2009年12月31日
今年も残り少なくなってきました。 きっと皆さんもお酒を飲んでいい感じでご機嫌な方もいらっしゃればこれからお仕事って方もいらっしゃるでしょう。 さて、このブログ恒例のお約束を展開します。もしよかったらお付き合いください・・・
変わる素晴らしさ、変わらない美しさ 11月29日、札幌ドームで曽田雄志が引退セレモニーに発した最初の言葉です。この言葉に皆さんも何か感じるものはあったのではないでしょうか? 今日は僕の中での「変わる素晴らしさ、変わらない美しさ」ってのを書いていこうかなと考えています。 変わる素晴らしさ 人間って意外と頑固なもので自分自身を変化させるっていうのはとても大変なことです。性格や考え方、スタンスなど一度定まったことを変えるのは非常に容易ではありません。 それはそれでいいと思う、だってそれはその人のアイデンティティだから。でもそれが原因で近視眼的な視野であってはいけないと思う。 今月、僕自身のことですが仕事の面で他部署へのレンタル移籍をしてみて自分の部署のストロングポイントやウィークポイントがよくわかった。また他部署の仕事を経験したことで自分自身の仕事面でのスキルの向上にも繋がったと思う。 同じ仕事でもところ違えば仕事における取り組みとかスタンス、考え方等々ありとあらゆるものが違って見える、まるで別世界。でもそれを大変と思うのではなくむしろ「楽しむ」ようでなくてはいけないと短い期間ではあったけど痛感しました。 そして今現在所属している部署に戻れたことを感謝しているし今の仕事に対するモチベーションも上がった。自分自身仕事の面で変化したと感じました。この変化は歓迎すべきものだと思うのです。 たとえばサッカー。 今年J1、J2あわせて36のチームが戦いましたがまったく同じチームというのはひとつもない。戦術、戦力、チームカラー等々まったく違う。もちろん自分が応援するチームに着目し続けていいんだけど、他のチームのしていることにも目を向けるとサッカーにおける視野が広がってくる。もっといえばJ以外でも他の国のリーグを見てみるってのもアリじゃないだろうか?僕自身Kリーグの試合を生で観戦してJとの違いを感じることもできました。 視野を広げる、視野を変化するだけで自分の物の見方の裾野がすごく広くなる。これっていろんな意味で得をすることではないか?と思うのです。そしてそれは素晴らしいことではないだろうか? 変わらない美しさ いつまでもいつまでも続く友情というものは本当に美しいものだなと思うのです。 つい先日も一緒にお酒を飲んだサポ友さんからこんな事を仰っていました。 「コンサドーレというひとつの共通項でこうやって友情を築くことができるのは大変幸せなことだ」 本当にそう思う。それ以上言葉にならない・・・ 友情って本当にかけがえのないもの、お金に換える事の出来ない貴重で大切で・・・ もちろんコンササポだからっていう枠組みだけじゃなく色んなリレーションがある。会社の同僚、昔からの付き合いがある人たち、ロッテファン、そして・・・ みんなみんな本当に大切なものでこの関係はいつまでもいつまでも変わらないでいてほしい。 変わる素晴らしさ、変わらない美しさ 皆さんにとってそれはどんなものなのでしょうか?
この記事を持って09年のブログ更新を終了します。今年1年このブログを読んでくださってありがとうございました。
2009年11月30日
ども~w まだまだ昨日の余韻に浸っている状態もありますが、仕事が休みな僕にとって今日一日は掃除洗濯買い物ご飯支度・・・って完璧主婦の仕事をこなしていましたww そして昨日は内藤VS亀田の試合もありましたしね・・・その辺は明日でも書こうかなと思います。 さて、月末なのでいつものお約束を展開しようかなと。対して面白くないので興味のない方はどうぞスルーされてくださいw
年は取るものではない、年は重ねるものだ 以前、北海道で超有名なラジオのパーソナリティーがそんな事を仰っていたという記憶があります。 年を取るのではなく年を重ねる・・・簡単だけどすごく深い言葉だなっていつも感じてしまいます。 子供のころ、少しでも早く大人になりたかった。クルマの運転ができるようになりたい。働いてお金をいっぱい貯めて、結婚して、家を建てて・・・父親になって・・・って漠然だけど将来のヴィジョンを夢見ていたけど子供の時では到底出来ないことだった。 大人になりたい・・・ すごく単純な事なんだけど、そう考える事がいかに浅はかなことかってのは実際に大人になってから嫌というほど経験した。 働くって大変。人間関係もややこしい。溜まるのはお金じゃなくストレスとフラストレーションばかり・・・ ただ大人になって苦労や大変なことも経験できたけどそんな経験って実は今後の成功のカギだったりするんですよね。実際に以前の職場での経験が今の職場でも相当活用されている。前の仕事のバックボーンが無かったら今の仕事でのポジションはないだろう。 いろんな事を経験し、学んでそれを適用し実践していく・・・ 年を重ねるってそんな意味があるのかなぁ?と思うようになってきました。 年を取るって言うとなんか老けこんでいく気がする。年を重ねるってことはいろんな経験を通じて人間としての円熟を増すことも関係するのかもしてない。今後もいろんな経験をしていい大人になりたいもんだ。 自分がこうして生まれ、生きてきていること、そして数十年前の今日、僕をこの世で生きる権利を与えてくれた両親にも感謝しつつ・・・
2009年10月31日
皆さんお疲れ様です。 天皇杯は残念な結果になってしまいましたねぇ・・・これについては明日書くとしましょうか・・・ そして日本シリーズも巨人が先勝しましたね。今回の日本シリーズに関しては明後日書くことにしましょうか・・・ww さて、月末なので色々と書くべきことがあると思うのですが空気を読まずカタイことを書かせていただこうかなと思います・・・
