2005年12月31日
以前に僕が書いた「ドームで感じたひとつの思い」というブログの中でとん吉さんがコメントしてくれた内容は非常に共感を覚えた。
自分ひとりで誰の世話を受けなくても生きていけるとは言うけれど様々な形で人は誰かの助け無しでは生きていくことはできないというものだ。全くそのとおりであると思う。
このブログを読んでくださっている方々にはそんなことは百も承知でしょう。きっと心から感謝を述べるはずです。
その感謝を伝えるのにどんな言葉を使うか?たいていは「ありがとう」でしょう。でも「ありがとうってなんだろう?」と感じたりしたことはありますか?今回はこのことについて書いていきます。
「ありがとう」の成り立ちは「ありがたし」に由来する言葉です。漢字で表すなら「有り難し」となるわけです。有り難しとは、こんなことは有りうるはずが無い、という意味です。
例えば「行うは難し」ていうのは「言うは易し」で逆にあるでしょ?それぐらい難しい言葉なんです。
実際の例で考えてみよう。
例えば自分が今ここに生きていること、これはまさしく「有り難い」ことなんです。なぜか?母親が自分を生んでくれた、そして両親の愛を貰った。これは自分が生まれてこなかったらこれらは享受できなかった。だから有り難いんです。
僕自身この「FANTASISTA!!」というブログを通して様々な考えを持つ人たちに出会えることができました。こういう機会を与えてくださったHFCの努力は本当に「有り難い」ものだしこの文章を読んでくださっている皆さんに対しても「有り難い」と感じるのです。
「ありがとう」という言葉は比較的軽い感じで使われるんだけど実は非常に重たい言葉なんです。だからこそ日常において忘れてはいけない言葉なんです。
だからあらためてここで申し上げます。このブログを見てくださっている皆さん・・・
「ありがとう」
これで今年の更新納めになります。去年、今年と個人的には仕事でもプライベートでもしんどいことばかりでした。めちゃめちゃきつくて泣く日もあったし、死にたいと思うようなことさえあった。でもこのブログを通して楽しみを見つけることが出来ました。本当に心から感謝いたします。
来年は少しでも「笑える」ようになりたいです。
では皆さん、良いお年を!!!
2005年12月31日
なんだかんだいって今日で今年も最後です。今日一日何やっているんだろう?と思って考えてみると・・・
9:15~仕事
11:00~床屋
12:00~ツ○ヤでCDを借りる
14:00~多分ブログを見ている
17:30~多分晩飯
18:30~今年最後のブログ更新
18:40~今年最後の仕事へ厚別へ
20:30~帰宅
21:00~K-1とプライドを平行してみる、紅白は見ない
てな感じだろうか?
特にK-1は山本キッドVS須藤元気の試合は見逃せないなぁ、曙とボビーの試合なんか茶番過ぎるよ・・・
プライドは桜庭と美濃輪の試合かなぁ?小川と吉田の試合はイマイチ惹かれないし、金子賢大丈夫?と思ってしまう。
このあと皆さんはどんな1日を過ごすんだろう?人の事はあまり関わらない様にする性質なんだけどちょっと気になりだしている今日この頃(爆)
では、後ほど更新します。ちょっと硬い内容になるかもしれないけど・・・
2005年12月30日
ついに発表することができました。まとめるのは大変だったろうとお感じになるでしょうがそんなことはありません、非常に楽しくまとめさせていただきました。賛同いただいた皆さんには感謝いたします。
ここで公表する前にお願いいたしたいことがあります。
1.今回の企画を立ち上げるに際し、皆さんから回答を用いていいかどうかということをこのブログで問いかけました。12月18,20,23日と3回行いました。特別否定的な意見が無かったのですべてのデータ(12月24日現在)を使わせていただきましたのでご了承いただきますようお願いいたします。
2.今回の回答で気づいたことはやはり「人それぞれ考え方が違う」というものでした。質問の内容に関して自分と全く違う答えが出たからと言ってそれに腹を立てることなく「そういう考えもある」といった思いで見ていただければ幸いです。あまり重く受け止めないでください。
3.今回の回答の中で僕のほうで「思いっきりツッコミ」を入れさせていただいています。それにも腹を立てないでくださいね。「コイツのブログをリンクから外してやるぅ」とか言わないでください。(願)だって面白くしたかったんだもん!!(爆)
以上のことを理解していただいた方は続きからお読みください。良ければぜひ感想を教えてください。ではどーぞ!!
いよいよ発表します、コンササポに聞く100の質問総括。これまでに30人の方に参加していただきました。この場を借りてお礼申し上げます、ありがとうございます。
30人に同じ質問をしても帰ってくる答えはまったくバラバラって言っても過言ではないです。でもそのなかで意見が半々に別れた質問や考えさせられる回答、うらやましいと思えるような内容やナイスな回答などをご紹介します。
早速まずはコンサドーレに関する質問から・・・
Q43~45に注目します。柳下監督に関する質問が3つありますが割合で言うと柳下監督体制に満足というか支持している方がほとんどでした。
Q43 柳下監督に対する印象は?
若手の育成はさすが!(Tetsuさん)、意外に怒らない。育成に関して考えていることの奥が深い。(z-pressさん)、育成重視の我慢はさすが。(harakeiさん)、人格者(miyanosawa_doleさん)、実は熱血(アナベルさん)、教育者。真面目。でもたまに面白いことも言う。(元多摩さん)、厳しくも温かい。いい意味で頑固(はびさん)、信念・指導方法・発言が一貫していて好感が持てます。(kimtakeさん)指導者というより信頼できる師匠だな(リストバンドさん)などなど。
Q44 さすが柳下!!と思うことは?
去年のオフ、試合に結構出ていた若手を切ったこと(kabaoさん)、2004年における勝負を度外視した実験ぶり、それができるということはそれなりの考えと覚悟と根性がある人物ではないでしょうか。(たいちょさん)、滅多には褒めないが、いい所はいいとはっきり言う所。(偽先生さん)、3人が騒いで謹慎処分になったところかな(えびせんさん)、若手を育てるのがうまい!(ののむら親方さん)、怖い顔と優しい顔の使い分けが上手い!(birrlaさん)などなど。
大方好意的な意見の中で厳しい意見もあります。
Q43 柳下監督に対する印象は?
思ったより期待はずれでした。まさか2年指導してこのレベルのコメントしか出来ないチームしかできないとは。(あつしんさん)
Q45 柳下監督に望むことは?
個人的には、2年も昇格できなかったんだから、辞めてほしい。でも多分来年も続投なので、来年は全勝優勝(&天皇杯制覇)で再来年はJ1で。(ふみちさん)
これは素直に受け止めなくてはいけないでしょう。普通であれば2年かけてJ1に上がれないなら解任は必至でしょう。今年における仙台の監督人事がいい例でしょう、気の毒ですが勝負に徹するならそれくらいしないと。今チームの方針上柳下続投ですから何が何でも来年は結果が求められる、そのための1年契約のはずだから頑張ってもらいたいですね。
そんな大方好意的に見られている柳下監督とは対照的に好意的に思われていないのはジーコさん。質問の答えの中で好意的な意見はほとんど皆無といっていいでしょう。
Q38 ジーコに対する印象は?
日本のサッカー発展に貢献してくれた人物ではあるが、監督としては・・・。(マサCさん)、いらないし、使えない(ふみちさん)、名選手が名将になるとは限らないの典型。(ohakoさん)、よくわからないけど、わがままそう。(みかんちゃんさん)、最初は良かったのですが。。。(しのぶさん)、強運の持ち主、運だけで日本をW杯に導いた男(あつしんさん)
などなど”口先でも”「トルシエより良かった」と書いた人はゼロ!!(爆)まあ僕もその一人ですが。(笑)
そして前後しますがQ37の答えもほとんどが「つまらない」とか「面白くない」といったコメントが集中しています。
そんな中次の代表監督は誰になる?というQ40の質問はほぼ3つに分かれました。割合で言うとオシム5、ヴェンゲル3、その他2といった感じ。圧倒的にオシムジャパンを望む声が多いです。
ちなみにその他の意見としてはシャムスカやリティ、岡田さんや原さんなどなど。原さんに関しては完璧リアクション見たさでしょうが(笑)
話は戻ってコンササポとしての質問から・・・
Q13 厚別派?ドーム派?という質問はきっと割れるかなぁと思ったら意外にもドーム派という回答が約8割近く出ました。
色んな理由で天候に左右されないドームがいい。(とん吉さん)、ドームのほうがピッチが近いのでドーム!(TAKさん)、天候に左右されないから、知人を誘いやすいので(miyanosawa_doleさん)などなど。
厚別派も理由がありますっていうか1つだけなんだけど・・・
晴れた暑い日の厚別派。外のビールはうまい。(えぞももんがさん)
さすがです。(笑)これを言われちゃうと何も言えないもん(爆)
続いての質問・・・
Q17かつてコンサに在籍していた選手で戻ってきて欲しい選手は?(引退した選手も含む)
この回答は結構片寄りました。内容は・・・今野5、山瀬2、吉原2、その他1といった割合。圧倒的に今野君が一番でした。やっぱり降格してもチームに残留してくれたのが大きかったのでしょうか?ちなみに外国人選手で戻ってきて欲しい選手は圧倒的にバルデスでした。
少数意見ではこんなのがありました。
アンドラ。本気でコンサドーレを愛していた数少ない選手の一人ですから。「年俸はどんなに安くても構わないから札幌に残りたい。」というコメントにはマジで感激しました。それなのに・・・嗚呼・・・。(Tetsuさん)
それに対して・・・
ドールズは夏美タン(汗 (アナベルさん)
・・・いいですか?Tetsuくん、こんな大人になってはいけませんよぉ、お兄さんとの約束ですからねぇ!(爆)
続いての質問・・・
Q32 ここだけには負けたくないと思うチームは?
これもほぼ3つに分かれましたねぇ・・・どのチームかわかりますか?
仙台と浦和と東京佐川。(爆)みんな根に持っているのねぇ・・・
では質問を変えてみましょうか・・・
Q53 ”53”とみて思いつくものは?という質問、これは正直面白かった。これに関してアナベルさんから「踏み絵」と表現されましたが違います、「サービス問題」です!!(核爆)
普通”53”と見てコンササポなら「コンサ」と連想するでしょう、事実レプユニの番号で12の次に人気があるのは確か53のはず。ここは皆さんの「ボケ」や「ボキャブラリー」が試される質問です。
ちなみに僕は阪神の赤星と答えました。それに賛同した方が一人・・・
♪シャープな打球、グランド突き抜けろ!
走れレッドスター レッツゴー赤星! チャンス切り開け!♪
かっ飛ばせー、赤星! (元多摩さん)
元多摩さん・・・僕はそこまで求めていませんからぁ~~(爆)
他には・・・
池内、西澤。間に”4”をいれたくなる。(ちやさん)、53問目(harakeiさん)、日ハムの工藤(ふみちさん)はまあ、よいとして・・・
ごっさん?(爆 (Tetsuさん) ・・・後藤真希ですか?(笑)
誤算(マサCさん)・・・そうきたか・・・
郷ひろみ(爆)。(リストバンドさん)・・・なぜ??(笑)
ん?五味太郎?(みかんちゃんさん)・・・誰よ?
まあ絵本作家と書いてくれたからまだしも本当にわからなかった・・・
で、極めつけは・・・・
ゴルゴ(えぞももんがさん) ・・・何がどうなってゴルゴなの?(爆)だって普通は”56513”で「ゴルゴ13」でしょ?えらい省略だなぁ(笑)
で、この質問で一番多かった答え・・・それは・・・・
「ゴミ」(爆)これ本当に多かった、だって全体の4分の1はこの答えだもん。なのでこの答えを書いた方はこのあとアナベルさんからツッコミを再度受けてください!!
もうひとつ・・・
Q55 好きなTV番組は? これは2つに別れましたなぁ。ひとつは「VIVA!ジョカトーレ」、まあ当然でしょう。そしてもうひとつは・・・・・・
「水曜どうでしょう」。やっぱり強いねぇ、北海道が誇るバラエティ番組ですからねぇ。
続いては心を打つ回答や、うらやましい内容など・・・
Q20 サポーターになって良かった事は?
生きがいのひとつ(とん吉さん)・・・いいですねぇ、それぐらいでないと。
Q25 ファンクラブに入っている?
入っています。自慢じゃないがプレミア。(偽先生さん)・・・自慢でしょ?
Q30 コンサの試合で一番印象に残っている試合は?
2000年10月21日のアウェーでの湘南戦。仕事で、後半からの観戦になったが、J1昇格の瞬間に立ち会えたことがうれしかった。しかも誕生日に。(ふみちさん)・・・いいよねぇ、最高の誕生日になりましたよねぇ?
Q59 好きな言葉は?
一刻一途・明日は明日の風が吹く・好きこそものの上手なれ(あっちゃん)・・・君は本当に中三か?(笑)まじめだよねぇ・・・
Q80 ここでなにか一発ギャグでも・・・
そういえば、オウルズの初代メニュー「ののボ・ランチ」は私の命名。(たじさん)・・・まじっすか?いいなぁ、そーゆーの!
Q28 月刊コンサドーレを買っている?
創刊号からすべて買っています(kabaoさん)・・・だからちょーだいって(爆)
他にもあるけどこのぐらいにして、いよいよ爆笑回答を紹介します。
あまりにもいっぱいあるんで質問は省略します。ではいきますよぉ!バンバンツッコミを入れますから覚悟してくださいねぇ~~っ!
まずはお手本をひとつ・・・
Q61 料理ってする?得意料理は?
たこ焼き(笑)(たじさん)・・・いいですかぁ?皆さん、これが「ボケ」ですよぉ~、わかりますか~~?
では続きいってみよう!
物議を醸し出したQ23について・・・
また無茶な質問を(笑) (たじさん)・・・いいですねぇ、たじさんの人柄が出ていますねぇ。
うーん、夫かな?(みかんちゃんさん)・・・悩むなぁ!夫って言いなさいって!でもこの人「旦那と和波君どっちとる?」ってきいたら「和波君っ!!」って即答しそうで怖い(笑)
パス。どっちにしても、答えた瞬間に人生終了。(ちやさん)・・・そんなに深刻なんですか?
迷わずコンサ(笑)。(しのぶさん)・・・少しは迷えよ・・・
どっちもとる(笑) (とん吉さん)・・・両立できるの?
続いてQ3について
宇宙暦65年9月27日 A型 (アナベルさん)・・・あなた何者ですか?(笑)
Q71・・・ソロモン陥落(謎
Q72・・・2号機強奪(謎 (アナベルさん)・・・すいません、ついていけません。(笑)
Q14・・・佐藤洋平でもいい?(えぞももんがさん)・・・ダメです!
