ってます。 只でさえ、優勝セレモニーなんて見たくも無い物見せられて、やっと回ってきたホーム最終節・三浦監督最後の挨拶です。 そこで鹿がコンサコールをするべきではなかった。 少なくともコンササポが鹿島コールをしない限りは、と考えます。 俺達の時間を馬鹿島なぞに邪魔されたくない、上から目線のコンサコールなぞ屈辱以外の何物でもないと思うコンサコアサポがいても全く自然な事だと思います。 我々は97年のCSでジュビロの優勝セレモニーに乱入した過去があります。今年も埼スタと日立台でやらかしてます。 それを肯定する気は全くありませんがコアサポがキレる気持ちは十分理解できます。 土曜の夜はあちこちでコンササポから優勝へのお祝いの言葉を頂きました。 それはとても新鮮であり驚きでした。 試合が終われば敵も味方も無く互いに健闘を称えあうというノーサイドの精神は素晴らしいものです。 とても我々に真似できる物では無いなと思いました。 でも、悔しさとかが感じられずこいつ等ヌルいんじゃね?と思ってしまったのはコンササポが人間出来てて悔しさを押し殺して笑顔で対応してくれてるんですよね? 表面的なサポーター理想論では、コンササポは100点満点だと思いました。 でも、クラブと共に闘う集団としてのサポとして考えるとどうかな? 降格決定して最後の挨拶で拍手もしない、鹿島のコンサコールも無視。 そんな骨のあるコアサポ大事にして下さい。 きっと素晴らしいゴール裏作ってくれるよ。 そして、どうしてもそれだけはやっちゃいけない事をしそうになった時だけ止めてあげて下さい。 やらかしちゃったら反省させて下さい。 素晴らしいサポーター集団になると思いますよ。 本当に優勝称えられてびっくりしちゃいましたが、嬉しかったのも事実です。 その部分ではコンササポって素晴らしいなと思う自分も当然いました。 そこは伸ばして行って下さい。 ヌルさと優しさの線引きは困難ですが、あなた達なら可能な気がします。 ただ、02のカシスタでのコンサコールは帰って来いよコールだった事は覚えていて下さい。 あれはホームチームからの呼びかけですから今回のコンサコールとは重さが違います。 だんだん何を言っているのか判らなくなって来ましたので、この辺で失礼します。 10年に合まみえる頃を楽しみにしています。
もどき
Re:「メルマガ」で考えさせられた・・
2008-12-13 22:22
>鹿ですがさん 今回の件があっていろんな事を考えさせられて・・ 本当に難しいものですね。 かなり長いコメントを頂いている中に「なるほどなぁ」と思う部分も多々あり、根っこの部分では同じサポ仲間なんだなぁと感じています。 そうですね、10年にまた合まみえましょう!
プロフィール
HN:もどき、一昔前まではTOMY。 いずれも名前からつけたのですが、要は名前が「智樹っぽい」ってことです。 で、生まれは札幌で12歳の時に苫小牧へに移り住む。 サッカーに限らず、スポーツは大好きで特に国や郷土・母校などが関係すると熱くなってしまう。従いましてエントリーは「コンサドーレ関連」に限らず、いろんなスポーツの話題にも触れていきます。 1997年から札幌で応援していたが、転勤の為2001年に横浜へ。その後、仙台→大阪を経て再び横浜在住となるものの2009年の春に逆単身赴任で札幌へ。そして2011夏、再び酷暑の関東に復帰です! 40代ギリギリ、会社員で二人の娘の父。
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