2008年07月26日
第90回全国高校野球の地区予選も佳境に入ってきました。
昨日は仕事は休みを頂いて横浜スタジアムへ北神奈川大会の準決勝「慶應義塾-桐光学園」戦の応援に出向きました。
試合開始の11:00には既に32度を超えるという過酷なコンデションの中で両校の選手達は気迫溢れる素晴らしいプレーを見せてくれましたが結果は5-2で慶應義塾の勝利。残念ながら桐光学園の2年連続甲子園出場とはなりませんでした・・・
この両校は3年前の決勝、そして昨年の準決勝でも対戦し、いずれも桐光学園が逆転勝ちを収めている。しかも、いずれの試合も逆転のドラマが起こったのは7回だった。
昨日の試合も序盤からペースを握るのは慶應。桐光が追加点を与えずについていくという展開となり、3-0で運命となる7回の攻防を迎えた。
試合後のインタビューで慶應の選手は「リードしていても桐光は必ず追いついてくる。逆転されるのを覚悟して7回を迎えようと開き直った」と話した。
その7回に慶應は2死1塁から桐光を突き放す2ランホームランで5-0。
過去の敗戦では出来なかったダメ押し点を運命の7回にもぎ取る。
その裏の桐光の攻撃。
先輩達が築き上げた歴史を選手が知っているのはもちろんのことスタンドもこの回の逆転を信じ、この試合最大の盛り上がりを見せる。
ここまで好投の慶應のエース、力道山の孫にあたる田村投手をマウンドから引きずり下ろし、2番手の只野投手から2点をもぎ取る。
更に桐光は2死ながらランナーは1、2塁で3番の建部君のカウントは2-3。
ネクストバッタ-サークルには4番の奥野君。「奥野まで廻せば一気に逆転出来る!」選手もスタンドの誰もがそう信じていた。
奥野君は昨年の決勝戦となる東海大相模戦で、本塁上で相手選手とのクロスプレーでチームは甲子園に出場しながら甲子園でのプレーが出来なかった。だから彼が一番「今年こそ甲子園でプレーする」の思いが強かっただろうし、彼に廻せば何かが起きると誰もが思ったのだった。
結果は建部君が内野ゴロに倒れ、7回の反撃は2点で終了。
この時の慶應ナインと監督のガッツポーズと桐光ナインの悔しがる姿を見た時点で勝利の女神は慶應に微笑んだと感じた。
最終回となる9回の桐光の攻撃。
スタンドからは7回の攻撃時に演奏される「必殺仕事人」のファンファーレが鳴った。でも、そこには既に勢いは無く「7回の幻想」にすがるしかないように感じられた。
負けたのは残念だが「7回に何かが起きる!」という幻想は昨日で終わりだ。
新チームには、また新しい「桐光野球」の歴史を作って欲しい。
この結果、北神奈川の決勝は「慶應義塾-東海大相模」となりました。
どちらも毎年のように神奈川の優勝候補の上がるチームですが、慶應が勝てば46年振り、東海大相模が勝てば31年振りの夏の甲子園出場となります。
神奈川で代表になるのは本当に大変なこと。
どちらが代表になっても激戦区神奈川の代表として甲子園で暴れて貰いたい!
本日のカード
スマートな応援は流石です。
こちらは全校応援で選手にパワーを与えます!
桐の先発はエース、鈴木君。
慶應の先発は力道山の孫でもあるエース左腕、田村君。
ピンチにはマウンド上に集まり凌いできたが・・・
残念ながら敗戦。
桐光の分まで頑張れ!
今年も熱い夏をありがとう!
プロフィール
HN:もどき、一昔前まではTOMY。 いずれも名前からつけたのですが、要は名前が「智樹っぽい」ってことです。 で、生まれは札幌で12歳の時に苫小牧へに移り住む。 サッカーに限らず、スポーツは大好きで特に国や郷土・母校などが関係すると熱くなってしまう。従いましてエントリーは「コンサドーレ関連」に限らず、いろんなスポーツの話題にも触れていきます。 1997年から札幌で応援していたが、転勤の為2001年に横浜へ。その後、仙台→大阪を経て再び横浜在住となるものの2009年の春に逆単身赴任で札幌へ。そして2011夏、再び酷暑の関東に復帰です! 40代ギリギリ、会社員で二人の娘の父。
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