Q90・・・ドーレ君が10匹ぐらい飛んでいます(kabaoさん)・・・だいぶきてますね?
Q74・・・ここだけの話って、ここってどこ?ブログ内?それともダイさんとだけの話?(あっちゃんさん)・・・いいですよぉ、話を聞きますよぉ。(怪)
Q74・・・恥ずかしくってそんなこと云えないっす。
Q75・・・加賀君への愛。(Q74とは全く関連性無いので念のため。) (miyanosawa_doleさん)・・・明らかに誤解を招きますよ(笑)
Q36・・・ルイス・フィーゴ。華麗なドリブルとくどい顔が好き。(マサCさん)・・・褒めているんだかけなしているんだか・・・
Q25・・・いいえ。何故かセレッソのファンクラブになら入っています。(しのぶさん)・・・なぜ?
Q83・・・進也・・・いや深夜。(はびさん)・・・お~い山田君、はびさんの座布団一枚持っていって!!
Q70・・・悟りの境地です。(ふみちさん)・・・悟ってしまいましたか?
Q70・・・ネタ尽きたんじゃないの?(ののむら親方さん)・・・バレました?(爆)
Q70・・・ヨクワカラナクナテキタ(えびせんさん)・・・壊れてきましたか?(破)
Q78・・・お・し・え・な・い(爆) (ohakoさん)・・・おとなのおねいさんです。欲求不満気味な人間には刺激が強すぎます!(爆)
Q98・・・おしっこ行ってもいいっすか?(激爆) (リストバンドさん)・・・もらしませんでしたよね?(爆)
Q71・・・2005年7月は死ぬかと思った。本気で。(元多摩さん)・・・何故に?
Q71・・・あった あった。ナイショだけど。
Q72・・・あった あった。言えないけど。(えぞももんがさん)・・・言ってくれぇ~~!
Q80・・・うちの嫁が髪をショートにしてきて「どう?」って聞いてきました。ヤンツーさんかと思いました。(とん吉さん)・・・見てみたい(爆)
Q83・・・仕事中ですぅ。(のっちさん)・・・仕事しなさいって!!
Q43・・・近くに寄ったとき、ふわぁぁぁっ~とやわらかい良いにおいがした。くらくらした。(birrlaさん)・・・ヤンツーさんのフェロモンすか?(笑)
Q98・・・ダイさん”100の質問”第2弾楽しみにしています。(マサCさん)・・・勘弁してください(謝)
他にも色々あるんだけど極めつけのものを紹介します!!!
Q38 ジーコに対する印象は?
はげてきた (birrlaさん) ・・・これが一番ツボに来ました。そっちかよ!!って読みながらツッコミをいれちゃったもん(爆)
お楽しみいただけたでしょうか?今回の企画を通して様々な方とこのブログで知りあえたこと、そしてこの企画に賛同してくれたことやこのブログをリンクしてくれたことなど感謝しきれないことがいっぱいです。この出会いは本当に嬉しいものです。小田和正さんの曲の中にもこんな詩があります。
「あなたに会えて本当によかった。嬉しくて、嬉しくて、言葉にできない。」
本当に心から感謝します。そしてまだまだ100の質問は公開し続けます。まだされていない方は是非されてみてください。
そしてここで告知!!来年はいよいよワールドカップがあります。そこで「コンササポに聞くワールドカップ50の質問(仮)」を製作しようかと計画中です。公開は来年ですね、間違いなく。これも出来次第公開いたします。楽しみにしてくださいね!(っているのかな?そんな人・・・)
2005年12月29日
前回のブログでちょっとした高評価を得てしまった(?)ナチュラリスタのうちのおかんの「武勇伝」。
今回新ネタ(?)を公開します。では続きをどーぞ!
注記:「ナチュラリスタ」ってなに?と思われた方は前回のブログ「Naturalista」というブログを見てください。
まずは日韓ワールドカップでの話・・・
日本代表の試合をテレビで見ている時の事、ピッチ練習の映像が流れる中でうちのおかんがおもむろにこう言い放った・・・
「私ねぇ、”まつだこうじ”が好きなの、今日試合に出ている?」
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何をどう思ったのか「松田直樹」と「中田浩二」を合体させたうちのおかん、「誰よ?」と思いっきりツッコミを入れたのは言うまでもない(爆)
次は昨日の話・・・
まず「9時40分」を想像してください。長い針が「8」を指し、短い針が「10」の一歩手前にある状態ですよぉ、わかりますか?想像できますか?ではいきましょう!
昨日おかんと出かけるために支度をしていた時、家を9時45分に出ることを確認して準備を進めていました。
で、時間は「9時40分」、時計を見たうちのおかんは一言こう言い放った・・・
「あっ!!もう9時48分だ!!」
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何をどう見ればそうなるのかもう理解不能に陥る息子である私(爆)長い針が「8」を指したからって「48分」と読むうちのおかんって・・・
うちのおかんサイコーです。「母ちゃん、カッコイイー!!」って言ってあげたくなるもん(笑)
皆さんの周りにいる「ナチュラリスタ」も紹介してくださいね!
追記:前回の「おおまめ」事件の続き・・・
昨日ようやく「大豆」を「おおまめ」と読み間違えたことに気づいたうちのおかん、「誰でも間違えるでしょ?」ってあんただけだよっ!!!(激爆)
2005年12月28日
久々の列伝です。相変わらずマニアックです。今回はちょっと力作です。興味のある方は是非ご覧くださいな。
とうとう10人目です。本当に誰について書こうか迷いに迷いました。ネタはないかとF1サイトを巡っているとあるニュースが入ってきました。それを取り上げなくてはいけないと思うし今後の彼のレースを応援したいし、そう思い今回のブログはそのドライバーを紹介します。
Takuma Sato 佐藤琢磨
レーシングドライバーとしてのキャリアスタートは遅すぎる20歳から始めた琢磨。でもわずか5年でF1に上がれるのだからこの人の持つポテンシャルは計り知れないものがあるといわざるを得ない。
モータースポーツを始める前には自転車競技をしていたのは良く知られている話。でも、もともとは大の車好きで小学生の頃には鈴鹿でF1を観にいっていた。そしてセナに憧れを抱くようになる。
96年、ホンダが主催するレーシングスクール「SRS-F」に入校、同期には金石年弘や松田次生らがいた。そんな彼らに対して琢磨は圧倒的な速さを見せつけ97年首席で卒業する。
98年全日本F3に参戦するも免停中に免許取り消しになる交通違反を犯し、国内レースに出走できなくなってしまう。そこで琢磨は一日も早くF1ドライバーになるべくイギリスに渡ることを決断、シーズン半ばに渡英した。
99年にはイギリスのジュニア・フォーミュラなどのカテゴリーを経験し、2000年からイギリスF3にステップアップ、01年にはシリーズチャンピオンを獲得した。イギリスF3王者は83年はセナ、85年はグージェルミン、87年はハーバート、90年はハッキネン、91年はバリチェロ、96年はR・ファーマン、00年はA・ピッツォニアなどF1ドライバーがこのカテゴリーからステップアップしている。琢磨のその仲間入りを果たした。
それで終わりではない。01年の国際F3レースであるマールボロマスターズとマカオGPでも優勝しF3ドライバーとしての頂点を極めることになった。そして満を持して2002年ジョーダンからF1デビューを果たす。
とはいってもこの年のジョーダンはチーム状態が最悪だった。序盤はリタイヤが多く終盤になって完走することが出来るようになり最終戦の日本GPで5位入賞にとどまった。
03年B・A・Rホンダに移籍、待遇はリザーブドライバー、レースに出れない日々が続いたがその年の最終戦鈴鹿で琢磨がレースに出ることが出来た。予選13位、決勝6位。1年間のブランクがあるとはいえ最高の形でこの年を締めくくることができた。
04年B・A・Rホンダのレギュラードライバーに昇格、この年の琢磨は暴れまくった。バーレーンGPでは日本人予選最高グリッドタイの5位に付け、スペインGPでは日本人予選最高位3位を記録すると思いきやヨーロッパGPでは予選2位を獲得、日本人初のフロントローについた。そしてアメリカGPで3位表彰台に上がった。90年の鈴木亜久里以来の快挙を果たした。
この04年の活躍で05年の成績にも期待を持ってしまったがそうはいかなかった。クルマのトラブルやチーム内のゴタゴタで思うように走ることが出来ないでいた結局1ポイントしかあげる事ができなかった。そしてルーベンス・バリチェロが来期加入するために琢磨は移籍を決断する。鈴木亜久里が監督を務める「スーパーアグリ・フォーミュラ1」だ。何とか来年参戦できそうなので琢磨の勇姿が見れることになる。
だが噂されているように来年のエンジンはホンダエンジンを使えるとしてもシャシーが「4年落ちのアロウズ」であるために苦戦は免れることは出来ない。その中でいかに光るものを見せるか?琢磨の来期はそこにかかってくる。頑張ってほしい。
そして12月23日に琢磨夫人が男の子を出産、パパになった。ますます頑張らなくてはいけない。
琢磨はなぜこれまでの日本人F1ドライバーと違って好成績を収めたのだろうか?
色々理由はあるだろうがひとつは「海外のカテゴリーを経験」したことが一番大きいと思う。中嶋悟にしろ、鈴木亜久里にしろ、片山右京にしろ「日本国内で」実績を挙げたが海外経験はF1が初めてだった。琢磨はイギリスF3を経験し、日本の外の空気を知ったことが後に生きる結果になった。そして「卓越した英語力」も見逃せない。あれほどの英語力は過去の日本人にいなかった。メカニックとの意思疎通を図れることも大きな武器になったのだろう。
ここで04年のヨーロッパGPを振り返ってみたい。このレースは終盤バリチェロをパスしようとした琢磨がバリチェロと接触しそのレースをリタイヤしたというものだ。
このレースの直後琢磨は散々叩かれた。「危険なドライバー」というレッテルを貼られてしまった。「あそこで我慢すれば・・・」という意見も多く出た。そうすればアメリカではなくてニュルブルクリンクで琢磨の表彰台を見れたかもしれないからだ。
僕の見方は琢磨を擁護する。あそこは「攻めて当然」だったと今でも思う。琢磨の判断は間違っていない。琢磨はレースをしているのであって「安全運転」しにきているわけではない。もしセナがそのレースを見ていたらきっと琢磨を褒めていただろう。きっとアイルトンも同じ判断を下すと思うからだ。レーサーは前に言ってナンボ、レースに勝ってナンボの世界、琢磨がレースに勝つために、少しでも順位を上げようとすることは間違っていない。絶対に間違ってはいない。
琢磨のレースの中でベストはどれか?はっきりいって無い。むしろこれからベストレースを作るだろう。ベストレースはもちろん「勝つ」レースだ。琢磨は勝てると信じている。その日が来るのを首を長くして待とう!!
以上で終わります。いかがでしたか?楽しんでいただけましたか?ここでこの「列伝」はいったん終了します。年明けに「2006年参戦チーム分析」なるものをしまして、そのあと「F1ドライバー列伝VOL11」を展開いたします。そしてシーズン開始と共にそのレースを個人的に分析していこうかなとも考えています。
2005年12月27日
今日の道新朝刊に掲載されていた「ユース選手に対する複数年契約」問題。きっかけは野田君の1年での戦力外通告であることは皆さんもご存知のとおり。
で、それが是か非かっていう話に発展しているけどこの問題の要点はそこなのかと首を傾げてしまう。
僕が思うには「ユースから2人のトップ昇格」というユースチームに課せられたノルマのほうが問題だと思う。
つまり最低限2人は昇格させなければならないんだけどその昇格するレベルに果たしてあるのかどうか??というと実際はどうだろう?
例を挙げると04年は智樹と蛯沢、今年は石井と野田君と2人ずつトップ昇格しているけど蛯沢君と野田君が戦力外になってしまった。
だったらこの昇格システムっていったい何?ってなる。だったら最初から昇格させなければいいわけで、無理に「帳尻あわせ」な格好にして欲しくはない。
サポーター全員は選手一人ひとりにそれなりの思い入れを持って応援する。顔立ちが良かったりとか、そのプレースタイルとか、同い年だったりとか、同じ出身地だとかなどなど。それ相応の愛着を選手に対して持っている。そんな選手にはいつまでもコンサドーレにいて欲しいと思うし活躍して欲しいと心から願う。
ユースの監督やコーチはそのことを感じているだろうか?そのことを想像して選手の育成をしているのだろうか?誤解して欲しくはないけど僕はユースのあり方を否定するつもりは無いです。ユースの実力は全国レベルですから。だからこそ「質」にこだわるべきかなと。「量より質」ですよ。極端な話、ユースから昇格する選手がいなくたっていいと思うんですよ。そのレベルに達していないんであれば。それぐらい厳しくてもいいと思う。プロへの道はそう甘くは無い、選手にそんな気持ちを芽生えさせる結果になってよりプロ思考が強くなればいいだろうし。
そんな中で藤田君と西君は相当なプレッシャーを感じながら来期はプレーすることになる。2人とも頑張ってほしい。僕はどちらかというと西君には是非スナに勝ってやるくらいの気迫を見せて欲しいです。
2005年12月27日
ちょっとテレビな話題・・・
プロフィールにあるとおり「Saku Saku」という番組が大好きなんです。
ちなみに「Saku Saku」という番組は横浜にあるアパートの管理人「白井ヴィンセント」とその住人「木村カエラ」が展開するゆる~~い番組です。これがすごく面白い!!絶妙なボケとツッコミが展開されていて北海道では深夜に放送されていたんだけど笑いをこらえるのに必死でした。本来は朝放送される番組なんだけどねぇ。
その「Saku Saku」がなんと今年の9月末で北海道の放送をやめてしまった。これは製作側のTVK(テレビ神奈川)の問題ではなくて北海道で放送する側の問題らしいんだけど週1回の楽しみを奪われてかなりショックでした。グッズは今までどおり北海道でも売られているのに放送がされないなんて・・・こんな理不尽なことってあっていいのだろうか?
ちなみに僕の知るかぎりではコンササポの中にも「サクサカー(Saku Sakuファンのこと)」が結構います。白井ヴィンセントの前任者、「増田ジゴロウ」のストラップやぬいぐるみを身につけている人多数目撃しています。僕の携帯にも「白井ヴィンセントストラップ」をつけています。
この機会にお聞きします。コンササポでサクサカーという人、是非コメントください!!
