【スター列伝】吉原宏太

2006年01月26日

 不定期更新のスーパースター列伝、第9回目の今回は「元祖アイドル」吉原宏太を書きます。

 1978年2月2日大阪府藤井寺市生まれ。小学校2年生の時に藤井寺サッカー少年団でサッカーを始め、道明寺中学校から和歌山県の初芝橋本高校に進学。3年生の時(1995年)の高校選手権で7得点を挙げて得点王を獲得して同校をベスト4に導き、この活躍が認められて翌年から旧JFLを戦うできたてホヤホヤのコンサドーレ札幌に入団しました。
 通常、プロになれるような実力を持つ選手というのは、そのほとんどが選手権の時点で卒業後の行き先が決まっているパターンが多く、高校選手権で「プロへ就職活動」となるパターンはそれほど多くありません。また、この「選手権ルート」でプロ入りした選手は岐阜工の片桐淳至(→名古屋グランパスエイト)や国見高校の松橋章太(→大分トリニータ)などあまり活躍した印象ないのですが、吉原の場合はルーキーイヤーの1996年に開幕スタメン(1996年4月21日・福島FC戦)に名を連ねただけでなく、先制ゴールを含む2得点を挙げてチームの開幕戦勝利に貢献。その後も公称170cmと小柄ながらも裏へのスピードと思い切りの良さを生かして試合出場を重ねていきました。当時のJFLがプロアマ混成リーグで、対戦相手のレベルにばらつきがあったとはいえ、それでもリーグ戦・天皇杯で27試合7得点は申し分のない活躍と言えるでしょう。さらにプレイヤーとしての活躍のみならず、その甘いマスクは女性ファンのハートをがっちりキープ。コンサドーレのメインスポンサーである石屋製菓の主力商品「白い恋人」のテレビCMにも抜擢されるなど、その人気は鰻登りでした。
 翌1997年は試合出場こそ18試合に留まりながらも、自身初のハットトリック(5月18日・大塚製薬戦)を含む10得点(リーグ戦・天皇杯合計)を挙げJFL優勝・Jリーグ昇格に貢献。1998年に開幕スタメンとしてJリーグデビューを飾る(3月21日・清水エスパルス戦)と、4月25日のベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)戦でJリーグ初ゴールをマーク。この年リーグ戦、カップ戦、天皇杯計41試合に出場し13得点を挙げ、人気・実力共に「コンサドーレのエース」となりましたが、残念ながら入れ替え戦では不発に終わりチームはJ2降格となりました。
 J2での再スタートとなった1999年は、チームとしては散々なシーズンでしたが、吉原個人にとっては大きな飛躍の年となりました。FC東京サポーターに「色白おかま」呼ばわりされながらも、5月2日のヴァンフォーレ甲府戦でJリーグ初のハットトリックを達成するなど順調に得点を重ねてきた吉原は、日本代表のフィリップ・トルシエ監督に認められてシドニーオリンピックを目指すアジア一次予選のメンバーに招集されました。そのアジア一次予選の香港ラウンドでのフィリピン戦で、交代出場ながらもハットトリックを達成すると、続くネパール戦でも2得点、3戦目のマレーシア戦で1得点、最終戦の香港戦でも1得点。相手は格下ばかりとはいえ、4試合で7得点を決める大活躍を見せました。トルシエ監督の期待に見事に応えた吉原は、今度はなんとフル代表に招集されます。日本代表がパラグアイで行われるコパ・アメリカに招待国として出場した際、アルゼンチンでの直前合宿中にFWの中山雅史(ジュビロ磐田)がケガをしてしまったため、急遽呼ばれたのです。当時の五輪代表には吉原ではなく高原直泰(ジュビロ磐田)や柳沢敦(鹿島アントラーズ)、平瀬智行(鹿島)といったFWが主力でしたし、久保竜彦(サンフレッチェ広島)などフル代表経験を持つストライカーも残っていた中で、誰もが驚いたフル代表招集。まぁ、トルシエ監督にとっては、「あぁもうこんな時にナカヤマ怪我しやがって代わりを呼ぼうにも地球の裏側まで選手を貸してくれるようなクラブなんてねぇだろうなああそうだだったらヨシハラを呼ぼうどうせ札幌はJ2だし昇格無理だろうし」といった感じだったのかもしれませんけどね。それでも吉原が代表に選出されたことは事実であり、パラグアイ戦で途中出場ながらも代表キャップを記録したことで「吉原宏太」の名は全国区となったわけです。
 当然サポーターにとっても、コンサドーレから初の現役代表選手が出たことは誇らしいことでありました。しかしそのサポーターの喜びの裏側で、「トップレベル」を実際に肌で感じた吉原本人は、翌年に控えていたシドニー五輪のメンバーとして名を連ねるため、その先に待つワールドカップのために、より高いレベルの環境でプレイすることを望むようになっていったのでしょう。札幌がJ2残留となったこの年のオフ、36試合出場15得点(リーグ・カップ・天皇杯合計)という成績を残し、ガンバ大阪へレンタル移籍していきました。
 今でこそ主力選手の移籍(引き抜き)は珍しい話ではないですけど、名実ともに札幌の顔だった選手が移籍していったのはこの吉原が初めてであり、当時のオレも含めたほとんどのサポーターはそれをどう受け止めていいかわかりませんでした。チームが彼を「戻ってくる可能性の残る」レンタル移籍としたのも、エースを失うショックが大きかったサポーターへの影響を考えれば仕方がなかったのかも知れません。今であれば、中途半端にレンタル移籍させるくらいなら完全移籍にして移籍金満額取れという声のほうが強いでしょうから、サポーターも随分免疫がついたものです。いやまぁ、出来ればこんな免疫なんていらないんですけどね。結局吉原は2000年オフにガンバへ完全移籍となり、移籍した当時にサポーターが抱いていた「1年後に戻ってきてほしい」という希望は叶うことはなかったのですが、どっこいその頃のサポーターは既にバンバンとエメに夢中でした。人間は忘れる生き物です。
 ガンバに移籍した後の吉原は、しばらくはそれなりの活躍を見せていたものの、西野体制となってからは監督との折り合いもあまりよくなかったようで次第に出番も減っていき、より多くの出場機会を求めての移籍志願話がオフの恒例行事となっていました。昨季の終盤はベンチからも外れるようになり、ついに移籍を決断。今年から大宮アルディージャでプレイすることになっています。