先日とあるテレビ番組を見て思ったことがありました。 その番組の中でひとつのテーマになっていたのは「学校の週休2日制を廃止して土曜日の学校の授業を復活させたらどうだ?」というものでした。 「じゃあ仮に土曜日に学校の授業を復活させて何を教えるのか?」という疑問が上がった時にテーマを提出した方は「道徳を教えるべきだ」と仰った。その理由が僕の中で引っかかるものがありました。 「今の子供たちってたとえば外に遊びに行ってもゲームばっかりしている。親子で会話をしている様子とか見られない。道徳の授業を通じて周りとの意見交換とか意思疎通を図れるように出来ないものか?」 ・・・実は僕自身すごく気になっている事でした。僕自身もDSを持っているしドームや厚別の開場前の時間つぶしには非常に重宝しています。韓国旅行に行った時にも翻訳ソフトを用いることで現地の人たちともコミュニケーションをとることもできた。活用次第では非常に有用なものです。 そんな中、僕自身色々と出かけることがあるのですが例えば家族でお出かけしている様子の中で子供はゲームに夢中・・・っていうのをよく目にしていました。それの良し悪しは各家庭の考え方なのでなんともいえない部分があるけど・・・ ある専門家の先生がこんなことを言っていたのをテレビかラジオで仰っていたことがあります。 「今の子供たちは携帯やパソコン、ゲーム機などを用いた閉鎖的なコミュニケーションは容易に出来るが実際に人と会って話をするという事が苦手になっている傾向がある」 メールやインターネット等々文字を打ってその文字の中で行うコミュニケーションは今の子供たちは大変得意だと僕も思います。ただ実際に会って挨拶してちゃんと返してくれる子供ってどれぐらいいるだろうか?メールなどではコミュニケーションを取るには非常に楽だと思う。だって顔を合わせなくてもいいから。 実は恥ずかしい話ですが僕の姪もその傾向があると思うのです。ここ最近会っていないので話すことはないのですが・・・前に会った時にはきちんと会話は出来ているものの、やっぱり目線はゲーム機・・・ってなってしまっている。 最終的には口から発する言葉ってのがなくなってしまってすべてメールとかPCや携帯を通じての閉鎖的なコミュニケーションがどんどん擁立されてしまうのだろうか? 人間たるもの自分の口で言葉を発しコミュニケーションを図るものだ・・・古い考えかもしれないけど「基本中の基本」だと僕は思うのです。 おはよう こんにちわ~ おやすみなさい・・・ 基本的な挨拶やもしくは・・・ 元気ですか? 大丈夫? お疲れ様~ という相手を気遣ったり労ったりする言葉ってのは口から発するものだと滋味深いものになりはしないだろうか?もっともっとオープンなコミュニケーション、意思疎通を図るべきだと思う。家庭でも職場でも学校でも・・・いろんな分野でも・・・ 僕自身携帯を使うこととかゲームに没頭するとかそうすることが決して悪いこととは思えない。ただそれに没頭するあまり「大切な機会を逃してはいないか?」というのが気になります。肝心な時に自分の口から「大切な一言」を発することが出来なくなってしまうのではないのか?そう心配もしてしまうのです、余計なお世話ですがw 僕自身、人とコミュニケーションを図る仕事をしているのでそのことをここ最近痛感することがあります。何事もバランスは大切・・・そう思うのです・・・
2009年09月30日
おはよーございます。 今日で9月も終わってしまいますねぇ。なんか最近1か月が最近やたらと早く過ぎ去るのを感じてしまいます・・・年ですかね?w さて、恒例の月末の記事を書かせていただきます。興味のある方だけご覧いただければ幸いです。
先日韓国に行った時のことです。 韓国人で恐らく60・・・近い男性の方とお話をする機会がありました。その方はとても英語が堪能で僕はその人と英語で話していました。 ・・・と、言っても僕自身の英語力は全然無いに等しい。一応英検3級の資格は持っていますがそれだって相当昔取得したもので高校卒業後英語を勉強することはなくなってしまいました。その間英語に接するとすれば洋楽のロックやユーロビートで聞く歌詞が英語っていう程度。 ただ現地に行くと日本語が使えないという状況ゆえに英語で喋ろうという意識が働くのでしょうね。褒められたものではないけど簡単なコミュニケーションを取れるほどになりました。 そんなこんなでその韓国人の男性とお話をしている中でこんなやり取りをしていました。ここで書く内容は日本語ですが実際には英語で話していました。そんな中で・・・ チョヌン ダイ ラグ ハムニダ(私の名前はダイです) と、まずは僕は韓国語で自己紹介をしました。でもその後が続かない・・・韓国語は一応勉強はしたけど中々頭に入りませんでした。すごく恥ずかしい思いをしたけどその人はこう言ってくれた・・・ 「いやぁ、韓国語うまいじゃないか!びっくりしたよ!」 ハッキリ言って思いっきりカタカナな発音で韓国語に精通している人に言わせると「そんなんじゃ通じない」ってダメだしを喰らうほどでしたから、それが韓国に生まれ育った人にそう言われて嬉しかった。もちろん本当の気持ちはどうなのかはわからない。でもこちらがコミュニケーションを少しでもしようとしていた努力を認めてくれての褒め言葉だと思う。僕はその褒め言葉を心から喜ぶことができました。 ・・・ 人間って相手の弱点や欠点を見つけるのは本当に簡単でしかもすばやく見つけることができるけど、その人が持つ「良い特質」ってのは簡単に見つけることって出来ないんじゃないでしょうか?むしろ見逃しやすいのかもしれない。 相手の良い部分を認め、それを褒める 言葉では書くと非常に簡単だけど実際に行うと本当に難しい。極端に例えるなら50cm×50cmの砂場で0.1カラットのダイヤを見つけるほどに難しいと思う。でもその砂場の中でもしダイヤを見つけたら・・・そのダイヤを本当に大事に扱うでしょう。 人間もそうだと思いました。特に自分なりに努力した点を認めてもらったのは本当に嬉しかったし自信にもなった。そのおかげでひとりでタクシーに乗ってソウルワールドカップスタジアムへ行ってサッカー観に行けちゃったしw 難しい事だけど相手のよい部分を見つけるということを行うだけの価値は絶対にあると思う。例えば仕事でも勉強でも褒められればモチベーションは非常に高くなる。「自分は必要とされている」と感じ自尊心だって芽生えてくる。 僕自身にはそれが出来ているか?そういったことは重要であることは前々から知っていて自分なりに実践してきたつもりだけど・・・本当にそれが出来ているだろうか?改めて自分自身を見つめなおすことができました。 相手の良い部分を探すというのはやっぱり「相手を愛する」ってのがひとつ寛容になってくると思うのです。日本人は「愛する」という表現をあまり使わないけどそれが一番重要なのかなぁ?と思うのです。 最近の社会は冷めきった感情しかないような気がします。劣悪な犯罪も冷淡で血の通った人間がするもんじゃないと思えるような、目を覆ってしまうようなことがある。そして自分勝手で周りのことを顧みないというような出来事も多い。もっともっと周りのことに目を向けて、しかも互いがリスペクトしあい、相手の良い部分を認め、褒め、それを讃える・・・そんな風になれたら・・・ まずは自分から。自分自身に適用していこう・・・