ちなみにこの番組の特徴として「各都市の歌」を作っています。その中で多分名曲のうちに数えられるであろう「札幌の歌」というものがあります。あと「江別の歌」と「旭川の歌」と北海道では3曲あります。こんな面白い番組をなぜ終わらせるんだH○B!!(怒)コンサドーレの歌とか作って欲しいなぁ・・・
ぬぉ~~~!!Saku Saku見てぇ~~~~~~っ!!!!(爆)
2005年12月26日
早いもんで今日を除けば今年も残り5日。つい昨日J2が開幕したかのような錯覚が残っています。(笑)
去年の今頃は「来年のチームはどうなるのかなぁ?」と自分の中で来期のシュミレーションをして一人でニヤニヤしていました。
例えば・・・
「池内が真ん中に来ると曽田はどうなるかなぁ?右は西澤と加賀の争いになるだろうし、左は和波で決まりかなぁ・・・、FWは中山軸で考えると・・・」てな感じで妄想にふける日々(笑)
今年もそんな感じで考えにふける事もあるけどまだ見えないこともある。外国人FWはどうなのか?ボランチはどうなのか?サプライズ補強はあるのか?まだ見えない部分があるが結論の見えているドラマや小説を誰も見たくはないはず。でもそんなことを言っている時間も限られているのも事実。そろそろ形を見せていただきたい。もう来期への「Count Down」は始まっているのだから。
2005年12月26日
って誰よ!!!と思いっきりツッコミを受けそうな感じがしますが(笑)まあ、気にしない、気にしない。(一休か、お前は!)
今回はサッカーゲームに関して書こうかなと。で、タイトルにある「長谷川伊佐男」の意味がわかるでしょう。では長くなるので続きからどーぞ!!
もうかれこれ3年ぐらいやっている「Jリーグウイニングイレブンタクティクス」というゲーム。これは自分自身が監督になってチームを強化し、Jリーグを勝ち抜きてゆくゆくはクラブと代表を掛け持ち国内外や代表のタイトルを総なめにしちゃおうというゲーム。
僕が監督しているのはもちろんコンサドーレで代表でも大変よい成績を残しました。
で、そのなかで最も印象深い選手というのがこの「長谷川伊佐男」だというわけです。
この選手、どういうわけだか「ユースからの昇格選手」なのでいわゆる生え抜きの選手でした。初期パラメーターを見ると明らかに「トップ下」専門の選手、当然その方向で育成することを決定しじっくりと育てました。コーチとのマンツーマン指導だったり、海外へ修行に行かせたり、チームメイトからの指導(指導したのはなぜか中田英寿)があったりととにかく英才教育ばっちしで順調に育っていきました。
その結果ドリブルはうまくて、しかも早くて、パスも正確、シャドーストライカーの役目もできるというチームに欠かせない選手になってしまいました。ただPKとFKがヘタというのがネックだったが・・・(笑)
この選手が繰り出す「スルーパス」は本当に最高だった。いきなりセンターサークルから思いっきりスルーパスを繰り出しゴールを演出したりと「ファンタジスタ」の要素がいっぱいあった。常にアシストランキングは1位だった。
そしてシュート精度は低いくせにヘディングがうまく(身長も低い、ちなみに168cm)他のチームのFWより点を取っていた。
無論コンサでも代表でも「10番」を背負いチームの勝利に貢献したが年齢と共に能力も下がり34歳で引退。ゲームの中とはいえかなり悲しかった。
今彼の能力は何故かオオナタ(小野伸二)に受け継がれ彼が今トップ下に入っている。ちなみに左サイドは中村俊輔で右サイドは木村和司(爆)
このブログを読んでいる人でこのゲームをやったことがある人っているだろうか?これは本当に面白い(と自分では思う)。もし機会があれば是非やっていただきたい。初期のコンサドーレを見て納得いかないこともあるだろうけどチームが勝ち続けてかつ金があれば間違いなくチームは強くなります。
やっぱり金なのね・・・ゲームでも現実でも。(悲)
2005年12月25日
クリスマスで「水曜どうでしょう」を思い出すのは僕だけだろうか?(爆)
2001年に放送になった「ヨーロッパリベンジ」という企画、フィンランドに「サンタクロースランド(だっけ?ohakoさん?)」にたちより、背がでかくて、日本語がペラペラなサンタのおっさんが登場。「クリスマスに何が欲しい?」と聞かれて、もじゃ毛の男が「ハンバーグ!!」と言い笑いを誘った。「あなたは?」と聞かれた唇の厚い某事務所社長は「ミートゥ」と言って視聴者をがっかりさせた。
そんなイメージしか僕の中には無い!!(激爆)そんなもんさっ、どうせ僕なんかねぇ・・・(涙)
2005年12月24日
我が家には拾ってきた猫をもう10年近く飼っています。 彼女の名前は「ハナ」ちゃん。アメショーとロシアンブルーのハーフって感じのメス猫です。多分10歳(汗) 実は彼女は他の猫と違ってひとつの大きなハンデを背負って生きています。それは・・・ ↑で見てわかるように片目を失っています。拾ってきた段階で左目に異常がありそれが腐ってきてやむなく切除という選択をしました。 でも彼女はそんなハンデを感じさせることは無く元気に生きています。そして毎日ゴネています。(爆) 猫って面白いですねぇ、犬より表情があるって言うか、味があるというか。うちのハナちゃんと遊んでいると結構癒されます。 追記:猫が入っている布団はうちの「ナチュラリスタ」の布団です。(爆)
2005年12月24日
なんかすごい疲れた・・・
ってのも「総括」の下書きをしていて4時間かかったもん。(疲)首筋に痺れを感じてきたからもう寝よう。でもその前に「列伝」をアップしなくては(汗)
てなわけで列伝いきますよぉ~~。ではどうぞ!!
これまで書いてきてひとつの事に気づきました。「イタリア人ドライバーのことを書いてねぇ」と。(笑)そこで今回はイタリア人ドライバーを紹介します。
「鉄道模型マニア」であり「鉄人」とも呼ばれた「偉大なるナンバー2」といえば・・・
Riccardo Patrese リカルド・パトレーゼ
1977年シャドウというチームからデビューしたパトレーゼ。このとき彼はまだ大学生、学生ドライバー誕生である。デビューしたての頃は運転が荒々しかったようだ。それが年々丸みを帯びてきてうまくなっていく。円熟というものか。
シャドウからデビューの後アロウズ、ブラバム、アルファロメオ、ブラバムとチームを移り87年の最終戦にマンセルの代役としてウイリアムズから出走することになる。そこから92年までウイリアムズで走り続けることになる。93年にはベネトンへ移籍、その年を最後に引退する。
彼の魅力は円熟したドライビングに加えて卓越した「開発能力」だ。92年のウイリアムズFW14Bの開発はパトレーゼ抜きには考えられないものだったろう。マンセル一人であのクルマを熟成することはできない。絶対ありえない。パトレーゼだからできたことだ。またルノーの黄金期を支えたのもパトレーゼといって過言ではない。パトレーゼのおかげでマンセルやプロスト、シューマッハーはルノーエンジンを用いてチャンピオンになったのではないか?
そして円熟されたドライビングに加えてアグレッシブさも加わったドライバーだ。91年マンセルに勝っているレースがいくつもあるし、チームにおける自分の立場、完璧なナンバー2をなんとも思っていない。そんなメンタルな強さと大きさがパトレーゼに備わっている。本当に素晴らしいドライバーだ。
通算出場数256戦、絶対に破られることはない記録、鉄人と呼ぶにふさわしいと思う。
そんなパトレーゼのベストレースはなんだろう?
91年メキシコGP。同僚マンセルに完勝したレース。このレースはウイリアムズの1-2フィニッシュだったがマンセルがどんなに頑張っても、ファステストラップをいくら刻もうがパトレーゼには勝てなかった。それほどこのレースにおいてパトレーゼは「強かった」。その後マンセルがフランス、イギリス、ドイツと3連勝する原動力を与えてしまうほどのインパクトを残した。個人的には92年の鈴鹿も挙げたい。表彰台にあがったのはトップ3のナンバー2ドライバーたち。下克上を思わせるリザルトだった。
先日行われたGPマスターズにも出場したパトレーゼ、このレースでも3位に入った。白髪で頭が真っ白になったパトレーゼ、いつまでも元気でいてほしい。
以上です。次は10人目、いったい誰になることやら・・・という訳でリクエスト受付中!!正直ネタがつきつつあるんでよろしくです!!
2005年12月23日
本題の前に・・・
100の質問の総括は順調に進んでいます。回答の可否を24日の24時で締め切ります。詳しくは「告知っていうかお願い」というブログタイトル(12月18日付け)をご覧ください。回答してくださった方は是非そちらをご覧になりコメントをください。お願いいたします。
あと引き続き「わたしのまわりのナチュラリスタ!!」を募集していますのでこちらもよろしくです。(爆)
では本題・・・
相変わらずサッカーに関係のないマニアックな内容になっています。ではどーぞ!!
もう8回目です。すごいですねぇ、ここまで続くとは思いませんでした。
ではいきましょう、今回のドライバーはいたずら大好き人間です。
Gerhard Berger ゲルハルト・ベルガー
1984年デビューしたゲルハルト、そのころの情報はほとんど無く具体的なことはよくわからない。ATSというチームからデビューしたことぐらいしかわからない。そのあとアロウズに移籍し、86年からはベネトンへ移籍する。
その86年のメキシコGPで初優勝、次代のチャンピオン候補として注目が集まるようになる。
87年フェラーリに移籍、ポルトガルGPでは初めてPPを獲得し、第15戦日本GPで優勝した。フェラーリにとって約2年半ぶりの勝利をもたらした。89年までフェラーリに在籍する。
その89年に最大の危機が訪れた。第2戦サンマリノGPでタンブレロコーナーでクラッシュ、マシンは大炎上した。その中からベルガーは奇跡的に生還、次のモナコは欠場するも第4戦から復帰、根性のある男である。
90年、プロストとトレードの形でマクラーレンに在籍。しかし、セナには勝てなかった。91年の鈴鹿ではセナに譲られる形での優勝、この行為は後に物議を醸し出す結果になる。
そして93年フェラーリに移籍。チームメイトはジャン・アレジ。97年まで一緒に戦うことになる。96年にはアレジと共にベネトンへ移籍、97年に引退する。初優勝を飾ったチームはベネトン、最後の勝利97年ドイツGPで優勝したときもベネトン、ベルガーらしいと感じるのは僕だけだろうか?
ベルガーはここ一番で勝つドライバー、なので「記憶に残るドライバー」といっても過言ではない。
なんといってもベルガーを有名にしたのは「数々のいたずら」だった。女性も読んでいるので書くのも躊躇するがセナのパスポートの顔写真のところに「男性性器」の写真を貼り、セナが入国審査に3時間拘束されたとか、逸話はいろいろある。そんなベルガーがこのF1の世界に長くいられたのはその性格だからだろう。いたずらはするが好漢ベルガーとしてみんなから愛されていた。
そんなベルガーのベストレースはこれにする。
92年オーストラリアGP。ウイリアムズ独走のこの年にベルガーが素晴らしいパフォーマンスを見せた。一台一台丁寧にクルマをパスしクルマをいたわりトップを快走する。しかし終盤シューマッハーの追撃を受けるがそれを退け優勝する。ホンダ71勝目、第2期ホンダの最後の勝利をベルガーがプレゼントしたのだ。
「ありがとう、ゲルハルト!!」三宅アナの実況が涙を誘う。本当にありがとうゲルハルト!
以上です。第9弾は誰になるんだろう?自分でもわからないです。(笑)
追記:ベルガーのいたずら武勇伝を他にも知っている方がいれば教えてください。かなりえげつないことをやっていますよねぇ、この人は(笑)
ベルガーの武勇伝を募集中!!
武勇伝、武勇伝、ブユーデンデンデデンデン!!Let's Go!!!(笑)
2005年12月22日
先週ご機嫌が悪かった僕のパソコン、もうすっかり調子を取り戻しブログの更新も快調でございます。「今までのはなんだったんだ?」と疑問を持ちつつも二度とこのようなトラブルが起こらないようにしてほしいと願うばかりです。
頼むよ!!俺パソ!!!
ってなわけで(?)このパソコンが調子悪くなる前にネットショッピングをしましてそこでついに念願のものを手にすることができました。
それは・・・
onちゃん着ぐるみぬいぐるみ!!これずっと欲しかったんですよ~~ぉ!!
どうでしょう祭りに参加できなかった僕にとってこの存在が気になってしまって買うに買えなかった。ようやくGETできて嬉いったらないもん(笑)
そんなことで喜ぶなぁ!!とお叱りを受けそうなのでここで失礼します。(逃)
2005年12月22日
今日は笑いに走ります。(笑)ただ外すかもしれないので興味のある方は続きからどうぞ。
このブログのタイトル[Fantasista]という言葉は「創造性豊かなサッカー選手」に対してつけられる言葉なんだけどこれを文字って[Naturalista](ナチュラリスタ)という言葉を作ってみました(笑)。
意味は「天然性のある人間」を指す・・・つまりは天然ボケの人を指します。(爆)
今日は僕の身近にいる「ナチュラリスタ」、つまり”うちのおかん”のキラーパスを紹介します。(いいのか?)
車で移動中、おかんが話を切り出してきました。なにやら平井堅の「大きな古時計」というCDが100万枚越えるか?というのをテレビで仕入れたらしくそのことについて僕に話しかけてきました。
「ほら、あんた知ってる?大きな古時計を歌っている・・・ほら、あの人なんていったけ??なんだったかなぁ???え~と~~・・・・あ、あのサル!!」
え??サル???平井堅に失礼だろぉ!!と僕は思いっきりツッコミを入れましたがかなり強烈なキラーパス、ついていくのにやっとでした。(激爆)
もうひとつ、おかんと一緒にスーパーへ買い物に行ったときの話・・・
納豆を買おうとして納豆コーナーに向かったうちのおかん、突然僕に話しかけてきました。
「ダイ、納豆ないわ」
おかんお気に入りで、かつうまい納豆が売り切れていました。何でもいいと僕が言った後うちのおかんが一言・・・
「大きいのしかないねぇ・・・」
粒が大きいのしかないと訴えるうちのおかん、別に構わないがよくパッケージを見ると「中粒」という文字がある。「これ中粒だよ、これでいいやん?」と僕が尋ねるとおかんが一言・・・
「え??だって”おおまめ”って書いてあるでしょ??」
皆さんわかりますか?(笑)うちのおかんは何とパッケージにある「大豆」という文字を粒の大きさを表していると思い「おおまめ」と呼んだわけです。僕は店の中でただただ大爆笑!!(核爆)このキラーパスにはついていけなかった・・・(爆)
皆さんの周りにこのような「ナチュラリスタ」はいますか?いたら教えてください、思いっきり笑いますから(爆)
2005年12月21日
西谷ありがとう!!これは本当に心強い。
あとは足りない部分の補強だけ。外人FWはどうなるのか?ボランチはどうなるのか?今年中には見えてくるんじゃないのかな?
