2007年12月28日
すべてのきっかけはホベルッチだった。 2003年、MF背番号10番。 当時、ホベルッチは日本にすごく興味があり、日本語を勉強中でした。 覚えたばかりの日本語をよくしゃべっていた。 新人のホペイロの僕に、 毎日新しくおぼえた日本語で話しかけてくれた。 片言の日本語を話すブラジル人が面白く見えた。 そこで、片言のポルトガル語を話す日本人も、 ブラジル人にとって面白いのではと思い、勉強を始めた。 次の日の朝から勉強は始まった。 先生はホベルッチ。(以下ホベ) ホベ 「オハヨウゴザイマース」 純平 「オハヨウゴザイマス、ブラジル何?」 ホベ 「ボン ジーア」 純平 「ボン ジーア ホベ」 これから毎日 「~、ブラジル何?」 「~、ポルトゲース何?」 「~、ポルトゲース オケ?」 と、徐々におぼえて言った。 ホベルッチもまた知りたい言葉を僕に良く聞いてきて、 お互いに勉強しあった。 続く
2007年12月27日
良いクリスマスを過ごせましたでしょうか? 当店のクリスマス会も無事終わりました。 サポーターの温かい気持ちに大変感謝しております。 蹴玉の男達 第2弾は外国人です! コンサドーレ札幌の 元自称外国人担当だった純平がエピソードをお話します。 コンサドーレには、 毎年いろんな外国人が加入してきます。 実際に僕がユニフォームを洗濯した外国人は、 15人! 2003年 ジョアン マルセロ マザロッピ トーレス チャンさん ウィル ベット ホベルッチ ウリダ ビタウ アンドラジーニャ 2005年 徐 デルリス 2006年 フッキ セバスティアン みんな本当の友達になりました。
ブラジルに帰っても国際電話で話したりしています。 最近では、今年緑のチームで活躍してた選手から、 自慢の電話がきました。 (最近クルクルパーという言葉をおぼえたらしく連呼していた) 今回は2003年のDFコーチ トーレスについて話をします。
トーレスはコンサドーレ退職後、 ヨーロッパのナショナルチームのコーチを経て、 ブラジル人選手の代理人として日本に来ました。 その時、予め電話をくれて 「JUN(ジョアンがつけてくれたニックネーム) 明日札幌に行くから、晩御飯食べに行こうよ!」 と誘ってくれました。 僕はうれしくて、札幌駅の近くのホテルまで迎えに行った。 トーレス 「JUN久しぶり、元気?」 純平 「元気だよ。僕にオファーがあって日本に来たの?」 トーレス 「JUNと寿司が食べたくて」 純平 「わかった、寿司を食べてから、仕事の話だね?」 トーレス 「寿司を食べたら時差ボケがすごいからホテルで寝るよ」 純平 「じゃあ、寿司を食べながら、契約をしよう」 これを片言のポルトガル語と片言の日本語で話しながら、 寿司屋に向かった。 寿司屋で、 ジョアンやマザロッピ、ビタウ、アンドラジーニャ達が元気でやっているかなど質問攻めをした。 一緒に生活を共にし、戦ってきた仲間達の近況が聞けてうれしくなった。 トーレスからも当時のチーム状況や、 監督、選手について質問攻めにあったが、何とか説明できた。 時にはメモ帳に絵を書いて伝えた。 言葉も文化も違う、 地球の裏側からやってきたトーレスと本当に楽しい時間を過ごす事が出来た。 片言でも思っている事を伝えようと思えば、 伝えられるものだなと思った。 帰り際にトーレスから 「オフになったらブラジルに遊びにおいでよ」と言われた。 本当に行きたくて調整したが、 オフの日程がなかなか確定しなかったことと、 飛行機代の高額さに断念。 毎年、オフが近づくとブラジルに行きたいと思っていたが、 オフの日程が天皇杯の結果と選手の移籍、 トライアウト、 翌年の日程によってなかなか決まらないので、 いまだにブラジルに行けていない。 いつかは絶対に行く。 出来ればブラジルで仕事(焼き鳥屋?)をして生活をしてみたい。 ブラジルに住んで、文化を学んで、 サッカーを観て、パワーアップしたホペイロとして(?)また札幌に…
2007年12月26日
岳さんと僕のある日の会話をお話します。
ある冬、
練習場にはいつもベンツでご出勤の岳さんが、
その日はタクシーで登場。
僕は、クラブハウスの玄関前を除雪をしていた。
純平 「岳さん、おはようございます!」
岳さん 「事件が起こったぞ!」