意外とどこかへ遠くに旅に行くというのは本当に自分自身を見つめなおすという意味でいいことなのかもしれない。だって気がつかないことを発見できたり、今まで気が付いていたことでも別の角度から新たな発見もあったりするし。 旅に出る前までは仕事やプライベートでのストレスや問題などいろいろと凹むこともあったんだけど、今回の旅で本当に力づけられたし新しい友人もいっぱいできた。同じツアーに参加した日本人の友達もそうだけど韓国人の友人もいっぱいできた。幾人かとはパソコンのメールを通じて今でも交流している。 なんかもう一度韓国へ行きたくなりました。そして機会があれば別の国へ旅に出かけるのもいいかもしれませんね。次韓国へ行く時にはもう少し英語と韓国語を勉強していこう・・・
2009年07月31日
おはよーございます。 昨日は今月最後のお仕事お休みの日でした。そんな中午前中は用事をこなし、ブログを更新したあとで恵庭までドライブに行くことが出来ました。ちょっとした気分転換にもなったし高速を久々に走ることも出来たし、いいリフレッシュにはなりました。 そして今日で7月も終わりなんですよねぇ・・・って事でこのブログ毎度の恒例のものを展開します。もしよろしければお付き合いくださいませ・・・
先日、よくこのブログへコメントをくださるボブ増尾さんのブログを拝見していました。その中で柏の選手たちがチームやサポーターに対して発していた言葉ってのが僕の胸に響いてきました。 「理屈じゃないんです。やっぱり柏が好きなんですよね。」@北嶋 「柏での1年にかけていた。死ぬ気でやったよ」@山根 「たとえバルセロナであっても、まわりから愛されない、尊敬されない、尊重されないというのなら私はサッカーはできない。最も私を愛し、認めてくれているのは柏レイソル。レイソルのためにプレーしたいという気持ちは変わらないでしょう」@フランサ 選手からそう言ってもらえる柏サポは幸せだと思う。
この記事を読んだあと、ふと考えた・・・ 「札幌はどうだろう?」 選手とサポーターは柏のように相思相愛なんだろうか? 余計なことなのかもしれないがそんな風に思ったりもしてしまった。 最近ブログで「サポーターとしての在り方」ということをテーマにした記事が目立つことがあります。みんないろんなスタンスがあって応援しているからそれはそれぞれ尊重されなくてはいけない。そういった中でこんな言葉を目にすることがあります。 サポーターは偉いのか? もちろん文面の捉え方等々によっては「いかにも上から目線」というのが感じてしまったのかもしれない。いろんな捉え方もあると思うけど僕は思うのです。 サポーターは偉い って。正確には「サポーターはみんな偉い」というべきでしょうか? 例えばSS席で観戦している人たちは偉いのではないか?一番高いチケットを購入してチームに貢献しているじゃないか。ファミリーシートに座っている家族でサポーターをしている方々も偉いじゃないか。だって日ハムっていう選択肢だってあるのにコンサドーレの試合観戦を選択しているんだから。 朝早くドームや厚別に行って並んで、そしてゴール裏で飛んで歌ってゲーフラを掲げて・・・ってやっているサポーターだって偉い。どんなスタイルだろうがなんだろうがサポーターとして頑張っている人たちは「みんな偉い」と思うのです。 そうやって思い思いの愛をコンサの選手たちに示してきたけどそれが「勝利」という形で結びつかない。当然結果も出ないからフラストレーションも出てくる。スポーツを愛するが故の宿命かもしれない。でも何より「選手とサポーターとの間にぶ厚い壁がある」ように思えてしょうがなかった。 でも最近その「壁」が少しずつ崩壊してきているような気がする。今まで僕が知っている中でこの前の函館のような試合終了後に選手がサポーターへ向けてトラメガでメッセージを送る事なんてなかったはず。そして愛媛戦からはサポーターとともに勝利の喜びを分かち合うようになってきた・・・ 僕らサポーターが選手を、チームを愛していき、チームが、そして選手たちが僕らサポーターを愛する・・・こんな「相思相愛」な関係が出来てさえくれば僕らはもっともっと強くなる。 皆さんはコンサドーレを愛してますか?もしね、選手が・・・ 「やっぱ札幌が好きなんだ」 「札幌のために必死で戦った」 「赤黒のユニを着るために札幌に来た」 ってなればサポ冥利にも尽きるじゃない。 今は確かにしんどい状況だけど本当にコンサドーレを愛しているならこれからも応援し続けて行きましょうよ。周りに野次とか罵声を上げる人がいても怯まずに選手に対して声援を掛けましょうよ。ゴール裏だろうが指定席とかもう関係なくどの席でも応援歌を歌って選手を鼓舞してあげましょうよ。 そしてスタジアムを最高の雰囲気にして選手に対して「愛を示していこう」じゃないですか!そうするときっと選手たちだってもっともっと答えてくれるはず・・・ たぶん(汗)
2009年06月30日
おはよーございます。 昨日仕事帰りに前の職場に用事があったので行きました。短い時間だったけど前の勤め先の雇主といろんな話が出来ました。僕自身疲れているときに前の職場で元気をもらっているような気がします。 さて、今日は月末です。久々に試合とかぶらない週末を迎えた気がします。そしていつものように月末って事でカタイ話を展開します。よかったらご覧ください。今月はちょっと長いです。
僕の会社の社訓・・・というかモットーとしていることがあります。それが今回のタイトルである「Service Mind」です。 サービスマインド・・・思いっきり固く訳すなら「奉仕の精神」って事でしょうか?その気持ちを持ち続けるようにと会社から要求されています。 実はつい最近もサービスマインドに注意を促す内容が展開されました。まあ会社の中で上司たちが勝手に作っているブログのようなものなのですが、それがちょっと考えさせられる内容でした。上司からの許可も得たのでここでちょっと紹介します。
ある10歳の女の子が友達の家に遊びにいった際のお話です。その女の子はいつも玄関できれいに靴を並べるそうです。 その姿にいつも感心していた友達の親御さんはある日、きっとしっかりしつけらえているんだろうと他意なくこう問いかけたそうです。 「いつもなんでそんなにきちんと靴をそろえるの?」 すると女の子はこう答えたそうです。 「だってその方がみんなも気持ちいいし、私もそうだもん!それに、靴だってその方が嬉しいと思うし。」 「なんで靴をそろえるの?」 大人がそう聞かれてもせいぜい「出るときにはきやすいでしょ」もしくは「見た目がいいから」。空気が読めない人は「そう教えられたから」でしょう。 「みんなも気持ちいい」し、「靴だってその方が嬉しい」からと答えられる大人はどれぐらいいるでしょうか。純粋で素直な子供だから言えるのかもしれません。 でも人だけでなく、物も喜ぶことをする・・・これこそ、本当の意味のサービスマインドなんじゃないか?