う~~ん、開幕まで待ちきれなくなってきた・・・どうしよう?(笑)
2005年12月21日
ではいきましょう。今回もマニアックな内容です。では続きからどーぞ!!
もう7回目になりました、そろそろ飽きてきませんか?(爆)皆さんがおなかいっぱいになるまで頑張っていきますよぉ。今回はこの人に注目しました。
フランス人ドライバーでもっとも「27」が似合う男・・・
Jean Alesi ジャン・アレジ 本名ジョバンニ・アレジ
89年フランスGPでティレルからデビューしたアレジ、いきなり4位に入り周囲の評価を得ることになる。当時は国際F3000との掛け持ちなのでスポット参戦のような形だが90年からフルシーズン参戦することになる。
90年のティレルでのレースは2位2回というティレルというチーム力を考えれば素晴らしい成績を残した。そんなアレジに目をつけたあるチームが彼にオファーを出した。その年の末、ジャンは移籍を決意する。
91年、フェラーリに移籍。周りから早すぎる移籍といわれたがやはりその年はおとなしく見えた。プロストの影響だろう。しかし翌年プロストの呪縛から解かれたようにアレジはレースでのびのびとした走りを見せるようになる、しかしなかなか勝てない、これは本人にとってもフラストレーションになったはずだろう。
しかし、時は訪れた。95年カナダGPで初優勝、しかしこれは最後の優勝でもあった。
96年シューマッハーとトレードのような形でベルガーと共にベネトンへ移籍。96年のアルゼンチンGPで2勝目のチャンスがあったにもかかわらずそれを逃した。このことに気づいた人間はどれほどいたのだろうか?
その後ザウバー、プロストとチームを移籍する。特にプロストではチーム状況が最悪の中ポイントを稼ぎチームに貢献、でもプロストとの確執が表面化、01年途中にジョーダンへ移籍、その年を最後にF1から引退する。今はドイツツーリングカー選手権に参戦中、相変わらずキレた走りを見せてくれているのだろうか?
アレジの走りの特徴はとにかく「速く走る」というものだった。だからブレーキもギリギリまで我慢する、そんな走りを展開していた。しかしそんなドライビングスタイルは当時のF1では通用しなかった。でも型にはまればとてつもない速さを披露する。そして公道サーキットには強かった。モナコではベルガーや(90年)、シューマッハーとバトルを繰り広げ(92年)、我々をワクワクさせてくれた。
そんなアレジのベストレースはこれにしようと思う。
90年アメリカGP。開幕戦でアレジはやってくれた。スタート直後いきなりトップに立ちそのまま独走、しかしあるドライバーが後ろから追いついてきたのだ。「アイルトン・セナ」である。セナとアレジの一騎打ちは本当に面白かった。
セナがアレジのスリップに入る。1コーナーでインをつくセナ、だがアレジも負けてはいない、すぐ2コーナーでセナを抜き返す、これにはセナも驚いたようだ。次の周にまたも1コーナーでセナはアレジのインをつき抜くことに成功、アレジはまた抜き返そうとするがセナは抜かせない。再三セナを抜こうとするアレジ、だがマシンの性能差ゆえにどんどん引き離される。結果2位入賞、セナもアレジのファイトを讃えた。
アレジは後藤久美子さんの夫としても有名で日本人にはなじみのあるドライバーだろう。そんなアレジのドライビングは忘れたくても忘れることができないぐらいインパクトのあるものだ。
これで第7弾は終わります。次回をお楽しみに~~!
2005年12月20日
今回、前回とアクセスランキングを覗いたら共に「28位」でした。まあ100の質問以降たいして面白いことを書いていないから当然といえば当然だが19ランクダウンです。まあこれからも頑張るんで見てください。
そんなこんなでアクセスランキングにちょっと疑問があるわけですよ。なぜランキングなのかと。
ランキングになると他の人と比べてしまってランキングを落とさないために必死になる。そのために多大な時間を使うわけだから相当疲れるでしょう。で、結果が出なければ人によってはがっくり来てモチベーションが下がる。更新もできなくなって最終的には放置・・・てなことになるかもしれない。
まして頑張って1位になるために面白い事を書いてもしまふくさんのブログや社長のブログというHFCの「2トップ」にはかなわないし、今回のランキングでHFCがらみがトップ10を独占している。別にたいしたことではないけれど人によっては大問題だ。
どうだろう?人と比べて一喜一憂するよりは自分の中で喜べるシステムを構築することはできないだろうか?
その一例としてアクセスカウンターをつけるのはどうだろうか?それなら自分のブログにどれだけアクセスがあるかがわかる。下手にランキングを通して人と比較することより過去の自分と比較するほうがよっぽど健全のように感じる。
まあランキングを無視できるほど僕は大きな人間じゃないのでやっぱり気になります、正直な話。だからどうでしょう?この文章を見ているHFCの方、WEBOSSの方、ちょっと趣向を変えてみてはいかがですか?
2005年12月20日
今現在の進行状況はとりあえず答えてくださった方のブログやホームページの解答欄をすべて印刷してその中からピックアップするという作業に入っています。
もうこれが楽しい!!昨日のおでんのブログにも書いたけど「目の前にある高級食材をどう料理してやろうかと手ぐすねひいている料理人」状態です。結構「もう少しボケていれば・・・」とかいっている方もいらっしゃいますが、もう十分です。あとは僕が拾い上げますから(笑)
ちなみに参加者は1人増えて29人になりました。(Tetsuさんありがとう!)あと2人増える予定なので最終的には31人になるのかな?でも全然あとからでも構わないのでコメントに「やったよぉ」と入れていただければ覗きにいきますので。
アップ予定は本当に年末ギリギリになりそうです。だってF1とかのブログもアップしなくちゃいけないし・・・これだけはお約束します。「今年中には」公開しますのでお楽しみに!!
あ、そうそう追記を・・・
大好評(?)いただいているF1ドライバー列伝、今のところVOL7と8は完成しました。9も近く執筆予定です。困ったのは10人目、いったい誰にしようかと・・・
そこで10人目はこの人の事を書いてほしいというリクエストがあったら受け付けます。そろそろ誰を選んでいいものかわからなくなってきたので皆さんが読みたい人を書こうかなと考えました。その中から多い人を書きます。
ただし、そのリクエストしたドライバーがVOL7と8で書いたドライバーは抜かします。そのVOL7と8で書いたドライバーは誰?って話になりますがヒントは「フェラーリドライバー」とだけ言っておきます。(もうわかるか?)
ではみなさん、よろしくで~~す。
次回F1ドライバー列伝VOL7は明日アップ予定です。
2005年12月19日
今日仕事帰りに家の近所の自動販売機に行ったらすごいものが売っていました。
まさか北海道にあるとは知らなかった・・・・
それは・・・・・・
そう、おでん缶です!!で肝心の中身はというと・・・
あけた瞬間わからなかったけど串に刺さったこんにゃくがあり、牛すじがあったり、さつまあげやちくわなど思ったよりボリュームがあるものです。
で、肝心の味のほうは・・・・うん、思ったよりうまい!!(笑)
わるくないです。ちょっとしたおつまみには最適かもしれません。また買おうかなぁ?
皆さんはおでんにどんな薬味をつけますか?普通にからし?僕は最近「ゆずこしょう」にはまっています。
2005年12月19日
本題の前に・・・
100の質問総括のまとめは順調に進んでいます。なので自分の回答が使われてもいいのか悪いのか今週中に返事をしていただく様お願いいたします。詳しくは先日のブログを見てください。
では本題・・・
今回もふつーにマニアックな内容かつサッカーに関係のない内容になっています。興味のある方は続きをどうぞ。
いよいよこの男の登場です。ターミネーターと呼ばれた男です。
Michael Schumacher ミハエル・シューマッハー
僕がミハエルをはじめてみたのはF1ではなく全日本F3000の時だった。91年唯一スポット参戦をしそのレースで2位表彰台に立った。コースは菅生、ありえないことだ。日本人ドライバーでさえ菅生になれるのにはかなりの時間を要するがミハエルは「たった」10ラップでトップタイムをたたき出した。これに星野一義が危機感を募らしたのは有名な話。
それからまもなくF1でデビューする。91年ベルギーGP、乗る車はジョーダン。難コースのスパ・フランコルシャンでいきなり予選7位につける。結局決勝は0週リタイヤに終わるがこのインパクトがあまりにも大きすぎで次戦、イタリアGPではなんとベネトンへ移籍してしまった。もともと持つナチュラルなスピードを生かしチームメイトを圧倒、ネルソン・ピケやリカルド・パトレーゼを引退に追い込んだ。
92年ベルギーで初優勝、デビュー18戦目での快挙だった。そして94年に初のワールドチャンピオンを獲得するもそれは悲劇的といわざるを得なかった。その年のサンマリノで前を走るセナがクラッシュ、つまりセナの最後を看取ったのはシューマッハーだったのだ。シューマッハー自身セナにあこがれてこのレースの世界に飛び込んだ。そのセナが自分の目の前で死んでいった事実は何にも変えがたい経験になったはずだ。それが証拠にサンマリノ以降運転が異常にうまくなったのだ。そして凄みも増した。94年、スペインGPではギアボックストラブルで5速のままレースを終えて2位に入った。今までこんなことができたのはセナだけだ。94年の段階で「天才の成熟」を目の当たりにしたような気がする。
95年もワールドチャンピオンをとり翌96年フェラーリに移籍、ここからフェラーリとシューマッハーの黄金時代がスタート・・・・したわけではない。この年のフェラーリの車はジョン・バーナードがデザインしたがはっきり言って「駄作」だった。そんな中でも3勝をあげたミハエルの腕は高く評価されてもいい。
そして97年はジャック・ヴィルヌーブと98年はミカ・ハッキネンとチャンピオン争いをするが惜しくも負けてしまう。
そして危機は訪れた。99年のイギリスGPでストウコーナーを曲がりきれずにクラッシュ、足を骨折してしまった。当然レースには出られない。ここでミハエルの99年は終わりを迎えた。
そして2000年、フェラーリはF2000を開発した。それに乗ったシューマッハーは他を圧倒する力を見せつけチャンピオンに返り咲く。以後01,02,03,04年と続けてチャンピオンになりまさしく「皇帝」となった。
ミハエルは様々な記録を塗り替えてきた。あとはセナが持つポールポジションの記録(65回)ぐらいだろう。このままいけばミハエルは確実に超えるだろう、いや超えてほしい。憧れのセナのために・・・
ミハエルのベストレースはどれがいいのだろう?色々ありすぎで迷うが印象に強く残っているのが93年のベルギーと96年のスペインだ。
93年ベルギーは終盤プロストを抜くアグレッシブさを見せた。96年スペインは雨の中ラリーのような運転で優勝をした。どれもシューマッハーのテクニックが冴え渡ったレースだった。それが個人的に印象に強く残っている。
以上です。次は誰になるのでしょうかねぇ?
2005年12月18日
以前このブログで展開した「コンササポに聞く100の質問」。本当に多くの方に答えてくださり、かつご自身のブログやホームページで公開してくださったりで感謝しきれないくらいです。本当にありがとうございます。m(__)m
さてさて、そんなこんなで僕も自分のブログに「100の質問やったよ」とコメントを寄せていただいた方々の答えを見させていただき、コメントも残しましたが「面白いなぁ」と感じるわけです。十人十色、様々な考えをもつ人たちが答えるわけだからそれも当然なんだけど、ツッコミどころも満載だし(笑)。
そこで今年中に「コンササポ100の質問総括」として一部の質問をピックアップして皆さんがどう感じているのか、またちょっとした爆笑回答などを紹介したいなぁと考えています。それでお答えになった皆さんの内容を一部使わせていただきます。「それはやめてよぉ~」っていう方はどうぞその旨をコメント欄に入れてください。「いいよぉ~~っ、どんどん使っちゃって!!」っていう方もコメントを入れてください。リアクションなき方に関しては「容認」と解釈しますのでお願いいたします。
あと、「これからやってみようかなぁ?」とお考えの方は是非その旨をコメントしていただきURLも添付していただけるようお願いいたします。答え方によっては僕だけではなくアナベルさんもツッコミに参加しますので。(爆)
そんなわけで皆様のご協力をお願いいたしまする~~~っ。
2005年12月17日
今年、サッカー以外で2度札幌ドームに行った事がある。プロ野球の観戦だ。1回目が交流戦の日ハム対阪神、2回目が公式戦最後の試合日ハム対千葉ロッテだ。
個人的には野球が大好きだからかなり楽しめた。勝ち負けは別にして。そして感心した、「応援すげぇなぁ」って。日ハムの応援?いや対戦相手の応援だ。
例えば阪神の場合、盛り上げ方が異常だ。そして統率が取れている。もちろんこれまで培った経験がものを言うがそれ以上の何かを感じた。そしてブーイングのタイミングもうまい。ほぼ完璧に「していいブーイング」だった。阪神ファンはおっかないとか言われるけど応援の質に関して言えば文句なし、本当にすばらしかった。
千葉ロッテの応援もまたすごかった。「サポーター」と呼んでいるからサッカーのノリに近いけど迫力は十分伝わった。何よりも選手ひとりひとりを大切にしているなぁと感じる。
例えばイ・スンヨプという韓国人のスラッガーがいる。彼の応援歌は韓国語で歌われている。これは本人にとって嬉しいはず。ベニーという選手にはメッセージ性の強い歌詞が用いられている。これに気を良くした本人は「引退までマリーンズ」といってはばからない。
そして両者にいえるのが「いかにも楽しそう」なのだ。決してダラダラとしていない、かつ熱く声援を送っている。こっちも参加したくなるような応援だった。またこれはプロ野球全チームにいえることなんだけどチャンスやビックイニングの時は「同一の応援歌」を歌っている。日ハムなら「北の国から」のメロディで一気にテンションをあげる。すごく単純だが面白いしかつ盛り上がる。そして引き込まれる。確かこんな応援をやり始めたのはジャイアンツが最初と記憶している。それが全球団に広がっている。個人的には中日の「狙い撃ち」も好きだ。
こんな雰囲気をサッカーに流用できないだろうか?確かに「野球とサッカーは歴史が違いすぎる」という意見はある。それはもっともなことだ。でも歴史や文化は違えど学ぶことはできるはずだと考えることができる。
実際に千葉ロッテの応援はサッカーに通じるものがあるじゃないか?それはサッカーのスタイルを学び、取り入れて今の千葉ロッテを応援するスタイルとして確立されてきている。
じゃあコンサドーレはどうか?様々な応援歌はあってバリエーションは豊富だ。しかし問題点はある。そのひとつは「はじめて来た人たちが歌いにくい」ということだ。単純でわかりやすい歌がないと思う。これがコンサドーレだ!!という代名詞的な応援歌が無いと言っても過言ではない、「赤黒の勇者」はそれに値するかもしれないが歌う時と歌わない時があるので「歴史や重み」は伝わらない。
せっかくチームが発足して10年が経とうとしているのに応援が確立されていない気がするのは気のせいだろうか?