純平 「タクシー代足りないんすか?」 岳さん 「馬鹿ヤロー!!車のタイヤが盗まれた」 純平 「あははははは(大爆笑)」 岳さん 「純平!頭出せ」 いつものように「愛のかわいがり」が飛んできた。 (今までに岳さんの拳骨を1●●●発はくらっている) 終いには 岳さん 「お前だろ、盗んだの!」 純平 「ただでもいらないです!」 岳さん 「頭出せ」! ゴツン! そんなやり取りを一日中していた。 練習が終わり。選手が帰り始めた頃、 岳さん 「わりぃ、純平帰り送ってくんない?」(弱気) 純平 「無理ッス」(強気) 岳さん 「今日だけ頼むよ」(弱気) 純平 「俺今いそがしイッスから、他の選手に送ってもらえばいいじゃないッスか」(強気) 岳さん 「それなんか、わりぃじゃん」(弱気) 純平 「俺にもわるいッスよ」(強気) 岳さん 「お前変わったな」(徐々に強気) 純平 「変わってなイッスよ」(徐々に弱気) 岳さん 「いいよもう。もうお前にたのまねーよ。冷てーなー。」(不機嫌) 純平 「岳さん、送っていこうか?」(弱気) 岳さん 「いいの?」(ご機嫌) 結局断りきれずに送っていくはめに。 でも送る途中にハンバーガーを買ってもらった。 (ちなみに、岳さんはテリヤキバーガーが好き) そして次の日の練習後 岳さん 「おい、純平!早く帰るぞ!」 純平 「!!昨日タイヤ買わなかったんですか?」 岳さん 「まあ、楽しく帰ろーや」 これからシーズン終了まで朝はタクシー、 帰りは純平タクシーでご通勤となった。
2007年12月21日
もう少しすると、クリスマス! そして、お正月! 今回からは、 ホペイロの話はしばらくお休みにして、 僕の前を通り過ぎていった、 蹴男達の話をしていきます。 第一弾は、 12月にサンタとして、店に来てもらえる筈だった 僕の兄貴分である 堀井岳也 さんから始めます。
岳さんとの出会いは、 僕が2003年にHFCに入社した時です。 岳さんを兄貴と慕うようになったのは、 いい意味で可愛がってもらったのもあるが、 選手のサッカーに対する考え方、 どんな気持ちでやっているのか、 選手がホペイロに何を求めているのか、 など、僕がホペイロとしてやっていく上で役に立つ情報を沢山くれた。 プロサッカー選手としての魅力がある選手だった。 チーム在席時に、2人で食事に行ったり、 アウェー前泊時にホテルでよく話をした。 最後に会ったのは、2006年の12月。 仙台での天皇杯VS甲府戦で岳さんの引退セレモニーがありました。 試合後に岳さんがホテルまで迎えに来てくれて、 牛タンを食べに行った。 その時に、コンサドーレをやめて焼き鳥屋をやりたいと相談した。 今でも「店の調子はどうだ?」など気にかけてくれている。 親しくなる前は、人見知りをするところもあるし、 ストイックぶっているので近寄りづらい存在だった。 しかし、打ち解けあうと、どんどん岳さんのペースにはまって行った。 岳さんから僕になにか用があるときには、 決まって 「おい、純平!集合だ」 と呼ばれる。 別の仕事をしている時や、他の選手と話している時に、 「ちょっと待ってください」と言うと、 「早くしろ!」 といつも言われる。 しかし早くしろと言うわりに緊急な用事はまずない・・・(笑) 続く 焼鳥純平はクリスマス会を企画しています。 詳細は別blogを見てください! (見たい人だけで良いです!) http://blog.livedoor.jp/junpei8910/
2007年12月14日
練習が始まりました。 練習では、 玉拾い、 選手のスパイク、GKグローブの交換に対応します。 紅白戦の時は、アシスタントレフリーになります。 「オフサイドだ!」 「いや、違うぞ!」 「スローインが逆だ!」 とかいろいろ言われ放題。
練習が終了すると、自主練習をする選手を手伝う。 それがすべて終わると、 練習用具を片付け、洗濯開始。 選手が脱いだ練習着をどんどん洗濯機に投げ込んでいく。 クラブハウスには 業務用の洗濯機3台と家庭用の大型3台、 業務用乾燥機3台、家庭用3台あります。 これをフル稼働! ロッカールームでゆっくりしている選手には、 「早く着替えて」 とプレッシャーをかける。僕がいつもうるさく言うので、 わざと着替えない選手や、 洗濯物を入れるかごの外にわざと脱ぎ捨てる選手 (背番号は●番です) がいる。 ⇒選手の行為に悪意はないですよ!冗談でやっているのです。 いつも最後のほうに着替え終わるのは、 G●、●番、1●番、5●番 筋トレやストレッチが長い選手が残る。 洗濯にかかる時間は約3時間。 洗濯中には 発注して欲しいスパイクを聞いたり、 愚痴を聞いたり、と いつもバタバタしている。 洗濯が終わると、 先程選手から聞いたスパイクの発注 トイレットペーパーや洗濯洗剤の買出し ツムさんと今日あったことやスケジュールの確認等をして 業務終了!! これが通常の1日の流れです。 試合の準備や、 練習場が変わる場合の準備、 キャンプの準備、 イベントの準備、 練習試合、 サテライトリーグ、 遠征の準備・手配 は、この通常業務がすべて終わってから始まる。 それがすべて終わると、クラブハウスの風呂に入り、 ようやく帰宅。 もう朝といったこともありました。 20代前半だからこなせた気もしますが、 今では良い思い出です。 ホペイロの1日(完)
2007年12月11日
スタッフと選手が出勤してきた後も、色々あります。
練習1時間前、監督室に行き、
監督に練習用具の確認をします。
練習用具は何が必要なのか?