・・・この部分だけを読んだだけで僕の中ですごい衝撃が走った。ホントどっちが大人なんだ?って自分の幼さとかを本当に反省する機会になった。 誰かに・・・なにかに喜んでもらいたいという気持ち・・・ 最近の世の中ってこれを忘れている気がする。僕は会社まで自転車で通勤をしています。会社の近くにある無料の駐輪場、きっと札幌市が「ここは自転車やバイクを置く場所」ということで無償で市民に提供している区画だともう。その場所で毎朝おじさんが駐輪している自転車やバイクの列整理をしていた。その中で適当な駐輪の仕方をしているものもある。朝早くからおじさんがそんな乱雑に駐輪している自転車を整理しています。 人間って経験を重ねれば重ねるほど楽な方向へ逃げたくなる。でもそれって靴を煩雑に脱ぎ捨てるようなもの、決して美しくはない。そして喜びには結びつかないし単なる怠慢に過ぎないだろう。楽することばかりを考えていれば結果的に仕事は雑になるし結果も悪いものしか付いてこなくなる。面倒くさがってはよいサービスなんて提供できない。 以前僕は利他的な人間でありたいと書きました。今もそれに向けて努力中ですがやっぱり「楽な方へ逃げたい」という気持ちに駆られることがあります。でもそうであってはいけないんですよ。 クルマに乗って道路を走っている。その中で強引な追い越しをしたりスピードを出したり、道路へ平気でゴミを捨てたり・・・そんなのを見ると皆さんはそれを「カッコイイ」と感じますか?そうは思わないでしょう。そんなのを見ると残念に思うし憤りだって覚えるかもしれない。僕は「そんな運転手に運転されているクルマがかわいそう」って思えてきます。 サービスマインドというのは人をさわやかにする。クルマの運転でも気持ちよく道を譲ってもらったり、また道を譲った後に「ありがとう」って合図をもらったりすると嬉しいし気分もいい。何より安全運転に努めようという気持ちだって出てくる。クルマだってそんなドライバーに運転されることが嬉しいに決まっている。 自分が良ければそれでいい 自分の都合通りになればいい 人の事なんてどーだっていい こうであってはいけない。この上司の記事で改めて利他的な考え方を持ち続けていこうと思いました。 そして上司の記事は最後にこう締めくくっています。
ちなみにその10歳の女の子。
彼女は将来、美容師になりたいと言っていました。
きっと日々ハサミの手入れも欠かさず、ドレッサーや椅子も綺麗に磨いて最高のサービスを提供する美容師になることでしょう。
一度も美容室に行った事はないけどそんな美容室なら行ってみたいなぁと思いました。
・・・サービスマインド、この気持ちは絶対に忘れてはいけないし失ってもいけない・・・
2009年05月31日
どもw 日本代表がすっきりとした形で勝ちましたなwこの辺は明日書く事にしますね。 今日は5月31日・・・月末って事で勝手にやっているお約束を展開させていただければと思っております。 よかったらお暇つぶしにご覧いただければ幸いですw
5月10日・・・世間的には母の日でした。皆さんはお母様に感謝しましたか?また6月21日は父の日・・・こうやって両親に対して感謝を示す機会があるというのはいいことだと思うのです。 ただ、そういった決まりきった形式での感謝だけで本当にいいのか?という疑問が僕の中にはあります。今までもそんなことを考えていましたがその思いがここ最近強くなってきました。 人間は誰もが年を取って老いていく・・・これは避ける事の出来ない非情な現実。誰もがその現実を受け入れなくてはいけない。その前に自分の身近にいる存在がその現実を受け入れる姿を見る時に動揺が生じたりすることがある。 高齢化社会と言われて久しい今日、言葉だけじゃなく形となってそれを感じる事があります。政府から出されている様々な制度等々はその事を物語っている。 そう考えると・・・自分の親に対してもその現実がいつ襲ってきてもおかしくはない・・・そう思えるようになりました。今まで健康で元気にしていた親が次第に介護が必要な体になっていく・・・幸い両親はまだそんな心配がないほど元気ですが、その時に自分はきちんとその現実と向き合っていけるだろうか?そう考えてしまいます。 樋口了一さんという方をご存知でしょうか?きっと「水曜どうでしょう」という番組は皆さんもご存知のはず。その番組の主題歌である「1/6の夢旅人」は彼の代表曲かもしれない。そんな彼にもうひとつ代表曲と呼ぶにふさわしい曲があります。 それは「手紙」という曲です。年老いた親が自分の子供に対する想いを綴った歌ですが・・・ものすごく泣けました。この曲を初めて聞いたとき、今年に入ってベスト3に入るぐらい号泣しました。 やっぱり思うのです。何か決まったイベントごとに親に感謝とか気持ちを示すんじゃなく、常日頃からそういった事も意識していかなくちゃいけないんだって。今の自分があるのは親がいるからこそ。親が互いを愛していたからこそ自分という命が与えられた。それは何にも代えがたい貴いもの。 自分に命を与えてくれて生きていく権利を与えてくれたんだから親が自分を頼る時にはそれに対して100%は出来ないかもしれないけど精一杯それに応えてあげたい。 もっと両親に対して優しく接していこうと改めてそう感じさせてくれました・・・
2009年04月30日
さて、きょう2回目の更新・・・ 今日は月末ですのでお約束のカタイお話を書かせていただければと・・・もしお時間をお許しいただけるならご覧くださいませ。 ちなみにサッカーと全く関係のない話でございまするw