応援の交流というものを例えば日ハムの応援団である「闘将会」とコンサドーレのサポーター「ウルトラスサッポロ」で行えないものか?せっかく同じホームスタジアムを使っている、しかも野球とサッカーが同じスタジアムを使用しているなんて世界的に見ても例がないはずだ。そんなアドバンテージを生かせないものだろうか?それぞれのノウハウを出し合って北海道のスポーツシーンを盛り上げることはできないだろうか?
「異文化コミュニケーション」っていうとどっかの英会話スクールのキャッチコピーみたいだけど検討してみる価値はあると思う。
僕の考えは甘いのかなぁ?サッカーを、コンサドーレを盛り上げるためにもいいと思うけど・・・
2005年12月16日
今回もやってきましたこの企画。またマニアックな内容になっていますので興味のある方は続きからどうぞ。前回の「しりとり」で誰もコメントをしてくれないから慌てて更新しました。(爆)
なんだかんだいって続いてしまったこのブログ。今回で第5弾です。今回はこのドライバーに注目しました。「フライングフィン」といえば・・・
Mika Hakkinen ミカ・ハッキネン
91年ロータスからデビューしたミカ。このときにデビューしたほかのドライバーと比較してもレベルが違っていた。デビュー戦アメリカGPで予選を非力なロータスで中段の位置に付けたり3戦目のサンマリノで5位入賞、初ポイントゲットをしてみせた。ライン取りも正確だしコーナリングも速い。実際92年にはジョニーハーバートと共に入賞を繰り返しその速さと強さを思う存分アピールした。
そして93年、マクラーレンに移籍。しかし待遇は「リザーブドライバー」いわゆる控えだった。そんな中腐ることなくもくもくとテストをこなしチャンスをうかがっていた。その機会が訪れたのは93年のポルトガルGPだ。いきなり予選でセナに勝ってしまったのだ。いままでのうっぷんを晴らさんばかりにレースでもアグレッシブに攻めた、でもそのレースはリタイヤしてしまう。でもこういう部分が評価されてマクラーレンでF1人生を過ごすことになる。
途中、選手生命の危機にさらされるクラッシュもしたが(記憶が確かなら95年のオーストラリアGP)見事にカムバックした。そして97年最終戦へレスで初優勝を飾る。ミカの実力を持って知れば遅すぎるものだった。
98年、ミカは一気にチャンピオン争いの中に加わることになる。精錬されたマクラーレンのシャシー、熟成されてパワーアップしたメルセデスエンジン、そして何よりこの年から「ブリヂストンタイヤ」を履いた事が一番のアドバンテージになった。98年はミハエル・シューマッハー相手に、99年はエディ・アーバイン相手にチャンピオン争いを演じそして勝った。
しかし、その後はフェラーリとミハエル・シューマッハーが横綱相撲のようなレースを見せ、ミカはF1からの引退を決意した。今はドイツツーリングカー選手権に参戦し、レーサーとしては引退はしていない。
彼の性格は冷静だがかなり攻撃的だ。それはあくまでもレースの中であって私生活ではそうではない、よきパパである。
そしてなにより息子ヒューゴが心の支えだろう。個人的にはミカの息子ヒューゴ・ハッキネンとミハエルの息子ミック・シューマッハーがF1で争ってくれるのを期待してやまない。
ではミカのベストレースといえばやはりチャンピオンを決めた鈴鹿でのレースだろう。特に99年のレースはスタートで勝負が決まってしまった。ミカは驚異的な集中力を持ったドライバーだ。これはミハエルにはないものだ。そして自分に絶対的な自信があるのだろう、そういう特質はチャンピオンに向いている。ミカはそういう人だ。ただあの「かっこ悪いポーズ」を表彰台ではやらないでほしい。まあ、それもミカらしいが・・・
今回はこれで終わりです。次は誰になるのか?お楽しみに~~!
2005年12月16日
リンク先の「LOVE さっぽろ」のkabaoさんがしりとりを企画しました。あっさり乗っかってみます。(爆)
では・・・
「き」からなので・・・
キラーパス
>中田の必殺技ですね。来年のW杯で見れるかなぁ?
砂川誠(すなかわまこと)
>コンサドーレの司令塔ですね、来年もがんばってくれ~~っ!!
トレーニング
>柳下監督の「口癖」ですね。(笑)
グラウ
>サッカー選手ですね。札幌に来ない?(爆)
ウルトラス・サッポロ
>ゴール裏の住人ですな。来年も引っ張っていってほしいです。
ロナウヂーニョ
>アシスの弟です。(爆)安く売ってくれないかなぁ?(核爆)
ここまでにします。次は「よ」ですよぉ!!
2005年12月15日
パソコンに精通している方なら何てことないのでしょうけど僕にとってはまさしく非常事態でした。ホントに大変だったんだから・・・
まあ詳しい話は続きからどうぞ。
実は昨日の夕方から僕のパソコンがネットへの接続ができなくなりました。ウイルスソフトのアップデートを終えてさあネットを繋ごうと思ったら・・・
かなりあせりました。その時は「朝にブログを更新しておいてよかったぁ」と思ったけど今後をどうするかってことを考えたらさあ大変!!急いで復旧の作業に入りました。
今回の様なことは実は以前にも経験していました。XPのSP2をインストールした時僕のパソコンは(ちなみにノートね)無線LANを採用しています。(今でも)。それでその無線LANがSP1対応だからそのまま使うことができないことが判明、でも一回アンインストールをして再度インストールすれば大丈夫ということがわかりその問題は解決しました。
で、今回もそのようにやってみたところ・・・あれ?なかなか直らない。ってかだんだん深みに入るような感じが・・・(爆)
そんなこんなで午後9時、トヨタカップを見ながら作業をしていたけど仕事の時間になりその場は終了。仕事中もパソコンが気になってしょうがない中、朝を迎える。
そして今日の昼過ぎ復旧作業再開、わからないことばかりなので無線LANのメーカー「猛牛」に聞いてみることにしました。(笑)
そこで出た答えが「ウイルスソフトが強すぎる」ということが判明。その会社の無線LANは僕が搭載している「一番安いウイルスソフト」に対してそういう反応がよく出るらしい。考えようによっちゃウイルスソフトのコストパフォーマンスは素晴らしいと思うがネットが繋がらないと始まらないのでとにかくオペレーターの指示通りに見事復旧。ウイルスソフトを再度インストールしていざ再起動・・・・と思ったらまた最初と同じ症状に。う~ん、困った、どうしよう・・・
で、考えたのは無線LANが接続するまでウイルスソフトを停止させること。そうすることで無線LANは繋がり、そしてウイルスソフトを起動させて今パソコンは動いているわけです。
でも一回一回ウイルスソフトを停止させて再度起動させるのは面倒なこと。なので明日ウイルスソフトメーカー「次のソース」へ電話して改善します。(爆)
実は明日パソコンのほかにもうひとつ見てもらわないものがあるんです。それは僕の体。10月に肝機能障害が発覚して検査の結果、とりあえず「経過観察」の診断が下り、2回目の診察が明日になります。朝9時までに病院へ行くんだけど道がすべるから遅れないようにしなければならないし・・・
あ~~~~っ面倒だなぁ~~~~っと!!
皆さん、健康は大事ですよぉ~っ!体もパソコンも!
2005年12月14日
来期J2は3月4日開幕だそうな。
その日のドームは日ハムのオープン戦なので使えないので次の週の3月11日か12日がホーム開幕戦(@札幌ドーム)であろうという予測。
お願いだぁ~~~~~!!!!11日であってくれぇ~~~~~~!!!12日は行けねぇよぉ~~~~~!!!!
対戦相手はどこになるんでしょうねぇ??気になりだしてきました。
2005年12月13日
第4弾まできちゃいました。相変わらずサッカーとは関係のない内容になっています。では続きからどーぞ!!
さて、今回は誰にしようか?とちょっと悩んだりもしたけどやっぱりこの人の走りが好きなのでここで書いてしまいます。とっておきにしたかったけど忘れちゃいそうなので・・・今息子さんもレーサーとして活躍し、現在はチーム監督として数々の栄光を経験している人です。 Satoru Nakajima 中嶋 悟 1986年全日本F2選手権でシリーズチャンピオンになり翌87年「ロータス・ホンダ」でF1デビューを果たす。チームメイトはアイルトン・セナ。セナと中嶋はこうした接点があったのだ。 しかしデビューしたはいいがやはりF1、なかなかうまくはいかない。1000馬力のホンダターボエンジンにこのときのロータスは「アクティブ・サスペンション」を搭載、しかもこのサスがうまく機能しない。セナはもちろん、中嶋も苦戦した。しかしデビュー2戦目で初入賞、その年のイギリスGPではホンダ1-2-3-4の一端を担いF1の歴史を刻んだ。 89年、レギュレーションが変わり、ターボエンジンが全面禁止になる。そうなると中嶋はホンダエンジンを2年間手放さなければならなかった。特にこの年のロータスは本当に厳しい戦いを強いられ中嶋はもちろん、チームメイトのピケでさえ予選落ちをすることもしばしばだった。 90年、ティレルに移籍、チームメイトはジャン・アレジ。中嶋はアレジを見て「彼はチャンピオンになる」と断言、見事に外れる。この年のティレルは独特なウイング「アンヘドラルウイング」を開発しティレル019に搭載、このマシンを駆ってこの年3度入賞を果たす。 91年、ホンダがV12エンジンを開発しそれをマクラーレンに供給したことで中嶋にホンダV10エンジンが供給される。中嶋とホンダのジョイントが復活した年だ。その年の開幕戦アメリカGPで5位入賞、幸先のよいスタートかと思えばこの年の入賞はこれだけ。結局表彰台に登ることができなかった。原因は「重すぎたホンダエンジン」だった。なんとも皮肉な結果に終わってしまったが本人は笑顔でサーキットを去った。 では中嶋のベストレースを挙げるとこれは間違いなくひとつしかない。 89年オーストラリアGP、雨のアデレイド。伝説の「雨の中嶋」を表したレースだ。 後方からスタートした中嶋、スピンする車が多発する中で安定した走りで次々と前車を抜き去っていく。そして「ファステスト・ラップ」を記録した。結果1秒ないところまでリカルド・パトレーゼを追い詰めたはしたがそこでゴールを迎える。なんとも惜しい4位だった。このレースに限っていえば「世界で一番速いドライバー」は中嶋悟だった。だからこそ雨でセナと真っ向勝負をしてほしかった。雨なら絶対セナに勝てる、今でもそう信じている。皮肉なことに引退レースとなった91年のオーストラリアGPも雨だった・・・ 以上で第4弾終了です。第5弾は誰にしようかなぁ?
2005年12月12日
たじさんが面白い企画を立ち上げたのでそれをやってみます。
ではでは・・・
やなぎしたまさあき・・柳下正明 ○
はやしたくと・・・・・林宅と ×
おかだゆうき・・・・・岡田勇気 ×
にしざわじゅんじ・・・西沢順二 ×
そだゆうし・・・・・・曽田融資 ×
いけうちともひこ・・・池内智彦 ×
にしじまひろゆき・・・西嶋宏行 ×
わなみともひろ・・・・和波智弘 ×
すなかわまこと・・・・砂川誠 ○
ほりいがくや・・・・・堀医学や ×
みはらひろき・・・・・見原弘樹 ×
あいかわしんや・・・・相川真也 ×
なかやまげんき・・・・中山元気 ○
たばたあきひろ・・・・田端彰浩 ×
かがけんいち・・・・・課が健一 ×
すずきともき・・・・・鈴木智樹 ○
せいのともあき・・・・清野智明 ×
くわはらたけし・・・・桑原武 ×
うえさとかずまさ・・・上里和正 ×
ごんどうゆうすけ・・・権藤雄介 ×
かねこゆうき・・・・・金子祐樹 ×
うえだつねゆき・・・・上田恒之 ×
じょぎょうひ・・・・・徐行費 ×
のだたつろう・・・・・野田達郎 ○
いしいけんご・・・・・石井健吾 ×
あべてつや・・・・・・阿部哲哉 ×
えびさわしょうご・・・海老沢正午 ×
たかはらとしやす・・・高原利康 ×
にしたにまさや・・・・西谷正也 ○
でるりす・・・・・・・デルリス ○
なんと7点。おいおい、僕のパソコン、大丈夫か?
たじさん、ありがとう。ちょっと楽しめました。早めに100の質問もやってくださいね。(爆)
ここで歌をひとつ・・・・
俺パ~ソっ、アミーゴ、セニョリ~タっ、サボテ~ン、テキ~~ラっ、一気飲みっ!!(これ知っている人っているのかなぁ?)
っていうか僕のパソコンツッコミどころ満載だよ・・・
2005年12月12日
なんだかちょっと熱くなってしまっているこの企画。今回もかなりマニアックでしかもサッカーに関係のない内容になっています。なので、興味のある方は続きをどーぞ!!