ゴールを運んでおく位置の確認もします。
ビブスの種類と枚数の確認もしなくては・・・
次は
GKコーチ
フィジカルコーチ
アシスタントコーチ
トレーナー
各コーチ陣と練習用具についての確認。
出し忘れ等があると、
練習がスムーズに行えないため為、
集中!
まだまだ、練習前にホペイロ(家政婦)は段取りします。 練習40分前位から、練習用の水を作り始めます。 30分前位からは、ボール等の練習用具を準備し始める。 空気圧計で計りながら40個のボールをすべて均一の硬さにします。 練習用具の準備は2004年からチームと監督の指示により、 若手選手も手伝うようになっりました。(感謝) 練習10分前位になると監督に指示されたとおりに、 選手達に手伝ってもらってゴールを移動します。 この間にも選手から、 「あのスパイク出してくれ」 「頼んであったスパイクいつ届く?」 「ガムちょうだい」 との声が掛かります。 それからチョットだけ、 選手とボール回しをして遊んでいると、 監督から集合がかかりミーティングをして ようやく練習開始!!です。続く・・・ ちょっと告知させて下さい。 焼鳥純平では、 サポーターとのクリスマス会を企画します。 詳細は後日、お店のblogにアップしますので、 興味がある方は、たまに覗いてください。 http://blog.livedoor.jp/junpei8910/ よろしくお願いします。
2007年12月06日
次は家政婦(ホペイロ)の1日をお見せしましょう。 ホペイロの1日は、 クラブハウスの掃除から始まる クラブハウスに行くのは、練習の約2時間前。 チームの中で1番早くに到着。 まず、クラブハウスの駐車場の門の鍵を開け、 クラブハウスの鍵を開けます。 クラブハウスは限られた人しか、 開ける事が出来ない仕組みになっています。 中に入り、練習着に着替え、ここから仕事モードに入る。
まずは、掃き掃除。 監督室、スタッフルーム、 選手ロッカー、筋トレルーム、 リラックスルーム、風呂、 トイレ、廊下、玄関これはクラブハウスの風呂です。 (泳いじゃ駄目よ!と貼紙があります!) それが終わるとゴミをまとめて、 ゴミ捨て、シャンプー、ボディーソープ、 トイレットペーパー、紙コップ補充。 新聞を取りに行き、スタッフルームに並べ、 スタッフ用のコーヒーをおとす。 すると徐々にスタッフと選手が出勤してきます。 続く
2007年12月05日
我がコンサドーレは無事優勝も果たし、 僕も卒業生(?)として、 第2の人生を頑張ろうと胸に誓っております。 前回の話よりだいぶ時間が経ってしまいましたが、 ホペイロのお仕事の続きを書きます。 (コンサドーレの)ホペイロのお仕事ランキング があるとすれば、上位に位置するお仕事! それは、 洗濯です。
クラブハウスには、 業務用の洗濯機3台と家庭用の大型3台があります。 乾燥機も業務用乾燥機3台、家庭用3台がある これらをフル稼働させます。 1回の練習で洗濯にかかる時間は約3時間。 これが合宿ともなると、1日2回! 主婦の方の一年分の洗濯物を、 僕は何日でこなしているのだろうと考えた事もあった。 素材によって乾燥機を使えないもの(ユニフォーム等)は、 ハンガーにかけて自然乾燥させる、 それも莫大な量。一番大変なのは、アウェー用の白のユニフォーム。 芝の色は洗濯機では落ちない為、洗濯機で一度洗ったあと、 ゴム手袋をはき、漂白剤でもみもみし、 一定時間放置した後、もう一度洗濯機にいれる。 白のユニフォームはやめてと何度思った事か。 他のプロサッカーチームでは、 ユニフォームはすべてクリーニング屋に出している。 (うらやましい…) この他に、 普段の練習着も選手、スタッフ、全員分を毎日1人でやっていた。 このように、ホペイロとはチームの家政婦なのであります。
2007年10月16日
今日は寒いですね、純平です。
'寒くてもTシャツ・短パン!