 表面上は「札幌を捨てた」という形での移籍となり、「かわいさ余って憎さ百倍」というサポーターもいる一方で、「初代生え抜きエース」としての吉原を特別な存在として感じているサポーターも決して少なくありません。プロ2年目以降から彼が好んで背負っていた「18番」の背番号は、札幌でも特別な番号として認識されていました。まぁ実際、吉原の他に18番を背負って、それに見合う活躍をしたのは山瀬功治くらいしかいませんけど。また、吉原自身もプロのキャリアをスタートし、最初の4年間を過ごした札幌は特別な場所で、移籍後もいろいろなところで札幌について触れることが多く、「第二の故郷」と考えているようです。それだけに、今でも毎オフになると吉原宏太札幌復帰話がまことしやかに囁かれたりもしますが、1996年のチーム創設時のメンバーで現在もJリーグで現役を続けているのはこの吉原ただ1人だけですから、キャリアの最後は札幌で過ごして欲しいなぁと少しだけ思ったりもしています。



この記事に対するコメント一覧

U-名無し

Re:【スター列伝】吉原宏太

2006-01-26 12:13

有珠山が噴火したときに、吉原は当時20才位だったと思うけど、自費100万円を寄付していて若いのにルーキーですねと思った。や、若いのにすげーと思いました。今の選手で寄付100万なんてないでしょ。吉原偉かったと勝手に補足。

ちや

Re:【スター列伝】吉原宏太

2006-01-26 13:01

今回のスター列伝はちょっと涙出ました。 ただ、補足をひとつ。 18番といえば曽田…。 ちょっと力不足かな。

じゃがバター塩辛

Re:【スター列伝】吉原宏太

2006-01-26 19:32

とうとう出ましたか。 また記憶違いの可能性大なので補足していただければ幸いですが >高校選手権で「プロへ就職活動」となるパターンはそれほど多くありません。 初芝橋本がフロックな上、線の細さやケガの影響で、得点王にも関わらず他のクラブの食指(毒牙?…触手?)に触れられなかったと記憶が…

kaz8@秋田

Re:【スター列伝】吉原宏太

2006-01-26 21:48

コータのJ初ゴールは第6節・4月15日の対浦和戦(仙台)だったと思います。 確かこのゴールはコンサの日本人選手としてもJ初得点だったはずです。 というか、それまでのコンサの得点はほとんどがバルデスで、バウテルが得点を決めた、と新聞に書かれているのを見たときには、大真面目に「書き間違えてやんの」と疑りました(^_^;)

ひろむっく

Re:【スター列伝】吉原宏太

2006-01-28 13:53

ブログでははじめましてですが・・・ 吉原君の活躍がきっかけでコンサドーレを応援するようになった人って年代的にはもう30代の方々が多いと思います。 (自分もそんな世代の一人だったりする。) コンサの18番と言えば彼の顔が思い浮かぶ人も結構いるのではないでしょうか? 某ファンサイトのヒット数が驚異的に伸びたのも過去の話になりますね。 現在は活躍の場を求めて大宮へ移籍してしまいましたが 個人的には頑張ってほしいと思ってます。

海外サポ

Re:【スター列伝】吉原宏太

2006-02-04 15:42

1998年3月21日、清水エスパルス戦の開幕スタメンは 深川友貴とバルデスの2トップのはずだと 思うのですが・・・

choo

Re:【スター列伝】吉原宏太

2006-02-06 12:03

うーむ。確かにけっこう間違ってるな…。

札幌出身の大宮サポ

Re:【スター列伝】吉原宏太

2006-04-09 00:30

本日2006/4/8の大宮-横浜戦でホーム戦デビューした吉原宏太を見て、当時のコンササポーターが魅せられた理由がよく分かりました。宏太の鬼気迫るドリブルは中澤、松田という日本最強のDFラインを翻弄し、何度も突破していましたよ。しばらく大宮でお預かりさせて頂きます。すいません。

サッカー好き

Re:【スター列伝】吉原宏太

2008-10-17 12:11

Jリーガーなんて給料少ないのに20歳そこらで100万寄付とは。。。人間のデカさが図れますね。 他に誰がいた!? クソほど稼いでる芸能人でもそんな額の寄付は聞いたことないなぁ。 北海道の人達は拝んでもおかしくない。

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