前々回セナ、前回プロストときて今回はやっぱりこの人でしょう。「荒法師」や「ライオンハート」と呼ばれたイギリス人ドライバーです。
Nigel Mansell ナイジェル・マンセル
1980年オーストリアGPでデビューしたマンセル。年代で行けばプロストと同期である。通産勝利数31、このうち約半数は91,92年に挙げた。
この人はチャンピオン争いにはよく絡むがなかなかチャンピオンにはなれなかった。その最たる例は87年と91年だ。87年はチームメイトのネルソン・ピケと91年はセナと争っていた。しかもチャンピオンを決定の舞台になったのが両方とも鈴鹿である。
87年はフリー走行中S字カーブの手前でクラッシュ、決勝を欠場することになりこの時点でピケがチャンピオンになった。争う以前の問題だった。また91年はセナにずっと抑えられ、我慢ができずに2コーナー奥でスピン、レースとチャンピオン争いを終えた。
しかし、92年最強のマシン「ウイリアムズFW14B」を手に入れシーズン序盤から飛ばしまくりこの年悲願のワールドチャンピオンとなる。だが、ナイジェルはこの年でF1を一時去ることになる。
翌93年、活動の場所をアメリカに移し「インディ・カー」シリーズに参戦。開幕戦のサーファーズパラダイスでいきなりポールトゥウイン、実力を見せつけ、ルーキーイヤーながらシリーズチャンピオンに輝き、エマーソン・フィッティパルディやマリオ・アンドレッティなどの歴代チャンピオンたちと共に歴史にその名を刻んだ。
そして94年、セナ死去のあとフランスGPでウイリアムズからスポット参戦した。また終盤になってからF1に復帰し最終戦オーストラリアGPでキャリア上最後の優勝を飾った。
95年シーズンはマクラーレンに移籍、しかしこの時点でマンセルのキャリアは終わったといっても過言ではない。わずか数戦で解雇されそのままフェードアウトしてしまった。
マンセルの特徴はイケイケドンドンなレース運びだ。早い話があまり頭を使っては走っていない。その証拠に優勝かリタイヤかのどちらかという印象が強烈に残る。それは彼自身の性格の問題でもあるわけだ。相当な気まぐれ、そしてわがまま。時にはみえみえのクサイ演技もする。そしてすぐ人のせいにする。なのでチーム関係者には受けが悪いが見ているほうからするとリスキーなドライビングで魅了されてしまうのだろう。
そんなナイジェルを象徴するレースが92年のイギリスGPだ。フリー走行、公式予選、ウォームアップラン、決勝、そしてファステストラップもすべて1番!ナイジェルらしい結果を残す。または91年のカナダGPでは1位独走で残り半周ってところでスローダウンしリタイヤ。これはマンセルが間違ってキルスイッチ(エンジン停止装置)を押してしまったためでマシントラブルでもなんでもない「ヒューマンエラー」だった。まさしくやってもうた、である。
そんなナイジェルのベストレースを挙げるとすれば一番「彼らしくない」レースを取り上げるとしよう。
89年ハンガリーGP、いわゆる「ミッキーマウスサーキット」の代表例。ここでマンセルは1台1台丁寧に抜くという「プロストのような」走りを見せ優勝した。やればできるじゃん!!っていうのはご法度で彼自身としてはあまり面白くなかったらしい。でもフェラーリにとって不向きなコースでしかも発展途上のセミオートマを駆使しての勝利だから評価しない訳にはいかない。まあこんな走りをすればあと2回くらいはチャンピオンになれただろうに・・・
先日往年のF1ドライバーが南アフリカに集結しそこでレースを行った。優勝はマンセル。いまだに健在だ。
てな感じで第3弾終了しました。次の第4弾は誰でしょう?今まではなんとなくヒントを与えてきましたが今回からヒントは無しの方向でいきます。お楽しみ!!
2005年12月11日
F1のことばっかり書くと飽きてくるのでサッカーの話題を書きます。(爆)
昨日はJ1入れ替え戦で盛り上がった日本のサッカーシーン。今日からは「トヨタカップ」ですよ、やっぱり。もうよだれがじゅわ~~~~~~って出まくってます。(汚)
今回各大陸のチャンピオン6チームが参加するわけだけどいったいどうなるのか?
ここで緊急アンケートを実施しちゃいます!!!!
気になる方は続きを見てね!
今回のトヨタカップに関して皆さんにぶっちゃけ聞いちゃいます。あんまり世界のサッカーは知らないので(まじで)皆さんの意見が頼りでございます。
ではいきましょう・・・
1.ズバリ優勝するチームは?
2.決勝を戦うチームはどことどこ?
3.得点王は誰?
4.カズは活躍すると思う?
5.この大会に今後望むことは?
是非是非コメントに書き込みしてください。待ってますよぉ!
2005年12月10日
ごく一部のコアな方に受けた「F1ドライバー列伝」。
今回もサッカーからかけ離れた内容になっていますので興味のある方は続きからどうぞ。
先日はセナについて書きましたので今回は「教授」について・・・もう誰のことかはわかる人にはわかるでしょう。
Alain Prost アラン・プロスト
1980年のアルゼンチンGPでデビューしたアラン。デビューしたてのころはどちらかというとセナやマンセルのようなスタイルでレースをしていたようだ。ところが考え方がガラッと変わる時期が訪れる。
1984年シーズン、アランは最後の最後までチャンピオン争いを演じていた。でもチャンピオンにはなれなかった。ポイント差はたった「0.5」。争った末に負けた相手「ニキ・ラウダ」の戦略や老獪さを学び取って翌年初のワールドチャンピオンに輝く。
そして88年、所属していたマクラーレンにセナが加わり、最強のユニット「マクラーレン・ホンダ」が発足。16戦15勝を挙げた。
しかし翌89年、セナとプロストに確執ができてしまった。
その年のサンマリノGPで(おそらく)セナがひとつのことを提案した。「お互いのどちらかが勝つのは目に見えている。だから1コーナーで無理な争いはやめようじゃないか」と。それに同調したプロスト、そしてレースが始まった。スタート直後セナがプロストを1コーナーでアウトから抜いたのだ。それに激怒したプロスト「セナが約束を破った!」といったそうだ。
セナの側からすれば「追い越しではなく追い抜きだ」という主張、しかし溝は深まるばかり、その結末が有名な鈴鹿での「シケイン事件」だ。そんな後味の悪い鈴鹿でのレース、この年プロストは通算3度目のワールドチャンピオンに輝いた。
こんな確執のおかげでこの「セナプロ対決」は面白さに拍車をかけるという皮肉な結果になってしまった。が同時に日本におけるF1ブームの一端を担っていたことも事実。なんとも難しい世界だ。
そんなこんなでプロストは92シーズンは休養し93年ウイリアムズから復帰し4度目のワールドチャンピオンを獲得しその年に引退する。
通算勝利数は51、レースの勝ち方を多く知っているので「教授」の愛称がついた。
プロストのドライビングの大きな特徴は「ブレーキング」にある。普通のドライバーと違い「早めのブレーキング」を行う。
例えばジャン・アレジや片山右京、現在のドライバーで言うとモントーヤのようにブレーキをギリギリまで我慢すればタイムがあがるというドライバーがいるがプロストの考え方は全く逆、つまりブレーキをうまく使うことで車をいたわり、タイムもあがるということだ。実際そうであるから恐れ入る。そしてブレーキをうまく使うことでアンダーステアを解消し、スムーズに曲がれるようにするテクニックも持ち合わせている。この事実を知った時ただただ脱帽だった。
そんなプロストのベストレースを挙げるとしたらひとつしかない。
90年のフランスGP、場所はポールリカールサーキット。今はトヨタのテストコースになっているが90年まではここでF1が開催されていた。
このレースでプロストが勝ったけど81周あるレースのうち何周トップとして周回したか?なんと「2周」である。たった2周トップを走って優勝した。途中までトップを走っていたレイトンハウスのカペリ(この車をデザインしたのはA.ニューエイ)は「タイヤ無交換作戦」を決行、このままカペリ初優勝?と思ったときに追いついたのはプロスト、自分の庭といわんばかりのコースでカペリを抜いた。これ以上にプロストを象徴するレースなんてあるのだろうか?
そんなプロストも雨のレースにはめっぽう弱かった。引退したあとはチームを立ち上げ「プロストGP」を設立、しかし「名選手、名監督にあらず」の法則がこの世界にも生きていた。結局チームは倒産、今プロストは何をやっているだろうか?ちなみにこの人はスキーがめちゃめちゃうまい人だからどっかの山でスキーをしているのだろう。
さて第2弾を終えました。第3弾ってあるんだろうか?(爆)
もし、第3弾をするなら「荒法師」について書きます、たぶん。(汗)
2005年12月09日
今回は全くサッカーに関係のない話になります。なので興味のある方は続きをどうぞ。
前々からやりたかったF1に関する内容で今回のブログを展開します。
F1を見出したのは90年の夏からでかれこれ15年は超えようかというF1ファンです。今回は「F1ドライバー列伝」という、ゆうえんちくじらさんが使いそうなタイトル(?)で始めさせて頂きます。
で、早速誰について書こうかなと考えた時にやっぱり最初は彼だろうと・・・・そう、「音速の貴公子」と呼ばれた人です。
Ayrton Senna da Silva アイルトン・セナ・ダ・シルヴァ
84年トールマン(後のベネトン、現ルノー)からデビューをしそのころから天才振りを発揮する。その年のモナコGPで雨の中激走を見せトップになった・・・かと思えば赤旗中断でレース終了、結局2位になる。
それから86年ポルトガルGPで初優勝、デビュー16戦目での快挙だった。
で、87年運命的な出会いをする。ホンダとのジョイントをし「ロータスホンダ」が発足、その年のモナコGPでモナコ初勝利、以後6勝を挙げ未だにその記録は破られていない。モナコマイスター誕生だ。
88年マクラーレンヘ移籍、アラン・プロストとコンビを組みその年二人で16戦15勝という圧倒的なシーズンを送りセナは初のワールドチャンピオンに輝く。そして90年、91年とチャンピオンになる。
が、94年5月1日サンマリノGPにおいてタンブレロコーナーでクラッシュ、そのまま帰らぬ人となってしまった。
通算勝利数41勝、通算ポールポジション65回、ポールの記録も未だに破られていない。そして雨のレースにめっぽう強かった。
セナのベストレースを挙げると92年のモナコと93年のヨーロッパGPがふさわしいかもしれない。
92年のモナコGP、ナイジェル・マンセルが独走していた年、モナコにおいてもナイジェルが操るウイリアムズFW14Bは圧倒的な強さを誇っていた。ほぼ優勝確実な終盤、ナイジェルがなぜかピットインしてタイヤ交換、その間にトップに立ったのはセナだった。そこから猛烈に追い上げるナイジェル、それを必死に押さえるアイルトン、デットヒートという言葉がふさわしいレースになった。結果セナが逃げ切ったがナイジェルも納得の表情、自分を出し切って清々しかったのだろう。
93年のヨーロッパGP。場所はイギリスのドニントンサーキット。セナが一番最初にF1ドライブ(83年ウイリアムズのテスト)した思い出の場所、天候は雨。予選8番手からスタートしたセナは最初から飛ばしまくり、たった1周でトップに躍り出てしまう。そこからはセナの独壇場だった。ライバルたちに圧倒的な差を見せつけて優勝、レインマイスターの実力をまざまざと見せた。
僕はアイルトンの大ファンで中学、高校とセナと話がしたくて英語を必死に勉強した。その夢が絶たれてしまったわけだけど僕の心の中ではいつもアイルトンがいる。アイルトンがかぶっていた帽子(レプリカ)もある。いつかブラジルに行ってセナのお墓に行きたいと思う。
そういえばセナが死んだ94年、アメリカワールドカップが行われ見事にブラジルがイタリアを破って優勝した。その時ブラジルの選手が持っていた幕があってそこにはこう書かれていた。
アイルトン・・・この勝利を君に捧ぐ・・・
Ayrton・・・Forever・・・
さて、楽しんでいただけたろうか?もし好評なら第2弾を書く予定です。次は「教授」について書こうかな?
2005年12月09日
行って来ました、宮の沢。寒かった~~っ!!
↑は挨拶をする和波君、みかんちゃんさんへのポイントアップ大作戦です(爆)。
最後の練習ということでサポーターの皆さんも多く集まり、テレビカメラも取材に来ていました。
練習は和気あいあいとした雰囲気で「たけし~~~っ!!」とか「たくとぉ~~~~っ!!」という声がこだまする中1時間弱で終了。あっという間の今期最後の練習でした。
追記:梟巣のスープカレーうまかったです。1000円はちと高めですがなかなかボリューミーでした。機会があれば是非!!
2005年12月08日
ホントにすごいことになっている今回立ち上げた企画「コンササポに聞く100の質問」。今回はこの制作秘話を書き込んでいこうかなと。
この企画をしたくなったのは職場の同僚の女の子が立ち上げているコンサドーレとは全く関係ないホームページにあります。管理人に聞く100の質問みたいなものがあって読んでみてすごく面白かった。それで「これってどうやってみつけたの?」と聞いたら・・・
「検索すれば出ますよ。100の質問とか50の質問とかで。」といわれ早速調べることに。ところがっていうか当然のようにコンササポに向けた質問はあるはずがなくて「だったら自分で作ろう!!」となったわけです。
でも思うのと作るのとでは大違い。途中まではお約束な質問で続けられるんだけど途中で詰まってくる。「う゛~~~~~~~~~~ん」とうなるばかり。でも何とか作り終えた瞬間は達成感でいっぱい。でも自分が答える番に回った時にはまた疲れがどっとでて・・・(爆)
それで今回100の質問を用意したけどボツになったり、入れ忘れたものを公開します。
まずボツになった質問・・・「嫌いな選手っている?」
これは答えが集中しそうな気がしたのでボツにしました。そんなことで気分を害しても面白くないですからねぇ。
次に・・・・「USってどうよ?」
これは嵐を呼びそうだからボツにしました。(爆)それぞれ彼らに感じていることが違うわけで、よいと見ればダメって言う人もいるし。そうなるとひとつの団体に対して誹謗中傷になりかねないかなと感じたわけで。
ちなみに僕はUSをリスペクトしています。でもUSではありませんしそうなりたいと思ったこともありません。
ボツはこのくらいにして入れるの忘れていた質問を紹介します。
「サッカーを知らない人に対してオフサイドってどう説明する?」
これは入れたかった、でも入れなくてよかったかも。(笑)難しいからねぇ、オフサイドって。人によって解釈の違いが出で面白いかなぁと思ったけど他の人が読む時ちとしんどくなったかも。だから入れなくてよかった、と信じたい。(願)
そんなこんなでこの企画を立ち上げました。参加してくださった皆様本当にありがとうございます。それぞれのブログにコメントを入れていますが改めてここでお礼申し上げます。
ちなみに皆さんの回答を見ると「佐川急便東京」の名前が出るのはなぜ?まあ突っ込まないことにします。(自粛)
ぜひぜひこの企画を他にも広めてくださいね。それぞれのコンサドーレに対する見方や気持ちを知るよい機会になるでしょう。
追記:明日いよいよ練習最後ですね。一応観にいこうかと思っていますが起きれるかなぁ?
2005年12月08日
9位です。シングルです。びっくりです。驚いちゃいました。
でも上は強いなぁ。なんでのっちさんそんなに強いの?えみっくすさんもすごいよねぇ、ずーーーーっと上位にいるよねぇ、すごいなぁ・・・
でもなにより見ていただいている皆様のおかげだと感じています。なんと申し上げてよいのやら・・・(嬉泣)
本当にありがとうございます。今夜頑張って3回目の更新をしようかなぁ?
2005年12月08日
おはようございます。夜勤明けで眠いです。
仕事中携帯から自分のブログを見ると・・・・・
?????????????