今月に入ってメキシコで発生した「豚インフルエンザ」という病気が世界中を震撼させている。世界保健機関(WHO)が新型インフルエンザの警戒レベルを「フェーズ4」へ引き上げたことからその脅威レベルが半端なものじゃない事を物語っている。 今振り替えてみると今は豚インフルエンザという病気に関して注目を受けているけどその前にはSARS(Severe Acute Respiratory Syndrome/重症急性呼吸器症候群)という病気もあったしHIVや結核なんかも未だに残っている。 ここからそこへと疫病が蔓延している・・・ そんな気がします。普段の生活でも本当にどんな病気になるかわからないから気をつけなくちゃいけない。普段の手洗いやうがいってのは基本中の基本、気をつけなければ・・・ 何も病気だけじゃない。世界を見ているとまだまだ大小の差はあれどいろんな紛争や戦争が起こって罪のない人たちの命が犠牲になってしまう。そんな状況下で安心した生活が出来るだろうか? またここ最近の世界全体に影響が出ている不景気な情勢、これだって長いトンネルに入ったまま抜け出せる道筋というものが見いだせてきていない。いろんな産業や科学技術を集結して人間の生活というものは潤ってきた。ところがその反面自分たちで蒔いた種を最悪な形で刈り取ってきているのも事実だ。 そのひとつに環境問題という深刻な問題を抱えてしまった。宇宙から見れば青くてとっても綺麗な地球。でも実際は・・・ もし地球が感情を持っているなら自分を大切に扱っていない人間たちに足して憤りや悲しみを表現するかもしれない。地球は人間が住むためのもの、争いや汚すためのものではない。 突然狂ったかのような雨や雪が降ったりするときに僕らはびっくりすることがある。でもこれって当たり前の事とは違う気がする。世界であり得ない量の雨が降ってクルマや家が流されて・・・って映像を見る時に「地球が怒っているのかもしれない」って子供じみた考えだけど思わずそう感じてしまう事がある。 このままでいいのか? いいとは言えない。やっぱりこのままの状況ではこの地球が人の住める場所でなくなってしまうかもしれない。ここ最近やたらと「エコロジー」って言葉が乱立してきたけどその意味合いってとんでもなく大きいと思う。レジ袋に始まってクルマのハイブリットもそうだけど、今まで地球が僕らを支えてくれたけど今度は僕らが地球を守らなくちゃいけない。 そればかりだけではない。人としての繋がりもそうだけど「みんなが仲良く幸せに生活するために何が必要なのか?」ってのも考えなくちゃいけない。僕や僕の周りやコンササポという限定的な問題じゃなく世界中で本気になって取り組まなくちゃいけない事なんだと思うのです。 THINK of EARTH 今こそ地球について考えるべき時なのかもしれない・・・
2009年03月31日
おはよーございます・・・ってもうすぐ昼っすねw 今日で3月も終了・・・年度末って事で皆さん忙しいでしょうか?わが職場でもてんてこ舞いな状況です。明日から少しは落ち着くかなぁ・・・? F1の事も書きたいけどそれは明日って事でww今日は月末なんでこのブログでのお約束を展開させていただきます・・・
皆さんの家族は仲がよいですか?なぜにそんなことを聞くのか?って感じもしますけどねw ちなみに我が家の家族関係・・・非常に良好だといえます。現に我が家の実情を知ってる人たちに言わせると「ダイちゃんところって親子関係いいよね、本当に仲がいいよね!」とお褒めのお言葉をいただくことがあります。先日もそんなことがありました。 確かに親子関係でギクシャクしたものは無い。親には時々頭を痛める事はあるけど決して嫌ではない。祖父母との関係も確かに良好だ。実はなんてことない事なんだろうけど「どうして良い関係を保てるのか?」ってふと考えひとつの結論に導くことが出来た。 よく会話をする これに尽きると思う。これによって相手が何を考え何を感じ何を思うのかがわかるからだ。 先日職場の飲み会でも上司2人と同期と合わせて4人で飲む機会があったんだけどその中でも上司がどんな風に仕事を捉えているのか、同期がそう仕事に対して向き合っているのか、また自分自身はどう感じているのか?ってのを話すことが出来た。 人と人との間で形成するコミュニケーションって「会話をしてナンボ」ってのが相当なファクターを占めている 僕はそう感じるのです。会話をする事でその人の人となりや価値観、人生観を知ることが出来る・・・それの良い悪いは別にして。もちろん相手の考え方に共感できる出来ないってのはあると思う。でも仮に相手の考え方で共感できなくても「なぜそういった見方をするのか?」ってのを知ってみると「なるほど」と思えることだってあるのだから。 最近その「会話」という形式でのコミュニケーションが少なくなってきている・・・または全くなくなっているような感じがするし最近あるテレビでもその事を懸念しているという趣旨の内容が話された。「家族団欒」ってのがだんだん無くなり家族間で会話をする事が無くなる・・・それゆえに意思疎通が図れなくなり・・・最悪の場合には・・・って事になるケースだってあり得るのだ。 僕たちはテレビや新聞、インターネットを通じて様々な情報の媒体からいろんな情報を仕入れることが出来る。インターネットは本当に便利でこれがあればテレビなんて要らないんじゃないのか?って思えるほどだ。でもそういった媒体が会話でのコミュニケーションを遠ざけている一端を担っていることもあるようだ。何かあればPCや携帯へ目を向ける・・・その間特に会話をすることもなし・・・ インターネットの普及、また使い勝手の良さ等々からこの媒体を通じての「個の欲求」を満たすには十分すぎるツールと言える。でも人間って悲しいかな、「ひとりでは生きていきない生き物」だと思うのです。「俺はひとりで生きていける!」とか強がっていても結局は友達や仲間が欲しいはずなんです。僕がそうですからね。 例えば「自分だけ楽しい気持ちになればいい」と思う事はある。ただそれと同時に「楽しい時間を他の人とも共有したい」という気持ちもあるはず。で、楽しい時間を共有できる身近にいる「他の人」って誰でもない・・・「家族」なんですよねぇ。個人での時間を楽しむことも大事だけどコミュニケーションを図りながら時間を共有する価値ってお金に換えられない貴重なものではないだろうか? 何でもいい、どんな些細な事でも構わない・・・会話することが希薄していると感じることがあれば自分からどんどん積極的に話しかけてもいい。そうする事で新たな人間関係だって生まれてくるんだから。僕自身、職場で全員としゃべっているわけじゃないのでこの記事を通じてコミュニケーションを図る事の大切さに改めて考えることも出来た。 ・・・早速実践してみよっとw
2009年02月28日
おはよーございます。今日で2月も終わりっすね。 今日はゼロックス杯が行われますね。鹿島とガンバとの試合ですが、お互い今年を占う意味では重要な試合になりそうですね。僕もテレビでしっかりと注目していきますよぉ。 さて、本題ですが・・・今月もカタイ話を書こうかなと。去年に続いてサポーターへ向けた事を書かせていただきます。