これがホペイロの基本です(嘘)'
前回(ホペイロ誕生)までのblogを読んで、
「なんだ、簡単にホペイロになれるんだ!」
と、思われた方もいると思います。
僕自身も、
「こんな簡単に採用されてよいものか?」
とも、思いました。
じゃあ、「ホペイロの仕事は、簡単だったか? 楽しかったか?」
との質問があったとすれば、
「体力とやる気と愛情がないと長くは続かない。」 と、言うのが僕なりの結論です。 今回からは、ホペイロの仕事について書いていこうと思います。 ホペイロとはポルトガル語で「用具係」の意味です。 具体的な仕事は、選手の練習着管理やボールや、 スパイク等の用具管理を行ないます。 日本では、 「毎日スパイクを磨いている下っ端係り」 と、言ったイメージだが、 ブラジル人選手には 「(ホペイロは)監督の次に尊敬される存在だ!」 と、よく言われました。 (お世辞かな…、でもこの一言が僕の生甲斐でもありました!) 選手がプレイする上で、一番大切なアイテムであるスパイクを預けるわけですので、 信頼関係がないと、なかなか他人に預ける事は出来ない。 そのため、試合にはいつもいい状態で入れるよう、 ピカピカに磨くことは当然です。続く
2007年10月01日
無事にラジオ出演も終わりましたので、
話を続けます。
それから、仕事の説明を受けた。
ツムさんから、
「仕事を3日で覚えてくれ!」
と、言われた。
冗談だと思って笑っていたが、
ツムさんの顔を覗いてみると……
「笑っていない、やばいこの人マジだ!」 話を聞くと、ツムさんもこの日からマネージャーになったばかり… 僕なんかに仕事をゆっくり教えている時間など無いらしい。 「一度に全部説明しても覚えられないと思うから・・・」 「とりあえず、選手とスタッフの背番号、名前 年齢、練習着のサイズ、スパイクのサイズ」 「それと、(各選手が)契約しているスパイクのメーカー、 クラブハウスにあるスパイクが誰の物かを、明日までに全部覚えてきて!」 と、サラッと言われた。 そして後ろを振り返ると、 「ここは靴屋の倉庫か!!」 と、見間違うばかりのスパイクが置いてあった。 ユニフォームを確認してみると、 「ここは、スポーツデポの倉庫か!!」 と、見間違うばかりのユニフォームが置いてあった。 正直な話、僕はコンサドーレに入社するまでに、 知っている選手は数名程しかいなかった。 物覚えの悪い僕は、 一週間ジャージのポケットに選手名鑑を忍ばせ、 カンニングをしながら、選手とコミュニケーションをとっていた。 この先どういう生活を自分はするのか、 自分の役割は何なのか良くわからないまま、 ただ頑張ろうという気持ちだけでスタートした。 こうして、僕はホペイロになった。 (完) 新人ホペイロ純平の誕生編
2007年09月28日
大パニック! となったが、 なんとか全員に挨拶することで切り抜けた。 それから、ツムさんの仕切りで自己紹介が始まった。 監督のジョアンから、 「どうしてホペイロをやりたいと思ったのか?」 「家族のことでも彼女のことでも、最近あった話、 何でもいいから話してくれ」 「今から時間を30分あげよう」 と、言われた。 緊張&パニック状態の僕は、頭の中が真っ白になり、 「南谷純平です。頑張りますので宜しくお願いします。」 ・・・・・終了。
ジョアンから、 「じゃあ後で選手に紹介する時は、残りの29分しっかり使ってよ!」 と、笑いながら言われた。 もともと人前で話す事が得意ではない上に、 プロサッカーチームの監督や選手の前で30分も話せるわけがない。 しかしながら、いろいろ頭の中で話すことを考え抜いたが、 その結果は、 結局選手の前でも、「頑張ります!」 ・・・・・終了。 後でツムさんからもっと笑いを取れと怒られた。 自己紹介の後、スタッフ用の練習着をもらい、袖を通した。 胸にはコンサドーレ札幌のワッペン。 このシャツを着れる事を誇りに思った。 無念の自己紹介の後、仕事の説明を受けた。 …第4話に続く。
2007年09月27日
そんなこんなで、僕は無事面接に合格した。
翌日、緊張しながら、
初めて宮の沢のクラブハウスに行くこととなった。
面接時にお会いしたツムさんが、
クラブハウスの入り口で待っていてくれた。