えらい書き込みがあり、さらには未だにわかっていない「トラックバック」が2件も!?ってな感じですごく驚いています。
この100の質問を皆さんが喜んで参加しその内容をご自身のブログで公開されているのを見て嬉しくなりました。本当にありがとうございます。
ただ疲れるでしょ?これって。やっぱり100は多かったかなぁ・・・?
これから僕は寝ますけど時間ができればこの100の質問の製作裏話を公開します。あまり期待しないでくださいね。(爆)
2005年12月07日
ただ今アクセスランキングを見ましたらなんと13位に入っていました。
本当にありがとうございます。どのくらい見てくださっているかがわからないのでランキングを覗くしか知る手段がないのですが本当にありがたいことです。
さらにうれしいことに僕のブログにリンクしていただいているサイトもランキングに入っているということ。これは自分のことのようにうれしい。
みかんちゃんさんは大好きな和波君のブログより上ですし、TAKさんやゆりさんはおすすめになちゃっているし、のっちさんにいったっては「12位」ですよ!?よかったですねぇ、のっちさん。うらやましすぎ。
さらにさらに、たじさんやtottomiさんのブログもランクイン。たじさんどうします?ますます毒が吐けなくなりますよ!?
このうれしい気持ちを忘れずにブログを更新していきます。ここで所信表明・・・
私ダイはこれからも積極的にブログを更新し、(できれば毎日)皆さんのご機嫌を伺うことを誓います。
そして様々なブログを閲覧しできるだけコメントを残し、このブログで知り合ったサポーターの皆様との交友を深める事を誓います。
またパソコンをもっと理解し、魅力あるブログを構築することを誓います。
是非今後ともこのブログ「FANTASISTA!!」をよろしくお願いいたします。
2005年12月07日
今期最終戦を行った札幌ドームで2つの募金活動が行われた。
ひとつはパキスタンの地震被災者に対する救援基金、もうひとつはあやかちゃんを救う会による救援募金だ。両方ともほんのわずかだが募金した。
公式発表によると相当な金額が集まり、パキスタンの方々は相当驚いていたらしい。そして感謝をしていた。
ふと思う、パキスタンにしろあやかちゃんの件にしろとてもじゃないが個人では解決できない難題だ。パキスタンについてはひとつの国としての問題、あやかちゃんについてはひとりの命の問題である。でもそのことを十分に理解し「少しでも協力したい」という善意の表れがこのような結果を生んだ。これはすばらしいことだ。
このふたつの募金活動は前々から知ってはいたが前日の道新夕刊に掲載されていたと思う。それで改めて知った。その記事を読んだ僕の母が言った一言が今も忘れることはできない。
「人はひとりでは生きていけない。」
全くそのとおりだと思った。パキスタンの方にしろあやかちゃんのご両親にしろそのことを痛感しているのではないか?特にあやかちゃんのご両親は自身が鹿島サポである事ゆえに全国のサポーターたちの支援を受けて比較的短期間で必要なお金を援助してもらえることができた。同じサッカーを愛している人が苦しんでいるのを黙ってみていられない人たちの気持ちが詰まった募金を目の当たりにして心から感謝しているのではないか?
ふと思う、自分はどうだろう?
今は親や離れて暮らす兄弟たちや友人たちに支えられて生きていけている。これは本当にありがたいことだ。でもそれだっていつまでも続くはずはない。その先はどうなるんだろう?一人で生きていくことができるのだろうか?いや、無理だろう。そうなると誰が僕を支えてくれるのだろう?と考えてしまう。
色々ややこしくなるのであまり考えないようにはしているがいつか支えてくれる人が見つかった時、今度は僕がその人を支えることができるのだろうか?
「二人は一人に勝る」。これは昔の格言のひとつだけれど、この言葉の意味が身にしみてよくわかる。ドームの帰り道のイルミネーションをみてふと感じた。
2005年12月06日
「コンササポに聞く100の質問」を自分で答えてみようかなと思いまして実際にやってみることにします。
あと「一発ギャグ」は強制じゃないので・・・
コンササポへの100の質問
Q1 あなたのお名前(HN)は?
ダイです
Q2 その由来は?
家族にそう呼ばれるので・・・
Q3 できれば生年月日と血液型を・・・
1976年11月30日で血液型はB型RH+
Q4 使っているPCはWin?Mac?
ウインドウズXP SP2
Q5 コンササポ暦は?
96年から応援しているけどコアなサポになったのは01年から
Q6 初めて観戦したコンサの試合はいつどこ?
96年に厚別で観戦した試合。対戦相手は忘れた・・・ナイターだったので寒かったのは覚えている。その試合はコンサが勝った。
Q7 レプユニは持っている?何枚持っている?
01,02,03,05年版のホーム用4枚あります。
Q8 チケット派?シーパス派?
チケット派。行ける時と行けない時があるんで。
Q9 ホーム戦は一年でどのくらい見るの?
今年で言えば5~6試合程度。行きたくても行けないことのほうが多い。
Q10 アウェー戦は見たことある?
テレビ観戦なら・・・
Q11 アウェー戦は一年でどのくらい見るの?
テレビで放送される分だけ。
Q12 12という数字にこだわりはある?
実は12という数字にあまりこだわりはないんです。こだわりのある数字は18と27。でも12という数字には何か引っかかるものはある。
Q13 厚別派?ドーム派?
最近はドーム中心だけど厚別も捨てがたい。まあどっちもどっちって事で。
Q14 コンサドーレで好きな選手は?
好きなのは全員。応援しているのは今年で言えば桑原、三原。
Q15 コンサドーレ以外で好きなサッカー選手は?
結構スピードのある選手が好きだったりする。例えば鹿島の新井場君とか。
Q16 コンサ以外で好きなサッカーチームは?
コンサができるまではマリノスサポでした。なのでマリノス。
Q17 かつてコンサに在籍した選手で戻ってきて欲しい選手は?(引退した選手も含む)
田渕や村田は「ミスターコンサドーレ」な感じでいつまでもチームにいて欲しかった・・・
Q18 いつもどの席で観戦している?
B自由席、ホームゴール裏。比較的USに近い場所。
Q19 試合観戦をするに際し心がけていることは?
とにかく大きな声を出すこと。
Q20 サポーターになって良かった事は?
コンサドーレという共通の話題を持てること。
Q21 サポーターになってしんどいと感じることは?
「コンサ負けたでしょ?」と職場の人にいじめられること。
Q22 試合は誰と見に行く?
基本的には一人です。だからちょっと寂しい。
Q23 コンサと恋人(または配偶者)どっちをとる?
いまそんな人はいないのでコンサ。
Q24 好きな応援歌は?
イエローサブマリン(ってみんな知っているか)。
Q25 ファンクラブに入っている?
入っていません。
Q26 OSCに入っている?その名前は?
OSCにも入っていません。
Q27 CVSの経験は?
経験はしてみたいけど試合が見れないってのはちと痛い。
Q28 月間コンサドーレを買っている?
もちろんっ!
Q29 月間コンサドーレで採用された事は?
投稿した事はないのでもちろんない。
Q30 コンサの試合で一番印象に残っている試合は?
勝ち負け関係ないなら03年のドームでやった湘南戦。大曽田コールが巻き起こってなんか楽しかった。
Q31 コンサの試合で一番印象に残っているゴールは?
02年の最終戦の曽田のVゴールヘッド。あの時キーパーは林君だったねぇ。
Q32 ここだけには負けたくないと思うチームは?
対戦相手全部!!
Q33 コンサに対戦してもらいたいチームは?(海外も含む)
コンサと同じレベルのどっかの国の代表チームと。どこがいいんだろ?
Q34 海外のサッカーって見る?
ごくたまに。
Q35 好きな海外クラブチームはどこ?
ミラン、インテル。(ベタだなぁ)
Q36 海外で活躍する好きな選手は?(日本人も含む)
ファン・ニステルローイ、レコバ、カカーなど。
Q37 今の日本代表に対する印象は?
いまいち強いんだか弱いんだかって感じ。
Q38 ジーコに対する印象は?
強運の持ち主。
Q39 W杯で日本はどこまで勝ち進む?
ジーコの運しだいだと思うけど今のままじゃ1次リーグ突破は難しいんじゃないかなぁ?
Q40 次の日本代表監督は誰になると思う?誰になって欲しい?
日本のサッカーに精通し、海外事情にも詳しく、かつ窓口になれる外国人監督。現実的に考えたらオシムにやってもらいたい。
Q41 次の代表監督に望むことは?
各世代、幅広く見て欲しい。A代表に固執しないで。
Q42 日本代表の試合は見たことある?
まだない。
Q43 柳下監督に対する印象は?
育成のプロ中のプロって感じ。
Q44 さすが柳下!!と思うことは?
チームをここまで成長させてくれただけでも「さすが」と言わざるを得ない。
Q45 柳下監督に望むことは?
できるだけ長くいて欲しい。
Q46 コンサドーレに望むことは?
もっと強くなってくれぇ~~っ!!
Q47 コンササポーターに望むことは?
もっと熱くなりましょう!!
Q48 HFCに望むことは?
早く借金返して(爆)。
Q49 選手に望むことは?
ヤンツーの指導を仰いで強いサッカー選手になって欲しい。
Q50 ようやく半分、疲れていない?
ちょっと疲れてきたけどまあ、なんとか・・・
Q51 ちょっとプライベートな質問、好きな食べ物は?
食えるものならなんでも。
Q52 好きな色は?
青、黒、赤。
Q53 ”53”とみて思いつくものは?
阪神の赤星(爆)。
Q54 好きなブランドは?
アディダス!!私服の約7割がアディダス。
Q55 好きなTV番組は?
水曜どうでしょう、Saku Saku
Q56 好きな音楽は?
最近はトランスにはまっています。
Q57 好きなアーティストは?
TM NETWORK、BOOWYや、最近じゃスキマスイッチやデパペペ。
Q58 好きな芸能人は?
鈴井さんはじめキューの人たち。俳優じゃ岸谷五郎。
Q59 好きな言葉は?
「やり損じを恐れるな、やり残す事を悔いろ」
Q60 良く行くお店ってある?
ほっと12のたこ焼きはよく買います。
Q61 料理ってする?得意料理は?
料理はよくします。得意料理は中華系全般。
Q62 サッカーってします?するならポジションは?
サッカーはします。ポジションは希望はトップ下なんだけどサイドやボランチに回される。
Q63 サッカー以外に好きなスポーツは?
野球やバレーボールなど。
Q64 自分の中にあるこだわりってある?
うまいラーメンにこしょうはかけない!!
Q65 PCは自分用?
もちろん!!
Q66 好きなサッカーゲームってある?
Jリーグウイイレタクティクス。もう3年ぐらいやっている。
Q67 好きなゲーム(サッカー以外)ってある?
ドラクエや桃鉄。
Q68 よく読む本は?(漫画でも可)
チーズスイートホームっていう猫の漫画。猫好きな方は是非!!
Q69 趣味は?
最近は温泉めぐり。
Q70 もう70問も答えているけど飽きてこない?
ちょっと飽きてきたかな・・・?
Q71 我が人生最大の危機って過去にあった?
04年の4月に仕事中、高いところから落ちて腰の骨を骨折、20日間入院した。痛くて痛くて、車椅子じゃないと移動できなくて「もう歩けないんじゃないか?もうサッカーできないんじゃないか?」と本当に不安になった。今は普通に歩けるし、サッカーできるし、ゴール裏でサルトもできる。ただ後遺症に苦しむ日々を送っています。
Q72 我が人生最高の瞬間って過去にあった?
まだない。来年の今頃はそうなってくれるといいなぁ・・・
Q73 コレクションにしているものや宝物ってある?
家族や友人は本当に宝物、これからも大事にしていきたい。
Q74 ここだけの話、実は○○なんですって事ある?
太ってます!(爆)
Q75 他のサポーターにこれだけは負けないってものはある?
声の大きさは負けていないと思う。
Q76 逆にこれは負けたなぁって思うことは?
バックスタンドダンサーズ。あのノリはついていけない。
Q77 ホームページやブログはやっている?そのタイトルなんかを紹介していただける?
FANTASISTA!!というブログを開いています。
Q78 おすすめのホームページやブログってある?
ブログは僕のブログにリンクされているものすべてです。ホームページは携帯用だけどコンサドーレメモっていうサイトです。
Q79 赤と黒って聞いただけで反応することってある?
OH!YEAH!!
Q80 ここでなにか一発ギャグでも・・・
隣の家にカベができたってねぇ、・・・へぇ~~かっこいい~~。(寒っ)
Q81 遊園地や動物園って好き?よく行くほう?
大好きです。今年旭山動物園にいきました。
Q82 今までに一番むかついたことは何?
いっぱいありすぎて書ききれない・・・
Q83 ネットを見る時間帯ってどんな時?
起きているときなら時間をとって。夜勤族なので早朝に見ることも。
Q84 毎日の生活で欠かさずやっていることってある?
食後の歯磨き(これ基本)。
Q85 練習見学はよく行く?
たまに。
Q86 コンサグッズコレクター?
ではない。
Q87 自慢できるグッズって持っている?
全くなし。
Q88 今ハマッテいることってある?
パソコンをいじること。
Q89 怖いものってある?
もういっぱいありすぎて・・・
Q90 あと10問、大丈夫?疲れていない?
疲れてきた・・・眠い・・・
Q91 コンサドーレのここが好きってのをある?
チームそのものがあること、応援し甲斐があるってもんですよ。
Q92 じゃあ逆にコンサドーレのここが嫌いってのは?
不祥事多すぎ(爆)
Q93 すいか隊に参加したことは?
一度やってみたい。
Q94 応援のコールリーダーになってみたい?
できるものなら。
Q95 縁起をかついだりする?
全くなし。興味ないもん。
Q96 96年チームが発足した時のことを覚えている?
よく覚えていますよ。出来上がった時うれしかったもん。
Q97 昔応援にメガホン使っていたけどあれってどうよ?
否定的な見方もあったけど僕は「アリ」だと思う。コンササポのアイデンティティとして今でも生き残ってくれていればと感じている。
Q98 何かいいたい事は?
スープカレー食いてぇ~~~(激爆)
Q99 自分自身へ一言。
頑張れよ、お前!(ってなにに?)
Q100 最後まで読んでくださった方へ一言。
こんなつまらないものを読んでいただいてありがとうです。これからもブログ共々よろしくお願いいたします。
お疲れ様でした!!