No.1にならなくてもいい もともと特別なOnly One これは槇原敬之さんが書いた「世界に一つだけの花」の歌詞の一部です。きっと皆さんもよくご存知でしょう。 今月の11日、サポーターズ集会がコンベンションセンターで開催されました。毎年行われるこの会合、サポーターが主催して行われるものでその準備や設営などに本当に尽力されているんだなぁ・・・と感じています。 そこに集まってきている人たちはみんなコンサドーレが大好き、みんな各々限界はあるけど自分なりのスタンスを持ち、そして「コンサドーレのために自分が出来る事を行う」という姿勢を感じました。 さて・・・皆さんはコンサドーレが好きですか?コンサドーレを愛してますか?まさか・・・とは思いますがコンサよりも好きなJのチームがあったりするでしょうか? 実は自分の中で考えるものがあったのです。年末にサポ友さんとの忘年会での事、その時にでた話が98年の12月の話でした。室蘭での福岡との1戦でコンサが負けて翌年のJ2降格が決まった時・・・僕はテレビで見ていました。同席していた方々は現地で見ていたとの事、その時の話を聞かせていただきました。 その時にゴール裏にいたコールリーダーがこんな事を言ったそうだ。 俺達のチームはナンバーワンじゃない。でも俺達にとってはオンリーワンなんだ。 確かにコンサドーレは強くない、むしろ弱いと言ってもいいかもしれない。鹿島や浦和などに比べると雲泥の差・・・でも僕らにとって応援するチームはコンサしかない・・・ もう一度お尋ねします・・・皆さんはコンサドーレが好きですか?コンサドーレを愛してますか?まさか・・・とは思いますがコンサよりも好きなJのチームがあったりするでしょうか? 僕にとってコンサはオンリーワンです。かけがえのないチームだしこのチーム以外応援する気になんてなれない。コンサが誕生する前まではマリノスサポでしたがマリノスについてはもう気にする事もなくなりました。「またコンサと戦うチームのひとつ」としか捉えていません。改めてコンサに対して一途な気持ちを再確認できました。 今期も精一杯スタジアムで応援しよう!喉がガラガラになるほどに応援しよう!いっぱいサルトをして足がパンパンになるほどに応援しよう!試合終了後座るしか出来ないほどに自分のスタミナを使い切るほどに応援しよう。サポーターには途中交代はない、試合が始まったらフルスロットルでいこうじゃないか! さあ、いよいよ来週は開幕です。皆さん準備はいいですか?今年もスタジアムで弾けようぜ!
2009年01月31日
おはようございます、今日で1月が終わっちゃいますね・・・(汗) つい昨日年が明けたような感覚がありますけど・・・いやぁ1か月ってあっという間ですねw そうそう、クライトンが熊本から合流という事でホッとしましたね。熊本でチームをより成熟して欲しいものです。 さて、月末ですので恒例(?)のカタイ記事を書かせていただきます。よかったらご覧くださいませ。
連日キャンプの内容が報道されています。 石崎監督が監督になってから練習がバラエティに富み、かつ罰ゲームも設けられているとか。その罰ゲームを受けないようにするためにも選手たちは必死に練習をしている・・・今までにない光景が展開されているような気がするのは僕だけでしょうか? 石崎監督の練習について選手たちの感想で一番多かったのは次の言葉ではないだろうか? 楽しい この言葉が目立っていた。練習そのものは本当にキツイものだとおもうけどこの言葉だけで毎日の練習に充実感を感じているのだろう。 「楽しい」・・・これって結構重要な事だと思う。それはサッカーの練習に限らず、仕事でも家事でも勉強でも恋愛でも・・・充実したものにするには「楽しむ」という事が大切だ。 例えば仕事・・・自分がしている仕事に誇りを感じるだけでなく楽しむという事が出来れば・・・そう出来ればもっとよい仕事が出来ると思う。そして別の意味で「仕事に対して物足りなく感じるようになる」。もっとこうすればいいのに・・・とかこの工程にこれを加えたら質が良くなる・・・とか新たなアイディアが生まれる要因にもなる。「楽しむ」ことが出来ればいい事ずくめ・・・というと極端かもしれないけど悪い事は無いはずだ。 もちろん楽しむためには自分自身の努力だって欠かせない。どうやったら楽しめるのか?って考えることも必要だし、楽しめるきっかけを与えてくれる人がそばにいるのならそれほど心強いものはない。今のコンサドーレで言う石崎監督のような人がそれに当たるだろう。 楽しさを感じると通常とは違う力も得られる。普通以上の力・・・といってもいいかもしれない。僕がハマったGIANT KILLINGでも主人公の達海が選手たちにこう言っている場面がある・・・ 「お前らがこの試合を面白がれるかどうか・・・」 面白い=楽しい。そう定義できるかもしれない。ひとつの事に対して楽しめること、そして面白がれること・・・それが出来れは本当に普通以上の力が発揮できる。僕自身も仕事やサッカーの試合で経験したことがある。で、それが相手にも伝わるものだ。GIANT KILLINGの中でもETUの選手たちの変化を感じたセリフがある・・・ 「ETUの連中のほうがこのドタン場でいい顔してやがる・・・というよりか・・・楽しめてやがんのかもな、このゲームを」 さあ、僕らは楽しめていますか?仕事も勉強も・・・人生そのものを楽しめていますか?確かにストレスの多いこの世の中、本当に生き抜いていくのは至難の業といってもいいと思う。そんな中で生き抜いていく特質・・・それは「楽しむ」ということなのかもしれないね。
2008年12月31日
日中は大掃除に多くの時間を費やしました。本当は車も洗車したかったけど、今日の荒れた天気じゃ難しい・・・ 皆さんは今年どんな1年だったでしょうか?僕なりにいろいろと感じた1年でしたがここでは書かないことにしますww では本題を・・・今年最後のカターイ話を展開させてくださいな。