ツムさんの隣にいたのは、通訳のウリセスだった。
ホペイロになるまで、コンサドーレについてあまり詳しくなかった為、
通訳の存在にビックリ。
顔は外人だが国籍は日本人とのこと。
「ウリです宜しく!」
と、彼は陽気に話しかけてくれた。
「随分フレンドリーなおじさんだなぁ!」 と、僕は咄嗟に思った。 その後、彼はこう言った。
「同じ年だね!宜しく!」 …しばらくの間、 僕は彼の年齢を本当に信じていなかった。 クラブハウスの入り口を通り、 「じゃあまず監督を紹介するから」 と言われ、緊張のままスタッフルームに通された。 !!!!!!!!!! そこは、まるで外国だった。 スタッフルームの中には、 ジョアン マルセロ マザロッピ ウリセス ツムさん 三浦コーチ 張さん ・・・そして入社1日目、新人ホペイロ純平 当時21歳!! 会話はほとんどポルトガル語。 何の話かまったく理解出来なかったが、 みんな楽しそうに笑っていて、異様な空気が漂っていた。 僕はびびったが、 まず監督に挨拶せねばと思い見回した。 「多分あの人が監督だっ!」 と思って、挨拶した相手は マザロッピ!! 大パニック!! …第3話に続く。 似顔絵はこちらから、拝借しました。 http://www.ogumen.com/OGURUMA~TA/oguruma-ta.cgi?ct=%97%E9%96%D8%83E%83%8A%83Z%83X&ssh=off
2007年09月26日
南谷純平です。 僕は今年の1月まで、コンサドーレ札幌の用具係(ホペイロ)でした。 この経験は、僕にとってとても貴重なものであり、 こうやって自分の店(焼鳥店)を持てたのも、 コンサドーレを通したいろいろな出会いがあったからだと思います。 今コンサドーレは、昇格レースの最後の戦いの真っ最中です。 現場から離れたばかりですので、 現在の試合に対してコメントするのは、 中々心苦しい心境です… そこで、僕から見たコンサドーレ札幌の思い出話等を、 文章にしていきたいと思います。 まず僕がホペイロになる時の話から、始めたいと思います。 新人ホペイロ純平の誕生 コンサドーレに加入したのは2003年4月、 僕が21歳の時だった。 北区の少年サッカーチームでコーチをしていたある日、 「コンサドーレで人が足りないからすぐに働けないか?」 との電話をもらった。 正直なところ、仕事内容もよくわかっていなかったが、 「是非やりたい!」と即座に返事をした。 「じゃあ直接、管理部の部長に電話して!」と言われ、早速連絡すると、 「明日の夕方に面接に来て欲しい」と言われた。 面接場所は後の村野食堂だった。 ほとんど着た事の無いスーツに着替え、履歴書を持参し、 「何を話そうか?どうアピールしようか?」 などいろいろ返答を考えながら、村野食堂に行った。 面接は部長、としさんと津村マネージャー (以下ツムさん)が同席して面接が始まった。 まず履歴書を手渡すと、すぐに質問された。 「純平君はサッカー好きか?」 「はい、好きです!!」 「じゃあ、大丈夫だ!!」 以上で面接は終了だった・・・
「じゃあ明日から来てくれ!、明後日から室蘭キャンプね!」 と彼らは言い、 話題はチーム内の問題や、 今後の展望について3者でミーティングを始めた。 その打合せ時間は・・・4時間 僕はまったく持って蚊帳の外。 ただ彼らの話を緊張しながら聞いていた。 その会議も終わり、帰り際に部長からこう言われたのを今でも覚えている。 「今まで沢山の人を面接してきたけど、 純平は大丈夫、一生懸命やってくれるだろう」 正直なところ、自分が何故ホペイロに採用されたかは、 まったくわからなかった。 ただ、期待に応えられるよう、絶対に頑張ろうとこの時決意した。 ここからコンサドーレ札幌のホペイロとしての生活が始まった。 …第2話に続く
プロフィール
元ホペイロの南谷純平です。 2003年~2006年まで コンサドーレ札幌のエキップマネージャーとしてチームをサポートしてきました。 現在はコンサドーレの話題がいつも聞こえてくる店を目指して 琴似で焼鳥店を営んでおります!
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