2005年12月05日
すげぇ~~疲れた。(疲)
100って結構あるねぇ。なかなかしんどかったっす。でもそんなこんなで「コンササポに聞く100の質問」が完成しました。
多少自己紹介がらみにも使えるんじゃないかな?と自負しています。(ああ、クレンザーね?ってそりゃジフだろぉ)
だいぶやられています。すいません。(反省)
もし興味があり自分のホムペやブログで使いたい方は(っているのか?)どうぞ使ってください。
ただし、条件があります。
1.使う旨をできれば「コメント」欄に入れていただけないでしょうか?ついでにこのブログに未リンクの方は是非この機会にリンクを貼ってください。こちらもリンクを貼ります。
2.コメントに入れていただく際、できれば何か「一発ギャグ」で僕を笑わせてください。結構疲れたのよ、ホントに。なので「お疲れ様」の意味をこめて添えてくださるならありがたいです。
まあ、自分の回答は後程ってことで、興味のある方は是非ご覧ください。
コンササポに聞く100の質問
Q1 あなたのお名前(HN)は?
Q2 その由来は?
Q3 できれば生年月日と血液型を・・・
Q4 使っているPCはWin?Mac?
Q5 コンササポ暦は?
Q6 初めて観戦したコンサの試合はいつどこ?
Q7 レプユニは持っている?何枚持っている?
Q8 チケット派?シーパス派?
Q9 ホーム戦は一年でどのくらい見るの?
Q10 アウェー戦は見たことある?
Q11 アウェー戦は一年でどのくらい見るの?
Q12 12という数字にこだわりはある?
Q13 厚別派?ドーム派?
Q14 コンサドーレで好きな選手は?
Q15 コンサドーレ以外で好きなサッカー選手は?
Q16 コンサ以外で好きなサッカーチームは?
Q17 かつてコンサに在籍した選手で戻ってきて欲しい選手は?(引退した選手も含む)
Q18 いつもどの席で観戦している?
Q19 試合観戦をするに際し心がけていることは?
Q20 サポーターになって良かった事は?
Q21 サポーターになってしんどいと感じることは?
Q22 試合は誰と見に行く?
Q23 コンサと恋人(または配偶者)どっちをとる?
Q24 好きな応援歌は?
Q25 ファンクラブに入っている?
Q26 OSCに入っている?その名前は?
Q27 CVSの経験は?
Q28 月刊コンサドーレを買っている?
Q29 月刊コンサドーレで採用された事は?
Q30 コンサの試合で一番印象に残っている試合は?
Q31 コンサの試合で一番印象に残っているゴールは?
Q32 ここだけには負けたくないと思うチームは?
Q33 コンサに対戦してもらいたいチームは?(海外も含む)
Q34 海外のサッカーって見る?
Q35 好きな海外クラブチームはどこ?
Q36 海外で活躍する好きな選手は?(日本人も含む)
Q37 今の日本代表に対する印象は?
Q38 ジーコに対する印象は?
Q39 W杯で日本はどこまで勝ち進む?
Q40 次の日本代表監督は誰になると思う?誰になって欲しい?
Q41 次の代表監督に望むことは?
Q42 日本代表の試合は見たことある?
Q43 柳下監督に対する印象は?
Q44 さすが柳下!!と思うことは?
Q45 柳下監督に望むことは?
Q46 コンサドーレに望むことは?
Q47 コンササポーターに望むことは?
Q48 HFCに望むことは?
Q49 選手に望むことは?
Q50 ようやく半分、疲れていない?
Q51 ちょっとプライベートな質問、好きな食べ物は?
Q52 好きな色は?
Q53 ”53”とみて思いつくものは?
Q54 好きなブランドは?
Q55 好きなTV番組は?
Q56 好きな音楽は?
Q57 好きなアーティストは?
Q58 好きな芸能人は?
Q59 好きな言葉は?
Q60 良く行くお店ってある?
Q61 料理ってする?得意料理は?
Q62 サッカーってします?するならポジションは?
Q63 サッカー以外に好きなスポーツは?
Q64 自分の中にあるこだわりってある?
Q65 PCは自分用?
Q66 好きなサッカーゲームってある?
Q67 好きなゲーム(サッカー以外)ってある?
Q68 よく読む本は?(漫画でも可)
Q69 趣味は?
Q70 もう70問も答えているけど飽きてこない?
Q71 我が人生最大の危機って過去にあった?
Q72 我が人生最高の瞬間って過去にあった?
Q73 コレクションにしているものや宝物ってある?
Q74 ここだけの話、実は○○なんですって事ある?
Q75 他のサポーターにこれだけは負けないってものはある?
Q76 逆にこれは負けたなぁって思うことは?
Q77 ホームページやブログはやっている?そのタイトルなんかを紹介していただける?
Q78 おすすめのホームページやブログってある?
Q79 赤と黒って聞いただけで反応することってある?
Q80 ここでなにか一発ギャグでも・・・
Q81 遊園地や動物園って好き?よく行くほう?
Q82 今までに一番むかついたことは何?
Q83 ネットを見る時間帯ってどんな時?
Q84 毎日の生活で欠かさずやっていることってある?
Q85 練習見学はよく行く?
Q86 コンサグッズコレクター?
Q87 自慢できるグッズって持っている?
Q88 今ハマッテいることってある?
Q89 怖いものってある?
Q90 あと10問、大丈夫?疲れていない?
Q91 コンサドーレのここが好きってのをある?
Q92 じゃあ逆にコンサドーレのここが嫌いってのは?
Q93 すいか隊に参加したことは?
Q94 応援のコールリーダーになってみたい?
Q95 縁起をかついだりする?
Q96 96年チームが発足した時のことを覚えている?
Q97 昔応援にメガホン使っていたけどあれってどうよ?
Q98 何かいいたい事は?
Q99 自分自身へ一言。
Q100 最後まで読んでくださった方へ一言。
お疲れ様でした!!
2005年12月05日
本題に入る前に・・・
前日のブログにて多くのコメントをいただきました。まあ、「コメントをくれ!!」と半ば強制的に書いてもらったりもしましたけど、(笑)ありがたいです。同調してくれたり、違った視点からの意見だったりと「みんな大人だなぁ」とホントに感心する29歳なこの私。いつまでお子ちゃまでいるんだろう?
まあ、今は歌えなくても「来年は歌える(はず)」という希望的観測の元、オフシーズンを過ごしていきます。よろしくお願いいたします。
っていうかねぇ、僕一人では何もできませんから、皆さん協力してくださいね?見捨てるのはなしよ!(爆)
では本題・・・
今回の草津戦で行われた「ブログ講座」。実は非常に行きたかった。ただB自由席を買い、8時半にはドームに到着し、並んでいたけど本当に参加したかった。パソコンを買ってもう少しで1年半、未だにわからないことばかりで戸惑う自分。学生時代授業でパソコンは使っていたけど当時のOSはMS-DOSで今のウインドウズとは全く別物。ましてやパソコン購入時に今のOSが「XP」であることを全く知らなかった私ダイ29歳。(購入時は27歳)。また開催してくれないかなぁ?
だってあんまり言えないけど(っていま公表しちゃうけど)・・・
トラックバックって何???(激爆)
どうやったら文字の上に罫線を入れることができるの?文字を太くしている人もいるし。文字が斜めっている人もいるし。もう全くわからないことばかり。
でも少しずつ勉強していきますよ、「サポーター同士の交流と自分のパソコンスキルアップ」のためにこのブログを立ち上げたようなもんだし。
こんな僕に愛の手を~~~~~~っ!!!!
追記:今「コンササポに聞く100の質問」なるものを製作中です。完成したらこのブログで公開しますのでおたのしみに!!(って誰も期待していないか・・・)
2005年12月03日
皆さんこんばんわ、ラッシャー木村です。(激爆)兄貴、オレもうつかれたよ。(さらに爆)
期間限定(コンサの試合後2日間のみ)、ラッシャー木村のモノマネができるくらい声を枯らしたダイでございます。
草津戦に参戦された方々、本当にお疲れ様でした。色々な思惑があった今回の草津戦、どのように楽しまれましたか?
今日の試合はもうご存知のとおり草津に先制されながら清野君が同点に追いつき、後半石井君がプロ初ゴールを決めて2対1で勝ちました。
個人的に今回の試合の率直な感想・・・・
「ねぇ、大丈夫?ホントにこのままで大丈夫??」
正直納得がいかんのですよ。確かに勝った。それは紛れもない事実、終わりよければすべてよし、そんな言葉が当てはまるかもしれない。山形が勝って結局は「トップ5」の目標はクリアできなかったがそれに負けないくらいの内容があった。昨シーズンを考えると本当によくやった。でもいいの?本当に??
今日の試合は2対1で終わる試合ではないと思うんですよ。極端な話7対1ぐらいで終われるような気がしている。明らかに得点機会を自分たちでつぶしているようで、普通に冷静にしていれば清野君はまたハットトリックを決めていたし石井君は2点は取っただろう。デルリスだって湘南戦以来のゴールを決めていたはず。
勝てる試合を確実に勝ち、かつ相手に「実力の違い」を見せつける、こんな内容を期待していた。ひょっとしたら草津には「今回も負けたけど来年は負ける気がしない」と思わせちゃったりして。だとしたらまずいよ。来年また下位チームから勝ち点3を取り損ねる可能性がある。実際やばいシーンが結構あったじゃない?あんなんじゃ今年の二の舞になる可能性だってある。
そうならないためにも7人を戦力外にして新たに選手を補強するのだから失敗は許されない。補強の注目点はやっぱり「決定力のある」FWと「安定感のある」ボランチなんだろうか?
いろんなサイトでは「清野は覚醒した」とか書かれているけど個人的にはもう10試合みたいくらい。でもシーズン終わっちゃったから判断ができない。(苦笑)どーしましょ?
ただ、色々な課題が改めて浮き彫りになってそれが課題になるという意味では来年につながるだろう。あとはそれを真摯に受け止め選手各自が真剣に取り組むかどうかだと思う。
試合に関してはこのくらいにします。あともうひとつ残念なことが・・・・
イエローサブマリン歌ってくれなかったぁ~~~っ(号泣)
完璧シカトされましたな。う~ん、やっぱり少数意見は無視されるのかなぁ?この件は明日書きます。かなり生々しい話になるかもしれないけど。
あと今回の草津戦で試合以外にも感じたことがありましたそれは週明けにでもこのブログで紹介します。
では、皆さんのコメントお待ちしていますm(__)m
2005年12月02日
ババンバァバンバンブァ~~~~ンッ、ヴァ~~~ビバノンノォ~~~っ!!!
壊れたと思うでしょ?(笑)ついさっきまで温泉に行ってまして、この寒い日にあったかい温泉はもう最高~~っ!!かなりご機嫌です。湯船で「う゛ぁ~~~~あっ、え゛ぇ~~~~いぃ」と奇声を上げる始末。(馬鹿かお前)
そんなこんなで(?)明日はザスパ草津との最終戦、泣いても笑っても今季最終戦です。
今年の集大成、そして来期につなげた試合、かつトップ5を目指した試合。大事じゃん!だから行かれる方はホントに精一杯応援しましょう!僕も参戦します。ゴール裏から狂って声を出します!!
そして戦力外通告を受けた選手たちにとっては最後の姿を見せるわけだからその姿をしっかり焼き付けておきましょう。
そして個人的には気になることが・・・・
イエローサブマリン歌えるの?(願)
本当に歌わせてぇ~~USさん。リクエストのメールを送ってからしばらく時間がたっていよいよ明日、結果がでる。まあ歌えなくてもUSさんには気持ちを伝えたからまあよしとするけど・・・納得できるのかなぁ?できるわけねぇな(爆)。
だから歌わせてぇ~~~(必死)!!
とにかく明日、楽しもう、歌おう、そしてスタジアムに足を運ぼう!!んでもって勝とう!!絶対に!!!
VAMOS SAPPORO!!!
2005年12月02日
本題に入る前に・・・
アクセスランキング25位獲得しました!!またまたびっくりです。前回68位から一気に43もランクアップ!(驚)本当にありがたいことです。いやぁホント感謝感激雨あられ(古っ)。引き続き観て下るようお願いいたしまする~~っ。
では本題・・・
今回は世界のサッカーシーンにおけるフリーキックについて。前回のブログにも記したようにベッカムのフリーキックで特別な印象を持っているものがあります。それではいきましょう、よっぷベーイベ!!(ちょっと飽きてきた)
日韓ワールドカップヨーロッパ予選プレーオフ イングランド対ギリシャ
「ああ、やっぱり」と思いました?ごめんねぇ、ベタ過ぎで。でもすごいフリーキックだったのよ、マジで。
ロスタイムにちょうどゴール正面、ペナルティアークからやや離れたところでイングランドがファールをもらい、ボールの前に立ったのはもちろんベッカム。ここで決まれば・・・って場面で決めるベッカムは「千両役者」って感じだろう。
もうあのキックは「神」ですな。ありえないもん、あの曲がり方。チームに一人「フリーキッカー」がいるチームはやっぱり強いなぁ。いるだけで戦術としての選択肢が増えるもん。
実際ベッカム自身が「あのゲームのあのシーンを繰り返し見ている」というほどビューティフルゴールだった。ベッカム自身ベストゴールじゃないだろうか?
さて、ここまで4回フリーキックに関してブログを展開しましたがいかがでしょうか?一応プロフィールに沿った内容を書けたんじゃねぇか?と自負しています。
では次回、好きなフリーキッカーについて・・・って書こうかなと思ったけどめんどくさいから今書いちゃいます。(爆)
日本人では現役に限定すると左は俊輔、右は三浦淳。外国人では右はフィーゴやミクー、左はレコバ!!(もう大好きなんだもん)
もういいだけフリーキックについて語ったからかなり満足、って自己満の世界か・・・(欝)
2005年12月01日
すでに報道されているように、そしてこのブログ群の中ですでに書かれているように戦力外通告の話で持ちきりですが、毎年のようにですがなんともいえない複雑な心境を覚えます。
しかもクラブ側からの公式発表がなく、各メディア(主にスポーツ新聞)の報道も様々。「実際どの報道が一番信憑性があるの?」と疑ってしまう。
他のブログでも書かれているように僕も「蛯沢君の戦力外」は正直?です。高卒選手は「最低でも3年」は見てもらいたいなと。ちょっとあっさり過ぎるんじゃない?ユース出身だし、もうちょっとねぇ・・・と思う。
ただ、「去年の戦力外選手の選定の理由」が今回活きているとは思えないし・・・まあ、僕らがわからない何かがあるんでしょうけど・・・
ただ、今回戦力外になった選手たちには気休めかもしれないけど、一日でも早く新しいチーム、もしくは新しい道を探して欲しい。そして、サポーターを安心させて欲しい。それがコンササポに対する最後の「ファンサービス」になるはずだから・・・
ところで吉瀬君はどうなるの?水戸に完全移籍?それとも復帰?
プロフィール
札幌市在住のダイです。無類のフリーキックマニアです。サッカー以外にも野球やモータースポーツ(特にF-1)も大好きです。水曜どうでしょうとSaku Sakuが大好きです。
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