「壁」にぶつかった事ってありますか? 文字通りの壁じゃなく・・・例えば仕事でうまく仕事が出来なくなったとか、スポーツをしていてスランプに陥ったとか・・・人間何らかの形で壁にぶち当たる事ってあると思う。 オスカー・ピストリウスという人物をご存知でしょうか? 彼は今年の北京で陸上短距離3冠を達成しました。ただ、オリンピックではなくパラリンピックでのこと。彼は両足義足というハンディキャップがあるけど、それを感じさせないぐらいの軽快な走りで観客を魅了した。 そして彼はオリンピックに出場することを目標に健常者の大会にも参加しそれ相応の成績も残したけど結局はオリンピック代表になることは出来なかった。そんな彼のモットーが・・・ You're not disabled by the disabilities you have, you are able by the abilities you have. というもの。意味は「身体障害によって不可能なのではなく、持っている能力によって可能なのだ。」というもの。つまり身体のハンディキャップではなく自分の持つ能力があればきちんと記録を残すことが出来るんだって事を彼は訴えたかったのだろう。もちろん日々の練習などを実施しているからこういったことが言えると思うけど。 ・・・ ふと考えた。例えば自分が感じる壁とか障害って誰かが作っているのではなく「自分で作っているもの」なのかもしれない。 「自分には出来ない」とか「自分には無理」とか消極的な考え方で自分自身で壁を作っているのかもしれない。その壁の要因になりうるものとしては消極的な考えとか過去の自分自身の失敗した経験とか、ある種のトラウマとか・・・ でもそういった壁って相当ぶ厚くて中々打破は出来ない。そんな見えない壁に力尽きるのかもしくは戦い続けるのかはやっぱり自分自身の気の持ちようなのかなと。 「しょうがない」 そんな安易な逃げ道となる言葉がある。でもそんな言葉で自分を甘やかす・・・ってのは時には必要なのだろうけどそれをずーっと使い続けるならきっと問題が生じたときに立ち向かえなくなるのかもしれない・・・それではいけないはず!いろいろなしがらみとか消極的な考えを捨てていく必要だってある。 今年パラリンピックを見ていて自分自身の抱えているハンディキャップとも戦いながら自分自身のベストを尽くそうとしていた選手たちの姿勢に僕は大いに励まされた。彼らは常に「前を向いていた」。 自分自身の前に置かれた問題ってのはある意味妨害(Obstruction)してくることもあるかもしれない。でもそれを自分自身の手で取り除く事だって出来るし逆にモチベーションとなって自分の力にもなると思う。 つくづく思った、人間どれだけ前を向けるのかが大事なんだなって・・・
さて、これでこのブログの今年最後の更新となります。また来年もブログを更新していきます。お付き合いいただければ幸いです。 では皆様、よいお年をお迎えください・・・
2008年11月30日
皆さん、お疲れ様でした・・・ 試合に関して色々と書きたいことは山ほどあります。でもその事は明日書こうと思っています。 さてさて、月末ですのでこのブログのお約束をさせていただきます。空気を読まない展開になってしまいますが何卒ご容赦くださいませ・・・
昨日和波の店に行って感じたことがある・・・ 和波はプロサッカー選手としての道を終えたけどまた新たなスタートを始めたんだなぁ・・・と。 サッカー選手にとって引退するという事がどれほど不安になるのか・・・僕らでは想像できないような苦しみとかプレッシャーとかあるのだろう。そんな中で彼は笑顔を振りまいてお客に対するサービスマインドを精一杯の形で示そうとしていた。 今日の瑞穂、応援再開という新たな「スタート」を切る事になった。応援自粛に関して賛否両論があったけどHFCの来季に向けた表明文の公表で一応その件に関してはピリオドが打たれた格好になる。フロントはこれでゴールではなく、この声明文を基点として新たなスタートを始めて欲しい。 よく人生はレースにたとえられてしかも「ゴールのないレース」なんて言われ方がされることを耳にした記憶がある。確かにゴールが見えない・・・そういった中で人はもがいたり苦しんだりするのだろう。 そういった中で失敗する事だってある。それはしょうがない、なぜなら人間は不完全な生き物なのだから。人生において「一度も誤った選択や失敗をしたことがない」という人はいない筈。 どんな些細なことでも重要な事でも失敗は失敗、それをパソコンで言う「システム復元」のようなことなんて出来るわけがない。失敗は取り消すことが出来ないのだから。 でもそうなったからと言って全てを諦める必要はない。失敗したらまた一からスタートしなおせばいいだけなのだから。 コンサがJ2に降格になったことは本当に悲しいし残念なこと。僕自身はやっぱり「J1で戦うコンサドーレが観たい!」という純粋な気持ちがあります。でも結果は取り戻すことが出来ない・・・来年はJ2に戻ってしまうけどそれは「J1へ向けてのスタートライン」になったのだ。だから僕らはまた応援をすればいいだけなのだ。 人生だってそう・・・僕自身仕事関係で折り合いが付かず就職してすぐに退職してしまった・・・という苦い経験をしました。あの頃を振り返ると自分自身本当の意味で「世間知らず」だったと痛感しています。でもその失敗があったからこそ今の自分があるわけで、そして職場での人間関係構築でも寄与していると思っています。 失敗が全て悪いわけじゃない、要は「その失敗を次に活かせるかどうか」が大事だと思う。 このブログを読んでいる方でここまでのようなシチュエーションを方なんてきっといらっしゃらないと思うけど・・・もし、そんな方がもしこの記事を読んでくださったのなら・・・僕は貴方を心から応援します。 自分自身も今日をひとつの節目にまた1年間必死に・・・ハードワークをしていくためにも頑張っていこうと思ったのでした。
2008年10月31日
おはようございます。今日で10月が終わります、あっという間ですねぇ・・・ 個人的な話ですが、明日は健康診断なのです。って事で今日の夜8時以降は食べ物を食べちゃいけない決まり・・・かつ「採取するもの」を採取してそしてバリウムを飲むという・・・今から考えただけでもぞっとします・・・ 今日も遅番勤務なのでこのあと出社です。もう少しのんびり出来るかなぁ・・・? さてさて、月末ですのでカタイ記事を書きあげました。今回は僕自身がコンサドーレに対して抱いている想いを書きました。よかったら見てやってくださいな。
今年、コンサドーレはJ1という待ち焦がれていた舞台で戦っている。 02年の降格以降、J2でもがき苦しんでいた。そんな中07年に歓喜の昇格、自分自身の事のように昇格したこと、そしてJ2優勝を心の底から大いに喜んだ。 そして08シーズン開幕、期待と不安が交錯する中で始まったカシマスタジアムでの試合・・・ やはり現実というものは厳しいものだった。 何もかも思うようにいかない、下を向くばかりの試合が続いた。もちろん勝つ試合もあって「ひとつのよいきっかけにでも」と淡い期待を抱いたのも事実、でもそれ以上にJ1という壁は厚く高いものだった。 このそびえたつ壁をとうとう乗り越える事が出来ず10月19日にJ2降格が決まってしまった。その事実を目の前にして僕たちはただ茫然とせざるを得なかった。力尽きて涙に暮れていた・・・ チームは精一杯どん底からの脱却を図ろうとした。それが試合になって表れてもいた。応援をしていてもチームの力になりきれていなかった自分自身にふがいなさを感じていた。そんな時でも自分はチームに対して何が出来るのか?って考える事があった・・・ それはやっぱりどんな状況でも応援をし続けること、サポーターを辞めないこと、コンサドーレが身近な位置にあり続けるようにすることだと思った。 19日は厚別から、また現地に行けない人たちのため息が漏れていたことだろう。本当にそれは辛い事だ。そんな中チームや僕らサポーターも何かにいつも試され、そして闘っている。 北海道はコンサドーレよりも日ハムを注目している。もちろん実績も残しているし、プロモーションも上手にしているから目立つ存在にはなっている。それに対して「コンサドーレ不要論」も僕の周りから出始めるほどだ。 こんなコンサドーレに対して冷たくなっている街に住んでいるけど、でもやっぱり自分にはコンサドーレを応援していきたいという強い気持ちがある。自分の生活の中でコンサドーレの存在がとてつもなく大きいものになっている。自分にとってコンサドーレは切り離せない存在・・・そう思えるようになってから自分のサポーターをしての信念が強くなった気がする。 来期コンサドーレはJ2で闘う事になる。リスタートではない、本当に「ゼロよりも少ない始まり」ではないか?でも何を恐れようか?僕らにはもう失うものは何もない。どん底まで堕ちたのだから後は這い上がるだけなのだから。 そして天皇杯もある。今シーズンが本当の意味で終わるまでは頭を下げるわけにはいかない。僕らサポーターとしてもやるべきことはまだ残っていろ。最後まで僕らも闘わなくてはいけない・・・そうでしょ? ゼロよりも少ない始まり 恐れる事はない You have nothing to lose 痛みは生きるための Warming up 折れた翼をまたはばたかせて Words by M.Komuro
2008年09月30日
・・・ お久しゅうございますw 何とか生きていました・・・詳しくは明日以降書こうかと考えております。今日は「プレ復活」って事でこのブログのお約束の記事をコンサ関係に絡めて展開しようかなと。お目汚しになるかもしれませんがよかったらご覧下さいませ。
「日本一諦めの悪い集団」 FC東京戦のゴール裏にそんな弾幕があったそうな。実はFC東京戦には参戦していませんでした。テレビ観戦をしていたんでそのあたりの詳細は全くわからなかった。 個人的にはこの弾幕はいいものではないか?と思っていたのですがいろいろと掲示板を見てると賛否両論があるようです。各々の意見は尊重されるべきもの、どっちが良くてどっちが悪いってことは無い、要はその人の「感じ方」なのだから。 確かにチームとして結果が出ていない、11戦勝ちなしはさすがにフラストレーションも溜まる。まして千葉との試合、その後の大分との試合でロスタイムで失点して負けというシチュエーション・・・心が折れてしまっても不思議ではないでしょう。 僕自身だってこう思う・・・ この気持ちが選手達に伝わっているのか? って。自分なりにゴール裏で声をガラガラにしてチャントを歌い、足が攣りそうになるまでサルトをしているけど僕らサポーターの声援は選手たちに届いているのかな?って思ってしまうことがある。ある種「自分たちは応援しているんだ」という自己満足的なもので納得しているんじゃないだろうか?とか色々と考えることがあります・・・ 試合前に選手たちはサポーターの前に来て一礼してからピッチ練習へ向う。その姿を見るだけでも「何らかの形で伝わってきているのかなぁ・・・」と思えるようになってきました。 確かにチームとしては結果が出ていない。でも「何のためにチームを応援しているのか?」という事を今一度振り返る時が来ているのかもしれない。いったい何のために?その動機は? ・・・ 僕なりに答えを出してみた・・・ やっぱりチームを愛しているから。 そこに行き着いた。チームが「好き」なんじゃない、「愛している」からこそ応援するんだ。チームが強かろうが弱かろうが、J1だろうがJ2だろうがチームを「愛しているからこそ」応援するんだ。 自分の想いが伝わらない時だってある。でもね、愛があればそんな時でも信じて応援出来るんだ。愛があれば自分を犠牲にすることなんて厭わない。たとえ振り向いてくれなくても愛を注ぎ続けることができるはず・・・ 今、僕らサポーターは試されています。はたして自分は精一杯やっているだろうか?自分はコンサドーレを愛していると行いによっても証明しているだろうか?自分が向けているコンサドーレへの愛は本物なのだろうか? もう少し自問自答してみよう・・・ ちなみに僕はまだ諦めていないし、コンサドーレを信じています。女々しい男かと思うかもしれませんが、僕はそんなやつです。諦めが悪い人間なんですよ。 ・・・諦めが悪くて何が悪い?
プロフィール
札幌市在住のダイです。無類のフリーキックマニアです。サッカー以外にも野球やモータースポーツ(特にF-1)も大好きです。水曜どうでしょうとSaku Sakuが大好きです。
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